陽の龍4
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暗がりの廊下に立っていたのはカサルアだった。
「どうされましたか?このような夜更けに・・・」
「・・・・・すまない。此処に来るつもりは無かったのだけど――」
カサルアの様子がおかしかった。
何時もの他を圧するような覇気が無く、輝きに満ちていた金の瞳は暗く沈んでいた。
「何かありましたのでしょうか?私に何か御用でも?」
「・・・・嫌、ただ・・・」
「ただ?」
「すまない。少し・・・君の顔が見たかったから・・・」
「え?」
イリスは彼が何を言ったのか聞き取れなかった。力無く呟くような声だったからだ。
カサルアは再度何か言う訳でも無く、イリスから視線を外すと、
ぎこちなく微笑んで踵をかえそうとした。
イリスは思わず、帰ろうとする彼の右腕に触れた。
カサルアの身体がビクリと大きく揺れる。
大いなる力の象徴を刻む右腕はまるで氷のようだった。
この砦のある震龍州は春と秋が廻る土地―――身体が冷え切ることは無い。
「どちらに行かれていたのですか?このように冷えられて・・・どうぞ、中にお入り下さい。
身体が温まるものでもお出しいたしましょう」
イリスはまた、思わずそう言った。
腕に触れる彼女の温かい手のぬくもりが、冷え切ったカサルアの身体に浸透していくようだった。
初めて出会ったあの時のように―――
彼女に誘われるまま、部屋に一歩足を踏み入れた。
初めて訪れたその空間は、あの時を忘れた家を思い出した。
簡素できちんと整理された室内には薬草の香りがほのかに漂っている。
イリスは、黙して立ち尽くすカサルアの肩衣を外すと、
その代わりに毛布を肩から掛け、身体を包み長椅子に腰掛けさせた。
カサルアは彼女がするまま、人形のように黙って従っている。
それからイリスは薬酒を用意して彼に飲ませようと差し出したが、
カサルアは受け取らなかった。
仕方なくイリスはその薬酒の入った器を彼の口元へ近づけた。
すると青褪めた唇は、その器を受け入れるように開いたのでそのまま傾けてみた。
鼻につく強い香りと、しびれるような味が口腔に広がった。
傾けられるまま一口、もう一口と嚥下させる。
身体の芯に炎を点けて焼け付く感じだ。少しむせて口の端からその茶色の液体がこぼれた。
イリスは慌てず、まだ少し残った薬酒を卓上に置くと懐から布を出し、
カサルアの口元をそっと拭い始めた。
その手をカサルアは捉えた。
今まで大人しかった彼が、嘘のようにイリスを自分の方へ強く引き寄せた。
驚いた彼女はバランスを崩して、カサルア倒れ込んでしまった。
少し赤みを取り戻したカサルアの秀麗な顔が間近に迫っていた。
片手を捉えられたままで、身体も彼により添っているようなものだ。
こんな近くで彼を見た事は無かった。金の瞳が宝玉のようで、本当に綺麗だとイリスは思った。
綺麗すぎて危険なものを感じた。
自分が自分で無くなるような・・・その眩むような魅力に侵食されそうだった。
カサルアに心が傾けば傾く程、彼に相応しく無い自分を思い知る。
いつまでも見ていたいと思わせる金の瞳からイリスは視線を外した。
それを追うようにカサルアも、すいっと横を向いて視線を外した。
「変わらないね、君は――いつも親切だ。誰にでも・・・」
彼の言い方は少し不満げに聞こえた。
「そして、また・・・何も聞かないんだね?」
「聞いて欲しいのですか?違いますでしょう?誰でも言いたく無いものはあります。
言ってもどうにもならないものは特に――」
「どうにもならないものか・・・・確かにそうだな」
「それで悔しいと思うなら思いっきり泣くなり落ち込むなり気晴らしをして、
また一からやり直したら良いと思います」
カサルアは少し驚いたように宝玉の瞳を見開いた。
「カサルア様は完璧過ぎます。それとも完璧でなければと、
なさっていらっしゃるのか・・・少しは肩の力をお抜き下さいませ」
「―――私に泣けばいいと言ったのは君が初めてだ。
まあ・・・君にはもっと情けないぐらいボロボロになったのを見られているしね・・・」
カサルアはそう呟くと、イリスの手を解き彼女の膝の上に上半身を倒した。
陽光を思わせる長い髪が彼女の膝の上に広がる。
突然のその行為にイリスは驚いて避けようとしたが叶わなかった。
カサルアが泣いているのかと思い逃げられなかったのだ。
しかし彼の閉じた瞳に涙は無く、それ以上会話も続けるつもりはないらしい。
あきらめたイリスは自分の為では無く、カサルアの為に語りかけるように歌い出した。
それは古い子守歌だった。
木々をわたるそよ風のようでいて、何も無い雪原に降る雪のように、
月明かりに揺らめく水面のような静かな歌だった。
「――いつも歌っている歌だね」
カサルアは瞳を閉じたまま呟いた。
イリスは答えず歌い続けた。
星の煌きが聞こえるような静かな夜だった―――
いつの間にかカサルアは寝入ってしまったようだった。規則正しい寝息がしだした。
イリスはそっと毛布を掛けなおして、自分の膝の代わりに枕をあてなおしてみたが
彼が起きる様子は無かった。遊びつかれた子供のようにぐっすりと眠っているようだ。
その様子に思わずイリスは微笑みかけた。
その時、また外で微かな物音を聞き戸口へ足を運んだ。
誰かいるのは確かだが声を掛けるのをためらっている様子だった。
それはそうだろう、深夜もかなり過ぎた時間で人の部屋を訪ねるような時間では無いのだから。
イリスはそっと扉を開いて外を見ると、そこにはイザヤが立っていた。
「イリス、申し訳ない。このような時間に実は――」
イザヤは訪れた理由を言おうとした時、扉の隙間から部屋の中のカサルアを見つけた。
「やはり此処だったか・・・」
「カサルア様をお探しでしたか?」
「ああ。今帰ったと言う連絡があったまま部屋に戻らず、
砦の何処にも見当たらなかったのでどうしたものかと・・・」
「そうでしたか。しかし、よく此処だとお分かりになりましたね?」
「だいたい今までの行動を見て、何も言わずに何処かに行くとしたら貴女の所しか考えられない」
「どういうことでしょうか?」
イザヤはチラリとカサルアに視線を流した。
「分からないのなら分かる必要は無い・・・・・イリス、迷惑だろうが、
彼をこのままにしてもらえるだろうか?誰かが尋ねて来ても気がつきもせず、
眠ったままなんて彼には有り得ない事だ。かなり疲労しているのだろう・・・
休息が必要だ。どうかこのままで、お願いしたい」
「ですが・・・」
イザヤは彼女の返答など待ってはいなかった。
明朝また来る、と付け加えて去って行ってしまった。
イリスは溜息をつきながら残されてしまったカサルアを眺めた。
聞かなかったが、彼をここまで消沈させる原因は何かと気になるのは事実だった。
傷付いていたあの時も、皆に接する顔とは違っていた。
陽の龍は自分が辛くても、悲しくても決して他人にその弱さを見せる事は無い。
カサルアの言う通り、最初の出会いから彼が弱い部分を見せてしまったせいで、
自分に対して取り繕う必要を感じていないのは本当だろうと思った。
(ただそれだけのこと――)
そしてそれは、その時だけではなく毎年続いたのだ。
同じ時期になるとカサルアは決まって意気消沈して現れては、
同じ様にイリスに構ってもらって一夜を過ごして帰って行くのだ。
年々、忙しく活動するカサルアとは同じ砦に住んでいても、
顔を合わす事が本当に少なくなっていたが、この時期だけは別だった。
それと春を知らせる花木は必ず毎年届けられた。
ただこれだけで他は、声をかけられるのさえ稀だった。
だから周りは彼女がカサルアにとって特別だとは思っていない様子だ。
イザヤが分からないのなら分かる必要は無い≠ニ、言っていたがどうしてなのか考えてしまう。
以前の戯れのように囁き続けられた愛の言葉は無い。
宝珠として求められる事も・・・女性として求められる事も無いのに、
何故かカサルアの存在が大きくなっていた。
時間をかけた彼の想いはイリスの心を緩やかに開き、そして満していくようだった。
もう二度と愛する事など無いと思って枯れた心が、再び育まれて花を咲かせようとしていたのだ。
しかしその想いは心の奥深くに隠した。
彼がもし以前のように自分を望んでくれたとしても、彼の為にはならないと思った。
もっと自分より相応しい女性が現れる―――
(私よりもっと・・・・)
そう思うと少し心が痛んだが気持ちを押さえ込むのは慣れていた。
出会ってから何年過ぎたのだろうか?幾度目かの優しい春の季節が終わりを告げる頃。
その時期はいつも、この世の終わりのような顔をしたカサルアが訪れる頃だ。
ところが今年だけは違っていた。
この世の終わりどころでは無く、この世の幸せを独り占めしたかのような笑顔で訪れたのだ。
「イリス!今日は最高の日だ!」
「どうされました?」
「おや?今日はどうしたのかと聞いてくれるんだね?」
カサルアは悪戯っ子のように微笑むと甘えた声を出した。
「申し訳ございません。余計な事をお聞きしました・・・・」
イリスは表情を変える事もなく静かにそう言った。
彼女の声は発音が綺麗なせいもあるが静かで心地良い響きだ。
「いいや、今日ばかりは聞いて欲しい気もするけど、まだ半分だけの嬉しさだからね。
成功すれば今に分かるよ。長年の夢が一つ叶いそうだと言う事だよ」
「長年の夢?」
イリスは又、聞き返してしまった。
カサルアも彼女の珍しい反応に少し驚いた。
「本当に珍しいね、君が聞き返してくれるなんて。
長年の夢―――毎年この機会を待っていたからね。そう、君のおかげで諦めずに・・・・」
まだはっきりしないから、とカサルアはそう言って肝心の理由は後日となった。
しかし、それはイリスに衝撃をもたらしたのだった。
その理由とは伝説の宝珠≠フ奪還―――
魔龍王ゼノアに封印された、天地をも動かすと云う伝説の宝珠
龍なら誰もが憧れ欲する宝珠―――
その伝説の宝珠≠ェカサルア達に助け出されて仲間になるという。
そして、皆が集められた中央の大広間に伝説の宝珠≠ヘ姿を現した。
しかもカサルアが大切そうに手を引いていた。
二人のその姿は輝きに溢れ絶大なる龍力と珠力が大広間の隅々まで満ちるようだった。
イリスは目眩がした。カサルアが毎年、絶望していた理由が
伝説の宝珠#゙女だったと知ったのだ。
まさしくイリスが思っていた彼に最も相応しい人物だった。
願った事なのに―――胸が苦しかった。
彼女の紹介が始まった。カサルアは上機嫌だ。
「さあ、アーシア、ここの宝珠達を紹介しよう」
宝珠達は緊張している。それは仕方が無いだろう。
個人主義的要素の強い宝珠は自尊心もかなり強い。
自分が常に優位に立ちたい性格の彼女らが、
全く比較にならない存在が現れたのだから言うまでも無い。
アーシアの気取らない性格だけでは上手くいく筈は無かった。
しかし、イリスの態度で事態は一転した。
「ようこそ、アーシア。私はイリスと申します。私達は貴女を心から歓迎いたします」
凛とした優美な白い花を思わせるようなイリスが、
珍しく微笑みながら静かに言い優雅にお辞儀をした。
少し青ざめていっそう美しい彼女の頬に、長い白青色の髪がかかる。
アーシアをイリスが認めた事で、他の宝珠達も友好的にその場が和んだのだ。
イリスは集う宝珠達の姉であり母のような存在であった。
その誰もが彼女を尊敬し、その意に従っていたのだ。
その後、紹介が進み、沸きあがる広間からイリスは静かに退室していた。
これ以上その場にいたくなかったからだ。
覚悟はしていても心に広がる喪失感はどうしようにも無かった。
また独り悲しみを抑えながら、誰もいない中庭の木々に身を寄せて歌った。
今まで泣く事を忘れていたイリスの瞳に涙があふれていた。
涙はとめどなく流れる。全てを洗い流すかのように―――
願っていたことなのに―――
だけど、今日だけは彼を想って泣きたかった。明日には祝福出来るように―――
(今日だけは・・・・)