
「―――魔神。お願いがあります。今直ぐ私の心を差し上げますから私をあの方が望む人形にして頂けませんか?」
「ニーナ!馬鹿なこと言うんじゃない!」
デールが慌てて止めに入ったがグレンは嗤っていた。
「ほら、そうやって逃げる。結局、私を裏切っているじゃないか?」
「グレン!貴様!」
「デール、止めて。いいえ、これは・・・裏切りではありません。それに約束だった貴方を好きになるというのはもう果たしましたでしょう?だから貴方が心配する人の心は・・・全部魔神に引き取ってもらいます。心が無ければ裏切ること出来ないのですから・・・だから私を貴方が好きなように使って下さい。それが・・・私の出来る貴方を裏切らないという証です・・・」
「・・・・・・・・・」
グレンは沈黙してしまった。
「以前の我との取引は無効だというのに本当に良いのか?」
「はい。その代わり彼をずっと見守ってあげて下さい」
「ふふふっ、我に条件を言うとは・・・気に入った。良かろう、望みを叶えてやろう」
「お待ち下さい!水の王!ニーナ!今すぐ取り消せ!ニーナ!」
デールの叫び声は眩しいまでの光にかき消されたようだった。ニーナの身体から取り出される心がとても温かく光り輝いていたからだ。ジャラが褒め称えた彼女の心は期待通りに美しい宝玉となったのだ。そしてそれはジャラの手の上で浮かんでいた。
「ニーナ!」
デールは彼女の本体を見た。ニーナはどこも変わった様子は無く、ただぼんやりと立っているだけだった。瞳に何も映していないようなそんな感じだ。
「おいっ、ニーナ!しっかりしろ」
デールの呼びかけにニーナは反応することなく無表情だった。デールは怖いものでも見たかのように思わず後ろに一歩引いてしまった。彼女から全く生気を感じなかったのだ。
ニーナは本当に只の抜け殻となってしまったのだろうか?
ジャラは隻眼を見開いて硬直したように立ち尽くすグレンに、ちらりと視線を流した。
「どうだ?シーウェル。そなたの望み通りに動く人形だ。大事にしてやってくれ。我はこれを大事にするからな」
ジャラは手に持つ宝玉に口づけした。そしてニーナの抜け殻の背中を軽く押したのだった。かくんと揺れた彼女は機会仕掛けのように喋り出した。
「グレン・・・大好き。私を信じて・・・」
たぶんこう言え、と言えば言われた通りに喋るだろう。笑えと言えば笑うかもしれない。
ニーナが残したグレンへの愛の証―――裏切らない人形。
そのニーナがずっとグレンに向って愛を語りかけている。まるで最後の想いだけが残っているかのように繰り返された。
「や・・・やめ・・・止めろ・・・止めてくれ。海神!止めさせてくれ!」
グレンはジャラを揺さぶった。
「どうして?そなたが望んだであろう?人形の方が良いと・・・」
ジャラが、くいっと指を回すとニーナがグレンに触れてきた。本当に操り人形のようだった。
「や、止めてくれ・・・頼む・・・海神!こんなもの望んでいない!」
グレンは叫びながらニーナを払いのけた。その弾みで彼女が転んでしまった。
「ニーナ!」
デールが駆け寄り彼女を助け起こしたが、グレンは動くことが出来なかった。
「いい加減にしろよ、グレン!あんたのせいでニーナはこんな道を選んでしまった。全部あんたのせいだ!」
「私は・・・私は彼女に何ということを・・・してしまったんだ・・・」
ニーナの死に等しい最後の訴えは、グレンの固く閉ざした心を開かせたようだった。
一度開いてしまえば彼女に対する気持ちは無理やりに抑え込んでいた分、歯止めが効かなかった。
後から後から後悔が押し寄せてくる。
「海神!彼女を、ニーナを返してくれ!」
「さて・・・それは出来ぬ相談だ。これは娘が望んで我がそなたの守護をするという契約を交わしたようなもの・・・反故には出来ぬ」
ジャラはニーナの心を愉しげに浮かばせながら答えた。魔神は彼女を手放す気は無いようだった。
「ならば私と取引を!取引をしてくれ!彼女を返してくれるなら貴方が望むもの全て差し出す!だからニーナを、ニーナを元に戻してくれ!」
「何でも?」
「そうだ!何でもだ!また瞳が欲しいのならくり貫こう!両目でも構わない!何がいいのか言ってくれ!」
グレンは眼帯を引き千切って叫んだ。どんなことをしても彼女を取り戻したかった。
「今のそなた・・・先程まで馬鹿にしておった彼らと同じではないか?自分のこと以外で必死になっている」
グレンは、はっと我に返った。ジャラの指摘通りだった。
あれ程嘲笑した彼らの気持ちが今になって分かったのだ。
自分よりも大切だと思う人の為になら、どんな汚名でも屈辱でも受けられるだろうという気持ち―――
グレンは家族の為に自分を裏切ったバイミラーと、愛する女の為に自分を裏切ったジーンを見た。彼らは甘いと罵ったが自分自身、今まさにニーナの為ならどんなことでもするだろうと思ったのだった。
「海神―――貴方の言われる通りです。私の方こそ愚かでした。何でも見透かして人を動かしているつもりで一番何も見えていなかった・・・彼女は空に舞う蝶が綺麗だと言い・・・道端に咲く名も無い小さな花を気に留めて・・・私が全く見ていないものに気付かせてくれたのはニーナだった・・・私は誰かを愛することが怖かった・・・裏切られるのが怖かった・・・初めて気になったエリカは私の想像を超えた運命を持っていた。でもそれを理由に諦めてしまったのは恐れていたから・・・私は怖かった。だが・・・ニーナ・・・ニーナは・・・」
「シーウェル、そなたは真に素直では無い。我は以前聞いたであろう?この娘が好きなのか?と」
「―――いいえ、と私は答えました。真っ白な彼女が大嫌いだとも言いました・・・全て・・・全て嘘です。私は自分に嘘を付いていました。彼女に傾く心を止めようと自分自身を虚構で覆い誤魔化したのです。私は彼女を―――」
グレンの言葉をジャラが遮った。
「嘘でない告白は私にでは無く本人にしてやるといい」
グレンは、はっとジャラを見た。
魔神はいつもとは違う微笑みを浮かべていた。どことなく困ったようでいて優しい顔―――
「海神?」
「真に我の気に入りは手がかかる。守護魔神気取りも楽では無いな―――シーウェル、我の大切なものだ。心して大事にするがいい」
ジャラの弾むような声と共に手に持っていたニーナの心が眩しく輝きだした。そしていつの間にか宙に浮いている彼女の本体へとそれが吸い込まれていったのだ。ニーナは宙に浮かびながら放電しているように全体が淡く光っていた。
「ニーナ!」
いち早く駆けつけようとしたデールをジャラが引き止めた。
「そなたは後。大人しくしているがいい」
デールは、むっとした顔をしたが大人しく後ろへ引いた。グレンの本音を聞いた今、自分は邪魔ものだと自覚したようだ。
「ニーナ?」
グレンが両手を差し伸べると、宙に浮かぶニーナがその腕の中にふわりと降りて来た。
「ニーナ・・・ああ・・・ニーナ。瞳を開けて。ニーナ」
グレンの優しい呼びかけにニーナは意識を戻した。身体から離れた心はジャラの手の中でずっとグレンを見ていた。今、やっと開くことが出来たグレンの心を感じている。
そして自分を見つめるグレンの瞳が眩しかった。
「・・・あの・・・眼帯無いほうが優しそうですね?・・・あっ、私・・・何言っているの・・・あの・・・ごめんなさい・・・あの、そうじゃなくて・・・ご、ごめんなさい・・・こんな話し方お嫌いなのに」
早く喋ろうとすればするだけ、自分が何を言いたかったのか分からなくなってしまう。
するとグレンが曇った顔になった。
「話すのはゆっくりでいい。話している間に他に気をとられて途切れても、また思い出して話出しても・・・自分の速さで構わない。苛々すると言ったのは嘘だから・・・君に心惹かれる自分に苛々して酷いことを言ってしまった。本当にすまない。許して欲しい―――」
「あ、あの・・・私、話すのが苦手だから・・・その・・・ごめんなさい」
二人とも自分の方が悪いとゆずらない話になってきたようだ。
「なんだ?あれ?ニーナの奴この後に及んで呆けるなんて。目開けて最初に言う台詞があれって無いだろうに。思わずグレンの奴が哀れに思ってしまった。そう思いませんか?水の王?」
「そうよの・・・派手な告白場面が見られると思ったのに。つまらぬが・・・邪魔者は退散するとしようか?」
「退散しなくてももう既に二人は自分達の世界のようですけどね」
「我が面白く無いのだ」
ジャラの気まぐれにデールはまた、げっ、という顔をした。そして床に転がるジャラの取り巻きに視線を落とした。
(どうせこれの事も無視するんだろうな。後始末はオレなわけ?)
デールはうんざりした顔をしてその男の襟首を掴んだ。
「おいっ、おっさん!あんたも一応出て行きなよ」
「あ、ああ・・・」
バイミラーは信じられないものでも見るかのようにグレンを呆然と見ていたのだ。彼にとって初めて見るような主君の笑顔を見ていたようだ。
そして抜け殻となったハリエットを抱いたままのジーンの前にジャラが立っていた。
「シーウェルの人形よ・・・嫌、もうその呼び方は相応しく無いな。そなたは心の無い人形では無くなったのだからな・・・その娘がそんなに大切か?」
「・・・・・・感じる心など思い出さなければ良かった・・・昔のままだったらこれ程苦しまなくて良かったものを・・・」
ジーンはもう流す涙さえ無いぐらい絶望していた。
それは先程までのニーナを失ったグレンのようだった。
「誰も聞いてくれぬから此処で自慢するが我が罠から抜け出した後、オーデン国に乗り込んで鼻持ちならないヴァーユを叩き出した。二度と我の前に顔を見せられぬくらいに念入りにな。その時持ち帰ったのがその娘とシーウェルの探しものだったが・・・まあこれは後日でも良かろう。我は有能ゆえ抜かり無くオーデンの王も脅してきた」
デールはそれを聞いてどんな脅しかと、ぞっとしてしまった。
「そなた興味無いようだな。我はこれを持っていると言うのに?」
ジャラが自慢げに空中から出したのは、先程のニーナの心と同じような光る宝玉だった。
その光りが瞬く度にジーンの瞳が大きく見開いていた。
「ま、まさか・・・ハリエット姫の・・・心?」
「そう、その通り。ヴァーユから譲ってもらった」
「げっ!奪った≠フ間違いだろう?」
「何か言ったか?銀色のこわっぱ」
ジャラから、ちらりと見られたデールは飛び上がって口に手を当てた。
「お、お願いです!海神!どうか、その心を彼女に返して下さい。お願いします!私はどうなってもいいから謀反人として火炙りでも鱶 の贄でもいい!だからどうか、どうかお願いします。彼女を助けて下さい」
デールはジャラがどうするのだろうか?と思った。脅されていたとは言ってもグレンを裏切った・・・そう彼のお気に入りのグレンを苦しめたのだ。ジャラの気性なら八つ裂きにされても文句は言えないだろう。二人の緊迫した状況にグレン達も気が付いた。
「ジーン・・・」
ニーナが心配そうな声を出したのでグレンが彼女の肩を抱き寄せた。
「お願い、シーウェル王、お願いします。ジーンを許してあげて下さい」
グレンは泣きそうな顔になっているニーナを見つめると、小さく溜息をついた。
「君ならそう言うと思ったよ・・・海神、私からも頼みます。ジーンの大切な人を助けてやって下さい」
「そなたはそれでいいのか?これを懲らしめるのはこれが一番だと言うのに?」
「私も悪かったのです。窮地に陥っている彼らに気付かないうえに、それらを相談してもらえるような器を持ち合わせていなかった・・・愚かな王でしたから・・・海神、貴方にも苦労をかけました。ありがとうございます」
バイミラーは肩を震わせて涙し、ジーンは、がっくりとうな垂れてしまった。
「ふふふっ、我がいて良かったであろう?シーウェル?」
「はい。真に」
上機嫌のジャラは手に持っていたハリエットの心を彼女に戻したのだった。
「長く心と身体が離れておったから直ぐには目覚めぬが・・・一つ言っておく。この娘はもうハリエット姫では無いらしい。向こうの王が言ったのだから確かだろうて」
「どういう意味ですか?」
ジャラが、ニッと嗤った。
「王女を生贄にし、遊学に出した姫が偽者だったなど、あってはならぬ醜聞だということであろう。だからその娘はどこの誰だか知らない者となったらしい」
ジャラがオーデンの王を脅したというのはこの事だったようだ。これらが公になれば同盟国からの批難どころでは無く敵とみなされるのは必至だろう。
デールはまた嫌な顔をしてブツブツ呟いた。
「水の王がそんな常識的な言い方で脅すかぁ?どうせ川の一つでも干上がらせて見せて国中の水を枯らすとか言って脅したんだろうさ」
「そこ、聞こえておるぞ。くくくっ、面白い奴。やはり我に仕える気は無いか?」
デールは、ぞっとしてもっと嫌な顔をすると首を大きく振った。
ニーナは魔神の話しの意味を良く考えてみた。
「彼女が王女じゃないとなると・・・あっ、じゃあ、ジーンと一緒にいられるのね。良かったわね、ジーン」
「・・・私は・・・彼女が助かっただけで十分です。海神、そして王よ、ありがとうございました。もう何も思い残すことはございません。どうぞ私をご存分に裁いてください」
ジーンのまだ目覚めない恋人を見つめるその瞳には覚悟が見えた。どんな理由があるにしても国家に対する反逆の罪は重いだろう。ジーンもそれは承知しているようだった。
「あ・・・そんな・・・シーウェル王、お願い・・・ジーンを、ジーンを許して下さい!罪は・・・罪だと言うのは分かっています。分かっていますけど・・・だけど・・・」
グレンが黙って、とニーナの唇にそっと指を当てた。
「ニーナ、ジーンという人物はこの国には存在していない。生まれた記憶さえない・・・そうだっただろう、バイミラー?」
「はい。さようでございます」
問われたバイミラーは王の意図に気が付き少し微笑んでいるようだった。ジーンはグレンの影となるように作られた存在で個人として認められていないのは事実だ。それが?
「存在しない人物は裁けないだろう?全ては新たに現れた魔神の仕業・・・」
「あ・・・じゃあ・・・」
ニーナもグレンの言わんとすることが見えてきた。
「存在しない男と女が何処に行こうと私は知らない」
ジーンが信じられないと言うような顔をしてグレンを見た。
「王・・・お許し頂けるのですか?」
「許しを請わなければならないのは私の方だろう・・・長い間すまなかった。そなたを一番分かってやらなければならない立場だったのに何も分かっていなかった。許して欲しい・・・」
ジーンは頭を下げるもう一人の自分・・・光りの中にいた自分を見つめ涙した。
「いいえ・・・いいえ、王よ。私は貴方がいたから今有るのです。ありがとうございました」
二人はどちらからとも無く抱き合った。
その後、ジーンと元王女は仲良く寄り添ってシーウェル王国を旅立った。
ただのジーンとハリエットとして―――