最終章  エリカ3


 翌朝、エリカは帰国するのをためらっていた。
それは昨晩のせいかもしれない。サイラスは悪く無いのに彼を責めた自分が情けなかった。
でもまだ心が騒いでいるのだ。エリカは溜息と共に左手にはめた腕輪を見た。

(・・・・たぶんこれが探していた魔神の瞳・・・)
魔神の本当の瞳の色は違うとエリカは知ったのだ。サイラスの今の瞳は黄金色。しかし昔の瞳は腕にしたこの宝玉のような青い空の色だった――何故今この宝石がこの色なのか分からないが予測出来た。
それは国に帰ってこの件を父親に確認をすればいいだろう。もしそうならエリカには考えがあった。

(彼をオルセン王家から解き放つ方法・・・)
それが叶えばサイラスは自由だった。
昔のように何者にもとらわれない空の王の名に相応しい自由な大空のようになるのだ。
その時、自分がローザであってローザではないエリカ≠ノなったと告げようと思った。
そして初めから始めるのだ。蝶をつかまえてくれたあの日でもなく、封印の間で見つけたあの日でもない。呪縛を解いた時から始めよう。ローザだったエリカ。
今はそれが本当の自分だから―――それが一晩考えた答えだった。

(そうよ!一度は振向かせたのだから頑張るしかないじゃない!)
行きと違って魔神の力を隠す必要が無いので国には直ぐに帰れる予定だった。
だからせめてもう一日だけ、心の準備が欲しいと思ったのだ。

 早々に帰国の準備を整えたシェリーとデールは中庭に出ていた。
そして見送るグレンの姿もそこにあった。
エリカは後から直ぐ行くと言って、シェリーを先に行かせてその様子を部屋の窓から見ていた。
そして溜息をつくと部屋を後にした。
肩越しに、ちらりと後ろを見ればサイラスが何処からともなく現れて付いて来た。中庭に彼の姿が見えなかったから自分が出て行くのを、何時ものように待っていたのだろうなとエリカは思った。

(やっぱり夜のことは何とも思わなかったのかな?)
昨晩サイラスは珍しく、後を追って来なかった。
しかしそれ以外本当に何時もと変わらない様子だった。
そして何も言わない―――やはりローザでないと彼の心を揺さぶる事が出来ないのかもしれない、と気弱になってしまう。

(やっぱり帰るのは明日にしよう!気分を切り替えないとね!)
エリカは走って皆がいる場所へと向った。

「お前!遅い!何やってたんだ!」
エリカを見るなりデールが文句を言った。

「ごめんなさい!それにもう一つ、ごめんなさい!帰るのは明日にする!」
「はあ――?お前、何言ってんの!」
デールが呆れて怒鳴った。

「だって、私、考えたらこの国の観光、まったくしてなかったのよね。せっかく来たのにもったいないじゃない?」
「か、観光だと――っ!お前、何しにここへ来たのか忘れたのかよ!」
「もちろん覚えているわよ。舞踏会に来たのよ。でも中止になったじゃない?だから楽しみが無くなったから観光して帰るの。それに魔神の瞳≠フ行方は見当がついたしね」
デールは開いた口が塞がらなかった。だいたいエリカは破天荒な性格だが相変わらず予想が出来ない。

二人のやり取りを初め唖然と聞いていたグレンだったが、くすくす笑いだした。

「エリカ、そんなに舞踏会が楽しみだったのなら開こうか?」
「え?本当!う〜ん、でももういいわ。お金持ちのシーウェルだったら豪華だろうなぁ〜と思っていただけだから」
「けっ、お前の楽しみは食べ物だけだろう?」
「デェェ――ル!余計なこと言わないの!」
エリカはデールを追い回して叩いた。そしてあっとする。グレンが笑ってその様子を見ていたからだ。エリカは振り上げていた拳を下ろして、こほんと咳払いをした。

「えっと・・・だから、ちょっと観光したいのでこの国で一番きれいな場所を教えてくれる?グレン?」
「教えるのでは無く、案内するよ」
「ええっ〜忙しいのに悪いわ」
「大丈夫、大丈夫」
グレンはさあ、と言ってエリカの手を引いて行った。
シェリーはまたかと言うような顔
をして荷物をまとめると部屋へ戻って行った。
そしてデールは面白くなさそうにエリカ達を見ていた。

「だいたい何だよ、あの男は!いつもエリカにベタベタしやがって!」
デールはブツブツ文句を言いながらも二人の後に付いて行くようだった。
もちろんサイラスも何も言わず表情も変えずに後を追っている。

 そしてグレンが案内したのは波が穏やかな入り江だった。そこからの景色はもちろん素晴らしいが、透き通るような海中にはそれこそ宝石のような色とりどりの魚が泳いでいた。

「うわぁ〜きれい!」
エリカは岩場から身を乗り出すように覗いた。

「すごい!グレン、とても素敵ね!こんなの見た事ないわ」
「はははっ、それは良かった。喜んでもらって。ここは王家直轄の地域で自然のままに管理されているから極秘の名所だよ」
「へぇ〜そうなんだ。あっ!グレン、あれは何と言う魚?」
エリカとグレンが岩場に陣取って楽しそうにしているのを離れて見ていたデールが、面白くなさそうにぼやいた。

「我が君、本当にあれ、ローザ様に似ているんですか?オレ、信じられません。オレの知っているローザ様は溜息がでるほどお綺麗で、歌うように言葉を紡がれるでしょう?もう我が君のお隣に立たれていると夢を見るようで。さすが次期至高天王と云う感じでした。なのにあんなに騒がしく、ガチャガチャしているのから想像出来ません!」
サイラスは視線をエリカに残したまま、デールの言葉にふと微笑んだ。
そして彼が答える前に彼らの後ろからその答えがきた。

「そなたは誕生して日が浅いから知らぬだけ。昔のローザはあんな感じで、アーカーシャが何故あのような彼女に落ちたのか我は千年ほど考えてしまったな」
ジャラのいきなりの出現にデールは飛び上がった。

「げっ!水の王!」
「げっ、は無いであろう?アーカーシャ、どういう教育をしている?」
「お前に敬意を払う必要など無いだろう。何しに来た」
「はっ、相変わらずつれない男だ。ここは我の昼寝の場所で、そなた達の方が侵入者であろう」
白銀のジャラは切れ長の瞳を意地悪く細めるとそう言った。
しかしサイラスは、ちらりと見ただけで無視した。

「本当にそなたも昔から変わらぬな。そなたこそ一度死んで生まれ変わった方が良いのではないか?彼女などもっと魅力的になったであろう?我は昔よりずっと好ましいと思うが、そなたはそう思わぬか?」
「・・・・・・・・・」
サイラスは答えなかった。それは昨晩から感じていた気がつきたくないものだ。
ローザでは無いもの―――しかしそれは望んで無いものだ。
目の前にいるローザになる予定の娘は、まだ彼女では無いから平静でいられると何時も思っていた。
何時の時代もそうだった。だが今はまだローザでない彼女に好意を持つグレンに嫉妬を覚える。
今も平気な顔をしているのがやっとだった。彼女があの男に楽しいそうに笑いかけて話しかける度に、胸の奥で炎が燻っている感じだ。今にも燃え盛りそうなものを何とか抑えている。
彼女がこのまま目覚めなければ人としての一生を送るだろう。

(そして私はまた孤独の中に置き去りにされる・・・)
ローザにならなかった者達は、それぞれ伴侶を得て子を産んで・・・・
サイラスから見れば短い一生を終えていた。

(ローザにならなければ同じく彼女も今横にいる男と結ばれるのか?)
今までのローザにならなかった薄紅色の瞳の者達を攫っていった男達に、サイラスは嫉妬を覚えたことは無かった。しかし今は違っている。彼女がローザに違い無いと思っているからだろう。
でももう一つの心ではあれはローザでは無いと言っている。

「水の王、本当にあれでローザ様にそっくりなのですか?」
デールの声にサイラスは想いの淵から戻った。ジャラが愉快そうに答えている。

「ああ、そうだな。まさしく姿もそっくりだ。私は実際、昔から彼女を知っているからな。もう少しすれば硬い蕾が花開くようにか、もしくは(さなぎ)から蝶が(かえ)るようにそなたの知るローザの姿になるだろう」
「うげぇ〜女は化け物だ!まぁ〜あのお綺麗なローザ様なら我が君と恋人同士になったのも分かる気がするけど」
ジャラが急に笑いだした。

「違う、違うぞ。アーカーシャは今のエリカの時ぐらいから既に恋人同士だったよ」
「ええっ―――!」
「だから言ったであろう?我は千年考えたと。本当に不思議であった・・・本当に・・・」
 誰もが不思議がった。既にその力もその容姿も並ぶものなどいないと云われた空の王アーカーシャと、見栄えのしないローザの組み合わせは恐ろしく不釣合いだったのだ。
顔無し王のブーミとの方がよっぽど似合っていると陰口を言うものもいたぐらいだ。

「それじゃ、どうして?」
デールは主の知らない話に興味津々だった。

「ふっふっ、今の彼女を見れば分かるだろう?こやつ相手に怒涛の攻撃をかけてきた」
「こ、攻撃!」
「そう――」
「ジャラ!」
余計な事まで言いそうなジャラをサイラスは睨んだ。

「いいじゃないか、アーカーシャ。楽しい昔話じゃないか。我にとってはそなたを盗られたつらい話としてもな」
「・・・・・・・」
ジャラは愉快そうに無言のサイラスの顎をすくったが、その手をサイラスは、ぎろっと睨んで払った。
「ふふふっ、怖い怖い」
サイラスは回想した。ローザは本当に走っても転ぶような幼い頃から彼にまとわりついていた。
気まぐれに蝶をつかまえてやった時から―――

アーカーシャ、アーカーシャと姿を見れば名を呼んで走って来る。

(あれは見ればではなく、探して見つけてだったな・・・)
『アーカーシャ、小鳥の雛が孵ったの』
『アーカーシャ、はい、これあげる。このお花、綺麗だから摘んできたの』
『アーカーシャ、昨日ね―――』
毎日、毎日、何でも報告に来ては無理やり何か置いていくか持って帰っていた。無視しても無視してもそれは飽きること無く続けられたのだ。根負けとでも言うのだろうか・・・それが何時しか当たり前になり、彼女が現れるのが密かな楽しみにさえなっていた。
だから来ない日があると心配になったぐらいだ。

ジャラは千年考えたと言ったがサイラス自身、何故こういう気持ちになってしまったのか分からなかった。ジャラの方が千年で答えを見つけたのなら自分より分かっているのだろうか?
「ジャラ、千年考えた答えは?」
ジャラは少し驚いてその美しい白銀の瞳を見開いた。

「珍しいことがあるものだ。そなたから問いを受けるとはな。そなたの気持ちを我に問うのか?」
「・・・・・・・・」
「まあ、いいだろう。そなたは誰にもとらわれない孤高の王。とらわれないのでは無く、誰も心に踏み込ませないし、踏み込まないだけ。それがそなたの魅力であり皆が憧れたものだった。だから誰もそなたに踏み込もうとするものはいなかった筈―――だがローザはその皆と違っただけ。恐れもなくそなたに突進して行ったのだからな。あれには皆、仰天し冷笑したものだが・・・彼女のそのひたむきな真っ直ぐな強い心に陥落してしまったのであろう?我らはその強い心に弱いからな」
確かに誰も踏み込んで来なかった場所に彼女は入り込んで来た。それがそこに居るのが当たり前になっていたのだ。ただ言えるのは彼女無しの自分はあり得ないという事だ。

「あ――っ!サイラス!見て、見て!虹よ!」
突然のエリカの声にサイラスははっとした。
海辺からこちらに走りながら空を指さしている。晴れた向こうの空に大きな虹がかかっていたがもう半分くらいで消えかかっていた。気付くのが遅かったようだ。

「あ〜もう消えちゃう・・・せっかくサイラスに見せたかったのに・・・」
『あ〜もう消えちゃう・・・せっかくアーカーシャに見せたかったのに・・・』
ローザもそう言ったことがあった。

ジャラは、にやりと笑ってデールに耳打ちした。

「こんな場面、昔もあった」
「え?」
「ほら、あの時も奴はああした」
ジャラの視線を追ったデールが見たものは、主が片手を空に上げたところだった。
そして弧を描くと同時に真っ青な空に幾つもの虹がかかったのだった。七色に輝きながら弧を描く様はえも言われぬ美しさだ。

デールはエリカが大喜びではしゃぐと思った。
もちろんサイラスもそう思っただろう。しかし予想は外れた。

「――きれいね。ありがとう、サイラス」
エリカは悲しそうな声でそう呟いただけだった。

『すごい!きれい!最高!アーカーシャ、ありがとう!』
あの時のローザは飛び上がるように喜んだ。もちろんエリカもその事は覚えている。
だから悲しくなってしまったのだ。過去の再現でしかないものへの自分への嫉妬だった。

「おやおや、今回は何だか昔とは違うようだな。今日はシーウェルの勝ちかな?愉快、愉快」
ジャラは愉快そうに笑っていた。
そして勝ちと言われたグレンが、にやりと笑った。
明らかに今エリカを喜ばせていたのはグレンだろう。

「さあ、エリカ。向こうにも珍しいものがあるから案内しよう」
グレンの誘いにエリカは頷き、サイラス達から離れた。
今までの場所から離れようとする彼女達を追うようにサイラスが動いた。

グレンは足を止め、そのサイラスに向って言った。

「エリカに話があるから、遠慮してもらえますか?」
「おいっ、お前!我が君に命令するのか!」
デールが先に怒って叫んだ。

「命令などしていません。お願いしているのです。オルセンの魔神よ」
「・・・・・・・・」
グレンは護衛官の格好をしているサイラスをわざと魔神と呼んだ。
自分達とは違う存在だと言いたいように。

ジャラは笑っていた。彼はこういう怖いもの知らずのグレンがお気に入りなのだ。

サイラスが足を止めたまま動かないので、グレンは彼が承知したと察してエリカを促して去って行った。一度エリカは振向いたが、グレンから肩を抱かれるように連れられて行ってしまった。
その様子を、じっと見つめるサイラスの瞳は魔神の色の黄金になっていた。

「ふふふっ、嫉妬は怖いね。今、この入り江が吹っ飛ぶかと思ったよ。怖い、怖い。何の話だろうね?シーウェルは彼女にご執心だから結婚の申し込みかな?」
「・・・・・・・」
「我が君?」
無言で立ち尽くす主をデールが心配そうに見上げた。

(あの、馬鹿女!ふらふら付いて行って!まったく!)
デールは心の中で悪態をついたが、二人が消えて行った岩陰を少し心配そうに見つめたのだった。


「グレン、私に話って何?」
「実は、先日オルセンに親書を送ったからそのことについて話したかったんだ」
「親書?」
「そう、君の父上宛に」
「お父様に?何?」
「君への結婚の申し込みを出した」
「ええ―――っ!結婚!まさか、私とあなた?」
エリカは思ってもいなかった事に驚いて、座っている岩から落ちそうになった。

「まさかって?何だか傷つくな」
「だ、だって!そんなこと全然思ってなかったもの!」
「そうだろうな・・・そんな気はしていたが・・・私は真剣だよ。エリカ、君が好きだ。だから私と結婚して欲しい」
真剣な瞳で見つめられたエリカは、どきりと胸が跳ねた。彼の瞳はアーカーシャの空色の瞳だ。
その瞳で見られるだけでもエリカは有頂天になってしまいそうになるのだ。
だけど彼はアーカーシャでは無い。真剣なグレンには自分も同じく答えなければならないだろう。
自分の過去の過ちと今の想いを―――



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