
魔法の呪文6

イレーネは朝からいい迷惑だった。王がずっと付いて回るからだ。
しかし王子は大喜びだから文句も言えなかった。
それにしてもアランは本当に子煩悩だった。
レミーはまた特別だったが他の子供達にも愛情は注いでいるようだ。
しかしその母親の妃達や愛妾達に愛情を注いでいるとは感じられないのは自分の気のせいだろうか?とイレーネは思っていた。愛情溢れるナイジェルとツェツィーを見ていたからかもしれない。
もちろん王は毎夜違う女達を訪れているようだった。
そういえばナイジェルもツェツィーに会う前はそうだったのを思いだした。
自分以外の女の所に通うナイジェルを憎んだものだが、彼の瞳は何時ものように冷めていた。
誰も愛してなどいなかったのだ。
(陛下は孤独だった・・・でも、わたくしは気付いてさしあげられなかった・・・)
ではこの王も孤独なのだろうか?とイレーネは思った。
大らかと言っても自分勝手で我が儘で、それでも臣下は笑って彼について行くのに?
イレーネは何時も笑い声と怒鳴り声の絶えない王宮だと思っていた。
広い王宮で豪快に響いてくるその中心は何時も彼だった。
それなのに彼は孤独なのだろうか?ナイジェルとは正反対なのに?
だがイレーネはそう感じて仕方が無かったのだ。
時間の合間にアランはレミーと遊んでいる。
レミーは本当に可愛らしく賢い子だ。
母親が早世したのは残念な事だがイレーネはその分、自分が愛情を注いでやろうと思った。
イレーネははっとした。
(王子の母親・・・正妃だったその人を陛下はずっと想われているのかもしれない・・・)
イレーネはそう思うと胸の奥がつきんと痛んだ。
そして胸に手を当てて何故?と思った。何故心が痛むのだろうか?
想いを追い出すようにイレーネは頭を振ると、ナイジェルがツェツィーリアを亡くしたと嘆いた時の様子を思い出した。
あれは見るのが辛くなるぐらい悲しみにうちひしがれていて、今でも胸が痛むようなものだった。だから愛する者を失ったらどうなるのか良くわかる。それなら彼の想いは納得出来るような気がした。
イレーネはそんな事を考えていると王子が泣きながら走って来た。
「イレーネ!父上きらい!あーんあーん・・」
「まあまあ、レミー様。どうしましたの?」
イレーネは泣いてすがってくる王子の目の高さになるように座り込んで言った。
「父上きらい!イレーネすき!あーん」
王子はそう言ってイレーネの胸の中へ飛び込んで来るので抱いてあげた。
「こらチビ!イレーネに甘えるんじゃない!」
王はつかつかと追いかけて来て二人の前で言った。それでまた王子は泣く。
「陛下、何をなさったのですか?王子をこんなに泣かせて」
アランはむっとした。
「だいたいお前が甘やかし過ぎじゃないのか?直ぐ泣くなんて!」
イレーネもむっときた。
「レミー様は泣かれる事は滅多にございません!陛下がお悪いのでしょう?」
「なんだと!」
「幼い子に大人気ないではありませんか!」
「言わせておけば!」
二人の言い合いに王子が激しく泣き出した。
イレーネははっとしてレミーをあやした。
「レミー様、叱ったのではないのですよ。大丈夫ですからね。泣きやみましょうね」
イレーネはハンカチで涙を拭いながら、優しく頬や額に接吻した。
まるで本当の親子のようだった。それ以上かもしれない。
アランは他の妃達にも見習わせたいぐらいだった。彼女らは子供の事より自分の美しさを磨いて寵を争うのに忙しいのだから。最近ではうんざりする。
(それにしてもレミーのやつ、イレーネに甘えて・・・子供とはいえ許さん!)
アランは優しくされる息子が羨ましく思ったようだった。
この国に来てからのイレーネの楽しみは他にもう一つあった。
それは刺繍だった。貴婦人の一般的な嗜みだが彼女はかなりの腕前だ。高い技術には細い指と器用さを求められるが、イレーネはそれらを持っていたのだ。
そしてこのオラール王国は刺繍に使う糸の種類が素晴らしく豊富で、創作意欲が湧くのだった。
お気に入りの店もあり週に一度通っていた。
頻繁に行っていたのは其処で教えを請われ数人の娘達に教えていたのだった。
イレーネは新しい発見だったが王子の教育もそうだが人に教えるのは好きみたいだ。それをひと目で見抜いたアランに今は感謝している。
そしてアランはやはり密かにイレーネの後をつけていた。
文も疑ったが、週に一度街へ出かけるのも疑っていたのだ。
護衛についているものから報告を受けても、自分の目で見なければ納得出来なかったのだった。
何を疑うのか?それはナイジェルとの復縁だ。
そうなったら彼女が帝国へ帰ってしまう。そうすると王子が泣くから困るのだ。
今までそう思っていた。彼女の想いを知るまでは・・・・
報告通り、彼女は大通りに面した老舗の大店に入って行った。
其処は王室でも使っている品揃えが豊富で色んな物を扱っている店だ。
客も多く、それに紛れれば容易に様子は窺えた。
店内の一角でひと際賑やかで若い娘が集まっている所があった。
その中心にイレーネがいた。報告通り刺繍を教えているようだが・・・
アランは商品を整理している店員にさり気なく話しを聞いてみることにした。
「あれは何をしている?」
「あれでございますか?お客様なのですが他のお客様に刺繍を教えて下さっています」
「教えてる?誰が?何時も?」
「ええ、さようで。ご身分の高い方だとは思うのですが、何処のどなたかは存じません。だいたい週に一度ですかね」
此処に毎週来ているのは本当みたいだ。
それにしても彼女にこんな趣味があったとは知らなかった。それにとても生き生きとしているようだ。宮廷の中で見るよりも輝いて見えた。
アランはもう十分だと帰ろうとした時、イレーネの今まで聞いた事の無い嬉しそうな声が耳に入り聞き耳を立てた。
店の主人が刺繍糸を渡している様子だった。
「素晴らしいわ!」
「さようでございましょう?苦労致しましたが、配色の配合が成功したようです。探されておられましたでしょう?お待たせ致しました」
何が?何が?と娘達も見ていた。
主人から手渡されていたのは紫色の糸だ。
「本当に!これなら全く同じ色ですわ」
「紫色ですか?ああ、前、イレーネ様が言われていた紫の瞳と同じ色とかいう?好きな方の為に刺すとか言われていたものでしょう?宝石のような紫とおっしゃっていましたものね?だけどそんな瞳の人って本当にいらっしゃるのですか?私、見てみたい!」
娘達はそうね、と言ってはしゃいで笑った。
イレーネも笑って答えた。
「本当にいらっしゃるのよ。貴女達が見たらきっとびっくりすると思うわ。それは闇夜に浮かぶ月のような方ですのよ」
娘達はきゃーと言ってイレーネをからかった。
「紫なのに月なんですか?」
イレーネは困った顔をした。
「あら?そう言えばそうね?ああ違うのよ。瞳の色じゃなくてそれぐらい手が届かないぐらい素敵という事よ」
「イレーネ様はその方がお好きなんですね?」
また、きゃーと嬌声があがった。
イレーネは手の中にある紫の糸を見つめた。
娘達が言うようにそんな想いもあったのを思い出した。それは遠い昔の事で今は良い思い出だろう。
「そうね・・・・」
と、だけイレーネは呟いてそんな事もあったわね≠ニまでは言わなかった。
彼女達の追及が続くだろうからだ。
ナイジェルの瞳の色はツェツィーリアの好きな色だった。だから彼女の為にそれを使って刺繍をするつもりだったのだ。婚礼の祝いにあげたかったがどうしても納得出来る色が手に入らなかったのだ。
ところが此処で頼んだところ今日出来上がったのだった。
しかし言葉の端々だけで繋いだアランはそう思わなかった。
それこそイレーネの持つ糸のように瞳が紫に染め上がっていた。
イレーネは今まで態度も言葉も否定もしていた。しかし、やはり今でも紫の瞳をしたあの男が好きなのだと思うと、溶かした鉄を飲み込んだように胸がたぎるようだった。
そしてイレーネを自分は欲していたのだと悟った。王子の為だとか何とか言っていたが、一番彼女を気にしていたのは自分だったのだ。
初めは単なる興味だけだったと思う。
何時も比較され続けた男の妻だった女―――
(違う!扇子を開いた音を聞いた時に・・・まるで魔法でもかけられたように魅了されていた・・・)
だからそれから目が離せず―――欲した。
もうそう思ったら二人の関係などどうでも良かった。
いつものように自分の思うようにすればいいのだ。彼女があの男の事を想っていても無視すればいい。他の男を想う女など今まで何人も手に入れてきた。結局その女達は現状に満足しているのだから彼女も同じだろう。今回は少し毛色の変わっただけの事だとアランは思ったのだった。
しかし帰城したところで待っていたのは思いがけない訃報だった。
第二王子が庭園の池で溺れて死んだというのだ。王は烈火のごとく怒った。そして目を離した乳母はもちろん仕えていた侍女をはじめ生母さえも糾弾したのだ。
イレーネも帰ってきてこれを聞き心配した。不幸な事故だが情の厚い王がどれ程、心を痛めているのだろうかと思うと自分も何故か辛くなった。彼がその子と遊んでいる姿を時々見かけたからだ。王は子供には平等にしているつもりだろうがそれでも差は出て来るようだった。一番はレミーでありそして多分今回亡くなった王子を次ぎに可愛がっていた。それはおのずと妃達の寵にも比例している感じだった。
そしてその数日経った夜、皆が寝静まった頃。
イレーネは王の事が気になって眠れず、何度も寝返りをうっていた。
この何日かの弔いの間、レミーを厄災の穢れから避ける為、部屋にこもったので王と暫く会っていなかった。どうしているのだろうか・・・と何故か胸が騒ぐのだ。
その時、寝室の扉が開く音に気が付いた。
「誰?リリー?」
夜中に何の用かとイレーネは半身起き上がった。
すると真夜中でも明るい月の光りに照らされた此処にいる筈の無い人物を見たのだ。
「まさか・・・陛下?」
寝台のすぐ側まで寄って来たのは見る影も無く憔悴しきったアランだった。彼は何も答えない。
イレーネは自分が寝ぼけて夢でも見ているのかと思った。そしてもう一度問い掛けてみた。
「陛下?どうされたのですか?」
イレーネはどうしたのかと聞いた。
いくら王でも夜中に妾でも何でも無い女性の寝室へ無断で入るなど非礼極まりない。
しかしそんな事を言うような雰囲気では無かったのだ。
それにやはり夢ではなかった。彼は覇気の無い声で答えた。
「イレーネ・・・俺は・・・」
それだけ言って辛そうに顔を歪めた。泣いてはいなかったが今にも泣きそうだった。
肩を震わせ歯を食いしばって立ち尽くしている。
本当に彼はまるで大きな子供のようだった。
でもそれは違うとイレーネは思いなおした。子供だったら大声で泣いている。
イレーネは手を差し伸べると、取り敢えず彼を寝台へ座らせる事にした。
彼は泣き場所を探していたのかもしれないと思ったのだ。
一国の王が臣下の前では泣けない。一人では辛かったのだろう。
寝床を暖める女達の前でも、王として男として君臨したいだろうからきっと弱音は吐かない。イレーネは自分が部外者で適任だと彼が考えたと思った。
「何か飲み物をお持ちしましょう」
イレーネが寝台から降りようとした時、乱暴に腕をつかまれ引き戻された。
重ねられた枕の上に身体がふわりと弾んだ。
「何処にも行かないで・・・此処にいてくれ・・・」
何時もなら命令調で言う言葉は哀願しているようだった。
そして彼の大きな体が覆いかぶさってくると、イレーネの胸に顔を埋めたのだ。
突然のその行為にイレーネの鼓動が跳ねた。
だが悲しみにうちひしがれている彼を払いのける事が出来ない。
しかし早鐘のように鳴り始めた胸の鼓動が彼に聞こえたら恥ずかしいと思った。
木々を渡る風の音が聞こえるような夜だった―――
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