第五章 空の王の恋3
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彼女は唇をぎゅっ、と噛みしめて返事をしない。
「エリカ?」
「・・・おいっ・・やめろ。こいつは命令しない。追い詰めるな・・・」
デールが傷ついていない片目を少し開いて、苦しい息の中エリカの代わりに答えた。
そして傷だらけの腕を上げてエリカの頬をそっと撫でた。
「・・・この馬鹿。唇を噛むんじゃねえよ。血でているだろうが・・・ほんとにお前は頑固だよな。呆れるぜ・・・」
「・・・・デール・・・」
エリカは心の中で叫んだ。お願い、サイラス!みんなを守って!≠ニ―――
「彼女が目的なら容赦はしない。二度とそのような考えが浮かばぬようにしてやろう」
「ククク・・・嗤えるなぁ。本当に嗤える。その疲弊した力で俺様と対等に戦えると思っているのか?昔とは違うぞ。貴様には怨みがある。天と地、一対で生まれた俺達は平等では無かった・・・・いつも何時でも貴様が何もかも・・何もかも俺から奪っていった。皆、貴様を称え貴様に与えた。そして誕生する前から俺の許婚と決められていたローザも、貴様は奪った! そしてその命さえ奪ったのだから・・・・許さん、絶対に―――」
再び地面から無数の根の槍が蠢き彼らを包み込むように襲い掛かった。
真っ先に背後からグレンに向かってその鎌首をもたげたそれをサイラスが動きそれを封じたのだ。
エリカ以外の人間を、彼女が命じてないのにサイラスは助けたのだ。
「サイラス!あなた・・・・」
命令がないと動けないという戒めは初めから無かったのだ。
それは永きに渡り自尊心を粉々に砕いてまで隷属した人間への己を守る為の自己防衛でもあった。
誰かの為に自ら動くと云う感情を消し去っていたのだ。
ただ人形のように言われるまま働く事で本来の心を守っていた。そしてその殻を破ったサイラスの瞳は強い意思を持っていて、冷たい宝玉の飾りのような瞳では無かった。
一歩も退かず灰色の魔神との間合いを詰めている。
だがやはり地の王が言う通り彼の力が勝っていた。
一瞬のうちにサイラスを押さえエリカをその腕に攫ったのだ。
「ローザ――っ」「エリカ――っ」
サイラスもグレンも叫んだ。
彼女の華奢な身体はブーミに背後から両手で絡み取られていた。その片手がエリカの細い首に伸びた。
「動くなアーカーシャ。細い首だ・・・驚いてうっかり折ってしまうだろ?俺はどうでも良いんだよ。忌々しいぐらいに似ているから勿体無い気もするが、貴様が悔しがる姿を見られるのなら、こんな人形などどうなってもな」
「うっ――」
エリカの首を握った指に力が入った。
「止めろ!」
サイラスは彼女を盾に取られてはどうする事も出来ない。
奴なら迷いも無く彼女を殺すに違いないからだ。只の人形だと思っているのなら尚更だった。ただ一つの救いがあるとすれば、奴の目的は自分だからやすやすと殺すことはないだろうという希望だけだ。
無言で立ち尽くすサイラスに容赦無い攻撃が仕掛けられてきた。
抵抗しない彼はブーミの思うままだった。片腕が千切れ、鮮血が吹き出した。
「サイラス―――っ!」
それでもサイラスは衝撃で膝をついても再び立ち上がり、我が身を庇う事無くブーミの攻撃にその身を晒し続けた。
「やめて――っ!」
エリカは叫んだ。真紅に染まる彼を以前見た事があった。恐怖ともいえる感覚が彼女を襲った。
誰かが叫んでいる―――
更に一撃が襲い掛かろうとした時、その蠢く根が一瞬のうちに塵となって消滅したのだ。
「遅いぞ、ジャラ!」
「よく言うなアーカーシャ。来てやっただけでも感謝して欲しいね。我は亡者達を消すのに疲れたというのに」
ブーミはこの国に気配を感じるジャラの気を引く為に、死の軍隊を率いて来ていたのだった。
それはシーウェルの海域に配置していた。それも海で死んだ者達を使っての陽動作戦だ。
自分がこのオルセンの王女を攫うまでの時間だけで良かったのだ。
「ブーミ。好き勝手やってくれたな。あんな腐った物を掻き集めて我の昼寝の場所を汚して。この代償は高いぞ」
「見えないのか?ジャラ。ほら、アーカーシャの大事な人形が壊れるぞ」
ジャラは嗤った。
「お前馬鹿か?それはアーカーシャのであって我には関係無い。その人形に現 を抜かす奴からそれを取り上げようと思っていた。だから・・・どうでも良いのだよ。それよりもお前は我の物に手を出した――我は怒っているのだよ、ブーミ」
ジャラの周りには渦巻く水がブーミに狙いを定めていた。
白銀の髪が舞い上がり、切れ上がった瞳が彼の怒りを語っていた。
「貴様の相手は俺じゃ無い。アーカーシャ!奴を止めろ!人形が殺されたくなければジャラを消せ!」
サイラスは無造作に落ちた腕を拾い上げ千切れた所に押し付けた。急速に腕の修復が始まる。
ジャラとサイラス。彼らの殺気に満ちた視線が絡み合った。
「本気か?アーカーシャ?」
「・・・・・・・・」
彼は答えない。
ジャラは軽く溜息をついた。
「まあ・・聞くだけ無駄だな」
二人を戦わせている間に自分は姿を消そうと思っていたブーミだが、彼らに気を取られていて背後にグレンが回りこんでいたのに気付くのが遅れた。背中に鈍い痛みが走る。
彼の剣で背を一突きされた地の魔神はエリカに回していた手を一瞬離してしまった。
グレンへ攻撃を仕掛けようとしたブーミの力はジャラに防がれ、エリカはサイラスの腕の中へと戻っていた。
「しまった!」
逃げようとするブーミにすかさずサイラスとジャラが攻撃をする。
天空を引き裂くサイラスの雷とジャラの水の矢は地の王を引き裂いた。
大地をも震わすその力はブーミにその姿を留めるのが難しい程の痛手を負わせた。
力が疲弊しているといっても五人の王達の中で頂点を極めたアーカーシャと、それに追随したジャラとの二人がかりでは勝ち目は無かった。
しかし彼は残った最後の力を掻き集めて地に潜り逃げてしまったのだ。
「逃げたか・・・止めがさせなかったな」
ジャラは悔しそうに白銀の髪をかきあげた。
「まあいい。それでもかなりの痛手を負わせられた。早々に癒えるものでは無いから暫くは大人しいだろう」
呆然と立ち尽くすグレンにジャラは視線を流すと、彼に軽く微笑んだ。
「お手柄だな、シーウェル。お前がやらなければ奴と戦う破目にあうところだった。やはりお前は人間にしておくのが勿体無い奴だ」
エリカも緊張していた肩の力を抜いて大きく息を吐き出すと、サイラスの指が彼女の首にそっと触れた。その首は赤黒くブーミの指の痕が残っていた。
「大丈夫か?怖い思いをさせた。すまない」
エリカは首を振るとサイラスに抱き付いた。
怖く無かったと言えば嘘になるがサイラスが絶対に助けてくれると信じていた。
自分が捕らわれ彼がなぶり殺されようとした時、何かが弾ける音がした。同じものを見た事があった。何処なのか思い出せないが、確かに自分は其処にいたのだ。
そしてその時のサイラスの瞳は晴れ渡った空の色だった。
天空の瞳―――空の王に相応しい色だ。
何時も見ていた夢のあの人はグレンでは無くサイラスだったと確信した。
何故自分が異界でサイラスがアーカーシャと呼ばれた時代の彼を知っているのかは分からない。
これが何を意味するのか?彼に訊きたいが真実を聞き過去の記憶に囚われて、今の自分を見失いそうなのが一番怖かった。しかし・・・・
「サイラス。教えて私はあなたの何?」
サイラスはエリカをそっと自分から引き離した。
やっと起き上がれるようになったデールが固唾を呑んで二人を見ていた。
彼女の秘密を話すのだろうか?それとも・・・・
サイラスはエリカの前でその長身を優雅に跪かせて頭を垂れた。
今まで隷属していたとしてもその主に跪く事は一度も無かった。又、彼に跪けと命じる事が出来る者もいなかった。隷属していても誇り高い魔神に命じる勇気のある者はいなかったのだ。
もちろん至高天王にでさえも跪いた事など無い。その彼がエリカに膝を折ったのだ。
「汝 は我が主にて、我を支配するもの。我が心も、この髪の一筋さえも汝に捧げる者――」
エリカは目を見開き、首を振りながら後ろへさがった。
「い、嫌・・・私、そんなの望んでいない。サイラス、あなたは自由だと言ったでしょう?私そんなのいらない」
「はははっ、傑作だ!アーカーシャ。見事に振られたな?今も昔も彼女だけしか目に入らないお前の最大の愛の告白が、あっさりと断られるとはね。愉快、愉快」
「え?告白って・・・あっ」
そう言えばそうとも取れる言葉だった。
急に胸に広がる想いが溢れそうになって頬が熱くなってきた。何故か恥ずかしくなってその場から逃げ出したくなり駆け出してしまった。
「オレにお任せ下さい!我が君」
デールは素早くそう言うとエリカを追った。
サイラスも追いかけようとしたが思い留まった。
焦る自分が彼女をどうにかしてしまいそうだったからだ。自分では自制出来ていると思っているのに、今日みたいな事が起きるとそれも怪しくなってしまうのだ。
ジャラは愉快だとなお笑っていたが、サイラスの冷たい視線で笑いを引っ込めた。
「・・・さてと、今日は良く働いたから美味しいお茶でもご馳走してもらおうかな?なあ、シーウェル?」
「はい。私も色々とお訊きしたい事もございますのでどうぞ。その前にお二人の姿をどうにかして下さい。城の者が驚きますので」
流石に冷静沈着なシーウェル王は変事にも関わらず平静を取り戻していた。
二人の魔神を前にしてこの態度なのだからジャラが気に入るのも頷ける強い精神だ。
元々、サイラス達の界では力は精神力と直結しており、より強い心を持つ者が強い力を持つ。
だからその自分より上の力に憧れ慕う性質があるのだ。
二人の魔神はグレンの後ろから付いて歩きながら衣を脱ぎ捨てる様に姿を変えていったのだった。