第三章 口づけの行方2



 
 マティアスそう呼ばれた男は、淡黄色の髪に緑青色の瞳。

 〈天の花嫁〉の夫候補の一人でもある、シャブリエ公爵家、第一公子マティアスに間違いなかった。
 表情を余り変えることの無い彼が、意味深な笑みを浮かべて言った。
「宜しいのですか、私で?貴方では無くて王子?」
 王子。蝋燭の揺れる炎にほのかに照らし出されるのは、

気まぐれに闇夜に訪れた太陽のようなユベール王子その人だった。

彼が何時も身に
(まと)っている億劫(おっくう)で気だるげな空気は感じない。

今は強い志を持つもの特有の空気を纏っていた。
 ―――彼らは探しているのだ。十三年前のジェラール王子を暗殺した犯人を。
 王位継承者を暗殺するなど国家の大逆。

その抜け目の無い手際の良さ・・・当時も徹底的に調べられたが犯人の特定には至らなかった。

〈天の花嫁〉が現れなければ王国は危機に直面していた事だろう。

しかし、この〈天の花嫁〉が引き金になったのは言うまでも無い。

啓示は極秘だった。それなのに漏洩したとし
か考えられなかった。
〈天の花嫁〉の正式な夫を殺して手に入れる王座。それは魅力的な果実だっただろう。

その果実を自ら欲したかもしれないギスランや、家の繁栄の為に欲したかもしれないシャルルや、

マティアスの親族達。優秀なジェラールが邪魔だと思い、御し易いユベールを担ぎ上げたい者達。

宮廷に陰謀は数限りなく満ち溢れている―――
その中でユベールとマティアスは犯人を密かに追っていた。思惑はそれぞれ違うが目的は一緒だ。

マティアスは国家至上主義であり、大逆を犯すものを例え自分の親族であっても許すことは出来ない。

国家の名のもとに鉄槌を下すまで諦めはしないのだ。
ユベールは自分の片割れであったジェラールを殺した者を決して許しはしない。

幼くして命を絶たなければならなかった兄弟の無念を晴らさなければならない―――
(成就すれば自分は・・・・・)
 フェリシテが言った 生きても良い という言葉が脳裏をよぎった。
 しかし想いを断ち切るかのようにユベールは立ち上がった。そしてマティアスの問いに答える。
「私はいいんだ。そんな事よりも犯人を見定めることが先決だ。

それに王座は魅了的でもないし・・・いずれにしても彼女は、私のこと範疇外だと思っている」
 マティアスはあからさまに溜息をついた。
「―――王子。それは本心ですか?本当に貴方の心は私でさえも計りかねます。

私は王子にお仕えしたいと思っておりました。

ジェラール王子亡き今、貴方こそがオラール王国に相応しい王だと思っております」
「ははっ、こんな怠け者でも?」
「そう見えるようにされているだけです。敵の目を欺く為に・・・・

事が終われば本来の姿を出されれば良いことです。私が誰であっても反対などさせません」


 マティアスはその怜悧な瞳を光らせながら断言した。彼の手にかかれば黒も白くすると言われている。
「興味ないね。ジェラールを殺した奴以外に全く興味は無い」
「・・・・・分かりました。王子のお気持ちがそうであるなら、私も遠慮致しません」
「今度の御前試合、勝たせて頂きます。私は〈天の花嫁〉を本気で手に入れます。

もちろんこれは策略でも大義名分でもありません!心から彼女を欲しております。

ですから私が水となり陽となって彼女を見事に咲かせましょう。そしてそれを手折るのは私です!」
「・・・・・・・・・」
 ユベールはマティアスの初めて聞く言い方に声を無くした。

 何時も自分を律して冷たいと感じ
る落ち着いた物言いをする彼が、

熱っぽく烈しく明言したからだ。有り得ないことだった。
(マティアスも狂わせる花か・・・・それも甘い果実を付ける花。皆を惑わせているのに涼しい顔をしている。

違うか・・・あれは自分を分かっていないだけだな。

自分がどんなに魅力的で男達を虜にしているのか・・・・・世間知らずにも程がある)
 ユベールは自分は断じてフェリシテの魅惑に囚われはしない、と繰り返し唱える。

そう繰り返し唱えなければならなかった。

それだけ彼女の存在は彼の心を揺さぶり始めていたのだった。繰り返し念じなければならない程に―――
  
 いよいよ御前試合の当日。幕開けを知らせる空砲が鳴り響き観客の興奮を高めていた。
 試合に先立ち競技場には一斉に参加の騎士達が集っている。

今回の試合は騎乗せず長剣のみで行われ、剣技を競うのだ。


各々
(おのおの)
の服装は様々で、重たそうな甲冑(かっちゅう)を着けているものもいれば、軍服姿のもの。

 以外と軽装なのが優勝候補筆頭のギスランやマティアスだった。

しかもユベールなどは普段と変わらない服装だ。

自分の魅力を十分知ったうえで選ぶ華やかで豪華な貴族らしい衣装で、御前試合には全く相応しく無い。

 しかし女性観客の人気は勇壮なギスランと二部しているようだった。

ユベールが動く度に歓声が沸き、それに応えるかのように手をあげて微笑むので、

始まる前から卒倒者が出そうな勢いだ。
「そなた、やる気はあるのか。手抜きは許さんぞ!」
 恰好からしてやる気の無いユベールをギスランは一瞥して叱咤した。
「この恰好ですか?不評ですね。皆、公のような目をして私を見ます。慣れないものを着る方が大変なんですよ。

甲冑なんか着て無様に倒れたら見っともないでしょう?今日は公の胸を借りるつもりで頑張りますよ」
 反論しようとしたところへ、女王陛下の先触れが高らかに鳴り響いた。
 静まり返る場内でユベールは、近くにいるギスランとマティアスだけに煽るように囁く。
「今日のフェリシテは何時にも増して素晴らしいと思うな。

母上に言われて私が今日の為に最高の品を選んであげたから・・・出来上がりは見なくても分かる」
 ユベールの選ぶものに間違いは無いだろう。

彼こそ並み居る美姫より美しいと言われる宮廷一の美貌の持ち主で、

その身を飾る服飾に関して非常に趣味が良く煩いのだ。
 その彼が自分の選んだものとは言え褒めるのだから期待は高まってくる。
 その彼女が登場する貴賓席は以外にも競技場の中央で最も下段にあった。

弾かれた剣が降ってきてもおかしく無い場所だ。

しかし女王は昔から臨場感溢れるこの位置を好んでいる。

おかげで近衛兵達は試合の間中、胃に穴が開く思いで警護しているのだ。
 その近衛兵らを引き連れて女王ブリジットが現れた。女王の名を呼び観衆は歓喜する。

女王は周囲をゆっくり見渡すと手をあげて皆を静めた。

それから後ろを軽く振り向き、フェリシテに出てくるように促した。

 貴賓席の入り口から現れた彼女を見て皆、息を呑んだ。

それから場内が割れるかと思う歓声が起きた。口々に人々は彼女を称え、声をあげたのだ。
 素敵だと思うよ と二人を挑発していたユベールさえもフェリシテの姿に目が離せなかった。

 彼女が身に纏っているのは自分が用意した物だし、ある程度予想も出来ていたが実際は


素敵だと思うよ
と、言うどころの話では無かったのだ。
 フェリシテは豪華なレースを飾りにたっぷり使った、真っ白な絹のドレスに身を包んでいた。

それにビロードのような真紅の薔薇を模った紅玉細工を、胸元と細い胴に縫いつけられている。

まるで白銀の天上にある花園のようだ。

豊かで
(つや)やかな黒髪は軽く結い上げられ、その紅玉の薔薇が輝きながら咲いている。

風に揺れる王家の飾りと細い首元に絡む黒髪。

翠の瞳に知性が溢れ、歓声の大きさに少し戸惑いながら微笑む姿―――

 知性と純真さの中に官能的な香りを放つ〈天の花嫁〉に皆、夢中になった。
「ふっ・・これは参りました。ユベール王子。やはり本気で戦わせて貰います」
 マティアスがユベールに耳打ちした。
 マティアスだけでは無い。競技場の騎士達は殺気だってきた。

我こそ勝者となると
咆哮(ほうこう)をあげるものまでいる。

 血の雨が降りそうだとユベールは思ってしまった。
 女王の開幕宣言により、いよいよ御前試合は始まった。

 最初に組み合わせのクジを引く。二組に分かれての対戦だった。

各組の勝者同士で最後の決定戦が行われる。

 ユベールとマティアスは同じ組となった。

対戦は二組とも交互に行われるが初めの方は決着も早く、次から次へと組み合わせは進んでいった。
 ギスランはほとんど二、三合で相手の剣を弾きとばし紅蓮の騎士 の名に恥じない戦いぶりだ。

 マティアスの恐さはその頭脳にある。相手の攻撃の型を分析して、

まるで先が読めるかのように動きを封じていく。いとも簡単に決着がついていくのだ。

 ユベールはと言うと、出場したからには東の元帥を名乗っている以上、簡単に負けてはそれこそ威信に関わる。

対戦に運良く名のある騎士と出会わなかったので、まあ適当に相手をして勝利を収めていった。
 しかし、組の最終決戦の相手は予想通りマティアスだった。もう一組の勝者は当然ながらギスラン。

 彼と戦うのはユベールかマティアスだ。もちろんマティアスは本気だ。殺気さえ感じる。

 ユベールは剣を待ち直しながら思った。
(ここまでくれば十分威信は守れた筈。適当なところで退くとしようか・・・)
 だが彼の脳裏にフェリシテの言葉がよぎった。
 優勝して下さい。絶対、絶対、お願いします!

口づけするならユベールが良いと言い張った姿を思いだした。
(―――全く。私が良いとか、気楽に言ってくれて・・・人を何だと思っているんだ。

そこまで彼女にとって私は無害な人種か?嗤える状況だな・・・)
 ユベールの剣を握る手に力が増し、宝玉のような碧い瞳の色が濃くなり細められた。
 力は五分と五分か?嫌、ユベールの方が優っていた。マティアスが彼の攻撃を読めていないのだ。

それにはマティアスも驚きは隠せなかった。従兄弟で幼馴染でもある彼らは手合わせなど何度も経験している。

しかしマティアスはユベールの本当の力を一度も見切ったことは無かった。

そのユベールがまるで舞うように自分の剣をかわしながら追い詰めているのだ。剣と剣が交差する。
「王子。興味が無かったのでは?」
「悪いな。約束を思い出してしまってね。優勝してくれとねだられていたんだ」
 ユベールはそう言うなりマティアスの剣を押し戻して叩き落とすと、彼の首元で剣をピタリと止めた。
「勝負あり!ユベール王子殿下!」
 わぁ―と歓声が上がる。
 最終決戦はユベールとギスラン。筋書きが出来ていたかのように東西の元帥対決。

場内は最高潮に盛り上がっていた。
 女王も満足気に高らかに笑っていた。
「どうじゃ。フェリシテ、楽しいであろう?

残念なことに夫候補は増えなかったが。いずれにしても頼もしい候補達であろう?

ましてユベールがここまでやってくれるとは思わなんだ。そなたの願いが効いているのではないかな」
「・・・・・・・・」
(王子は約束通り勝ち進んでくれている。後はギスラン様だけ・・・・)
 フェリシテは初めて間近で見る真剣勝負の剣戟(けんげき)に心奪われていた。

マティアスの鋭い剣にギスランの烈しい
剣捌(けんさば)き。でも一番心惹かれたのはユベールの剣だった。

それは風の中を舞うかのような華麗な剣。見ていて心が熱くなる気がした。
 小休憩を挟んで最終決戦の幕があがった。
 対峙する二人はお互いの間合いを読んでいる。

じりじりと剣を構えたまま隙を狙っていたが、先にギスランが打ち込んできた。

ユベールはそれを剣で受け止めかわしながら身体を入れ替えて応戦する。

それからは目にも止まらない速さで刃と刃が交わる。

凄まじい
剣戟(けんげき)だ。もう何合目か数えられない。ギスランの重い剣をユベールは優雅にかわす。
 フェリシテは蝶のようだと思った。優雅に空に舞う蝶のようだと―――
「ユベール!そなた中々やるな」
「叔父上は相変わらず馬鹿力ですね。もう手が(しび)れてきましたよ」
「その呼び方は気に入らんと言っていただろう!」
「それは失礼いたしました。しかし、もう私も限界ですから終わらせて頂きます」
 そうユベールが言い終わらないうちに彼は地面を蹴って舞い上がったように見えた。

ギスランの剣に一撃を与えると、彼の頭を超えて宙返りし背後をとったのだ。
「はっ、私の負けだ。本気のそなたと戦えて楽しかった」
「長引けば私は負けておりました。オベール公の焦りが敗因だっただけです」
「生意気な口を利く」
 振り向いたギスランはユベールの肩を叩くと、彼の左手を高く持ち上げ宣言した。
「勝者!王子ユベール!」
 大観衆が大歓声をあげた。

足踏みをしながら勝者のユベールを称え、見応えある戦いをしてくれたギスランの名を歓呼する。
 隣で話す声も聞き取れない程の歓声の中、女王とフェリシテは試合会場に降り立った。

 女王は両者の健闘を称えてそれぞれに声をかける。女王の言葉の後には観衆もその都度歓声をあげていた。
 次はフェリシテの番だった。ギスランが彼女の前に(ひざまず)く。
「ギスラン様、今回は残念でしたけれど、どの試合も本当に素晴らしかったです。とても感激しました」
 そして恐る恐る手を伸ばすとギスランの頬に口づけをした。

ギスランは目を大きく見開いて口づけされた頬に手を当てた。

フェリシテは真っ赤になっていたが、女王は、ニッと笑っている。

健闘した褒美に敗者に頬で良いからと、急に女王が彼女に言ったのだ。

見詰め合う二人に観衆は歓喜している。
 心の中で気に入らない声を発しているのはユベールだけだった。
(なんだ、私が良いとか言っておいて、叔父上でも問題なかったじゃないか?

頬も唇も距離的に差は無いし・・・頑張って損した。マティアスからも後で嫌味を言われるだろうし。

こうなったらフェリシテにはたっぷり褒美を貰おう・・・・)
 ユベールはこちらを向いたフェリシテに、口の端を上げただけで微笑んだ。
「?? ユベール王子。おめでとうございます。

その栄誉を称えます。あなたに天界の神々の祝福がありますように」
 フェリシテは跪くユベールの頭上で祝福の印をきる。

 その手を下ろしたと同時にユベールが立ち上がった。フェリシテの瞳を碧い瞳が見つめている。
「では、褒美を頂きましょう。天の花嫁の甘い口づけを」
 ユベールの手と顔がフェリシテの顔に近づいてきた。

 彼の長い睫毛の下で碧い瞳が光っていた。薄く微笑みを刻む形の整った唇が、どんどん近づいてくる。
「いや―――っ。駄目!」
 はやし立てていた観衆が一瞬黙り込み、大爆笑した。
 フェリシテは思わず、両手でユベールの口を塞いだのだ。

その状態のままフェリシテは真っ赤になって必死に訴えた。
「駄目!駄目です!こんな公衆の面前で口づけなんて出来ません!

それに王子、とっても嫌らしい目をしているんですもの!」
「嫌らしいって?何だよ!それ? どこがさ?」
 ユベールはフェリシテの手を()がしながら小声で言った。
「変なこと考えている()をしています!嫌らしいです!」
 二人の様子を見ていた女王は高らかに笑い声をあげた。
「皆のもの。天の花嫁は奥ゆかしいので恥ずかしいそうじゃ。

褒美は後ほど誰もいないところで行うとのことじゃ。それで許してやっておくれ」
 再びどっと笑いが出ていたが、微笑ましい彼女の姿と哀れな王子に観衆は口々に声援を送っていた。
『王子様〜しっかり姫様の熱い唇をものにして下さいよ〜』
『そうだ、そうだ!頑張って下さいよ!』
『姫さん〜嫌なら、あたい達が代わって王子としてやるよ〜』
『接吻の仕方を教えてやろうか?』
 などなど言いたい放題で場内は騒いでいた。どちらかと言うと王子に 頑張れ と言う声が大半のようだ。
 ユベールは苦笑いを浮かべながら、仕方なく手を振って応えた。
 フェリシテも場内の声に真っ赤になりながら小さく手を振っていた。女王が耳打ちする。
「のお、フェリシテ。そなたユベールは範疇外(はんちゅうがい)だったのでは?」
 フェリシテは困った顔をして更に頬を赤く染めたようだった。
それを確かめると女王は満足そうに微笑んだ。
 フェリシテは自分でも驚いていた。

王子は大丈夫だと思っていたのに・・・・・でもギスランと戦う彼の姿に胸が高鳴っていたのだ。

最後にふわりと舞い上がった時は息が止まりそうだった。

覚悟していたとは言っても王子の顔が近づいてくると我慢出来なかった。

それは恐怖ではなく、女王の言ったように恥ずかしくて手を出してしまったのだ。

それに王子の何時も冷めた瞳に熱を感じた。

冷めた人形のような
瞳なら何にも感じ無いが、今日はそうでは無かった。

欲望にも似たものを感じそれを恐れてしまったのかもしれない。
 女王の思惑通りこの日を境に、フェリシテはもちろん彼女を取巻く候補者達との関係は

急速に発展していくようだった。







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