手に負えない妖魔が現れたら直ぐに自分を呼ぶようにとベッケラートに念押しした皇子は皇子宮へと向っていた。広い城内を馬車にも馬にも乗らず散策を楽しむかのようにゆっくりと歩いての帰途だ。
しかし皇子宮へと続く道が遥かに遠く感じるような重苦しい道のりだった。
無言で付き添っていたジークは堪らず皇子に話しかけてしまった。

「皇子、この度はおめでとうございます。花嫁候補がお決まりになられていたとは知らずお祝が遅れて申し訳ございませんでした」
ジークの抑揚の無い声が静かな辺りに響くと先を行くローラントが、ぴたりと足を止めた。
「その話はするな!不愉快だ!」
振向く事無く吐き捨てるように皇子が答えた。

ジークが着任早々、皇子と大神官がこの話題で揉めていたのは記憶に新しいものだ。その時の皇子を気の毒に思った・・・しかし不愉快だと言った皇子のその言葉にジークの女の部分が癇に障った。
皇子の気持ちも分かるが結婚は一人でするものでは無いのだ。ジークは黙っていられなくなってしまった。不機嫌な皇子を更に煽ると思っても言わずにはいられない。

「皇子がそういうお気持ちですと花嫁候補になった方々はお可哀想です」
「可哀想?確かにそうだろう」
皇子が勢い良く振向いた。
その返答も意外だったが皇子の顔は、ぞっとするような冷たい笑みを浮かべていた。

「候補に選ばれたら栄誉なことだ。家は光栄だと喜び本人達はその気が無くてもどうすることも出来ない。これを無視すれば一族諸共この国で生きては行けないからだ。そして私の花嫁になると言うことはこの私の子種を受ける為の道具になるという事だ。知っているだろう?私の一番大事な役目を。私の内に流れる冥神の血を次代へと繋げるというものだ。私はその為の道具に心などかけない。しかし彼女達は栄誉栄華思いのままだ。くっくく・・・お互いの利害関係は一致すると言うことだ」
ジークはこの皇子の冷めた結婚観に憤りを覚えた。それに皇子は元々女性蔑視の傾向がある。今までの女性の付き合い方を見てもこの言い方を聞いてもそうだが、女は性欲処理か子供を産むだけの存在としか思っていない感じだ。ジークは隠していても女だからそんな皇子の考えには付いて行けなかった。

「皇子、結婚と言うのは神聖なものです。神の前で生涯を誓い合うのです。利害関係と一緒にしないで下さい」
「そう、何度も何人とでも誓う神聖なものと言う訳だ」
確かに身分が高い程、妻の数も多い。昔は権力の象徴とも呼ばれ数多くの女達を囲った時代もあったぐらいだ。今はその時代程では無いが世継ぎを生んだ正妻の他に数人の妻達に愛妾と呼ばれる者達などを連ねる場合が多い。貴族達はその昔ながらの権力の誇示と道楽のようなものだが皇族となれば血脈の存続の為に必要なものだった。
ローラントの両親もその因習に逆らえず犠牲となって無駄な時間を過ごしてしまった。
それにダマーが言ったように義務を果たした後は好きな女と何をしようが良いという訳だが、血統の良い子を残せと煩いに違いない。
皇子とジークのこの余りにも違う環境と価値観はどうしてもすれ違うしか無かった。

「―――どのような理由にしても私は結婚する相手は一人しか考えられません。だから皇子その考えは分かりかねます。ご不快に思われたかと思いますが申し訳ございません」
そう言ってこの場を収めたジークを皇子が無言で見つめた。ローラントには無い価値観に心が騒いだ。何か自分が見落としているような感じ・・・
穏やかな水面に一石が投じられ波紋が広がるような落ち着かない気分だった。


「ジーク、さっきのは不味かったな・・・」
「どうして?」
皇子の護衛を夜勤と交替したアルベルトは帰り仕度をしているジークに話しかけた。

「皇子は皇子だろう?俺達とは違う。俺達だって庶民から比べればしがらみは多い。俺達貴族でも家の関係で良く知らない者と結婚するのは当たり前だろう?それがジークの親御さんのように上手く行く場合もあるし、俺の両親のように上手くいかない夫婦だっている。色々あるのだから自分の価値観だけで非難するのはどうかと思うよ」
「・・・・・・それは分かっている。でも皇子が最初から努力しようとしないから腹がたったんだ。義務で結婚しなければならなくても努力はするべきだろう?それを最初から気にかける事が無いとか言われたら・・・もし私だったら嫌な気分になる・・・上手く言えないけど・・・」
アルベルトはジークがもし自分だったらと言う言葉にドキリとした。
皇子の花嫁候補として却下されている家柄のジークだが何故か嫌な予感がしてしまったのだ。
皇子の彼女に対する執着が女性としてのものでは無いと思ったのだが・・・急に不安になってしまった。

「そ、そ、そうだな。エルナなんか怒りまくるだろうな」
「エルナ?前もそんな話しがあったと聞いていたが・・・彼女が皇子の花嫁候補なのか?もしかして・・・アルベルトの口外出来ないと言っていたのは皇子の花嫁候補のことだったのか?」
「う、うん・・・まあ・・・な。ほらっ、俺は皇子派の親玉ドレーゼ公爵家と親戚だから候補者達に関係が無いか正式に公表する前に聞きたかったらしい」
「そうか・・・」
アルベルトは苦しい言い訳をしたが、ジークはそれよりもエルナが候補だと言うことに気持ちが何だか重くなった。

(エルナと皇子か・・・)
奔放なエルナは皇子を特別な目で見ない。それは皇子の心を捉えるかもしれないとジークは思った。
そう思うと気分が沈んでしまう・・・でもそれが何故なのかジークは分からない。

「皇子はどう思っているのだろうか?」
「何が?」
「エルナの事・・・」
「う〜ん。家柄は申し分なくて皇帝の信任厚い近衛隊長の妹というのもかなり決め手かなぁ〜今までは女神官だったから候補から外されてたけれど流石に難航したのか還俗までさせられたエルナは今回ばかりは逃れられないだろうし・・・皇子がどうこう言う前に彼女自身かなり嫌がっているだろうけど。あいつの憤慨した様子が目に浮かぶよ。はははっ」
アルベルトのエルナに対する親しい言い方にジークは疑問を感じた。

「アルベルト、エルナと親しかったのか?」
アルベルトはジークの秘密に気を遣っていたのか自分の親しい者を彼女に紹介することは無かった。
だからアルベルトの交友関係を殆ど知らないが・・・

じっと自分を見るジークにアルベルトは、しまったと言うような顔をした。

「えっと・・・その・・・俺たち以前ちょっとつきあっていて・・・」
「つきあう?」
ぼやかしたような言い方ではジークを納得させることは出来ないようだ。
アルベルトはこういう話題を彼女にしたくなかった。思えば昔からそうかもしれない・・・

「えっと・・・つまり・・・恋人だった」
「エルナとアルベルトが!」
滅多に驚かないジークでも今回は驚いてしまった。昔から二人のことは良く知っているがそんな素振りを見た事が無かったからだ。

「む、昔の話しだよ。ほんのちょっとだけ・・・それに皇子の花嫁候補になりそうだと聞いた途端、エルナは俺をあっさり捨てて神殿に逃げ込んだし・・・」
「いつの間に・・・知らなかった・・・アルベルトとエルナがなんて・・・」
「だ、だから、昔の話しだって!今は全く関係無いし・・・エルナはもう皇子の花嫁候補に決定したんだからどうこう出来るものでも無いんだからな」
「身を引くのか?諦めて?」
「えっ?どうしてそんな話になるんだ?俺とエルナはもう恋人同士でも何でも無いって言っているだろう。いずれにしたって皇子と張り合うなんて考えられない」
「皇子との話しが無ければずっと恋人同士だったと思うか?」
「さあ・・・どうだろう。でもそうだな・・・続いていたかもな」
ジークは話を聞けば聞くだけ憂鬱な気分になって来た。親しい二人の過去の秘密を知ったと言うよりも皇子とエルナの絶対的な関係を実感したようだった。恋人同士でも簡単に別れさせることの出来るもの・・・感覚的にまだぼんやりとしていた皇子の結婚という現実がはっきりとした輪郭を描き出したのだ。

「皇子は・・・エルナを気に入るだろうか?」
ジークは言い方を変えてアルベルトに聞いた。
皇子がエルナをどう思っているか?では無く、彼女を気に入るかと・・・

「う〜ん・・・微妙かな・・・エルナは自己主張が強いからな・・・俺自身、振り回され大変だったけどそこが良いと言うか・・・それが可愛いと言うか・・・でも皇子のご気性からするとどうかな?とは思うけど・・・う〜んでも意外と合うかも?エルナなら皇子だろうと何だろうとお構い無しだろうから皇子には新鮮かもしれない」
アルベルトはそう言い終わった後、ふと思った。

(そう言えば・・・ジークも似てないか?)
アルベルトは最初ハラハラしていたものだが飾らない言葉で真っ直ぐな意見を言うジークを皇子は気に入った。アルベルトは再び嫌な予感のようなものが沸きあがってきた。し
かし、この予感が仮に当たったとしてもそれは不幸な事だ。皇子がジークを強く望んでも彼女は家柄の関係で何番目か後の妃にしかなれないのだ。数多い妃の一人でも一般的にとても名誉なことかも知れ無いが、庶民的な結婚観を持つジークには考えられないものだろう。
「・・・そうか・・・やっぱりな・・・それでエルナ以外の候補は誰?」
ジークはついそう聞いてしまった。
以前なら気に留めない話題だっただろう。しかし今はとても気になったのだ。

「アイゲル侯爵のエリー嬢とドルン伯爵のモニカ嬢だよ。しかしエリー嬢の母親はもともと平民の出らしいしモニカ嬢はまだ十二歳だ。両家共に政治的な力が無いのが利点だと言うだけで、はっきり言ってエルナが最有力候補さ。政治的な思惑を視野に入れつつ血筋を重んずる・・・神殿側も苦肉の策と言う訳だ。皇子に選択を任せたと言ってもエルナを選ばせるようにした感じかな?でもまあ選ぶと言っても順番をだけどな」
「順番?」
「そうだよ。候補と言っても実質みんな妃になるんだ。今は候補にも困る状態らしい。だから皇位継承者を産む一番目の花嫁を選ぶ感じさ。選ばれる方は一番目と二番目では雲泥の差だけど皇子のことだからそんなに関心は無いだろうな」
「―――じゃあ何故すぐに決めないんだろう?」
「そう言えばそうだな・・・」
アルベルトはジークに指摘されるまで気がつかなかったことに驚いた。どうでも良いと思っているのなら後回しにする必要は無い。

(やっぱり・・・ジークに恋愛感情でもあるのだろうか?)
アルベルトは一瞬そう思ったが違うと直ぐに否定した。

(皇子はあくまでも主従関係を維持しようとしている。それならジークに対する恋愛感情は無い筈だ・・・たぶん・・・)
嫌な予感をアルベルトは心の奥に押し込めた。
もし皇子が気付いていないのなら気付かせてはならないものだ。

(ジークは俺が守る・・・絶対に)
アルベルトはそう心に誓った。

「アルベルト、どうした?難しい顔をして」
「何でもないさ。さあ帰ってゆっくり休もう。明日、花嫁の件が公布されれば皇子の周りは煩くなるから大変だろうし」
「公布か・・・」
心なしか沈んだ様子でジークが呟いたが、アルベルトには聞き取れなかった。

「今、何って言った?」
「何でも無い。さあ帰ろう」
「??ああ」
何となく誤魔化された感じだったが二人はそれぞれの思いを胸に帰途についたのだった。


 翌日、公布と共に皇城へ花嫁候補三人が呼び出され顔合わせが行なわれた。
皇宮内の広い謁見場には居並ぶだろうと思われた重臣達の姿は無く皇帝とローラント皇子と、その護衛官達に正装した花嫁候補三人のみだった。
もちろん大神官ダマーが嬉々としてその場を取り仕切っていたが居心地の悪い空気が立ち込めていた。その原因はもちろんローラントだった。神々しいまでの美貌がまるで氷像のように凍った表情をして冷たく微笑んでいるのだ。それは声に出さなくても強い拒絶を感じる。

(皇子・・・)
ジークはローラントのそんな横顔を見て不安な気持ちが湧いてきた。
そして花嫁候補達に視線を向けた。エルナは諦めの境地なのか無表情だ。アルベルトが言ったように流石に今回は抵抗出来なかったのだろう。
幼いモニカ嬢は涙ぐんで今にも泣きそうに震えている。
そして微笑みながら真っ直ぐ皇子を見上げているのはエリー嬢だった。身近に居るジーク達でも怯んでしまいそうな皇子の不機嫌な様子に怖気ついていない。母親の身分が低いとは言ってもまるで皇族のように気高く美しい・・・エルナが本命と目されていたがそう言えない感じだ。
アルベルトもそう感じているのか少し驚いた顔をして彼女に見入っていた。

短い顔見せが終わった途端、皇子は、さっさとその場を後にしようとした。

「これ、ローラント。そなたの花嫁達に声をかけてやらぬか。まだ一言も喋っていないではないか。会話をしなければ何も進まぬぞ」
皇帝の忠告にローラントは足を止めた。

「くすっ、会話?必要ないでしょう。ああそうだ。これで十分」
くるりと方向転換したローラントは花嫁達の前に進むと先ずはエルナを強引に引き寄せ無理矢理に口づけをした。

「んっ・・・ぅぅ」
驚いたエルナは手を振り上げたが流石にそれを下す事はしなかった。
唇を解いたローラントは冷たく微笑んで彼女を見下した。

「どうした?叩かないのか?花嫁殿?ははっ」
そして次にまだ子供のようなモニカを引き寄せ口づける。幼いモニカはとうとう泣き出してしまった。

「ローラント!何をしている。止めなさい!」
「父上、何故怒っているのですか?私の花嫁でしょう?今するのも後でするのも一緒。何故怒るのか理解出来ませんね」
嗤いながら答えたローラントがジークと目が合ってしまった。
相変わらず無表情に近いジークが、じっとローラントを見ている。その彼女の変わらない様子に朝から最悪の気分がもっと最悪になってきた。苛々が増すばかりだ。
残りのエリーを抱き寄せ口づけた。ジークを振向かせることだけに集中したいのに周りが煩いのだ。
ふて腐れた女に子供や上品ぶった女を並べられてうんざりだった。しかもジークが言っていた結婚する人は一人だけだという言葉がまるで逆のローラントを責めているように思えてきたのだ。
だからこの女達は只の道具だとジークに見せつけようと思った。

(この女達は道具だ!ジーク、お前とは違う!)
噛み付くように口づけた唇を解いたローラントは彼女達から移った口紅を手の甲でぬぐった。
綺麗な皇子の手に鮮やかな紅が移っていく―――
ジークはその様子を、じっと見ていた。以前、見た皇子の情事の時には何とも感じなかったが今日は不快な気分だった。でもそれは皇子の彼女達への無体な態度に腹が立っているのだろうと思った。
自由奔放なエルナに首輪をかけて大人しくさせ、いたいけな子供を怯えさせ、上品な令嬢に娼婦のような扱いをする皇子に腹が立った。
泣きじゃくるモニカの声が響いている。ジークは役目を忘れて駆け寄った。

「さあ、お屋敷に戻りましょう。私が馬車までご案内します」
「・・・ぅひっく、か、帰ってもいいのかしら?ぅっ・・ひっく・・・」
モニカが恐々と皇子を見上げて様子を窺った。その皇子の視線が、じろりと動きモニカが、びくっと肩を揺らしてジークの影に隠れた。

「皇子、ご令嬢が御前を失礼しても宜しいですよね?」
ジークは皇子に背を向けたまま静かに言った。
皇子は是とも否とも言わないがジークは返事を待たずモニカの手を引いてその場を後にした。
その後ろ姿をローラントは憤りながら見送った。彼女を振向かせるどころか失望させた感じだ。
ローラントには何が悪かったのかが分からなかった。

(ジーク・・・ジークリンデ・・・)
ローラントは心の中で切なく彼女の名を呼んだ。

(お前をこの手に抱き本当の名前を呼ぶ日が来るのだろうか?)



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