陽の龍7
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「なんだって!イリスが行方不明?馬鹿な!」
カサルアがその報告を受けたのは随分日にちが経ってからだった。
カサルア自身、式典前から彼女との間に距離を置いていたから気付かなかった。
距離を置いて頭を冷やしたかったからだった。
まるで恋をしたての若い男のような醜態をさらしたく無かったからだ。
カサルアはイリスの部屋へ走った。
青天城内にあった彼女の部屋の鍵はかかって無く、扉は勢いよく開いた。
大きな音と共に開け放たれた部屋の中からはいつもの薬草の香りがほのかに漂っている。
きちんと整理された部屋―――
卓上には部屋の鍵が置かれていた。そして一枚の紙。
―――お世話になりました。思うところがありまして、そちらへ参ります―――
細い線で綴られた字。
カサルアはその紙を、グシャリと握り潰した。
「何処へ・・・いったい何処に!」
彼の怒鳴るような声に、報告し同行して来た者がビクリとすくんだ。
「そ、それが不明でして・・・」
カサルアは、そう報告する男を、金の瞳でひと睨みすると踵を返した。男は更にすくみあがった。
足早に何処かへ行こうとするカサルアを追って来たイザヤが、行く手を遮った。
「どちらへ行かれます」
「探しに行く!」
「陛下!」
「煩い!どけ!イザヤ!」
「どきません。貴方はもう勝手が出来るお立場では無いのです」
「いいからどけ!」
「いいえ、どきません。彼女は自ら出て行ったのです。
確かに一時は貴方をお慰め出来る存在だったかもしれませんが、
貴方にはもっと相応しい方がいらっしゃいます。
女人はイリスだけではございません。たかが一人の女の為にそのような――」
風がイザヤの顔をかすめ、頬に生温かいものを感じた――裂傷を負って血が滴っていた。
カサルアの感情が揺れて烈風を起こしたようだった。
そして瞬く間に外は黒雲が立ち込め、天雷が光の矢を放ち始めた。
「カサルア――」
彼とは長年苦労を共にしてきたイザヤだったが、こんなカサルアを見るのは初めてだった。
彼は火輪のようだったが、ここまで激しくは無かった。
今はまるで野生の獣のようだ。誰にでも喰らい付く金色の獣―――
同じような者を見た事があった。それは飢えた獣のようだったゼノアだ―――
イザヤは背中に冷たいものが走り、唾を飲み込んだ。
昔カサルアに自分が怖いか?≠ニ尋ねられた事があった。
その時いいえ≠ニ答えた。だが今は―――
イザヤは無理やり行こうとする彼の腕を、震える手で掴んだ。
「無闇に探しても時間がかかります。私が探させますから、ここはどうか気を静めて下さい」
「まだ言うか!イザヤ!」
「何度でも申し上げます。ここは自重して下さい。イリスを探す事は他の誰でも出来ますが、
貴方がしなければならない事は他の誰かが代わる事は出来ないのです。
今は大事な時期なのです。どうか私にお任せ下さい」
風が凪いだ。これがカサルアにはあってゼノアに無いものだった。自制心だ。
自分でもこの性格が疎ましく思える。だが・・・・
「・・・・イザヤ、もし見つけきれなかった時は解っているだろうな?」
静かな問いだった。イザヤは再び、唾を飲み込んだ。
「はい――」
「もし、その時は今私を止めた事を後悔するんだな。その止めた手と口、無いものと思え」
それは静かな声だった。彼の怒りが周りを凍らせるかのような響き―――
「――承知いたしました」
イザヤは強張りながら深々と低頭した。
数日が過ぎる。イリスは見つからなかった。
イザヤに全て任せたつもりは無かった。
優先順位を変えただけで、時間が少しでもあればカサルアは自分で探した。
故郷に帰ったケルトを追って行ったのかと思ってみたがそんな様子は無かった。
あの初めて出会った時を忘れた家にもいなかった。
カサルアは広範囲に視念を飛ばす事が出来るが気配さえつかめず、
イザヤの情報網をもってしても手がかりさえ無かった。
まるでこの世界から消えて無くなったようだった。
カサルアは彼女がいなくなった理由を考えた。
追求すればする程、悪い考えしか思い浮かばなかった。
ただ息をしているだけの人形のようだったイリスが、生きる道を見出したのはゼノアを斃す事だった。
それが叶った今、彼女はどう思ったのだろうか?生きる意味が無くなったのでは無いか?
自分も虚しく世界が色あせたように感じていたのだからイリスもきっと・・・・
まさか全てを終えて自ら命を絶ったのでは?
と悪い方向にばかり考えが傾いてしまう。
「――に・・さま・・兄さま・・兄さまったら!」
カサルアは、はっ、とした。アーシアが目の前にいる。
「兄さま、蒼い顔をして大丈夫?イリスさんの事を考えていたのでしょう?」
「・・・・・・・・・」
アーシアは兄がこんなに落ち込んでいる姿を見るのは初めてだった。
「ねぇ、兄さま。イリスさんが此処から出て行ったのはどうしてだと思う?」
「・・・・全てが終わったからだろう・・・」
「兄さまって、今まで何をしていた訳?何年も!
元恋人の復讐なんて終わってしまえば虚しいじゃない。恋人が生き返る訳でも無いのよ。
その間に兄さまは何やってたのよ!どうして彼女の心をつかんで無かったの?
まさかいつもみたいに相手から断られるなんて無いと思ってたんじゃない?
イリスさんは兄さまが今まで遊びで付き合っていたような人達とは違うのよ!」
カサルアはアーシアの言い方にムッとした。
「何をしていたって?色々した!遊びなんて思っていないのだから、愛しているとも、
好きだとも何度も何度も伝えたし、彼女が喜んでくれそうな事は全部した!
あの花だって毎年苦労して取りに行っては贈った。それなのにイリスは、ぽっと出て来た
男からも貰うのだから私が今までやっていた事なんて彼女の心に届かないんだ!」
「ちょっと待って、兄さま。今わかったわ。ぽっと出の男ってケルトのことでしょう?
もしかして兄さまはケルトがイリスに、自分より先に花を渡していたのを見たとか?」
カサルアはその時を思い出し、不機嫌そうに頷いた。
「やっぱり、イリスさんがそれを受け取ったと思って不機嫌だったのね?それは誤解よ。
だってケルトがしょんぼりとあの花の枝を抱えて言っていたもの。断られた≠チて」
「断った?じゃあ・・・」
「そうよ。イリスさんは兄さまからの花を待っていたのよ。
それなのに早とちりなんかして・・・・待っていたでしょうね、イリスさん」
しかし、それくらいで消える理由にはならない。
「ところで兄さまは彼女に結婚とか申し込んだ訳?」
「いや、まだ・・・・」
「まだ?何故?結婚するつもりは無かったの?」
「もちろん、彼女とは一生共にいたいと願っている。しかしイリスの心が――」
アーシアも経験上、その気持ちは解る。恋とは相手の心が気になって臆病になってしまうのだ。
「じゃあ、兄さま、もちろん宝珠の契約は申し込んだのでしょう?」
カサルアは考えることさえ無かった事柄に驚いた。
「いや、彼女の珠力では無理だろう?身体に負担がかかるだろうし・・・・」
アーシアはわなわなと震えた。
「兄さまっ!もう!馬鹿、馬鹿、馬鹿、大馬鹿者――っ!私たち宝珠はね、
龍から必要とされたいのよ!女として必要とされる前に宝珠として必要と思って欲しいのよ!
そういう性なんだから。ルカドから聞いたのだけどイリスさんは昔、
好きな人の為に禁忌の貴石を使って珠力の転換をしようとしたそうよ」
「禁忌の貴石だって?まさか・・・生存率は極めて低いあの・・・」
「そうよ。恋人の宝珠になれないのは死ぬより苦痛だったのよ。私も今なら解るわ。
ラシードは、私が宝珠だとか関係なく好きになったと言ってくれるけれど、
もし私が彼の炎を操る珠力が無かったとしたら絶望するでしょうね。
宝珠の力と心は一緒のようなものだからそんなものよ、宝珠って!
兄さまの龍力が馬鹿みたいに強いのは仕方が無いけれど、そんなこと重要じゃないわ。
要は気持ちの表し方よ!それなのに兄さまときたら口先だけの愛の言葉で、
結婚や契約の申し込みもしていないなんて!もし私だったら遊ばれているとしか思わないわ」
「誤解があったとしても彼女が消える理由にはならない。
それこそ情けないことに私には無関心だったのだから・・・・」
苦痛に歪んだような顔をしたカサルアをアーシアは横目で見た。
「本当にそうかしら?私はそう思わないけれど・・・だってイリスさんの性格なら宝珠にもなれない、
恋人にもなれないと思ったら身を引くと思うわ。その人の事が好きだったら尚更ね」
「ははは、馬鹿げている。私の誠意が伝わらなかったとしても、
あれだけ好意を示していたのだから少しは解るだろう?両想いなら苦労なんかしない」
「――イリスさんは恋人だったのに死を覚悟しても恋しい人の宝珠になりたかった人よ。
もし兄さまの事が好きになっていたとしたらどうかしら?転換のように死を覚悟すれば兄さまの
龍力を支える事が出来る程の珠力が強くなるというものは無いのよ・・・絶望するしか無いわ・・・・
それよりもまえに望まれていないのは辛いでしょうね。
たぶん前の恋人からも望まれなかったでしょうね。属性が違うから・・・だから死をも覚悟した・・・」
カサルアは有り得ないと思った。全てアーシアの都合の良い想像だと―――
彼女が少しでもそんな意思表示をしてくれていたのなら見逃す筈は無かった。
考えられないことだ。
「それで兄さまはどうするつもり?」
「―――彼女が姿を消した理由が本当にそれなら――」
「それなら?」
「私の龍力を捨ててやる!たったそれだけでイリスの全てが手に入るのなら、
こんな力なんかいらない!」
アーシアはにっこりと笑った。
「はい、良く出来ました。その意気よ、兄さま。じゃあ、イリスさんの居場所を教えてあげるわ」
「え?何だって?」
「イリスさんはラシードのお父様の所にいるわ」
思ってもいない人物の名前にカサルアは驚いた。
「何だって?ザーンの?」
「そうよ。孤児の世話を手伝っているそうよ。
ザーン様は彼女から理由も何も言わないで、ただ身を隠したいと相談されたそうよ。
その様子があまりにも悲痛だったから黙って手を貸されたみたい。
だけどそれから兄さまの執拗な捜索でしょ?ザーン様もどうしたものかと私に相談にされたのよ」
本当の理由は解らない。だがイリスを失いたくない。
カサルアは希望をもたらしてくれた妹に短く礼を言うと飛び出して行った。
その代わりに長身の龍入って来た。
「行ったようだな?」
「上手くいくと良いのだけれどね」
「カサルアもただの龍だった訳だな龍は宝珠に乞いし恋焦がれる≠ゥ。
彼も同じ龍だったんだと安心した」
「あら?ラシードは私が宝珠でなくても好きだと言わなかった?
それに兄さまは馬鹿だから恋していても乞うて無かったのよ。呆れちゃう」
ラシードの真紅の瞳が微笑んでいる。アーシアにしか見せない表情だ。
「天龍王も君にかかったら形無しだな。それに訂正だ。
宝珠じゃなくても――は後の事で、氷の柱で眠る君を初めて見た時、その姿はもちろん、
封印されてもいても内側から眩しいぐらいに輝く珠力に心を奪われたのは事実だ。
本当にアーシア、君は強く美しかった――」
アーシアは真っ赤になった。
「ご、誤魔化されないから!言う事が違うじゃない!」
「なぜ?最初のきっかけはどうであれ宝珠だろうとなかろうと今は関係ない。
こんなに愛しているのだから――」
ラシードはその身を折ってアーシアの耳元へ低く甘く囁いた。
彼女がもっと赤く顔を染めたのは言うまでもない。
関係がぎくしゃくしていた二人だったが式典の日、
お互いの心を確かめあって丸く収まったようだった。
宝珠と龍の契約の儀式が先なのか?結婚式が先なのか?というところだろう。
アーシアは永遠のような永い月日、自分の事は後回しにし続けた
兄カサルアには幸せになって欲しかった。
自分はもうラシードの手を取ってしまったから兄を誰かに託したかった。
誰をも魅了する完璧な仮面の下には、人一倍見栄っ張りで我が儘で、
子供のような甘えん坊の顔を持つ兄―――
その兄を黙って包んでくれる人。イリスは理想だと思った。
(兄さま、頑張ってね)