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第三章 口づけの行方4![]()
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「ちょ、ちょっと待って! 」
「待てないよ。あの時は散々恥をかいたしね。さあ〜じっとして」
ユベールは花に止まった蝶を捕まえるかのように、そっと近づいてくる。
(あっ、駄目!)
フェリシテは逃げようと左右に瞳を動かしたが、足が床に縫いとめられたように動かない。
ユベールの情熱を秘めた碧い瞳が、彼女の自由を奪ってそうさせていたのだ。
「今日は逃がさないよ――」
ユベールは彼女をそっと抱き寄せた。
その瞬間フェリシテは震えた。今からおこることに対する恐怖なのか?
それとも期待なのか?分からなかった―――
気丈な彼女が儚げに震える様子にユベールも一瞬躊躇した。
(やはり恐い?まるでこっちが悪いことをしている気分になる・・・・)
もう此処で止めてしまおうか?と思ったが、手に伝わる彼女の柔らかい肌の感触を意識した途端、
理性は脆くも崩れてしまった。
「恐がらないで・・・さあ力を抜いて。恐くないから・・・・」
まるで小さな子供に言い聞かせるように優しく囁きながら、最初に彼女の細い首に唇をそっと当てた。
フェリシテの肌はまるで花の蜜のような香りがした。甘く蕩けるような香りだ。
それから頬に額にと、さ迷いながら口づけの雨を降らせる。
彼女の強張った背中が少し緩んできたところで唇を重ねた。
フェリシテは、ビクリと大きく震えたが王子の腕からは放しては貰えない。
それは夜会で貴婦人達に王子がしていたような簡単な口づけではなかった。
これは何時も感じる嫌悪ではなくて甘い感覚だった。
大好きな甘い菓子を一口食べた時のように広がる幸福感と、何時までも残る甘い味―――
身体中に痺れるような感覚が駆け巡り、フェリシテは立っているのがやっとだった。
ユベールもふざけ半分に始めたことだったが、はっと我に返り顔をあげた。
「―――すまない。やりすぎた」
「も、もう――っ本当よ!あと十回ぐらい優勝して貰わないといけないぐらいよ!
もう、知らない!王子なんか、大、大、大嫌い!」
フェリシテも初めてのことで恥ずかしいやら、誘惑に負けた自分が悔しいやら
何がなんだか分からない気持ちがぐちゃぐちゃに入り乱れていた。
それを引き起こした王子に鬱憤を晴らしたかった。怒ってそうなったのかさっきの余韻なのか?
フェリシテは真っ赤な顔をしてユベールに食って掛かった。
「うわっ、本当にすまない。許してくれ!ちょ〜と軽くするだけのつもりだったんだけど・・・
あんまり君が甘いんで、ついつい深みにはまってしまって」
「私のせいだって言うんですか!王子もみんなと一緒ですね!
みんな私が誘っている、私が悪いって言うのだもの」
「違う、そんなことを言ったんじゃ無い!君が魅力的だったと言いたかったんだ。
蜜のように甘くて耐え難い魅力だよ。君は?そんなに嫌じゃなかっただろう?」
「それは・・・・でも駄目!私はお菓子でいいわ!」
ユベールの瞳が意地悪く光った。
「へえ〜君の好きなお菓子みたいに私の口づけは良かったんだね?そうか、そうか」
「良かったなんて言ってないでしょう!お菓子で十分と言っただけだわ!」
「お菓子みたいに甘くて、美味しくて良かった。だろう?」
「もう―――っ、知らない!王子とはもう絶交です。勝手に解釈するからもう口も利いてあげません!」
「それは無いだろう?もうしないからさ、許して」
「当然です!陛下のお決めになられたことだったから従いましたけれど、
接吻なんて誰彼構わずするものではありません。結婚を約束した方だけとする以外は駄目です!
だから私も今後は夫と決めた方とだけします!」
「―――ああ、良く分かっている」
ユベールはまた少し不機嫌な表情をした。
「分かって下されば良いです。それにこれは貸しにします」
「何だって!」
「さっき言いましたでしょう?優勝十回ぐらいして貰わないと釣り合わないって。
もう試合はないから私のお願いは十回きいて貰いますからね。そうして下さるなら絶交は取り消します」
「フェリシテ、君って〈天の花嫁〉なんかじゃ無いな。きっと〈虚無の花嫁〉だ!」
「あら?そんなこと言って宜しいのですか?」
憎まれ口を吐く彼をチロリと見て言った。
「え〜と。あの、すまない。分かった、分かった。言う通りにする」
ユベールは、とうとう十回のお願いをきく事を承諾させられてしまった。
彼女のお願いとは嬉しいようで、恐い気もする―――無事に克服出来るようにと天に祈った。
「では、一つ目です。不特定多数のご婦人方とのお付き合いはなさらないで下さい。不道徳で不謹慎ですから」
「何だって!それは私が悪い訳ではないんだよ。ご婦人方が勝手に寄って来られるからだね、
それを一々断ったり避けたりするのは大変面倒なんだよ」
「あら?私にそんな嘘は通じませんよ。最初に遇った時なんか初対面の私を熱心に口説いていたでしょう?
私、てっきりそう言う仕事の人と思ってしまったぐらいだもの。
何時もそうやっているのでしょう?興味なさそうな瞳をしているのにね!」
適当に受け流していたユベールの瞳が光ったような気がした。今のフェリシテの言葉が癇に障ったらしい。
「興味なさそうな瞳か!本当に君は人の神経を逆撫でするような事をお構いなしに言うね!
その通りだ!私は興味ある振りをしているだけで、何もかも全く興味は無い、どうでもいいんだ。
〈天の花嫁〉だって同じだ!君に興味は全然無い」
一気に喋ったもののユベールは自分の発してしまった言葉に唖然とした。
そこまで言うつもりも無かったし、何故か彼女の前だと隠している本心を晒してしまう―――
フェリシテを見た。彼女が今の言葉にどう反応しているのか気になった。
傷ついているのか怒っているのか?
しかし予想に反してフェリシテは微笑んでいた。嘲笑では無く嬉しそうに。
(何がそんなに嬉しいんだ?)
「分かりました」
「何が分かったと言うんだ?」
怪訝な顔をするユベールにフェリシテは、にっこりと笑顔を送った。
「深い意味は無いです。でもようですね〜王子はどうでも良いことでしょうが、
私は王子に興味はありますよ。とっても」
「えっ?」
ユベールは言葉に詰まってしまった。
男にそんな台詞をさらりと言うフェリシテは、恋の駆け引きに長けた貴婦人でも無い。
何も考えていない素直な気持ちだろう。それにこの調子なら誰にでも言っているに違いない。
(しかし何と抗い難い魅力的な言葉なのだろうか・・・・)
フェリシテにしたら 王子に興味がある と言うのは当然の言葉だった。彼には興味が尽きない。
最近では本心が瞳に見え隠れするようになったし、今日は何時も適当にかわされていた気持ちを、
とうとう言わせることが出来たのだ。
まるで からくり箱 を扱っている気分で一つ鍵となる部分を見つけたような嬉しさだった。
「ふふふっ、王子は からくり箱 みたいですよね。
綺麗で内側はどうなっているのだろうと開けてみたいのに開かない。
上を見ても下を見てもどこから見ても、どうなっているのか分からないし隙間も無い。
何層にも仕掛けがしてあって開けれそうかなと、どんどん開けてみてもやっぱり開かない。ねえ似ているでしょう?」
「・・・・私も色々称えられたことあるけど箱みたいと言われたのは初めてだな・・・・君には参ったよ。降参だ。
でも一つ忠告させて貰うよ。私以外の男に微笑んで 貴方に興味がある なんて言うものじゃ無い。
私だったから良かったものの、そんな言葉は恋の駆け引きの常套手段なんだからね」
フェリシテは驚いて瞳を、ぱちくりさせた。
「こ、恋の駆け引き?そ、そうなのね。大変!」
「そうだよ。貴方が好きと言っているようなものだからね。もう誰かに言った?
言っていたとしたら勘違いさせていると思うな」
「ええっ!ちょっとまって、えっと・・・・・・・大丈夫。王子にしかまだ言って無いみたい!」
「えっ?私だけ?」
「あっ、もしかしてさっきのお菓子食べた方が良いとか言ったのも、
王子が言われたような解釈になるのかしら?貴族社会は普通じゃない意味を含まれることが多い訳ね。
これは大変だわ。気をつけないと駄目ね。でもどれがそれに当たるのかも分からないし・・・・
何か参考書とかあるのかしら?マティアス様にもお聞きしてみようかしら」
一人で自問自答し始めたフェリシテを、興味など無いと言った筈のユベールが興味深げに眺めた。
そしてその口元は微笑んでいるようだった。
(そんな参考書を訊ねられたマティアスの顔が見ものだな。
次回は是非同席させて貰おう。それにしても私だけに言ったか・・・・・)