
魔法の呪文8

結局、イレーネはその後、三日も寝込んでしまった。
医者を呼ぶというリリーを止めてただ身体を休めた。医者に見てもらうなんて恥ずかしくて嫌だったのだ。リリーが心配するから彼女にも何も言わず誤魔化した。
この事は誰も知らない様子で少し安堵したが、アランと会ったらどうしたら良いか分からなかった。自分自身かなり衝撃的な出来事だったが、その後、何も言ってこないところをみると彼にとっては何とも無い事だったのだろう。やはり間に合わせの手頃なものぐらいにしか思われていないかもしれない。
後宮には魅力的で美しい女達が沢山いる。彼が花園と呼ぶのもわかるような気がした。
アランはナイジェルに言ったように本当に沢山の花を愛でているのだ。
その花々に比べると自分はかなり貧相な花だ。
そう思うと悲しくなったが、あの日はアランを慰める事が出来て良かったと思っている。
三日振りに仕事に戻ろうと、王子の下へ向っていたところで、呼び止められた。
先日、王子を亡くした妃の一人だ。彼女は王の叱責を受けて近々、後宮を追われる立場となっていた。
王はナイジェルに暴言を吐いたように女を捨てない訳では無い。女達を次から次へと入れるが捨てるのも容赦無いのだ。
ナイジェルが言ったように心が無く愛でているからだろう。
昨日まで睦みあっていたものでも次の日に勘気に触れればあっさり捨てられるのだ。
今更ながらイレーネはアランが昔のナイジェルと同じく、誰も愛さない孤独な人だと実感するのだった。
呼び止めた妃を見れば、子を失ったばかりとは思えない様な煌びやかな衣装を身に纏っていた。
王を繋ぎ止めていた子供がいなくなったらどうでも良いとでも思っているのだろうか?それともまだ諦めず、王に媚を売りたいのか?彼女の評判は後宮の中では悪かった。
その女は美しく紅をひいた唇を意地悪くゆがめてイレーネに囁いた。
「あなた、上手くやったわね?あの夜は私が陛下をお慰めしようと思っていましたのに・・・興味ないと言う顔をして上手く陛下の気を惹いたのでしょう?でも、いい気にならない方が良いわよ。あなた帝国では元皇后様だったそうね?皆知っているのよ。陛下は昔から向こうの皇帝陛下に敵対心をお持ちだったの。だから分かるでしょう?興味津々で同じく味見がしたかっただけ・・・だから向こうで捨てられたあなたに陛下も固執なさらないわ。ふふふっ、でも皇帝仕込みの閨技で陛下を繋ぎ止める腕をお持ちなら別ですけれどね。私はもう此処を去らなければならないけれど、あなたはまだレミー王子がいらっしゃるから大丈夫かしら?せいぜい気を付けることね」
イレーネは血の気が引いて真っ青になった。
一人知っているなら全部、後宮中に知れ渡っているだろう。皆には向こうで捨てられた女が此処で返り咲きを狙う卑しい女と思われているのだ。以前、自分が冗談でアランに言って怒らせた通りのように・・・しかも女の言った事はこれも前に彼がナイジェルを愚弄したような内容だ。
アランは確かに言った。自分に閨教育をして皇帝の技を教えろと・・・そんなこと自分が出来る筈も無い。
だがイレーネは、はっとして更に青くなった。
彼女は何と言ったか?レミーに気を付けろと言ったのだ。
彼女の子が死んだのは池での事故だと聞いている。しかし度重なる死は呪いという不確かなものより意図的なものを感じた。
流石に今回で周りも勘づいているのだろう。しかし肝心の王は呪いを信じている様子だった。
刻印の子は誰よりも厳重に守られるから今まで隙が無かったのかもしれない。
しかし油断は出来ないのだ。
自分の名誉よりも幼い王子が大事だった。イレーネは急ぎレミーのもとへと向った。
三日振りに現れたイレーネに王子は直ぐに飛びついて来た。
何時も面倒をみている乳母や侍女は微笑ましく見守った。レミーが良く懐いて本当の親子より仲が良いと思っている。以前何人か教育係りとなった者達が来たが、出会った時から懐いたのはイレーネだけだった。他の女達はアランが言っていたのは大げさでも無かった様子だったらしい。
イレーネは優しく微笑みながら王子の頭を撫でた。
アランとそっくりな髪だ。ふと微笑みが深くなる。
「レミー様。申し訳ございませんでした。お休み致しまして」
「大じょうぶ?お熱、でてたのでしょう?」
心配する王子の言葉に誰かが反応した。誰かの影が揺れたのだ。
イレーネはふと顔を上げると其処にはアランが立っていた。
いつの間に来たのか?それとも其処に今までいたのだろうか?存在感のある彼が分からないぐらい自分は焦っていたのかもしれない。
しかし目が合ったと思ったのに彼は視線を外した。
アランは先程から其処にいた。イレーネが真っ青な顔をして現れたのを黙って見ていたのだ。
彼女は一目散にレミーに駆け寄ったので自分には気が付いていない様子だった。
イレーネが寝込んでいるとは聞いていた。ショックの余りに熱を出したのだろうか?そうに違い無い。それだけの事を自分がしたと自覚している。
彼女を気遣うレミーに、思わず自分も大丈夫かと駆け寄りたかったのを堪えたのだった。
その原因を作ったのは自分だから言える訳もない。
ブレスレットで隠しているようだったがレミーの頭を撫でる手にはあの縛めの痕がチラチラ見えた。
彼女の両手の自由を奪い犯した証拠だ。アランは胸に痛みを感じながらそれから目を逸らした。
イレーネは彼が何を思っているのか分からなかった。だが明らかに以前は無かった壁を感じた。
「イレーネ?大じょうぶ?」
イレーネははっとした。そっぽを向くアランを見つめていたのだ。
慌てて視線をレミーに戻して微笑んだ。
「大丈夫でございますよ。では王子にはわたくしがいない間、何をされていたか教えて頂きましょうか?」
レミーは瞳を輝かせて話だした。
イレーネは何故か無言で二人を見守るアランの存在を肌で感じながら王子の話に集中したのだった。
それから本当にアランの態度は目に見えて違っていた。
声をかけるどころか目さえ合わせ無いのだ。
流石にイレーネも落ち込んでしまった。期待する心は昔使いきってしまってそんな感情は湧いてこない。しかしこの切ない心はどうする事も出来なかった。ナイジェルを想って泣いた夜よりも辛いのだ。
自分の気持ちを言う事も出来ない。きっと誤解されるに違い無いからだ。
誰もが自然に思う誤解―――皇帝に捨てられた女が今度は王を狙っているというように。
それに結局、自分はナイジェルに相手もされなかった妻だと彼は知っているのだ。つまらない女だと実感したのだろう。
イレーネはツェツィーリアに嫉妬して醜い女になった事もある。そんな自分が許せなくて悲しくて何度後悔して何度泣いただろうか・・・・そして立ち直ったと思ったのにまた自分が嫌になっているのだ。
イレーネは王子が他の事をしている間の待ち時間は刺繍をする。
しかし大好きな刺繍も進まない。
この糸はナイジェルの瞳の色だが、アランの怒った時の色でもある。いつも直ぐ怒る彼に腹を立てたが彼の瞳の色が変わる瞬間が好きだった。この糸を見ているとそれを思い出して胸が熱くなってしまう。
刺しあがっている紫の花にそっと頬を寄せた。愛しい人を思い浮かべながら・・・・
その様子を紫の瞳が見ていた。それは情念の炎を燻らせていたのだ。
あの男は言った。
ただ一つでも大切な花を見つける事が出来たなら幾万の花々にも敵わない≠ニ―――
聞いた時はそんなものは馬鹿が見る幻想だと思った。
そして言われたこの喜びを知らないアラン殿のほうが気の毒だ≠ニも・・・今なら分かる。
その通りだと大きな声で言えるだろう。
他の女達が面倒になって、全てが色あせて見え出したのはいつ頃だろうか?どんな花よりも彼女だけが鮮やかな花に感じだしたのはいつ頃だっただろうか?どんな女を抱いても虚しく、それなら一人が良いと自室で眠りだしたのはいつからだったのか・・・彼女の肌の温もりを知ってからは他の女に触れることも無くなった。
未だに手に残る彼女の肌の温もりを汚したくなかったのだ。
溺れるほどの情が溢れるアランは身を焼くような激情に焦がれていた。
他の男を想い浮かべながら愛しげに紫の刺繍に頬を寄せるイレーネをただ見るしかなかった。
そして震える手を見た。それはあの夜、彼女に触れた手だ。それを思い浮かべその手の平に口づけをする・・・・呪いからイレーネを守る為、彼女の代わりに何度そうしたか・・・・
クロードは黙って王のする事を見ていたが、もう我慢の限界だった。実に彼らしく無いのだ。
こんな彼に自分は心血を注いで尽くしている訳では無いと思った。
都合良くアランが彼の執務室にふらりとやってきたのをきっかけに、とうとうその件を進言した。
「陛下、何をなさっているのですか?イレーネ殿をどうされるおつもりですか?噂はご存知でしょう?貴方が手をつけたと分かり、帝国で捨てられた皇后がこの国で王子に取り入って、王の気を惹いたがあっさり捨てられた――」
クロードは淡々と言っていたが最後まで言えなかった。
アランが怒号をあげたからだ。
振向いた顔は目がつり上がり、髪の毛も逆立っているかのように見えた。
「何だと!誰がそんな事を言っている!言っている奴を一人残らず此処に連れて来い!舌を引き抜いて首を落としてやる!」
王の狂ったように暴れていたあの日と変わらない様子に、クロードは流石に怯んでしまった。
にじり寄る彼に一歩一歩と下がる。
「ご、ご存知なかったのですか?もう後宮どころか王宮中にその話が回っております」
アランは紫色になった双眸を見開き愕然とした。
「イ、イレーネはその事を?」
「もちろんご存知だと思います。しかしあの方は誠に立派でございます。気にもされていないのでしょう。全く態度が変わらないのでございますから・・・」
アランは違う!と言って机を両拳で叩いて首をふった。
「違う!そうじゃない!そう装っているだけだ!あれは平気な顔をして嘘をつく・・・傷付き易い心にいつも呪文をかけているようだった。大丈夫だ、自分は大丈夫だと・・・向こうにいる時もそうだった。平気な振りをして薄情な元夫の前に立っていた。だいたいあの男も何を考えているのか分からん!彼女を丁重に扱えば扱う程、周りから浮いているのに気がつきもしない!イレーネは皆が崇めるような立派な貴婦人の鎧で固めて自分を守っていた。だからそれに気が付いて守ってやらないといけないのに・・・約束したのに・・・くそっ!」
アランは歯軋りをした。悔しさで噛んだ唇から血が滴っていた。
「そうです。陛下、貴方が彼女を傷付けているのです。貴方が動かれないのなら私が処理いたします。これ以上、王宮が混乱しても双方の益にはなりません。イレーネ殿を解任して帝国へ帰って頂きます」
イレーネが帰る?あの人でなしの男の下へ?
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