
しかし芝居と聞いて真っ先にニーナが瞳を見開いた。
「お芝居ですか?まさか・・・それは・・・」
「そう。我がシーウェルに飽きたという芝居。我ながら名演技だと思ったらこれが嬉しそうに出て来た訳だ」
ニーナは意味が分からなかったが、デールは頷いていた。
「水の王の寵愛が薄れたのを見計らって出て来たんだな?そりゃあ面白く無かっただろうしな。自分の敬愛する王が自分達よりちっぽけな人間なんかを構ってるなんて、自尊心ズタズタだろうさ。しかし・・・どうやって来たんだ?水の王は当然呼んでなんかいないだろうし・・・」
「そなた意外と鋭いな。我のことを良く知っている。アーカーシャに仕えるのは止めて我のところに来ぬか?」
ジャラの誘いにデールは、げっ、と言う顔をしたが、ジャラの言葉を聞いた捕らわれの男は怒りで顔が赤く染まっていた。
「本当にアーカーシャの従者は躾がなっていない。我に対してそんな顔をするなど考えられぬ。まあ話が逸れたが、これを唆 したのはヴァーユ・・・」
「げっ!風の王?」
デールがもっと嫌な顔をした。
風の王ヴァーユは右と言っても瞬きをする間に左と言うような恐ろしく気まぐれの困った王だ。
ジャラの気まぐれの方が可愛らしいくらいだろう。まさに勝手気ままに吹く風のような王だった。
「じゃあ・・・風の王が此処に?」
「そう。あの気狂いのヴァーユが面白半分で降りて来ていたらしい。風は我の支配下でも吹くゆえ気配を消すのは奴にとって簡単なこと・・・まあ、その力だけが我より上だというのは腹立つものだがな。しかし気狂い王とて我の真正面から来れないゆえ、これの存在をちらつかせて気を逸らせた隙に不意打ちをかけてきた。我もすっかりこの地で勘が鈍くなったものよ。しかも面倒な空間に閉じ込められて出て来るのに時間がかかってしまったのは予想外だった」
急に姿を消したジャラは新たに現れた風の王ヴァーユという魔神の罠にはまったということだった。
「それを私が信じるとでも?」
グレンのその一言で皆に緊張が走った。
ジャラは薄っすらと微笑を浮かべながら黙っている。
静まり返った空気に耐え切れなくなったのはデールだった。
「グレン、あんたが水の王を疑っていたのは知っている。だけどあの時も言っただろう?ニーナの気配を察知出来ないように邪魔をしているのはオレと同等かそれ以上の者の仕業だって。そうなるとこいつはその条件にピッタリだ」
「では何故、貴殿に彼女の目くらましをかける必要があった?それは海神の術だったのだろう?そうなればこの配下を呼んだのは海神で、今も我々を騙そうとしているのかもしれない」
確かにそうだった。そのせいでデールはニーナを見失い誘拐されてしまったのだ。
デールは答えに窮したが、ニーナが代わりに答え始めたのだった。
「それは・・・魔神が私に内緒の話しがあったから・・・そうしたので・・・」
「その話とは?」
「そ、それは・・・」
グレンの追求にニーナは口ごもってしまった。
彼には言えない内容だったからだ。しかしジャラはその時の話は芝居だと言っていた。だとしたら?
「魔神、あの話は全部嘘だったのですか?」
「嘘?何の話だ?」
グレンの追求は続いている。
「あ・・あの・・・私が嘘を言える指輪だと渡されたのが真実を告げる魔具だと聞かされて・・・シーウェル王が好きだと・・・私を気付かせてくれたのが魔神で・・・」
ニーナはまたグレンが好きだと言葉にした。
しかしそれだけでは先程からの会話の意味が通じなかった。
ジャラの愉快そうな笑い声がした。
「シーウェル。我は飽きたゆえそなたから離れると嘘を言った時、この娘は我を必死に止めた。そなたが我から裏切られたと思うから止めてくれとな。そなたが悲しむと思ったのだろう。そして我はその要求に代価を求めた。欲したのはこの娘の穢れ無き心―――」
デールは目を剥いた。そして氷のようだったグレンも同じ表情だった。
「ば、馬鹿な・・・それで・・・返答は?まさか承知したのか?」
グレンの閉ざされた心が少し開いたのか信じられないという顔をした。
ジャラが去ったとしたら確かに国の情勢は変わるだろうが逆にオルセンが同盟の主導権を握れば済むことだろう。同盟が必要となるのがシーウェルの方となるだけ・・・シーウェルの問題なだけで他国の王女が自分を犠牲にしてまで気にするものでは無い。
「この娘はそなたとの約束があるからその後でならと答えた」
「約束?」
「約束したであろう?同盟の為にそなたを好きになってだったか?結婚するという・・・そなたの勝手な計画。娘はどんなことがあってもそなたを裏切りたく無いらしい。そしてそなたの心の平安の為に自分を差し出すのも厭わぬ」
「私を裏切らない?そんな幻想・・・」
グレンはニーナを見た。そして話の推移を用心深く聞いていたジーンが目に入ってきた。
「海神・・・ジーンも裏切り者でしょう?」
「王!私は違います」
再び嫌疑を向けられたジーンはそう訴えた。
「海神・・・返答を。貴方は見た筈だ。全てを見て沈黙していたのでしょう?知っていて告げないのも十分な裏切りだと私は思います」
「ち、違います!魔神はそんなことしません」
「・・・・もうよい。白き娘よ・・・今のシーウェルに何を言っても信じないだろう。真実を言ったところでまたそれを疑う。またその逆も然り」
「駄目です・・・駄目です。それでも・・・それでも本当のことを言って下さい。信じてくれないなら何度でも何度でも・・・お願いします。どうか・・・どうか・・・お願いします・・・」
ニーナは両手を胸の前で重ねて祈るように訴えた。グレンの人を信じる心をどうにか取り戻したいと願った。ジャラをそしてジーンを見たのだ。
「―――我は愚かな王の末路は関与しておらぬ。全ては風の悪戯―――シーウェルの人形よ。そなたが喋り易いようにこれをやろう」
ジャラがまた指を鳴らすと再び空中から現れたのは美しい女性だった。
「ハリエット姫!」
ジーンが呼んだ名前に皆驚いてしまった。ハリエットとはオーデン国の王女の名前だが今目の前にいる女性はいつも見慣れた高慢な王女では無かったのだ。
「ハリエット姫?だと?」
グレンが透かさず問いただした。無表情だったジーンはまるで人が変わったようだった。
「姫が何故ここに!」
ジーンは宙に浮かぶハリエットと呼ばれる女性を受け止めるように両手を差し出した。その女性は気を失っている様子だった。
「我が助け出した。とは言ってもヴァーユに心を抜かれてしまっているがな」
「 ! そんな馬鹿な!それはしない約束!」
「父親はそうでは無かったらしい。この国と娘の心を天秤にかけたようだ。それに娘も承知したのだろう。同意がなければ心は抜き取れぬ。おそらく今度は逆にそなたの命を盾にとって脅したのだろう。あの父親ならそれぐらいしそうだ。まるでシーウェルの父親を見ているようだった」
「自分の娘を差し出すなんて!では姫は?姫はどうなる!」
「心が無くては何も感じない生きた人形というところだろう」
「そんな・・・私は何の為に・・・」
ジーンは腕の中にその謎の女性を抱き唸るように言った。
「魔神、これはどういう事なのですか?私には意味が良く分かりません・・・」
熟考しているグレンより先にニーナが問いかけた。
「穢れ無き心、純粋なる魂は我らが好むと言ったであろう?この娘もそうであったらしい。それにヴァーユは目を付けついでに我と戯れたかったらしいな。娘の心をただ取って行くよりも皆の絶望や怨嗟の中で手に入れたいとな。実にヴァーユらしい考えと言えよう。のう?シーウェルの人形よ」
「ジーン、どういう事か説明して貰おうか?」
ジーンはグレンの問いに答える様子では無かった。肩を震わせ腕の中の女性を抱き締めるだけだった。
「ジーン!」
「シーウェル王、待って下さい」
ニーナが詰め寄るグレンを制した。
「ジーン・・・その方は貴方の大切な人なのでしょう?その人の為に貴方は色々動いたのよね?違う?それなのに・・・こんな結果になってしまって・・・私達に相談してみない?」
「・・・・・・いいえ。もう・・・終りです。私には戻る道はありません。そして生きる意味も無い・・・この人がいたから私は生きる希望があった・・・この人の為に王を裏切り国に背き全てを捨てたのに・・・もう終りです」
ジーンが自分は裏切り者だと初めて認めた。その裏に何があるのかは不鮮明だった。
この女性が関わっているのだろうが・・・・
「ジーン、何があったの?教えてちょうだい」
ニーナの再度の問いかけにジーンは黙ったままだった。
しかし面白そうな顔をしていたジャラが口を出してきた。
「本当に人形でも本体と同じく素直では無いとはな・・・我が知りえた事だけ教えてやろう。ヴァーユの降りた国がオーデン国だったらしい。そこで野心に燃える王と意気投合したのだろう。我のいるシーウェルに干渉出来るのだからな。しかし奴が表立って動けば我が直ぐに気が付くのは必須。そこで・・・まあ何処で知り合ったのかは知らぬが王女ハリエットと密かな恋人でもあったこの者が利用された。そうであろう?シーウェルの人形よ」
「人形・・・人形・・・私は王の人形。それに疑問を持つことは無かった。もちろんそういう風に育てられた・・・それなのに王が私を解き放ってしまった。違う世界―――でもその世界も昔と同じく影の中。しかしそこで偶然に彼女と出逢ってしまった。自分が恥ずかしくなるくらい彼女の心は美しく清らかだった・・・そうニーナ姫、貴女のように・・・そして私達は恋におちてしまったのです。何度か貴女を彼女と重ねて見たこともありました。優しい日々の思い出を。しかし私は影の身―――相手は大国の王女で叶う筈の無い恋でした。しかし・・・彼女の父オーデン国王は私の存在に気が付き脅迫では無く懐柔してきたのです・・・私の素性まで知らない王はシーウェル王と酷似している私に目を付けただけでしたが、持ち掛けられた話は王と取って代わるものでした・・・私が王となればハリエット王女との結婚も出来る。簡単なことだろうと言われたのです・・・でも私は受けませんでした。しかし魔神が現れ王女の心を我が物にすると言ったのです。理由が退屈だからと・・・」
ジーンは言葉をとぎらせた。
「酷い・・・そんな・・・では、ハリエット姫の為に?」
ジーンは頷いた。
「彼女を人質に取られてどうすることも出来ませんでした。魔神が望むのはシーウェルの海神の裏をかき彼の大切にしているものを苦しませるというもの。そして海神の守護するシーウェル王国を欲深いオーデン国の王に支配させること・・・恐ろしい魔神にとって愉しい遊びのようなものでした・・・彼を退屈させない為に私は前国王ダドリーを奪い、バイミラー提督の家族を拉致して提督を脅しニーナ姫を誘拐しました。魔神は私の描いた筋書きが気に入ったようで手も貸してくれたのです・・・こんな私でも彼女と出逢い陽の当たる場所に憧れました。だからと言って私は王座などどうでも良かった・・・彼女さえ助かれば何もいらなかったのに・・・彼女さえ・・・」
風の王ヴァーユの力を借りてダドリーを拉致し、ニーナの侍女になる前は彼女の監視役だったのを利用して蝶の死骸などの嫌がらせを仕込んでいたのも彼だった。そして王宮にいたハリエット姫は偽者で彼の監視役でもあり協力者だったらしい。
ジーンが全てを白状した後、侮蔑したような嗤い声が響いた。嗤っていたのはグレンだった。
「バイミラーにしてもジーンお前も、つまらない事で全てを駄目にするとは愚かなことだな」
バイミラーは険しい顔をして俯いたが、つまらない事と言い放ったグレンにニーナは腹が立った。
「提督、恥じる必要はありません!シーウェル王!つまらないとは何ですか!全然つまらなく無いでしょう?貴方は・・・貴方は大切な人がいないから分からないだけ・・・」
「それならいなくて良かった。愚かな真似をしなくて済むのだからな」
「シーウェル王!」
「ニーナ、止めとけ。今の奴に何を言っても無駄さ」
無駄?デールは無駄と言ったが本当にもう彼の心は開かないのだろうか?
「シーウェル王・・・お願い・・・私を見て・・・私は貴方が好き・・・貴方を私だけは絶対に裏切らない・・・お願い・・・お願いです。私を見て下さい・・・信じて下さい・・・」
自分を見下ろす冷めた隻眼を見つめながらニーナは訴えた。しかしグレンは眉ひとつ動かさない。
「煩い―――何を信じろと言うんだ?人は直ぐに裏切る。人形の方がましだ」
絶望がニーナの胸に広がってきた。
自分が死ぬかもしれないと悟った時でさえこんな気持ちにはならなかった。
苦しくて息も出来ない―――
グレンにどうすれば自分の気持ちが届くのか・・・ニーナは決意した。