
「ニーナ!」
彼女を呼ぶ声と共に飛び込んで来たのはデールだった。
「デール・・・」
「大丈夫そうだな?まったく心配かけんなよ」
「デール、助けに来てくれたの?」
ニーナは彼の突然の出現に驚いたが、そのデールを通り越して扉の外を見た。
「?もしかして奴を探しているのか?」
彼女の視線に気が付いたデールは気に入らなさそうに言うと、ニーナは頬を赤く染めた。
「奴も来てるさ!」
デールがふて腐れて言う間にグレンの姿が見えた。
「姫の確認が出来たのならバイミラー以外の奴らを王宮の地下牢に連れて行ってくれないか?」
グレンは現れるなりニーナ達に声をかけること無くデールにだけ話しかけた。
「なんでオレがあんたに命令されないといけないんだ!」
「命令していない。頼んでいる」
「それが頼んでいる態度かよ!それに皆暫くは眠ったままなんだから自分の部下でも呼んで連行しろ!」
「先に言っただろう。これは極秘だと。誰にも気付かれず人を運ぶなど普通の人間では無理だ。だから頼んでいる」
「だからそれ―――」
更に食って掛かろうとしたデールを止めたのはニーナだった。
「デール、お願い。シーウェル王の言う通りにしてあげて。貴方なら簡単なことでしょう?だからお願い・・・」
デールは舌打ちしたが承諾したらしい。彼でもこれが公に出来ない重大な事だと分かっている。
ただグレンの横柄な態度が気に入らなかっただけだった。
ぶつくさと文句を言いながら眠らせた誘拐犯達を回収しては人外の力で瞬く間に移動させ始めた。
そして縄をかけられたバイミラーだけが皆のいる部屋へ投げ込まれたのだった。
正気のままの提督をグレンは冷たく一瞥した。
ニーナは明らかに様子が可笑しいグレンに気が付いた。今までなら嘘でもニーナに適当な言葉をかけてくる筈なのに全く無視だったのだ。そのグレンがやっとニーナとジーンに視線を向けたのだがその瞳は冷たく凍っているようだった。
「陛下、このような失態申し訳ございませんでした」
ジーンは深々と頭を下げて言った。
その足元ではバイミラーが痛みに呻いている。
主犯だと思われる彼は眠らせず手荒く捕縛したようだった。
グレンはジーンの傷を負った手や顔に残る、殴られたような痣を見ていた。その様子を見ればニーナと共に捕らわれたのだと推測出来た。ニーナは無傷の様子だから血の付いた衣は彼女が傷付いたのでは無くジーンのものだったのだろう。
(・・・ジーンは奴らの仲間では無かったのか・・・)
グレンはニーナと共に消息を絶っていたジーンも疑っていたのだったが・・・
「・・・お前らしくない失態だったな。しかし裏切り者の正体が判明したのだから不問にしよう」
「はい。ありがとうございます」
裏切り者と言う言葉にニーナは、はっとした。たぶん臣下の中で最も信頼していたバイミラー提督の謀反にグレンがどれだけ傷付いているかと思うと、ニーナは自分の事のように胸が痛んできた。
そのグレンが再びバイミラーを冷たく見下ろした。
「バイミラー、私は何故裏切ったなど聞かない。誰の指図で動いている?潔く白状しろ」
「陛下・・・私は・・・私は―――申し訳ございません。どうぞ私に死をお与え下さいませ」
シーウェルでは自害は禁忌とされていた。その禁を破れば魂は輪廻から外れ、未来永劫苦しみの海に沈みその血に連なる者も同じ定めとなると信じられている。だから常識有るシーウェル人は自ら命を絶つことは無かった。バイミラーは言い訳も背後関係も口にすること無く、ただ王から与えてもらう死の処罰を望んだのだった。
「お前が拷問ぐらいで口は割らないと思っているから無駄な事はせず聞いている。それに私はお前に死を与えるような恩赦はしない。死んで楽になれると思うな」
グレンの感情の無い声がバイミラーに降り注いだ。
(シーウェル王・・・どうしたの?)
ニーナはやはりグレンが別人のように見えた。
今までの彼は魔神が言っていたように感情が無いのでは無く、その感情を見事に抑えていただけだった。それが今は違っているのだ。とても冷たかった―――
ニーナは思わず身を震わせた。しかし勇気を奮い起こし二人の会話に割って入ったのだった。
「提督、何か理由があるのでしょう?貴方はとてもつらそうなお顔をして私に謝っていたではありませんか。私には貴方が簡単に王を裏切るような方には見えません。こうしなければならなかった事情があったのでは無いのですか?理由を聞かせて下さい」
ニーナは床に座り込みバイミラーの目を見ながら思ったことを一生懸命言葉にして訴えた。
彼女の純粋な心はバイミラーに通じたのか彼は肩を震わせ涙を落とした。
しかしグレンの冷たい声が上から降ってきた。
「裏切るような者に見えない?バイミラーのことをよく知りもしない貴女に何が分かる?」
ニーナは今まで聞いた事の無いような無機質で淡々とした冷たいグレンの口調が恐ろしかった。
柔らかな口調で平気で嘘を言う彼に怯えたこともあったが今日は違った意味で恐ろしい。
嘘で固めたグレンでもその隙間から見えるものがあった。
しかし今はその隙間を塗り潰したかのようにぴったりと心を閉めている感じなのだ。
ニーナは、コクリと唾を呑み込み言葉を探した。トロトロと喋るニーナの声を聞くと気分が悪いと怒鳴ったグレンだったが・・・今はそんな感情さえぶつけるような感じがしない。
「・・・シーウェル王・・・私よりもちろん貴方のほうが提督をよくご存知でしょう?だったら―――」
ニーナはグレンの再度注がれる冷たい視線に言葉を呑み込んでしまった。
しかし勇気をかき集めて続けた。
「だ、だったらどうしてなのか聞くべきだと思います・・・」
グレンの瞳は必要無いと言っているようだった。
「提督・・・どうしてですか?貴方は王を裏切りたくなかった筈です。でも・・・どうしてもこうするしか方法が無かったのでは無いですか?私達は貴方のその悩みを解決することは出来ないのでしょうか?」
一仕事終えて戻って来たデールは彼女のお人好しぶりに呆れ返ってしまった。
「ニーナ、止めとけよ。理由は何にしろ裏切ったのには事実なんだからさ」
ニーナは首を振った。
「バイミラー提督・・・シーウェル王を悲しませないで下さい・・・」
デールはもちろんだが平然としていたジーンも驚いたように瞳を見開いた。
「・・・・・王を悲しませる・・・」
バイミラーも意外な言葉に驚き呟いた。
そして数々の思い出が思い浮かんでは消えていった―――
幼い頃より手取り足取り剣や航海術を教え、唯一の主君として崇めていたグレン。彼は何度も死の危険に晒されながらも立派に成長しそれが我が子のように嬉しかった。
その彼を裏切るなど我が身がどうなってもしなかっただろう。しかし―――
「・・・・私がどうなっても王を裏切ることはありませんでした・・・例え殺すと言われたとしても微笑んで死んでいったでしょう・・・しかし妻と娘が・・・」
「奥様とお嬢様が人質にとられたのですか?」
バイミラーは肩を落として頷いた。彼にとって苦渋の選択だったのだろう。
「甘い。甘過ぎる――国家に命を捧げた軍人がたかが家族を人質にとられたぐらいで国を裏切るなど驚き過ぎて嗤いが出る」
そう言うグレンは全く嗤ってはいなかった。
確かにグレンが言うようにバイミラーは甘いかもしれない。しかしそれが彼の良いところでもあった。お人好しなぐらいに人が良く人情味があった彼を皆が慕っていたのだ。
以前のグレンもそのうちの一人だっただろう。
「その二人の為にダドリーの逃亡に加担し、オルセンとの関係を邪魔して同盟を破綻に導き・・・国を転覆させる。その二人の命の価値は素晴らしいものだな」
その時、バイミラーが目を剥いた。
「違います!私は先王の逃亡には無関係でございます!私はただ、オルセンの姫との婚礼を邪魔するように言われただけです!国家の転覆など大それたものなどに加担しておりません!」
「お前は今回の姫の誘拐にだけ関わったと言いたいのか?」
「さようでございます!もちろん姫君に危害を与えるつもりはございませんでした。少しばかりお姿を隠して頂いて破談に持ち込む時間を作っただけでございます。ただそれだけのつもりで・・・」
「どこの国の誰の指示だ?」
「そ、それは・・・も、申し上げられません・・・」
バイミラーは人質の安否を気遣って黒幕の名を告げようとはしなかった。
「お前が黙っていても計画が失敗した今、女達の命があると思うのか?それこそ甘い。主君を裏切るような者が失敗して自分達を又裏切ってしまうと思うのは当然だ。私なら腹いせに人質の首を塩付けにして屋敷に届けるだろう。全く愚かなことだ。お前程の男が何を血迷ったのか・・・理解に苦しむ」
バイミラーはグレンの冷めた言葉を浴びて真っ青になってしまった。
「シ、シーウェル王、それは言い過ぎだと思います・・・誰でも自分にとって何よりも大切なものがあるでしょう?それが究極の選択だっただけ・・・」
「何よりも大切なもの?姫が言われるとその為なら何でもしていいと言うのか?それこそ自己中心的で傲慢な考え方だ」
「そ、そういう意味では・・・」
ニーナは上手に言えなくて悔しかった。
「姫は知らないだろうがバイミラーの娘は私の正妃にと推す声も大きかった。貴女との婚礼を心の底で一番望まなかったのはバイミラーだっただろう。可愛い娘の為にと思う気持ちが動いた・・・只の醜い野心だろう」
「ち、違います!もちろんそのようなお話があって光栄には思っておりましたが、私はそのようなこと考えたことはございません!」
バイミラーは心にも無い指摘を受けて激しく反論した。しかしグレンの頭の中では愛娘の為に自分を裏切った愚かな父親としか思っていないようだった。
ニーナは聞く耳を持たないグレンに堪らなく腹を立ててしまった。
「貴方は・・・貴方はご自分が大切だと思うものが無いから分からないのよ!」
珍しく大きな声を出したニーナにデールが、ぎょっとした。
「おいっ、ニーナ。あんまり興奮するなよ。発作が起きる。こんな奴は放っておきな」
「貴方は分からない!どんな事をしても守りたいと思う者がいないから・・・そんな冷たい事が言えるのよ」
デールの制止を振り解いてニーナは食って掛かった。
それでもグレンは眉一つ動かさなかったのだ。閉ざされた扉が、ぴくりとも動かないようだった。
「落ち着けって!ニーナ!おいっ、あんた。オレらは極秘で動いていたんだ。まだ誰もこの事を知っちゃいない。だから敵さんも当然知らないだろう。さっさと白状して人質を助けに行った方が良いんじゃないか?」
「そ、そんなことが・・・」
バイミラーの死んだような瞳に希望が灯り、ニーナは瞳を輝かせた。
「デール!本当?それが本当ならデールが助けに行ってくれるの?」
「えっ?オレ?」
「そうよ、デール。提督、彼が行くならもう大丈夫。きっと救い出してくれると思います。だからシーウェル王の所に戻って来て下さい」
また皆がニーナの言葉に驚いた。
シーウェル王の所に戻る≠ニても妙な言い方だったがバイミラーは彼女の言いたい事を理解して肩を震わせた。誰も信じようとしないグレンの生い立ちは端から見ても孤独だった。その孤独な王の支えに少しでもなりたいと望んでいたのにその傍から離れてしまっていたのだ。
ニーナの想いを受けたバイミラーが顔を上げた時、グレンの冷笑が目に入った。
「敵が気付いていない?海神が首を突っ込んでいるのなら全て知られているだろう。こうもすんなり成功するのも裏がありそうだがな」
「海神?どういうことでしょうか?」
バイミラーはグレンの言っている意味が分からなかった。
「海神も仲間だろう?」
「え?まさか!私はそんな話、聞いておりません!」
「・・・・・・・・・」
「今のところは余計な力を感じないから大丈夫だと思うぜ」
この周辺には異界の力の関与が無いとデールが断言した。
バイミラーが一連の事件に関わっていると思ったがダドリーの件は無関係を主張し、ジャラの存在も知らないようだった。根は同じなのか?違うのか?それを探るのはバイミラーが告げるニーナ誘拐の黒幕の名を聞いてからの話となるだろう。
「バイミラー、お前の後ろにいるのは誰だ?」
「はい。それは―――」
バイミラーが告げた名はオーデン国のハリエット王女だった。姫君達の最大派閥の筆頭でもあるハリエットは、その地位を裏付けるように同盟国の中でもシーウェルに次ぐ大国だ。
もちろんグレンが一番疑っていた国だった。しかしバイミラーが言うようにダドリーに関係無いとしたら、より強固な関係を築く為に必要なグレンとの結婚を画策しただけかもしれない。バイミラーはそうだと思っているようだった。根が一緒ならグレンの考えたようにシーウェルを乗っ取る計画だろう。
だが今は表立って糾弾出きる時期では無い微妙な情勢であり、慎重に進めなければならなかった。
それでもバイミラーの妻と娘はデールが瞬く間に救出して来た。
犯人が分かれば探索も容易く懸念していたジャラの邪魔も入らず気味が悪いほどあっさりと出来てしまったのだ。
そして大事件となっていたニーナ誘拐は表向き只の身代金目的のものとして処理された。
オルセンへもそれで通したようだった。だからニーナも無事だという簡単な手紙だけを送った。
バイミラーはというと家族と共に多分シーウェルで一番安全だろうと思われる王宮の一室に軟禁されることとなった。そして提督は日中、グレンと行動を共にし、妻と娘はニーナの話し相手をする。監視と安全を考えたものだった。
そしてまるで何ごとも無かったかのような何時もの日常に戻っていた。
ただひとつを除けばだが―――