第四章 嵐2



 
 天界と人界の時の流れは違う。天界人からしたら人の一生など彼らの
(まばた)きほども無い。

天界より降りたフェリシテは、永遠に近い時を捨てて限りある時を刻んでいる。

その彼女の犠牲により成り立つ平和。

ユベールはフェリシテの幸せを願いたかった。願わずにはいられなかった。
 そして彼は優しく語り掛けるように言う。
「君の言う通りだね。誰も君を束縛なんかしない。自由に空を飛びまわるといいよ。

だけど君は今一人ぼっちじゃない。此処が家で天の血脈である私達が家族だよ」
 ユベールとフェリシテは確認しあうように見つめ合った。

 羽ばたきたい空のように碧い王子の瞳が、言葉よ
りも強く語ってくれているようだった。
「王子・・・私は自分の義務も役割も理解したうえで此処にいます。

それも結構楽しんでいますから心配しないで下さいね。ではこの話はお終いです!

それはそうとギスラン様、そのお菓子は手作りですよね。見せて下さい!」
 フェリシテは明るくそう言うと、彼が手に持つ菓子箱を覗き込んだ。
「うわぁ〜お上手ですね。美味しそう。一つ頂いたら奥様に悪いかしら?」
「いや、構わない」
「ちょっとフェリシテ待って!それは止めた方が良いと思うよ」
「どうして?」
 ユベールはギスランを、チラリと見て彼から睨まれるのを覚悟して言った。
「公は甘党で、それもかなりの・・・だから奥方の作る菓子はその嗜好に合わせた特別品なんだ。

歯が融けるかと思うくらいの極甘で・・絶対止めたほうが良いって!」
 ユベールの話にフェリシテの菓子に伸ばしかけた手が止まった。
「無礼な!食べたら害になるような言い方をするなど。この味を分からんそなたの方がおかしいのだ!」
「そ、そうですよね。お菓子が甘いのは当然ですもの。

それにこれなんかとても美味しそうだわ。ねえ、ギスラン様?」
 フェリシテは果実を使った見た目も綺麗な焼き菓子を指さした。それをギスランも見る。
「果実を使うとは珍しい。リリアーヌの新作かな。初めて見た」
 ユベールの瞳が鋭く光った。
「どれ?へえ〜これならあまり甘くなさそうだね。私も頂こうかな。

ちょうど二つあるから私の分と、フェリシテの分」
 ユベールはその新作菓子を手早く摘まんで取り上げた。
「ユベール!そなたにやるとは言っていない。それは私も食べたいのに!」
「まあまあ天下のオベール公が、たかが菓子の一つ二つで怒らないで下さいよ。

そんなに食べたいならリリアーヌを呼び寄せて作って貰ったらいいじゃないですか?

ついでに彼女も食べてしまったら良いではありませんか。

リリアーヌは叔父上のお好きな砂糖菓子みたいですしね」
「ユベール!そなたとリリアーヌのことで議論するつもりは無い!不愉快だ。今日はこれで失敬する!」
 ユベールの揶揄(やゆ)にギスランは憤慨(ふんがい)して、菓子箱をユベールに押し付けると、

足音も烈しく去って行っ
てしまった。
「王子!何故あんなこと言ったのですか!ギスラン様が怒るのも当たり前です」
「そう?私はリリアーヌも可哀そうだな〜と思っただけだよ」
「それはそうですけど・・・あ〜あ、それにしても折角お茶も用意していたのに。仕方ないな。

でもギスラン様のお菓子があるからそれを食べながらお茶にしましょうよ」
「それは止めた方が良いと言っただろう。それよりもっと美味しいお菓子をあげるよ」
「美味しいお菓子?」
「そう、甘い私の口づけなんてどう?」
「―――王子。何を隠していますか?言ったでしょう。私にそんな誤魔化しは通用しませんよ。

()が違いますよ。()が!今なんか何人か殺してきたよ、

と言ってもおかしく無いような
(すさ)んだ(ひとみ)の色をしています。何があったのですか?」
「はは、何言っているの?まるで心理学者のようだね」
「ふざけないで!教えて下さい」
 フェリシテは何かを察して(がん)として引く様子は無い。ユベールは溜息をついた。
「本当に君は鋭い。口外しないと誓ってくれる?」
 フェリシテは頷いた。
 ユベールは卓上に用意された茶器を手に取ると、観賞用の水槽で泳ぐ小魚をすくいあげた。

それからさっき彼が摘まんで取った焼き菓子の欠片をそれに落とした。

それを突いた小魚は、あっと言う間に白い腹を浮かべて死んでしまったのだ。
! まさか毒」
「そのまさかだよ。たぶんこの、叔父上も見たことない新しい菓子だけに入っていると思うけど。

かなりの猛毒だろう。一口で冥界行き間違えなしだ」
 フェリシテは信じられなかった。恐ろしさのあまり身体が震えだした。
「大丈夫?だから言いたくなかった」
 フェリシテは淡々としている彼も恐ろしかった。

何人も殺してきたような、と例えたがそれが今は歓喜の色を湛えていた。
「まさかギスラン様を恨んで、リリアーヌさんが?」
「違うな。彼女ならわざわざ今まで作ったことが無い菓子を入れる訳が無い。

いつものままの方が不信に思わないだろう。彼女の行動を知ったものがこれを混ぜたのだろうな・・・」
「でもそれは難しいかも」
「どう言うこと?」
「彼女は今日が初めてじゃ無かったもの。時々話しかけたそうに私の近辺に現れていたわ。

今思えば手には何時も菓子箱を持っていたから、その
(たび)に作っていたと思う。

今日だけ何故、声をかけたのかしら?しかも都合良く毒入りだし」
 ユベールは少し考え込んだ。フェリシテの話だと偶然を利用するには余りにも稚拙(ちせつ)だ。

リリアーヌが作る度に毒入り菓子を混入したとしても何度も渡せず持ち帰っている。

もし中を見れば自分が作ったのと違う菓子があれば不信に思うし、

誰かにやってしまえば関係ない死人が出てしまって騒ぎになる。

 今回初めて仕込んだに違いないだろうが・・・

リリアーヌが今日と言う日に動くことを決心させた何かを掴めれば何か見えてくる気がした。
「確かに奥ゆかしいリリアーヌが勇気を出せた理由が糸口だな」
「王子はリリアーヌさんのこと良くご存知なのですか?」
「ああ、彼女可愛かっただろう?控えめで楚々としていて。

もともと私の婚約者候補だったから良く知っているよ。

叔父上より歳の釣り合いは取れているだろう?

さっきも言ったように王族の婚姻は条件が難しいからね。

特に私や叔父上ぐらいになると大変だよ。

だからもし君が叔父上を選んだなら、リリアーヌと叔父上との間はあの調子だから

離縁して貰って、私と結婚させるとかも考えられているようだしね。

彼女は君ほどじゃないけど、王族にとって貴重な女性なんだよ」
 自分とは正反対のようなお姫様らしい彼女が、ユベールと結婚するかもと聞いた時、

胸がチクリと痛んだ気がした。
「このことギスラン様に早くお知らせしないと!」
「駄目だ!悟らせないためにわざわざ怒らせたのに」
「あっ、それであんなことを。でも命狙われているんでしょう?教えて差し上げないと大変だわ!

でもいったい誰がこんなことを」
「それこそ叔父上が知ったら大事になる。折角尻尾を出しかけた奴が穴倉に戻ってしまう。

そんなことは絶対させない。何年もこの機会を待っていたんだから・・・それにいったい誰がだって?

それは私が聞きたい。私の兄弟を殺した犯人なんだから――」
 ユベールはもうフェリシテの前で偽るのを止めたのだろうか?

彼女がもちろん見たことが無い、
激昂(げっこう)に彩られたユベールを目の当たりにしていた。

輝く美貌を称えた
太陽神の如き では無く、その名のように近寄ることも出来ない

全てを焼き尽くす炎の星そのもののようだった。
「ジェラール王子殺害の・・・どうして今?」
 ユベールは(あざけ)るように嗤った。
「ははは、鋭い君が分からない? 私のことはあんなに言い当てるのに?

君だよ、フェリシテ、君だ〈天の花嫁〉が現れるという啓示から全てが始まったんだ。

そして王権を狙う奴にジェラールは殺された。

その血で花嫁を迎える準備は整ったんだ。夫選びの遊戯?
冗談じゃない!

これは候補者殺しの遊戯だ。最後に残ったものの背後に大逆人がいる。

今日で一人容疑者は消えた。君と叔父上の噂はかなり効き目があったようだ。

残りは三人。フェリシテ、君には感謝しているよ。最高の切り札なんだから」
 フェリシテはユベールの人が変わったかのような態度にも愕然としたが、

自分によって引き起こされた生死をかけた陰謀に顔色を失った。

身体中の血が凍っていくようだった。王国に
安寧(あんねい)をもたらすと云われていた聖なる血が

()
まわしいもののように感じた。

人々は
猜疑心(さいぎしん)に溢れ(みにく)い心をさらし、血を流す。怨嗟(えんさ)は終わることが無く続いているのだ。
「わ、わたしが―――」
 ユベールはフェリシテの様子がおかしい事に気が付いた。

しかも自分が我を忘れて彼女に
憤懣(ふんまん)をぶつけてしまったことも・・・・・・
(今、自分は彼女に何てことを言ってしまったんだ!)
 フェリシテは泣いているのかと思った。

空から時折舞い落ちる雪のような肌が真っ青になって、小刻みに震えて
瞑目(めいもく)している。

その瞳がゆっくり開いた。その
翡翠(ひすい)のような瞳に涙はなかった。そして(かす)かに笑った。

 そう感じただけかもしれないが、微笑んだように見えた。

何故微笑む事が出来るのかユベールは分からなかった。

その微笑に洗われるかのように彼も平常心に戻って行った。
「話して下さってありがとうございました。私が出来ることは何でも言って下さい。

終わらせましょう。王子、全てを・・・オラール王国の未来のために。いいえ、私達の明日の為にも」
「君は何て・・・」
 ユベールはそれ以上言葉を続けられなかった。彼女が自分の言葉に傷つかなかった訳では無いだろう。

それを全て呑み込んで他を照らそうとする。これほど王国に相応しい女性はいないだろう。

建国王を産んだ天人のように輝かしい未来を与えるに違いない。

陽光の下で慈愛に満ちて赤ん坊を抱いていた彼女を再び思い出した。

自分以外の男との間に授かった子を抱く彼女の姿を想像して、先日より胸苦しさを感じる。
(この気持ちに気付いては駄目だ。気付いては・・・愚かなことは十三年前で十分だ・・・・

そう全てを終わらせるために・・・・待っているのだから・・・・・が)






TOP   もくじ   BACK   NEXT    あとがきU