陽の龍5

 



 それからずいぶん時が経って浮かれ気味だったカサルアは、

さすがにイリスの様子が変わったのに気がついた。

以前よりまして自分に対しては殻に閉じこもったように感じたのだ。

まるで最初に出会った頃のようだった。
「イリス、いったいどうしたんだ?何があった?」
 堪りかねてカサルアはイリスを詰問した。
「―――何もございません」
「何も無い訳ないだろう?長い付き合いなのだから君の様子がおかしいぐらい分かる」
「・・・・・・・・」
 イリスは無言で微かに微笑むだけだった。
 微笑む―――それはまるで泣いているかのような微笑み。
 幾ら理由を聞いてもその静かな微笑で、カサルアは次の言葉を呑み込んでしまっていた―――
 それからアーシアが加わった事により彼らの戦いも最終段階に入り、

目まぐるしい月日が経っていった。
 
 そして魔龍王ゼノア時代の終焉―――
 
 しかし、長年世界に君臨し続けたゼノアが死しても、その勢力はまだ各地に残り、

掃討されてはいなかった。

新世紀に向けてこれらの後始末が必要だった。

そこで今までの拠点だった震龍州の砦から天龍都の青天城に移し、組織を編成し直した。

攻撃型の龍と防御及び治癒型の龍に、その力を増幅させる宝珠達。

志願者を中心に人数を増やしていったのだった。
 活気あふれる城内では、行き交う人々の顔は明るく、輝きに満ち溢れていた。
「皆、元気がいいな」
 カサルアは満足そうに周りを見渡しながら言った。
「行儀の悪い若者もおりますが、今のところ支障はございません」
「お前から見れば皆、行儀は悪いだろう?ほどほどにな、イザヤ」
 何をほどほどなのか、とイザヤは反論したかったが、

その事には触れず大きな声で騒ぎながら歩く新参者の龍達へ視線を向けた。

 それにつられてカサルアもその方向を注視した。
「ここはスゲーよな?龍達はめっぽう強いし、それに伝説の宝珠′ゥたか?」
「もちろんさ!震えがきたよ。夢のまた夢だけどさ、

あんな宝珠が自分のだったらなぁ〜と思うけどな」
「ははははっ、無理、無理。あれは無理だけど、他の宝珠達も粒揃いだろう?

特に筆頭の
宝珠なんて怖いくらいに綺麗だよな」
「ああ、分かる。さっき見たんだけどさっ!なんか遠くを見つめたまま佇んでいて、

その姿なんて最高!珍しい白青色の長い髪が風に揺れて、思わず触れてみたくなったよ」
「だろう?良いよな。あの宝珠はさ!届かない夢より届きそうな夢に挑戦するか?」
「ははははっ、そりゃいい!賛成!」
 イザヤはカサルアの顔をチラリと見た。案の定、憤慨している。
「なっ、何だ!あの会話は?あれはイリスの事だろう?」
「そのようですね。ご存知無かったのですか?イリスは今、龍達の間では大人気で誰が

彼女と契約を結べるかと競い合っています。

もともと他の宝珠達より容姿も珠力も秀でていましたが、最近ではその美しさが、

いっそう憂いを含んで艶やかなものですから、龍達が騒ぐのは無理ないかと。

まあ、最近来たものばかりですがね。昔からいるものは彼女が、

誰も相手にしないと十分知っているので――」
「そうだとも!イリスを微笑ませるだけでも一苦労なのに、

あんな行儀の悪そうな若者なんか相手にするもんか!」
「行儀悪い?やはり貴方もそう思われるでしょ?」
 カサルアはムッとした。
「イザヤ!いちいち突っかかるような言い方をするな!しかし何だ!あれは――」
 激怒して言い募ろうとしたカサルアは言葉を呑み込んだ。
 その噂のイリスが何人かの宝珠を引き連れて近くを通って行くのが見えたからだ。
 軽く前に手を組み、静かに優雅に滑るように回廊を歩いていた。

後ろに続く宝珠達も彼女を見習うような仕草で従っている。
 先ほどまで賑やかに噂をしていた龍達は、羨望の眼差しで彼女らを見送っていた。

声をかけるどころでは無かった。
 彼女らが進む前にカサルアとイザヤはいた。

 気がついたイリスは静かに目礼をして横を通過しようとしていた。

 イリスに習って大人しく従っていた宝珠達だったが、

さすがにこの二人の龍の前では目に見えて浮き足立っている。

 それでもイリスはそのまま通り過ぎようと、歩を緩める事も無かった。
「イリス!」
 カサルアが彼女を振り向きざま呼び止めた。
 イリスがピタリと止まって静かに振り向いた。
 二人の視線が絡み合う。
 その時だった。後方からレンの声がした。
「イリス、此処にいたのですね。それに陛下達も。丁度良かった、紹介します。

彼が此処で力を貸してくれると言うので連れ帰りました。地の龍ケルトです」
 イリスの瞳が大きく見開いた。信じられないと言うように・・・・
 そしてその硝子のような瞳から涙が一滴流れ落ちた。
「―――ライ?」
 紹介されたケルトと言う龍は、少し照れくさそうに笑った。

その表情もイリスのかつて恋人だったライそっくりだった。
「イリス、驚いたでしょう?ライの弟なんですよ」
 弟?イリスは思い出した。ライには生き別れた弟がいると言っていた。

親達の離婚で幼い頃、兄弟がそれぞれの親に付いて別れてしまったと―――
「兄弟とはいえ、良く似ているでしょう?私も初め、ライが甦ったのかと錯覚したぐらいでした」
 レンはその時の驚きを語っていたが、イリスはライが甦ったかのような

その龍から目が離せなかった。
 カサルアはイリスと、その初めて見る恋敵と瓜二つと言うケルトを交互に見た。

胸の奥からどす黒いものが湧き出てくるようだった。

 そして金の瞳を大きく見開いた。

 イリスが瞳を潤ませながらも微笑んだからだ。

その時、瞳の端から宝石のような涙がまた一滴流れた。

彼女のこんな微笑は滅多に見られるものでは無かった。

初めて春を告げる花木を贈った時に見た以来だろう。

だが彼女のこの微笑は恋人のライには何時も見せていた筈だ。

 苦い悔しさが込み上げてくる。
 カサルアはケルトを見た。

見た目だけで言えば、おっとりとした容貌で特別な感じは無い。

見知らぬそのライに何度も嫉妬して想像していたが、それとは随分違っていた。

これほど自分と正反対の雰囲気だとは思わなかった。
 イリスは懐かしむように微笑んでいた。その瞳に涙はもう無い。
「本当に良く似ています。出会った頃のライに・・・・」
 彼女は遠い昔を思い浮かべるように瞳を細めて言った。
 優美な白い花のようなイリスの姿を、ケルトは驚きと羨望の眼差しで見つめていた。
 彼女がクスリと笑った。

 その楽しげな声にカサルアは再び瞳を大きく開いた。

イリスがそんな風に笑ったのを初めて見たからだ。
「ふふっ、そんな表情もそっくり。初めて私を見た時のライと。懐かしいわ――」
「い、いえ、あ、あの・・・・貴女がとても綺麗だから・・・えっと」
 イリスは再び、言葉までそっくりだと言って楽しそうに笑った。
 レンは彼女のその様子に満足した。

親友だったライの死は悲しい事実だったが、それを痛みに感じる時期は過ぎていた。

それが証拠にケルトと出会って、心は痛みより懐かしさが込み上げ温かくなった。

イリスもそう感じてくれるだろうと思い、真っ先に紹介したのだ。

レンは確信した。彼女はもうライの死を乗り越えていると―――
 彼女と同じく微笑みながらレンは、ふと、カサルアを見た。

その表情は硬く金の瞳は暗く影を宿していた。何を考えているのか読めなかった。

それは初めて見る彼だった。

陽の龍∞天龍王≠ニ呼ばれ、数多を照らす陽光のような存在である彼とは

正反対の雰囲気を纏っている。

背中にゾクリとくる冷たさを感じた。この感じは覚えがあった。

カサルアと対極であった魔龍王ゼノアだ―――
 傍に立つイザヤもそれを感じたのだろう。カサルアを銀灰の瞳で注視していた。
「陛下」
 イザヤの呼び声にカサルアは、はっ、とした。
 自分の心に湧き上がっていた暗くよどんだ欲望を否定するように首を一振りして

自傷気味に嗤った。
 こういう時に思い知る・・・自分がゼノアと少しも変わらないと。

ただ、ゼノアは己の欲望のまま好きなように生きたのであって、

自分はその渇望を抑える事が出来るだけだ。

それは簡単に言えば自制心が有るかどうかという一点。

気も狂うような永い月日の果てに誓った二つの事は叶えた。

だが全てが終わった後に残ったのは虚しさだった。

生きる糧が無くなって自分はこれから何をしたらいいのだろうか?と、つい思ってしまう。

する事は沢山あると言うのに。ゼノアもそうだったに違い無い。

王として君臨した後の虚しさに狂ってしまった。

その闇に堕ちた心に射した光がアーシアだったのだ。
(奴はアーシアに出会うのが遅すぎた――)
 しかし、カサルアは幸運だと思う。

何度も闇に堕ちそうになりそうな時にはイリスがいた。彼女はまさしく守護天使だった。

傍にいるだけで心が癒されたのだ。

ただ傍にいるだけで甘い時を過ごす訳でも無かったがそれで十分だった。

しかし、今はどうだ?この虚しさの中に芽吹いたのは、

見て見ぬ振りをしていた欲望――イリスの全てを手に入れたいという渇望。
 だが、今は惨敗だ。彼女の心は恋人だった男に似た奴に注がれている。

ただ似ているというだけで彼女の心を捉えた幸運な奴だ。

ゼノアなら即、殺すだろう。奴の気持ちが解らないでもない。
 カサルアは再び自傷気味に嗤った。
「カサルア?」
 心、此処に有らずの主君をいぶかしんだイザヤは、敬称では無く彼の名を呼んだ。
「――ああ、何でもない。少し考え事をしていただけだ。さあ、行こうか」
 カサルアは自制心が保たれているうちにこの場から離れたかった。

それ程、ケルトの出現は彼にとって忌むべき出来事だったのだ。

カサルアはイリスを見るのでさえ辛くためらい、視線を外し去って行った。

彼女の瞳は既にケルトでは無く、いつもと何かが違うカサルアを心配していたとは知らずに―――
 イリスもケルトとの出会いで大きく変化した。

レンの言ったようにライの存在は懐かしい思い出となっていたようだった。

以前なら彼に良く似たケルトをみれば悲しく辛かっただろうが今はそう感じない。

一生こんな気持ちになれるとは思ってもいなかったが、これも全てカサルアに起因する。

イリスのカサルアに対する想いは心に秘めるだけ、大きく全てを支配していたのだ。

心の在りかがハッキリし、イリスはまるで薄い衣を脱いだかのようだった。

今まで何処かに置き忘れていた感情が内側から溢れ出していた。

無感動だった彼女が笑ったり怒ったりするので周りの者達が一番驚いたようだった。
 面白く無いのはカサルアだけだ。そうさせているのは先日の亡霊が原因だと思うからだ。

亡霊――カサルアがケルトの事を自分の中ではそう呼んでいる。


 ライの亡霊と―――








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