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鉄仮面の貴公子 7![]()
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家の近くに馬車が停まるとジョゼットは一目散に家へ飛び込んで叫んだ。
「母さん!ちび達!」
双子の弟達が母に絵本を読んでもらっていたところだった。
「ねえちゃん!」「ねえちゃん!」
「まあ、ジョゼット」
弟達は飛び上がってジョゼットのスカートにまとわりついた。
「母さん、元気そうね」
「ええ、おまえのおかげよ」
ジョゼットの働いた給金は家に届けて貰っていた。王宮の仕事だけあってかなりの高給だったから母親を医者にかからせる事が出来たのだ。
「でもどうしたの?リリアーヌ様の話しではまだ帰れそうにないと聞いていたけれど」
「そうよ。今日は少し顔を見に来ただけ。上司の監視付きでね」
「上司?」
その会話の途中でマティアスが家に入って来た。低い戸口に背の高い彼は少し屈むように室内に入って来たのだった。粗末な部屋に似つかわしく無いその姿に、やんちゃな弟達もぽかんと口を開けていた。
マティアスが再会を喜ぶジョゼットの母の近くまで来ると挨拶をした。
「はじめましてアルトー夫人。私はマティアス・ドゥ・シャブリエと申します。ジョゼットには本当に良く働いてもらって助かっております」
ジョゼットはお世辞でも良く働いて助かると言われて嬉しくなった。
母親も礼儀正しい上司を見て安心したようだ。
挨拶が済んだ後は、他愛無いお喋りをするうちに時間は過ぎた。
家族が楽しく過ごす様子をマティアスは始終無言で見守った。
ジョゼットはこんな場所に付き合ってもらって申し訳ないと思って様子を窺ったが、彼は意外と楽しんでいる様子だった。ほとんど喋らないが興味津々の弟達が纏わり付けば相手をしてくれていた。
そして時々困った顔をするのが可愛いと思ってしまった。
「もう帰らないとね。明日も早いし」
「ねえちゃん、もう帰るのか?」「いやだよー」
弟達が別れを惜しんで泣き出した。
「泣かないの!男の子でしょ?それに今度来る時はお土産を買ってきてあげるわよ」
それを聞いた弟達はぴたっと泣き止んだ。弟達の扱いはお手のものだ。
「じゃあ、母さん、父さんには会えなかったけど宜しく伝えてね」
「ええ、あなたも元気でね。ブリスも会いたかったでしょうね?今日来ると分かっていたら飛んで来たでしょうけど・・」
「ブリスかぁ〜そうかもね。今度会ったら彼にも私は元気だって言っててね」
「はいはい言っておきますよ」
マティアスは聞きなれない男の名前に気を止めた。
「ブリスとは?」
「この子の幼馴染で許婚みたいなものです」
「母さん!私たちそんな約束して無いわよ!」
ジョゼットが頬を染めて言った。
「また、そんなこと言って。暇さえあれば一緒にいるじゃない。嫌いだとは言わせないわよ」
「母さん!」
ジョゼットは真っ赤になっている。
マティアスは親子の会話を遠くで聞いているような感覚に襲われていた。
(ジョゼの好きな男?許婚?)
別に珍しい話では無い。ジョゼットは子供っぽいといっても妙齢なのだからそういう相手がいてもおかしくないのだ。マティアスにもほとんど口をきいたことも無い許婚はいる。
それなのに納得しない自分がいたのだ。
そして何故か身体中の神経が悲鳴をあげてささくれ立つようだった。
帰り道の馬車の中は重苦しい沈黙が立ちこめていた。
ジョゼットは何故マティアスが急に不機嫌になったのか分からなく戸惑ってしまった。さっきまで上機嫌だと思っていたのに・・・今は鉄仮面というよりももっと冷たい氷の仮面のようなのだ。
そしてそれは次の日もそれは融けることが無かった。
資料室は魔の――≠ナは無く永久凍土の資料室≠ニ名を変えそうだった。
しんと静まり返った室内は話し声一つしない。マティアスが話さないからだ。そして始終無言で指示をするのだ。言わなくても分かるだろうとその瞳は語っていた。
話しかけるのを許可されたジョゼットでさえも声をかける勇気が無かったぐらいだ。
そういう日が続く中、独身者でジョゼットと同じように王宮に寝泊りをしている者達で、仕事が終わってから集まろうという話が持ち上がった。
仕事が一段落したから食堂で騒ぎたいらしい。それに他の部署の連中も便乗するとか・・・ジョゼットも当然誘われていた。
しかしその日に限ってマティアスが彼女を名指しして居残りを命じたのだ。
それは久し振りに聞く彼の声だった。
「ジョゼ、私が代わってあげよう」
今日の集まりを知っている妻帯者がこっそり言った。
彼女が楽しみにしていた会に参加させてやろうと思ったようだ。
それを耳にしたマティアスはその部下に冷ややかな視線を向けた。
「ジョゼットにと言いましたが聞こえなかったのでしょうか?」
聞こえていると思わなかった部下が驚いて飛び上がった。
「い、いえ・・・申し訳ございません」
残業は言われた事を終わらせればいいのだ。だから誰がしてもいいと思っていたのだが、彼にはそれが通じなかったようだ。
しかも皆が帰った後もマティアスは残っていた。
広い資料室にジョゼットとマティアスの二人だけになってしまった。
そこへお気楽なジェラールが久し振りにやって来た。
ジョゼットは本当にこの王子はちゃんと仕事をしているのかと思ってしまう。いつもふらふらしているからだ。それにいい加減な王子が堅物のマティアスと仲がいいのも不思議だった。
だから王子はマティアスの様子がおかしいのも直ぐ気が付いたようだった。
「マティアス、いったいどうしたんだ?」
「別に何もございません」
「何もないという感じじゃないだろう?」
マティアスは厄介なと思った。ジェラールがこう言い出したら納得するまで聞くだろう。
だが何が?≠ニいう問いに答えられる答えが、自分でも分からないのだから仕方が無いのだ。
今もこんなことをする自分が信じられないと思っていたところだ。
今日の集まりは事前にしっていた。もちろんジョゼットが誘われていることも・・・それを邪魔したのだ。
黙秘するマティアスから聞き出すのを諦めたのかジェラールはジョゼットに話しかけた。
「ジョゼは居残り?相変わらずこき使われているんだなぁ〜かわいそうに。今日なんか、お楽しみ会があたんじゃなかった?」
「えっ!王子ご存知なんですか?」
「もちろん。王宮の出来事はこれでも把握しているからね。時々やっているみたいだけどいつも賑やかで私も参加したいぐらいだよ」
「あれは賑やかという上品なものではありません」
ジェラールが意地悪そうにマティアスを見た。
「あれ?やっぱり知っていたんだ。今日の会のこと――で、ジョゼに意地悪しているんだ」
「えっ?意地悪って?」
「居残りさせてジョゼを行かせないようにしているんだろう?なあ、マティアス?」
「・・・・・・・・」
「そんな・・・酷い・・・」
「そうそう酷いよね。ジョゼがかわいそうだなぁ〜」
マティアスは愉快そうな顔をしているジェラールの肩を捕らえると、有無を言わさず隣室の小部屋に連れ込んだ。
「王子!色々言うのは止めて下さい!」
「怒ってる?珍しいな。まあ最近では珍しくも無いらしいけど・・・天変地異が起きるとか、妖魔の大群が襲ってくるとか言われているそうじゃないか。愉快、愉快」
マティアスは黙った。しかしジェラールはその話題を止めるつもりは無いらしい。
「ところでジョゼを行かせなかった理由は・・・あの男ばかりの馬鹿騒ぎで彼女に何かあったらいけないと思う保護者的思い?それとも彼女に言い寄るであろう男達に嫉妬した独占欲?」
マティアスはジェラールが何でも、恋や愛に結び付けたがる性分だということを十分知っている。
だから黙秘して何も答えなかった―――
自分でも消化しきれていない感情をかき回されたくなかったからだ。
それから特に変化の無いまま時間だけが過ぎていた。
ジョゼットは居残りの件は女の子が、男ばかりの酒盛りに参加するのは危ないと思ったからそうしたんだよ、と王子が弁解していた。
それをした肝心の本人は何も言ってくれない。子供扱いされているようで腹が立った。
ジョゼットはムカムカしながら、相変わらず氷の仮面のようなマティアスの前に立っていた。
仕事の指示を待っていたのだ。
その時、彼の机の端に私物の手紙が目に入った。
無造作に開いていたその手紙は、動いたマティアスの袖に触れて下へ落ちた。
ジョゼットはあっと思いそれを拾ったが、ついその文章を見てしまった。暗記能力はそれこそ一瞬見るだけで覚えてしまうので、読むつもりは無くても目に入れば読んでしまうのだ。だからその能力が疎まれる事も度々あった。
その手紙に綴られた文章はマティアスの婚儀の詳細だった。
普通なら見なかった振りをしてやり過ごすのだが、思わずそれを口にしてしまった。
「閣下・・・ご結婚されるのですか?」
マティアスは彼女が拾った手紙をチラリと見た。それは新しく就任した大神官からのものだった。
「ええ。そうみたいですね」
「そうみたいって・・・まるで人事みたいなんですね?」
「昔から決められていた事ですし、神殿も落ち着いたという事でしょう。そろそろ本格的に話しを進めているようですね。私にとって仕事に支障がなければどうでもいい事です」
ジョゼットは自分の結婚をどうでもいいと言っているマティアスが信じられなかった。
彼は本当に仕事以外無関心なのだ。そう思うと自分の事も仕事に役立つから気にかけてくれているだけだと思ってしまう・・・・これが終われば思い出しもしない存在になりそうな気がして来た。
だからマティアスから少しでも違う言葉を聞きたくて問い続けた。
「閣下はご結婚相手の方を愛しておいでですか?」
「愛?ジェラール王子は大いに推奨しますけれど・・・私自身それを必要と思った事はありません。でも主君が妃は一人だけだと言っていますから、私も一人だけにするつもりです。だから大切にはするつもりです――あなたもブリスと近々なのでしょう?私の事より自分達の将来を考えたらいい・・・」
マティアスはいつものように淡々と言っていたが最後の方は低く更に冷たかった。
「閣下は寂しい方ですね!そんな方に祝福されたら嫌なので言いますけれど、私とブリスはそんな仲ではありません!彼とは気の合う友達というだけだし、ブリスはちゃんと好きな子がいます。母が一人で盛り上がっているだけなんです!だから私の心配は無用です!」
ジョゼットは腹が立ってマティアスに食ってかかると、次の仕事を彼の手からもぎ取るように奪い自分の持ち場に戻って行った。
マティアスはその態度に唖然としたが心は浮き立つものを感じていた。
そしてその時から永久凍土の氷が融けたようだった。しかし逆に太陽に向って咲く向日葵のようだったジョゼットが笑わなくなってしまった。
資料室は一難去って又一難という感じだった。