第五章 空の王の恋1
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遥かなる時の彼方――
至高天王と互角の能力では?と称されていた空の王アーカーシャは、二人の間にとうとう避けられない諍いを起こし、界を二分する戦いへと発展していた。
しかし、その戦いの勝敗はついていない。
至高天王との直接対決にて致命傷を与えられ、消滅しかけたサイラスを助けたのは彼の恋人ローザだった。ローザ℃轄sV王の愛娘。次代の天王になる筈だった。
『ローザ!』
『ごめんなさい・・・お父様。アーカーシャ・・許して・・・』
アーカーシャは自分の血の匂いと視界さえも真紅に染まった中で、ローザの声を聞いた。
止めようと思っても指一つ動かせなかった。
咽頭に溢れる血溜まりに咽びながら声にならない声を発した。
『だ、だめ、だ・・ろ・・ざ・・・やめ、る・・・んだ』
もちろん死に逝く魂を救うには同等の魂が必要だったのだ。
空の王と呼ばれる彼の魂と同格の者など数えるしか存在しない。
その場には至高天とその娘ローザだけだった。
ローザの姿は光輝く砂のように足元からサラサラと崩れていく。
彼女は悲しく微笑みながらアーカーシャに許しを請うのだった。
『あなたがいなくなるなんて私は耐えられないの。勝手な事をして、と言って怒るでしょうね。ごめんなさい・・・愛しているわ・・・アーカーシャ―――』
消え逝くローザに天王が力を注ぎ込んでいたがそれを止める事は出来ず、彼はよろめき膝を地につけた。弱りきった天王を今なら簡単に斃す事が出来ただろう。
だがアーカーシャはローザが注ぎ込んだ命で蘇った己を呪い、動く事が出来なかったのだ。
思考が止まっていた。何もかもがまるで墨を流したかの様に黒く暗く歪んでいた―――
最後の光の粒が消えた時、アーカーシャは叫んだが声にはならなかった。
沈黙がその場を支配していた。永遠に続くかと思った静寂を破ったのは天王だった。
『どうした?止めをささないのか?まあ良い・・・お互い頭を冷やした方が良いだろう。私は疲れた・・・・何もかも――ローザを失う結果となろうとは・・・・アーカーシャ、ローザは蘇るかもしれない――』
等価で失った魂は人間界の輪廻に組み込まれる―――何度と無く繰り返し生を受ける限りある命。
次期天王でも世界の理はどうする事も出来ず、その輪を回し続けるのだ。
いつの世も再生された真っ白な魂で記憶など当然無い。
姿形は違って魂は同一とは云っても、歩んだ記憶が無ければ違う人物と代わりが無いだろう。
それなのに至高天王は彼女が蘇ると言うのだ。
その記憶に先ほど鍵をかけたと言うのだ。浄化出来ないようにだ。
『―――それは何時開くのか定かでは無い。直ぐかもしれないし、時を重ねるかもしれない・・・まして開かないかもしれない・・・』
(蘇る・・・ローザが?)
アーカーシャはもうその言葉しか聞こえなかった。嫌、聞きたく無かった。
そして血溜まりの中から起き上がると、その場から異界への扉を開き始めたのだ。
『アーカーシャ!』
彼は振り向かなかった。愛しい者の魂を追いかけてサイラスは人間界に向かったのだ。
そうだ・・・幾百、幾千―――例え幾億の時が過ぎようとも構わない。
再び彼女と出逢えるのならばどんな犠牲も厭わない。
彼女以外何もいらない。何も欲しくない。
世界が滅びようとも―――只、彼女を探し求め続ける。
人間に鎖で繋がれ、その身が見えない縛めで血を流そうとも、薄紅色の瞳の王女が生を受ければ期待して絶望し、それを繰り返していた。
己の魂をすり減らし絶望に絶望を重ね、孤独を共にしながら待ち続け探していたのだ。
しかし不覚にも永き時を眠らされてしまった。
何度目かの絶望をもたらした薄紅色の瞳の王によって―――それこそ絶望的だった。
解かれる事が出来ない封印で、もう二度と彼女を待つ事が出来なくなるのだ。
しかし、同時に安堵する自分もいた。
天王は言ったその鍵は開かないかもしれない≠ニ―――
それを思う度に狂いそうになった。出来れば狂ってしまった方が楽だったかもしれなかった。
だから安堵した。死ぬ事の出来ない自分が唯一逃げられる手段だったからだ。
そして二度と開く事の無かった瞳を開いた時、とうとう出逢ってしまった。
ローザ≠ニ―――
あの薄紅の瞳を見た時すぐに分かった。
瞳の色は当然だが魂の色が今までとは全く違う色に輝いていたのだ。
そして昨晩、確信したのだ。彼女は記憶の鍵を持っているのだと。
胸騒ぎがして急ぎエリカの寝室に入ったらあのような事態に陥っていたのだった。
過去の記憶の再生を彼女はしていたのだ。
喜びに我を忘れそうだった。身体の震えが止まらなかった。
だがまだ彼女はローザ≠ナは無いからまだ自制出来る。しかし・・・・
「だからジャラ。お前に邪魔はさせない。もちろんあの男にやるつもりも無い。遊びは此処までだ」
「・・・・アーカーシャ。お前の情愛程恐ろしいものは無いな。何ものにも囚われず数多の僕 から、その他の王からさえも慕われながらも彼らを顧みる事無く、只一人を愛した。全てを捨てる程に・・・」
ジャラは笑い出した。そして自分の縛めからもがく友を抱いて背中を笑いながら叩いた。
「放せ!ジャラ!」
「はははっ、煩いぞアーカーシャ。少しは付き合って貰っても良かろう?突然出て行ったまま永き時をほったらかされた友が哀れと思ってな」
ジャラはサイラスにじゃれついたまま放さなかった。
一方、駆け出したエリカを追いかけたグレンは、その手を掴んだ。
エリカはその手を振り解くように振り向き叫んだ。
「放して!嫌いよ!」
「弁解はしない。だが謝らせてくれ」
エリカの顔は紅潮している。
信じていたのに―――
しかも自分が昔好きだった人かもしれないと悩んだりもしたのに―――
「さぞかし愉快だったでしょうね?私はあなたの思惑通りに踊れたかしら?ああ、舞踏会はまだだったわね?馬鹿にしないで!」
グレンは胸を剣で抉られるようだった。
愛しいと思う者からの拒絶は耐え難いものだ。此れが恐れていたものだった。
オルセンは重要な駒だと思っていた。しかも謎の奇跡は更に重要度を増したのだ。
そこで自ら確認したいと思い使者に身をやつしたのだった。
しかし予想外の事態に陥ってしまった。まさか彼女に自分が恋するとは思わなかった。
しかもこの情勢の中、愛やら恋にうつつを抜かす時では無いのにだ。
今までこの様な感情に支配される事は無かった。だが、この恋を止める事は出来無い。
彼女を騙したこの芝居を続けるのが辛くなっていたし、本当の自分を見てもらいたかった。
しかし、どう切り出すものかと迷っていた矢先に最悪な状況になってしまったのだ。
「痛い!放して!」
グレンははっとした。思わず力を入れすぎていたのだ。
指を緩めた隙にエリカは再び走り出した。グレンは追った。
エリカは王宮の奥まで侵入して行ったが、後を追いかけるのが王だから誰も止める者はいなかった。
誰もが目を見張ってその様子を伺っていた。
女性を追いかけて走る王の姿など滅多に見られるものでは無いし、絶対に今後無い光景だからだ。
全速力で逃げるエリカはとうとう足がもつれつまずきそうになり転びかけた。
間一髪それを救ったのはもちろんグレンだ。
彼女を自分の腕の中に引き寄せると大きく息を吐いた。二人共、息が上がって肩を上下させている。
「姫は足が速いんだな。驚いた」
今度は両腕で胴を囲われて身動き出来ないエリカは彼を見上げて睨んだ。
そしてグレンの眼帯を剥ぎ取ったのだ。
周りにいた城の者達はその無礼な所業に悲鳴をあげた。
きっと王は怒る筈だと―――
隠しの中からは晴れ渡った空の色をした瞳だった。
金色の魔神の瞳≠ネどでも無いし、目が不自由な訳でも無かった。
その双眸が静かにエリカを見ていた。
「確認出来た?」
「・・・やっぱり両目は見えるのね。王は昔から隻眼だと聞いていたのに何故?どっちの姿が本当のあなたなの?もう嘘は嫌よ!答えて!」
「・・・・先日まで本当に隻眼だった。気まぐれな海神が返してくれたから戻った・・・・」
たぶんジャラはサイラスの覚醒を感じ、慰みにしていた彼の瞳を返したのだろう。
だがそれとこれとは騙した事実に関係無いのだ。
彼は弁解しないと言った。だが何故そうしたのかエリカは聞きたかった。
「何故?何故、私を騙したの?それにこの馬鹿げたご招待は何?」
「・・・・より強力な同盟連合を作るための謀り事だった。それにオルセンは全てにおいて最も重要な存在だ・・・・早くからこの打診をしていたのにも関わらす、返事が来たのはあの事件の後――何よりも興味を覚えた」
エリカは思った。何も王自らこんな事をする必要も無いのに無鉄砲にもやってしまった彼には同質のものを感じた。騙されたけれどまるで子供の悪戯のようにも思えてきてなんだか怒るのも馬鹿々しかった。怒って走って気持ちがすっきりしたせいもあるが、エリカは堪らず笑った。
「馬鹿じゃないの?王様が自分からする事じゃないんじゃない?本当に変な人! それに国同士での政略結婚は当たり前だけどあんなに沢山貰うつもりだったの?呆れた人ね!」
その笑い声は嘲笑では無かった。エリカは許したのだ。
その無鉄砲さに呆れたのも確かだが、弁明もせず謝る彼をもう一度信じようと思った。
捕らえた為のグレンの腕は優しい抱擁へと変わっていた。言葉も無く只、抱きすくめるだけだった。
「ちょっ、ちょっとグレン?ったら。えっと、シーウェル王!」
「グレンでいい!」
「そう?じゃあ私もエリカで良いわよ。でも、ちょっ、ちょっと・・・いい加減に――」
「おい!何している!離れろ!」
二人に追いついたデールが抱き合う二人の間に割って入った。
遠巻きに見ていた人々は新たなる展開に固唾を呑んだ。
痴話喧嘩のように騒いでいた王とオルセンの王女が抱き合ったと思ったら、何かと噂の王女の従者がその邪魔をしに入ったのだから。
―――追いかけて行ったデールにしてみれば全く冗談じゃなかった。
主の命令とは言っても危機に陥っている主人を置き去りにして向かわねばならないなど・・・・
「全く冗談じゃね―ぞ!早いところ引き戻して――えっ?」
デールは抱きあう二人を見た。
(なんだ!このムカつく感じは?ガ―っ、そんな事はどうだっていいっ!)
デールは走り寄ったのだった。