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第二章 4人の候補者4![]()
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それからギスランは中庭で剣術の稽古を始めたが、もともと〈光の聖剣〉は普通の剣のように
切り裂くものでは無い。もちろん刃こぼれなどしない名剣に違いは無いのだが、
本来は剣に宿る神秘なる力を発動させて使用するものである。
だからフェリシテが剣で敵を振り回して斃すような稽古ではなかった。
基礎的な型と簡単な護身術を習得するような稽古に絞られていたのだ。
運動能力の高いフェリシテは初回の稽古にも関わらず、最初彼女を侮っていたギスランが
舌を巻くぐらい上達は早かった。
「大変よろしい。次回までに毎日鍛錬するように。これが出来るようになったら十分だ」
以外と簡単な稽古に拍子抜けしたフェリシテは戸惑いながら問いかけた。
「あの、ギスラン様。これだけで宜しいのですか?」
オベール公と呼んでいたフェリシテに名前で呼ぶように彼は言っていた。
「そうだ。剣は舞と同じだ。繰り返しその型と足裁きが流れるように舞うように繋がれば言うこと無い。
それに、そなたは 光の聖剣 を落さずに振るえれば良いだけだ。他の殺傷は必要など無い。
それらは我ら騎士が引き受けるのだから。聖剣の支配。その方が最も問題だと思う」
「聖剣の支配ですか?」
「そうだ、聖剣を支配しその力を引き出すこと。それが出来るのが 太陽の刻印 を持つものだけなのだ。
私にその術は必要無いもので体得していないから、それは女王陛下に教えて貰わなければならないが・・・・
そうだ!ユベール、そなた聖剣の解放の呪を知っているだろう?
ジェラールと一緒に習っていたと言うか、何時も見て真似していたと思うが、
呪を詠じるぐらい教えられるだろう?」
「・・・・私がですか?随分と古い話ですね」
ユベールはまた、面倒だと言う表情を満面に浮かべて答えた。
「ジェラール様と言うと亡くなられた第一王子ですよね」
「そうだ。ユベールの双子の兄だ。それこそ成長していれば 太陽神の如き と言う形容は
この怠けユベールでは無くで彼のものだっただろう。ジェラールは十歳にして既に聖剣を支配し
百年に一度行われる〈沈黙の地〉封印儀式に女王を助け封印を施したほどの力の持ち主だった。
十歳の子供であっても封印は十分な効果はあって、隣国のデュルラー帝国より妖魔の数は少ない。
薄まりゆく血脈の中で稀にある先祖返りだったから、成人すれば更に力を増すだろうと言われていたが・・・・」
ギスランは言葉を区切った。それ以上言わなくても誰もが知っている事実だった。
それ程、期待されていた王位継承者が死去したのだから。それも卑劣な暗殺によって―――
最近聞か無くなっていたジェラールを懐かしむ話は、ユベールを追い詰めていた。
彼の何時も投げやりで気楽な気分屋の影が一瞬、消えていた。
その一瞬を、たまたまフェリシテが視線を向けていた。
それはまるで崖に立ち、深く更に深淵の闇を覗く狂気にも似た瞳をしていたのだ。
(ユベール王子・・・狂気? それとも深い哀しみ? 憎しみかしら? 怖い瞳・・・・)
フェリシテは、彼が一瞬見せた真実の心を映し出したかのような表情が気になった。
それを見られていたとは気付いていないユベールは、何時もの調子に戻っていた。
「オベール公、言われ慣れていると言っても酷いですよ。ジェラールは素晴らしかった、
それに引き換えユベールは、と言いたいのでしょう?
立派な兄では無く役立たずの私が生き残ってしまって申し訳なかったですね」
その軽い調子には先程の様子は微塵も感じさせなかった。
故人を悼み美化されるのは良くある話だが、
言葉に含むギスランの真意をくみとっていて軽口で返すのに不自然さを感じた。
フェリシテは十三年経つ今でも血が流れ続け、塞がっていない胸の傷口を押さえる
ユベールの姿を見る思いがした。
第一王子が暗殺された時、ユベールも一緒にいたとの事だった。
その後、犯人は証拠隠滅の為か宮殿に火を放ったそうだ。
今はフェリシテの天女宮となっているが以前はジェラール王子の住まう王子宮であり、
その暗殺の現場である焼け焦げた状態のままの部屋が今も残されている。
(王子の気にしていた傷は巻き添えの刃痕なのか、焼けど痕か分からないけれど・・・)
フェリシテは、ふと思い出しかけた曖昧な記憶に引っかかるものを感じた。
しかし今はユベールの親族にも覚らせない心を救うのが先決だった。
「ユベール王子!生きても良いのですよ!この世に無駄な生は一つとして無いわ。
でも、どう生きて行くかでその価値が黄金にも屑にも変化して行く・・・・そう思いませんか?」
ユベールは大きく碧い瞳を見開いた。その瞳は青く晴れた空の色だった。
生きても良い その言葉は彼が一人で抱えている心に突き刺さった。
(彼女は知らない筈・・・・何故?)
それでも動揺は一瞬で、問いかけたフェリシテも気付かない程の心の揺れだった。
ユベールそんな気持ちをおくびにも出さず、変わらぬ口調で返答した。
「はははっ、何時もの戯言だよ。でも流石だねぇ〜元女神官だと言う事が違う。
オベール公も彼女ぐらい優しくして下さいよ。はははっ」
「彼女の言う通りお前が真面目にしてくれるならな。関係の無い私のところまで苦情が来ているぞ。
東の元帥についてだ!少しは顔を出したらどうだ」
「これは申し訳ございません。オベール公を煩わせるなど、きつく叱りつけておきましょう。
それに私は今忙しくて、何しろ陛下のご命令で彼女に掛かりっ切りですから」
フェリシテは呆れた。今にもユベールの実態が見えそうだったが、
まるで風を掴んだかのようにフワリとかわされた気分だった。
尚更フェリシテは彼をもっと知りたくなった。
いつも冷めた瞳をした気まぐれで不精な面と、
凍るような暗い瞳で何かを抱えている面を持つ王子の真実を―――
フェリシテは自分もつくづく知りたがり屋だなと思い、クスリと笑った。
「・・・・・フェリシテ、何を笑っている訳? 嫌な笑い方だな」
「何でも無いですよ、ユベール王子。私も王子の仕事の邪魔をしたらいけませんから、
明日の王子との自習は無しにして元帥府の見学にさせてもらいます」
「いや、ちょっと待って!勝手に予定を変えるのは良く無いよ。
ほら、マティアスの宿題など沢山あったじゃないか」
「そうですね。それなら今日の午後は空いていますから、宿題は今日しましょうか?」
「彼女の勝ちだ。ユベール首肯せよ!それではフェリシテ、あれと違って私は忙しいのでこれで失礼する」
「ギスラン様、ありがとうございました。来週も宜しくお願いします」
「明日は私も元帥府にいるから寄って欲しい。待っている。では」
ギスランはその容貌に相応しい精悍な笑みを浮かべると去って行った。
いつも眉間に皺を寄せて厳しそうな感じの彼の意外な笑顔に、さすがのフェリシテも頬が熱くなった。
「・・・待っている。では か。さすが 紅蓮の騎士 絵になるね。
ああ、紅蓮の騎士 と言うのは公の別名でね、あのご気性だろう?
それは炎のように烈しい剣筋で、そこから付いたみたいだけど、彼が持つ剣は聖剣でも無いのに
妖魔を切り伏せる姿は圧巻だそうだ。刀身から紅蓮の炎が見えるようだってね。
まあ 選ばせてみせよう もそうだけど自信があるから言える言葉だし、彼はお勧めだよ。どう?フェリシテ」
「王子が斡旋して頂かなくて結構です!」
「おや? 彼は嫌い? マティアスが良いとか? あれも悪くは無いけど堅苦しいのがどうかと思うよ。
それともシャルル? 今は頼りないだろうけど将来性は高いしね」
「お・う・じ! 斡旋は結構です!ギスラン様は嫌いではありませんし、
マティアス様は堅苦しくなどありません!それは王子が不真面目だからです。
それにシャルルは頼りなく無いなどありません! 今自分の出来る事をきちんとしています。
年長者と比べるのは間違っています!それに王子は何故、自分以外に選ばせようとするのですか?
私が王子を選ぶと困るのですか?そんな事ばかりするなら私、王子を選びますよ!」
「フェ、フェリシテ。君が怒っている理由は分からないけど落ち着いて。支離滅裂なこと言っているよ。
短気を起こさないで!私を選ぶなんて馬鹿なことしたら駄目だよ!」
「そうですか?そう言われたら反対にそうしたくなりました。
陛下にユベール王子に決めましたと言ってきましょう」
フェリシテはそう言ってさっさと歩きだしたのだ。
慌てたのはユベールだ。彼女の冗談だとは思うが何を考えているのか全く分からない。
「待って!フェリシテ!」
彼女を引きとめようと手を伸ばしかけたが、その前にフェリシテが勢い良く振り返った。
耳を飾る王家の証がシャリンと音をたてて大きく揺れる。
誰もが名前を呼ばれるだけで舞い上がりそうな艶やかに光る唇を可愛らしく尖らせていた。
彼女に無関心のユベールでさえもその唇を奪いたい衝動に駆られた。
フェリシテはその一瞬に彼の冷めた瞳に揺らめく情熱の炎を見たような気がした。
「王子!王子は他のみなさんの事ばかり褒めていますが、私は王子も立派な方ではないかと思っています。
何故そんなに自分を誤魔化しているのか分かりませんけれど!いい加減にして下さい」
彼女が言うような事は母である女王も気付いてはいたが、
彼に向かってフェリシテのように飾らず真っ直ぐに意見をぶつけることは無かった。
それでもユベールは何時ものように体良くかわすことにしたようだった。
「それは買い被りだよ。確かに一通りは無理やり習わされているから出来るけど。
面倒だからやらない。誰かがやってくれるだろうし」
「・・・・・それでは退屈でしょう?」
「? 別に。楽しいことは沢山あるし、そんな事考えたこと無いよ」
ユベールは目にかかって陽に透ける前髪を弄びながら答えていたが、目の前のフェリシテを見て息を呑んだ。
彼女が涙を流していたからだ!
鞭で処罰を受けている時でさえも涙一つ浮かべて無かった気丈な彼女が、目の前で声を殺して泣いている。
先程まで可愛らしく尖らせていた唇は、嗚咽が出ないように噛みしめていた。
意思の強そうな翠の瞳から溢れる涙が頬を濡らしている。
フェリシテは泣く事はほとんど無い。泣けば負けだと思っていた。
しかし今はどうしてなのか自分でも分からなかった。
出逢って間もない人だと言うのに何故だか彼の心が見える気がするのだ。
そんな表情も言葉も彼は表に出していないのに何故だか見えてしまう。彼の心に宿る 絶望 を―――
何に絶望しているのか分からなかった。
(生きることだろうか?ジェラール王子の死に関係があるような気がする。
自分が代わりに死ねば良かったとでも思っているのだろうか・・・・そう王子の瞳は・・・)
「・・・・死んだ瞳をしていますね。何も映して無い、何も感じ無い。
そんなに綺麗な碧色をしていると言うのに硝子のようです。生きる事が退屈ですか?
それとも苦痛ですか?ジェラール王子の代わりに自分が死ねば良かったと思っていませんか?
自分が死ぬべきだったと―――そして自分を自分で殺しているのでしょう?
あなたのこと、みんなは太陽神のようだと言いますけどそれは見掛けだけよ!
王子はまるで全てを終えて山間に沈む太陽のようだわ!
寂しくて切ない・・・・しかも夜が明けることが無い」
彼女の心を見透かしたような言葉に、ユベールの取澄ましていた表情が見る間に変わってきた。
それは今まで誰も見たことが無いものだった。
整い過ぎた容貌でも冷たく感じなかったのは、口元がいつも笑みを刻んでいたからだった。
それが皮肉な嗤いでもだ。しかし今は表情が見えない。氷のように無表情だった。
フェリシテの涙で動揺したところへ核心をつかれたユベールは、驚きと憤りで自分の気持ちを制御できず、
偽りの仮面を被ることが出来なかったのだ―――
たかが少女のありきたりの涙に、どうして自分が気持ちを動かされたのか?
これが〈天の花嫁〉だからなのか?分からない。只、無言で見つめるしか出来なかった。
ユベールの今までと違う様子と無言の答えに、フェリシテは彼の禁忌に触れてしまった事を悟った。
しかし彼のその瞳は自分を本当に見てくれていた。
怒っているのかもしれないが、それでも人形のような瞳で見られるよりずっと嬉しく思った。
フェリシテは涙で潤んだ瞳を輝かせると、今度は満面の笑みを湛えた。
「言い過ぎました。でも謝りません。王子はジェラール王子の分も生きて下さい。
ユベール王子とジェラール王子二人分です!とっても大変ですよ。怠けている暇なんか本当に無いんですからね。
寝る時間だって惜しくなるぐらい頑張ってくださいな!それでは今日はありがとうございました」
そう言い切ると返答も待たずに宮殿の中へと走り去っていった。
それを見送るユベールの瞳は大きく見開いていた。
しかし先程までの無表情は跡形も無く消えて、口元は自然と笑みを刻んでいるようだった。