
「ああっ!もう駄目だ!オルセンへ帰って我が君に助力を願うしか無い!」
ニーナの行方は一向に掴めず流石のデールも音をあげていた。この失態をどうにか自分の力だけで解決しようとしていたが限界のようだった。
「貴殿の力でも無理なのか?」
グレンは頭を抱えて悪態をつく異界の者に冷ややかな視線を送りながら言った。
「オレの力は我が君や水の王に比べれば赤ん坊のようなものでも、この界の人間より身体能力に優れているさ!そのオレが耳や心を澄ましてもニーナの声一つ、気配も拾え無いなんて有り得ないんだ!それを考えるとオレと同等の力か、それ以上の力を持つ者が関与しているとしか考えられない!」
デールと同等の力かそれ以上の力を持つ者と言ったら当然この界の者では無く、異界の住人という訳だろう。今この界ではオルセンの魔神とベイリアルの魔神にジャラが確認されている。しかし一番怪しいベイリアルの魔神は暫く動ける状態では無いらしい。
そうなるとやはりジャラの関与が濃厚なのだろうか?
「―――例えば、貴殿のように王に従う者がこの界に来ているとは考えられないか?」
「オレみたいなの?確かに王が道を開けば来る事は可能だが・・・地の王に仕えるような奴でオレより上位なんかいないし、水の王の配下には何人かいたにはいたが・・・水の王は多分呼ばない確立の方が高いぜ」
「呼ばない?何故?」
「我が君はつかみ所の無い飄々としたお方だが、我らを多少なりとも気にはかけて下さった。でも水の王は全くそれが無い。我が君の方が冷たいと誤解され易いが正反対さ。水の王こそ、ぞっとするぐらい冷たいんだ。慕う配下なんかあの白銀の瞳に映ってさえいないのさ。だからあのお方は誰かを呼んで何かをさせようなんて思いもしないだろう。我が君やあんたなんかあの方にとって本当に特別なんだとオレは思うぜ」
ジャラらしいと言えばジャラらしいが・・・
そうなるとその彼が特別な者達を裏切る行為に走っているとなる。
「―――特別な存在など幻想だ」
「え?何だって?」
独り言のように呟いたグレンにデールは聞き返した。
しかしグレンはもう一度言うつもりは無いらしい。
「ふん、まあいいさ。あんたが水の王を疑うのは勝手だ。違っても最悪ニーナはもうこの世にいないかさ!」
ニーナを捜し出せないとはそういう事も当然考えられた。デールは悔しさに歯軋りしたが目の前のグレンを見て瞳を見張った。
「やっぱり・・・あんた、ニーナを特別視していた訳じゃないんだ。オレの勘も鈍ったもんだ」
死んでいるかもしれないというデールの言葉にグレンは全く動じなかったのだ。
その顔はそれがどうした?と言うように冷め切ったままだった。
しかしそのグレンがいきなり嘲るように笑い出した。
「くくくっくく・・・私の勘こそ鈍ったものだ。海神の件で目が覚めた。一番疑わない者が最も怪しいという事だ」
ジャラに対して裏切るという言葉は相応しく無いだろう。デールの話しを聞いてそれがはっきりした。ジャラにとってグレンは只のお気に入りの玩具でしかなかったのだから裏切りでは無く捨てただけだ。そう・・・特別では無く飽きれば捨てる只の玩具。新しい玩具を見つけそれに肩入れをし出したのか・・・最後にグレンの破滅を見る遊びを楽しんでいるのか・・・それのどちらかだろう。
疑わない者―――それは逆に言えば信用していた者。誰も信じていないと言いながら心の奥では信じていた者達を真っ先に疑うべきだとグレンは思ったのだ。ジャラの次に信じていた者はバイミラー。
その名が頭に浮かんだ時点で全ての符合が一致したような気がした。ダドリーを探索する長官が一味なら隠すのは容易いだろう。もちろんバイミラーはその立場から容疑者に上がっていたのにグレンの甘い心が見逃していたのだ。バイミラーが裏切る筈が無いと―――
グレンは愚かな自分に後悔したと同時に行動に出たのだった。
バイミラーは王国でも重臣中の重臣であり軍の要だ。従って不安な情勢の今はその背信行為を公表する訳にはいかなかった。しかもこうなっては誰も信用出来ないだろう。
(今頼れるのは他国の異人只一人という情けない・・・)
グレンは目星をつけたバイミラー邸を窺いながら隣にいるデールを見た。自分達からしたら脅威の力を持つ彼は何十人分もの働きをしてくれる。
(・・・それでも海神が手を出すなら全て水の泡だ)
今はジャラが出て来ないのを祈るだけだった。
「姫は此処に居そうか?」
「ああ、間違いない。これぐらい近いと、はっきり分かる。全く今まで何で分からなかったのが不思議なくらいだ。やっぱり意図的にオレの探査は邪魔されていたんだろう・・・」
二人は黙り込んだ。意図的に邪魔する事が出来るのは多分ジャラだけだろうからだ。此処で彼が現れたら勝ち目は到底無いだろう。
「・・・・・やっぱり我が君に知らせた方が・・・もしもという場合があるし・・・」
ジャラの関与を認めようとしなかったデールだったが不安はあったようだ。
「貴殿にしては珍しく弱気だな。それ程海神が怖いのか?」
挑発的なグレンの言葉にデールは怒って反発すると思った。ところが・・・
「あんたは水の王の本当の力を知らないからそう言えるんだ・・・地の王ぐらいの力なんかと比べようも無い。我が君と並び称されたあの方の力は・・・我が君でさえ抑える事が出来るのかも怪しい・・・本気でお二人が争ったことなど無いから・・・」
デールの顔は恐怖で強張っていた。本当の恐ろしさを知っているから見栄さえ張れないのだ。
「・・・・・ならば尚更、オルセンの魔神には出て来て貰っては困る」
「どういうことだ?」
「この大事な時期にシーウェルとオルセンの魔神同士が争いでもしたらベイリアルを喜ばせるだけだ。それにこれはシーウェルに取って代わりたい国の陰謀。出来の悪い筋書きだが最後までその筋書き通りに終わらせるつもりは無い」
「そんなこと言っていたら此処はどうなる?このままだとあんたの言うように何処かの国が乗っ取ってしまうぜ」
「そうなったとしたら私の力が足りなかったと諦めよう。海神に頼ってこの国を治めていた訳でも無いが・・・いや・・・違う私はその存在に頼っていたようだ。こんな状況になって情けない話、オルセンの考え方が分かってきたような気がする・・・敵でも味方でも過ぎる力を持つものの脅威とやらを・・・」
グレンは自分の甘さにほとほと呆れていた。気まぐれなジャラだから当てにしていないと思っているのに本心は期待していたのだ。だからそれを想定したもので全てが構成されていたのだった。魔神の力を使わないオルセンの考え方は愚かだと思っていたのは間違いだったのだ。彼らは魔神を必要としない体制を整えようとしている。だから彼らの魔神が突然いなくなっても慌て無いだろう。
「で?あんたは白旗上げて降参と言う訳?オレはこの国がどうなろうと知ったことじゃない。ニーナだけは無事に救出したいだけさ!その邪魔だけはするなよ!」
「降参?私はそんな事はしない。最後の最後まで足掻く。それで負けたのなら仕方が無いと言いたいだけだ」
「悔いが無いくらい足掻くってわけか・・・あんたらしくない言い方だが・・・分かった。オレはニーナさえ無事ならいいし、彼女一人くらいならオレが守る。あんたは好きにしたらいいさ」
「ああ、好きにさせてもらう」
グレンの閉ざした心の奥に嫉妬のような感情が浮き沈みしていた。ニーナを自分が守ると宣言するデールにそれを感じているのだろう。しかしそれは些細なことでグレンは無視をするだけだった。
しかしグレンはふと思ってしまった。
(私は・・・何の為にこんな苦労をしているのか?)
それは王なのだから国の為だろうと答えを出してみた。しかし・・・デールでは無いが国がどうなろうと興味を感じ無いかもしれない。少し前までは大陸の統一を志してはいたが・・・今ではそれさえも虚しく感じる?心を閉ざしてしまうと全て何もかもどうでもいいと思ってしまうのだろうか?では何故?王となってしまった義務だから?
(私がそれを全うして何になるんだ?)
誰かの為とかいう気持ちも当然閉ざしてしまったグレンは迷路のような想いに自問自答を繰り返した。気付けば命取りになりかねない疑問に気付いてしまった結果だ。生きるという行為でさえも虚しくなってしまう疑問―――だが今はその答えを考える時間が無いのが幸いしたようだった。長年グレンに染み付いている義務感が今の彼を動かしていた。
ちょうどその頃、晴れた空が急に暗雲が立ち込め遠雷が聞こえ始めた。シーウェル地方の特徴である驟雨 だ。耳を覆いたくなるような豪雨が地面を叩いた。侵入するには都合がよくこの機を逃さず二人は行動を開始したのだった。
「何の音かしら?」
ニーナは部屋に響く音に耳を傾けた。
「雨・・・雨のようです」
「雨?いつもの驟雨?」
「そのようです」
「・・・雨音が聞こえるということは・・・窓が無いけれど地下では無いのね。音が一番響いているのは・・・」
ニーナはそう言いながら壁に耳をあてながら部屋を回った。すると地面を叩く音がはっきり聞こえる場所を見つけた。しかも良く見ればそこは後から窓を塞いだような感じの壁だった。
「ここ・・・この向こうが外みたい。ジーン!この壁の向こうが外よ!それもここは窓だったみたい。こんなに音が聞こえるのだから壁は薄いかもよ!」
ニーナは嬉しそうに振向いて言ったがジーンは険しい顔をしていた。逃げようとする行為をまだ反対しているのだろう。ニーナは構わず部屋の中にあった椅子を持ち上げ壁に向って叩き付けた。
しかし薄いかもしれない壁はひ弱な女の手で壊れるものではなく、びくともしなかった。逆に反動でニーナの手が折れそうだった。
「・・・駄目だわ・・・もっと硬くて重たいものじゃないと・・・」
ニーナは頑丈そうなテーブルに目をつけた。大理石で出来たそれは重そうで硬そうだった。
それを持ち上げようと手をかけた。
「姫、お止め下さい。そのようなもので壁は壊れません。お怪我します」
「やってみないと分からないでしょう?」
ニーナは微笑みながらそう言うと手に力を入れたが、その手にジーンの手が重ねられた。
「ニーナ姫・・・ここから出たらオルセンへ帰ると約束してくれますか?」
「どうして?そんなことを言うの?」
「シーウェルは危険です。王とご結婚すればもっと危険になるでしょう。だからオルセンへお帰り下さい。約束して頂けるなら私は貴女を此処から助け出しましょう」
ニーナは首を振った。
「約束出来ないから駄目。私はもうシーウェル王と先に約束しているのだもの。同盟の為に結婚するって・・・」
一番の約束―――グレンを好きになってとは言わなかった。それはもう果たしているからだ。それに彼を自分だけは裏切りたくなかった。
だからジャラに答えた時、魔神は美しい白銀の瞳を見開き、そして笑ったのだ。
その会話の内容とは―――
『私は・・・シーウェル王との約束があります。あの方を好きになるという・・・だから貴方に心はあげられません』
『交渉決裂か・・・では我はこの地を去るだけ・・・』
『待って下さい!今すぐに差し上げられないと言っているだけです!約束が終わった後にどうぞお好きなようになさってください』
『約束が終わった後?それはシーウェルとの結婚後という事か?』
『そうです・・・私は絶対にあの方を裏切りたくありません。私だけは絶対に・・・それぐらいしか出来ないから・・・だから少し後になりますけれど・・・駄目でしょうか?』
予想では素直に心を差し出すと言うと思っていたニーナの答えがこれだったのだ。
ジャラは色恋でニーナの心を欲したのではない。彼女の無垢な心が本当に美しいと思ったから欲しただけだった。実際取り出そうが傍にいようが変わりは無かった。以前グレンの瞳を返したのはアーカーシャが現れたからでは無く、持っていても何時も近くで見ていたからどうでも良くなったから返しただけだった。彼女はその意味合いを知って言ったのでは無いだろう。
本気で心を差し出す覚悟をしているようだった。グレンの為にジャラをこの地に少しでも長く留めておきたい一心のようだ。しかしグレンとの約束が優先らしい。
(この我が後回しとは・・・)
ジャラはニーナの答えが気に入ったのか愉快そうに笑った。
『いいだろう。我には永遠の時がある・・・少々待つくらい瞬きをするようなもの。その日まで我はこの地に留まってやろう・・・』
そして二人は約束を交わしたのだった―――
「王は貴女を騙しているだけです!そんな約束など反故にすればいい!」
「・・・あの方の考えは私には分からないけど・・・私は私の約束を守るだけ・・・ジーンはそう思わない?大事な約束をしたことは無いの?」
「私は・・・」
ジーンが珍しく動揺している感じだった。本当の姿のせいなのか何時も人形のようだった彼がとても人間的に見えた。ニーナに重ねられていたジーンの手が外れた。
そして彼女が再びテーブルを持ち上げようとした時、扉が荒々しく開いた。