
魔法の呪文5

イレーネの新しい生活が始まった。
与えられた居室が後宮の中というのに抵抗があったが、王子の幼年期は普通母親と過ごすから独立した宮に移らないのだ。
帝国もそうだが自分が関係なかったから忘れていた。
此処も同じだが昼間は出入りもある程度自由で、陽が落ちると同時に幼い王子の他は国王しか入れない男子禁制となるのだ。
後宮が王の居室のようなものだから彼もこの場で沢山の女達に囲まれて夜は過ごす。
だから女達は競って王に媚びる。最後は自分の閨に来てもらいたいからだ。
最初はイレーネも驚いたものだ。
ナイジェルは事情があったとはいえ一切そんな事が無く、自室で過ごしていたからだ。後宮にいたのは自分だけだったからかもしれないが・・・それにしても本来の後宮とはこういうものだろう。
毎夜続く饗宴のような広間の音が風にのって聞こえてくる。
それが気にならないといえば嘘になるが、イレーネは無視をして明日の予定を立てていた。
毎日王子にべったり付いている訳では無い。彼にはちゃんとした専門の教官も付いている。その時間割りや人選をイレーネは任されているのだ。
そして一緒に講義も受けて王子の質問には何時でも答えられるようにしている。
しかしこの国の実情になると全く分からなかった。
誰かに教えを請いたいとクロードに相談したところ彼が教えてくれるとの事だった。
忙しい宰相が?と最初思ったが、これは自分を計っているのだろうと感じた。
王が決めたからといっても大事な王子を見も知らないそれも隣国の者に、このまま預けていいものか自分の目で確かめるのだろう。
彼はかなりの切れ者らしい。王とは従兄弟同士でセゼール元帥が父親だとか・・・帝国は粛清で皇族はすっきりしているがこの国は王族の血縁関係がかなりややこしいみたいだ。
そこも良く聞いておかないといけないだろう。
誰が味方で誰が敵なのか見分けるのも王として大事なことだと思うからだ。
(それにしても毎日よく飽きないわね・・・)
イレーネは書き物を止めて外を見た。皆が集まる広間はまだまだ眠らないらしい。
ふうっ、と息を吐いた。
「イレーネ様、どうかなさいましたか?」
「ちょっと書くのも疲れたから寝ようかとも思ったのだけど、外が煩くて眠れそうもないと思ったのよ・・・そうだわ、リリー、少し散歩して来るわ」
「散歩でございますか?それではお供致します」
「そう?じゃあ行きましょう」
夜着だけでは頼りないので大判のストールを肩に羽織って出て行った。
季節は一番過ごし易い時期だが、やはり夜になると少し肌寒く感じる。
騒がしい方向とは反対に歩いて来たと思ったのに何やら此方に移動したのか近くで人の声がしだした。
その時、がさがさと葉ずれの音がしたと思ったらいきなり後から誰かに抱きすくめられてしまった。
驚いて声も出ない。
「捕まえた!う〜ん、誰だろう?ん〜胸は小ぶりだし・・・えっ!この香りは!」
思いっきりイレーネの身体を夜着の上からまさぐってきたのは目隠しをした王だった。
庭で女達と鬼ごっこでもしていたようだ。
だが、イレーネの香りに気が付いたアランは急いで目隠しを外した。
彼女が使っている香は透明感のある爽やかな甘い香り・・・何の花だっただろうか?と、何かを思いだしそうで思い出せない。
やはり目の前にいたのは間違いなくイレーネだった。
しかも何時もはきっちりと隙なく結い上げている髪は肩にながしていて、洗い立てなのかまだしっとりと濡れていた。象牙色の肌と暗めの色の髪がいっそう艶やかに見えるようだった。
人妻だった彼女がまるで頼りない少女のようだ。
「ひっ、イ、イレーネ・・・様!」
侍女の悲鳴のような声でアランははっと我に返った。
「リリー、大丈夫よ。この方はここの主ですから・・・」
「えっ、王様ですか!」
リリーは再び驚いて低頭した。
イレーネは冷ややかな目で彼を見ていた。
何と破廉恥な遊びなのだろうと思ったのだ。異性に身体を夜着の上からといっても触られるなんて初めてだった。
アランも女達と戯れているのを彼女に見られて何だか体裁が悪かった。
そこへ女の一人がやって来てイレーネを見つけるなり怒り出したのだ。
「まあ――っ!私は王子の教育係りだけですって言っていたのに、やっぱり前の教育係りと同じね。貴女もやはり陛下を狙ってらっしゃるのね!ねえ〜陛下?」
アランはまさか?とイレーネを見た。確かにこんな所を夜着のままふらふらと歩いているのだから・・・
イレーネが反論しようとする前にリリーが抗議した。
主人を根も葉もない話で侮辱されては大人しい彼女も黙ってはいられなかった。
「イレーネ様は外が煩かったから眠れなくて、散歩をされていただけでございます!だから私もご一緒しておりました!それをそんな風におっしゃるなんて!」
「きゃっ、怖いわ。帝国の者は礼儀も知らないのかしら?目上の者に食って掛かるなんて。こんな侍女を連れている方の人柄も知れた者だわ。王子のご教育もどのようになさっているのかしら?ねえ――」
女は最後まで言葉が言えなかった。王が自分に向って激昂していたからだ。
「イレーネをお前ごときが侮辱するのは許さん!今から直ぐ此処を出て行くがいい!」
女は真っ青になって王にすがりついた。
「陛下!申し訳ございません!そればかりはお許しを!」
アランの瞳は多分、紫色になっているだろう。激しい怒りを放つ双眸は細められていた。
「同じ事は二度と言わん!」
「陛下!私のお腹には貴方様のお子がいるのですよ!どうか」
取りすがる女を王は払いのけて酷薄に言った。
「本当に生まれたら子だけ引き取る。だがお前はいらん!」
聞いている此方が寒気を感じるぐらいだった。
彼女はイレーネも知っている。今現在、王に一番気に入られていて子が生まれれば、妃にあがるだろうと言われていた愛妾だ。
確かにこの後宮には、妃以外に一度王の手がついた女達は沢山いる。
しかし、たったこんなやり取りであっさり切り捨てるとは―――
イレーネはごくりと唾を飲み込んだ。そして・・・
「恐れながら陛下に申し上げます。わたくしに対する配慮でございましたらどうか、お許し下さいませ。わたくしは気にいたしませんから・・・どうぞ温情をもちまして」
アランはイレーネを驚いて見た。
こんな場面は良くあった。女達で自分の勘気に触れた者を助ける者はいない。誰もが心の中でライバルが一人減ったと喜んでいるからだ。
彼女はそういう関係では無いと言っても、侮辱されたのだから怒ってもいい筈だ。
しかし此処で彼女の立場を守ってやる必要があった。この女が言ったのは後宮で大半思われている事だろう。そんな事では彼女に約束した居心地のいい居場所にはならないのだ。
「イレーネ、俺はお前が話すのを許していない。余計な事だ。お前への侮辱はお前を見込んで連れて来た俺への侮辱と同等だ。許しはしない!ふん、興がそがれたもう寝る!」
アランはそう言って、目隠しの布を風にのせて捨てた。
遠巻きに見ていた女達もパラパラと散り、目隠しと同じように捨てられた女は泣きながら去っていった。
「王様はイレーネ様を庇って下さったのですよね?」
リリーはいつの間にか肩から落ちたイレーネのストールを、肩に掛けながら言った。
それを胸元で深く合わせながらイレーネは答えた。
「そうね・・・でも・・・」
イレーネは何故だか心に何か感じるものがあったが、何と表現したらいいのか分からなかった。取り敢えず再びアランの激しい気性を垣間見たのだけは確かだった。
そしてその次の日から夜は平穏となった。あの馬鹿騒ぎが無くなったのだ。驚いた事に王が自粛しているようだった。
しかし不興を買ったあの寵妾は姿を消していた。
もちろんその経緯は後宮中に知れ渡っていたからイレーネに対して表面上は何もなく、逆に媚を売るような素振りさえあった。
イレーネは思った・・・後宮は何処も変わらないと・・・しかし前よりは遥かに良かった。自分にはやるべき仕事があり、喜びを感じることが出来るからだ。
今日もクロードとの勉強会は短いので時間を惜しむように習っていた。
場所はいつも王宮図書館で行なっている。
彼は流石に若くして首席宰相になっただけの事はあるようだ。その頭脳は素晴らしいものだったのだ。
これだけ優秀な臣下を右腕に持つ王は何もしていないのかと思ったら大間違いだった。野生的な勘ともいうような大胆な発想と決断を下す王がいて彼の腕がものを言うらしい。
クロードは自分ではとても真似出来ないと言っていた。それを裏付けるように帝国には無い制度や組織に施設など、素晴らしいと思ったものは全て彼の発案だったのだ。
イレーネはそれを聞いて驚いたものだった。
とてもあのふざけた王からは考えられないものだったからだ。
クロードも最初はイレーネが思っていた様に、彼女の資質を計っていたが合格点を出したようだった。
しかし気になるところがあった。
「ではイレーネ殿、今日は此処までにさせて頂きます」
「ありがとうございました。いつも助かりますわ」
本を片付け始めたイレーネをクロードが手を止めさせた。
「ところでイレーネ殿。その・・・先日の騙りの件はあちらには?」
クロードの怜悧な目が彼女を見た。
イレーネも何時かは聞かれるだろうとは思っていた。
両国間には政治的な問題は無く常に良好だ。
しかしイレーネは一応表向き皇后の位にあり皇帝の直ぐ間近に以前はいたのだ。国の中心人物と言っても過言では無いだろう。それが今は他国の中心に近づいているのだ。オラールにとって探られて痛いところが無くても、余り良い感じでは無いのが当たり前だろう。
「いいえ。それはわたくしからでは無くて其方からされるものでございましょう?このままにされても宜しいでしょうが、わたくしは謝罪されるべきだと思います。陛下はそれでお許しにならないような狭量な方ではございませんので・・・それよりもクロード様、貴方様の帝国での評判がわたくしは気になりますわよ」
イレーネはそう軽く言って笑った。
クロードも苦笑いしながら咳払いして答えた。
「何しろ両国間での諍いは避けたいものですから早々に結論は出します。それにイレーネ殿への文が頻繁なものですから何か問題でも?と気になった次第で」
「まあ、そうでしたか?宜しかったら内容をお見せしましょうか?他愛ない話ばかりですのよ。陛下は気を遣っているだけです。わたくしが此処で肩身の狭い思いをしないようにだと思いますわ。わたくしが元皇后でしたでしょう?此処で知っている方は少ないから宜しいのに、わたくしが追い出されて此処に来たと思われないようにだと思いますわ。何時も自分は味方だと・・・おかしいでしょう?お忙しいのに変な気を遣われて」
イレーネはそう言って再び笑った。
クロードは驚いた。
「皇帝陛下の以前から聞いていた評判とは随分違うのですね?正直驚きました」
「そうですね。陛下は変わられたと思います。ツェツィーリア出逢って・・・今までも偉大な方と思っておりましたけれど帝国でも歴史に残る名君になられるでしょうね。ですから少々の悪戯は何とも思われませんよ。クロード様も大変ですわね?お話しはそれだけでしょうか?」
「ええ、ありがとうございました。では次回に」
イレーネは楽しそうに退室して行った。
その扉が閉まるのを見計らってクロードは大きく息を吐き、書棚の裏側にいる者に声をかけた。
「もう出て来られたらいいでしょう?」
不機嫌な顔をして出て来たのは国王アランだった。
「気付いてたのか?」
「当たり前でしょう?あのように怒気を漲らせていたのですから。私はいつ貴方が出て来るかと冷々していました。立ち聞きをするなど王がするものではありません」
アランはむっとした。
「俺が先にいたんだ。そしたらお前らが来たから、ちょっとどんな事をしてるのか様子を見てただけだ!」
「そうですか。それなら聞かれたから説明しなくて宜しいですね?気にされていた皇帝陛下からの文の件は?」
「ああ」
アランはいっそう不機嫌になったようだった。
彼がクロードにその件を聞くように言っていたらしい。頻繁に来るナイジェルからの個人的な書簡が気になっていたのだ。政治的にと言うよりも単純に何故なのかと知りたかった。
その答えがあれだ!納得いかない。
(あいつも結局イレーネに未練たらたらじゃないのか?)
そう思う方が納得出来た。
それに彼女がナイジェルの事を手放しで褒めていたのも勘に障って仕方が無かった。
「陛下、それに先日の訪問の件も我が国としては――」
「うるさい!」
アランはクロードの発言を一喝して制止すると踵を返したのだった。
残されたクロードは眉間を指で押さえた。
帝国での様子を父に詰問したところ、聞くだけで青くなるような内容だったのだ。しかも父の話だと皇帝は陛下の正体を察していた様子だったとの事だった。王は隣国の皇帝と歳が変わらないせいか昔から何かと対抗心があった。周りもそういって煽っていたせいもあるが・・・話は上手く進まないだろう。
クロードは頭が痛い話だと思うのだった。
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