銀の龍2
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ルカドは思い出す。その日は季節の替わり目がいつもの様に突然やってきた日だった。
柔らかな日差しが朝から刺すように冷たく、
大地の熱を奪う風が花々を一斉に散らせながら吹き荒れていた。
間もなく花びらの代わりに天から冬の白い花びらが舞うだろう。
それに年に数えるくらいしか会えない母親とイザヤが珍しくいたのだ。
滅多にない家族四人で朝食をとっていた。
会話の無い重苦しい食事も終わり、イザヤが母親にまるで報告をする部下のように話しかけた。
「宰相閣下。今日より私はここを出て我が主と決めた御方に就いてまいります。
我儘をお許し願いたい」
イザヤを含め子供達はネフェルの事を母と呼ばない。
母は自分達の母であって母でなく宰相≠ナあり、彼女も母の顔はしない。
常に宰相≠ニ言う仮面を脱ぐことは無かったのだった。
混乱した州を復興させるまで弱い女でいる訳にはいかなかった。
母と言う女である前に強き龍である事を要求され、
彼女の権謀術数にたけた手腕は確実に州を建て直して行った。
イザヤの容姿や性格はこの母親に良く似ている。
その表情を崩さない彼女がイザヤの思いがけない言葉に銀灰の瞳を見開いた。
「あなたは私の跡を継いで公女をお守りし、宰相となる義務があります。
それにあなたは公女の許婚です。
その様な勝手は許す事は出来ません」
「公女殿下は〈龍〉として発現されていますので、私という龍が婚姻を結ぶ必要は無いと思います。
宰相閣下の尽力はそれが最も有効であると私も最近では思いますが、
魔龍王の顔色を窺うような政策は、自分をまるで生きながら腐らせる様で
もう限界なのです・・・・私は忘れられません。
父上の無念を・・・・そして私達の幸せを奪った魔龍王の仕打ちを―――私は同じ様に増え続ける
人々の苦しみに耳を塞ぐ事が出来なくなりました。
絶望で腐って諦めかけた私が見つけた希望の陽≠ノこの命を懸けたいのです。
ゼノア打倒の為に―――」
母は一層瞳を見開き唇を震わせ、ルカドもイザヤの言葉に怯えていた。
「ゼノア様打倒・・・馬鹿な。愚かな・・・あの王に逆らうなど。
お前はもっと利口かと思っていました。父親と同じ様になるのが分からないのですか!」
イザヤの銀灰の瞳は決意を秘めて静かな光を湛えていた。
そして軽く微笑むと今までに無い情愛を込めて言った。
「母上、今まで本当に感謝しております。誰もが泣き暮れる中、
貴女は泣く事も無く、いいえ、泣く事を許されずこの州を、私達を守って来てくれました。
感謝と言う言葉では言い尽くせません。でも、私は参ります。
もう二度と貴女のような人を無くす為にも・・・」
ネフェルは久しぶりにイザヤが母と呼ぶのを聞いた。
まだ幼かった子供を顧みる事なく犠牲にしてきた自分を、
恨まれる事はあっても感謝されるとは思わなかった。
しかも、全て分かってくれていたのだ。涙を忘れた瞳に熱いものが込み上げてくる。
大きく息を吸って吐き出し熱いものを止めて返答した。
「私もこの世がこのままで良いとは思っておりません。
しかし、私には州を守る責任が有り、それは鎖のように此処に重く縛りつけられています。
イザヤ、貴方はその鎖から抜け出して行くと言うのですね・・・分かりました。好きにしなさい」
イザヤは目礼して立ち上がると、静かに出て行った。
母も姉も席から動かなかったが、ルカドは窓に駆け寄り背伸びして
去って行くイザヤの後ろ姿を見た。
外は粉雪が舞い白く輝いてイザヤの銀の髪が溶け込む様だった。
遠い門扉の陰から彼を迎えに来たらしい人物がチラリと見えた。
それはまるで陽を見たかのようだった―――
イザヤは、雪が舞い始めた空を見上げて、歩き出した。
一足ごとに地面に定まりきれない雪がふわりと足元で踊る。
私有地と外界を遮る優美な曲線を描く飾り格子の門扉を開けると、〈陽の龍〉が立っていた。
相変わらずの豪胆な様子でやあ、と手を挙げている。
「興味深い情報が入った。なんでも金持ちの放蕩息子が二人いるそうだが、
彼らの立ち寄る先で不思議と目に余る役人達が消えるそうだ。
面白そうだろ?行ってみないか?」
「はい、貴方の命ずるまま、何処までも参ります。
そして貴方が望むものを、私の力の限り叶えて差し上げましょう」
「イザヤお前、いつも思うが本当に回りくどい言い方をするな。
ははは・・・しかし不思議と何でも叶いそうな気がする。
お前と出会えて良かったよ」
そう言うカサルアの言葉をイザヤは聞きながら、
自分こそ彼と出会えて信じた事の無い神に感謝したぐらいだ。
そして、この二人の出逢いが今後、大きく運命を進展させて行く様になったのだった。
イザヤが去って行った冬、ルカドは十一回目の春を迎えていた。その日は突然来た。
彼は急な高熱に襲われ昏倒し、それは三日間続いた。
突然の高熱は〈力〉の発現の徴なのだが、普通は遅くても十歳未満の幼少期に終わっている。
ルカドは十歳を過ぎても発現は無く、この家系の血統正しい龍の中で
〈力〉無き只人よ、と陰口をたたく者も多くいた。
遅い発現の為かルカドは尋常では無い苦しみに苛まれ、生死の境をさまよった程だった。
そして四日目の朝、今までの苦しみがまるで夢だったかのように目覚めと共に消えていたのだ。
しかも、彼に現れた〈力〉は『龍』の証である右手に出ていなかった。
ルカドは落胆と共に視線を右手から逸らし、ふと瞳に入った左手を見て驚愕した。
左手には金に輝く〈光の紋〉が刻まれていたのだ。ルカドは『宝珠』として発現したのだった。
『宝珠』の発現は龍の様に血統に関係なく、
天の采配なのか砂の中に落とした一粒の貴石のように、突然現れる事が多い。
また龍の女性型が少ないのと同じく、宝珠の男性型は非常に珍しかった。
ルカドは起き上がると、恐る恐る左手を朝日が差し込む窓に向かってかざして見た。
「僕が宝珠?何故・・・」
彼は『龍』になれない自分を悔しく思う事は無かった。
気弱で臆病な自分が龍になったとしても、とても母や姉、
それに兄のような龍になんかなれないと思っていたから、只人で十分だったのだ。
それがまさか『宝珠』になるなんて戸惑うしかなかった。
その時、部屋の扉が開きジェマが入って来た。
彼女は起き上がっているルカドを見止め、嬉しそうに近づいて来ると彼の左手に気が付いた。
「ルカド!そ、それって!」
ルカドは思わず、まるで悪い事でも見つかったかの様にさっと、
後ろに手を隠したが、ジェマは構わず彼に詰め寄ると左手を掴み上げた。
「やっぱり光の紋・・・宝珠だわ!」
「姉さん・・・痛いよ。離して・・・」
「あっ!ごめんね」
ジェマは慌てて手を離したが、信じられないものでも見るかの様に、不安でうつむくルカドを見た。
三日三晩苦しみに耐え抜いた為、少しはやつれていると言うよりも明らかに雰囲気が違うのだった。
三兄弟は母親譲りの銀の髪に銀灰の瞳だがそれぞれ雰囲気は異なっていた。
ジェマが言うには兄のイザヤは高い壁のような難攻不落の要塞で、
自分はその要塞にそよぐ他愛無い風。
そしてルカドは壁にも近づけない小鳥と評していた。
しかし、『宝珠』となったルカドは可愛らしい小鳥程度のものでは無かったのだ。
もともと容姿は整っていたが兄と姉の前ではかすんでいたのは確かだった。
でも貴石の中の最たる貴石と言われる宝珠の美しさは、彼を普通の子供にはしなかった。
柔らかそうな銀の髪は光を弾き、不安と言うよりも愁いを帯びた大きな銀灰の瞳に
軽く伏せる長いまつ毛。
ジェマは感嘆しながら弟を見つめた。
「はあ〜ルカドあんた本当綺麗になったね。私より綺麗になったんじゃないの?
この歳でこれならこの先、もの凄い美少年間違い無しよ。いや、美少女の間違えかな?
こんな間近で宝珠見たのは初めてだけど・・・なんてラッキーなのかしら?
弟が宝珠になったなんて、先手必勝だわ!ルカド!私の宝珠になってよ!」
ジェマは寝台へ乗り出してルカドに迫った。
「ね、姉さん!」
宝珠は龍と契約する。龍は宝珠の力を欲し、宝珠は龍の力に心酔し従う。
心酔≠キる?
それはどういう事なのかルカドには検討がつかなかった。
家系が『龍』の一族であり、龍的な考えなら何と無く分かるのだが
反対の立場である『宝珠』の考え方が分からないのだ。
『龍』は自分の力を高める為『宝珠』を欲するが、『龍』にとって
力≠ニは己の価値となり存在意義に等しいのだ。
では『宝珠』は?なんだろうか?力を増す事によって龍のように利益がある訳でも無く、
自己犠牲だけしか無いようなものなのに・・・・
何故?龍を求めるのか?
ルカドには分からなかった。
だが、心の奥底で姉ジェマは違う!≠ニ叫んでいるような気がした。何故か分からないが・・・・
意気揚々と迫る姉の肩をルカドは弱々しく押し戻した。
「駄目・・・違う・・姉さんじゃない・・・」
「ええっ――速攻拒否な訳?ルカドのくせに生意気よ!
宝珠になった途端、他の宝珠のようにお高くとまっている訳?」
「ち、違うよ!僕は、ただ、ただ・・・・」
今にも泣きそうなルカドに呆れたジェマは、大きく溜息をついた。
「冗談よ。宝珠は選ぶ権利があるんだし、無理は言わないわよ。
それにしても驚いたわね?イザヤ兄さんも聞いたら驚くだろうね」
ルカドは姉から出た兄の名を聞いてドキリとした。
最後に見た兄の姿を思いだした。鉛色の空から降りてくる雪の中を進む銀の龍の姿を―――
その後ろ姿を思い出しただけで何故か心が落ち着かない感じだった。
心の奥底から湧き上がる得体の知れない感情が渦巻いてきたのだ。
こんな感情は今まで感じた事の無いものであり、戸惑うしかなかった。
いずれにしても自分の運命が大きく変わろうとしている事に間違いは無いのだ。
その時は、その不安と得体の知れない感情だけで胸がいっぱいだった。