ローラントは駆け出した。そして彼女に手を伸ばし口を塞いだ。

「ひっ・・・」
「私は怪しい者では無い。声を上げないでくれ」
横顔を見てジークと思ったローラントだったが、彼女が振向くと直ぐにジークでは無い事が分かった。双子の姉妹シャルロッテだろう。姿形は鏡に映したように良く似ているが雰囲気が全く違う。

「私は――!」
ローラントは自分の身分を名乗ろうとしたがシャルロッテが真っ青になって気を失ってしまった。
そこへ目的だったジークが姿を現した。

「シャルロッテ、天気は良くても風は冷たいのだか・・・なっ!皇子!」
「ジーク!彼女が気を失ってしまって」
ジークは皇子がシャルロッテを抱いているのを見た。娘らしい格好をしたシャルロッテが、ぐったりと皇子の胸に身体を預けている姿にジークの胸がまた、ちくりとした。

「・・・シャルロッテ、シャル!しっかり!シャルロッテ!」
ジークは皇子が何故此処にいるのかを追求する前にシャルロッテの頬を軽く叩き身体を揺さぶった。

「・・・・・・う・・んん。あっ!ジーク!大変よ、怪しい人が今・・・きゃあ!」
シャルロッテは間近にローラントの顔を見て驚き、直ぐ隣に居たジークの胸に飛びついた。そしてガタガタ震えた。

「シャルロッテ、このお方はローラント皇子だ。怪しい人物ではない」
「えっ?皇子?そんな・・・」
毅然としたジークにしがみ付いて震えるシャルロッテ。ローラントはその様子に思わず微笑んだ。

(ジークがあんな感じに私にしがみ付いてくれたら嬉しいが・・・)
女姿のジークを思い描いてしまう。
その皇子の微笑みにジークの胸が高鳴りそして直ぐに、ずきりと痛んだ。皇子はシャルロッテに微笑んだのだ。

「驚かせるつもりは無かった。許してくれ。ジークに双子の姉がいると聞いてはいたが本当に良く似ていて美しい・・・」
「そ、そんな・・・美しいだなんて。ローラント皇子様こそ冥神のように麗しくて――」
「シャルロッテ!」
「何?ジーク?」
頬を染めて答えたシャルロッテの言葉を遮った。
皇子は冥神の名を出して称えられるのを最も嫌うのだ。

「シャルロッテ、いいから黙って。皇子、申し訳ございません」
「冥神か・・・そんなに私は似ているか?」
「ええ。とても。大神殿の壁画から抜け出られたかのようです」
「シャルロッテ!」
ローラントは以前、冥神より綺麗だから似ていないと言い放ったジークを思い出し、また微笑んだ。

「皇子・・・」
(冥神の話題に癇癪を起こさない?どうして?)
しかも滅多に見られない皇子の微笑みが何度もシャルロッテに向けられる。
話し方も雰囲気もいつもと違っていた。穏やかで優しい・・・それは何処かで見た事があった。

(あ・・・皇后陛下と会話をしていた時の皇子だ・・・)
それにシャルロッテも珍しく受け答えをしている。普段から臆病で人見知りが激しく病的に神経過敏の彼女が嬉しそうに皇子の相手をしているのだ。

(なんだろう?この・・もやもやとした感じは?)
食べ合わせが悪かった時のように胃がムカムカして気分が悪かった。
しかしジークは、はっと我に返った。

「皇子!どうして此処に?アルベルトは?まさかまた撒いて来たのですか!」
ローラントは、ちらりとジークを見た。期待はしていなかったが男装のままだ。流石に近衛の制服は着ていないので薄着だが、微妙に胸があるのか無いのか分からない感じだ。
そして包帯をしている右手に視線を落とした。

「傷は?」
「私の傷よりも、皇子、ご返答下さい。黙って出て来られたのですか?」
「それが悪化したのかと思った・・・」
「ですから私のことは―――まさか・・・私が休んだからでございますか?」
ローラントは、すっと視線を彼方へ向けた。答えたく無い時に見せる仕草だ。
ジークはシャルロッテに皇子の居場所をアルベルトに伝えるようにと使いの手配を頼んだ。

「皇子、あれほどお一人で行動なさいませんようにとお願いしましたでしょう?」
「・・・・・・どうして今日は休んだ?」
「皇子、私の話しを――」
「どうしてだと私が聞いている」
ローラントの月光のような瞳がジークを覗き込んだ。
皇子が何を考えているのかは分からない。機嫌が良い訳でもないし、悪い訳でもないようだ。
不思議な色を湛えた瞳はジークの言いたかった言葉を奪ってしまった。
そしてまるでそれに操られるかのように皇子の問いに答え始めた。

「―――傷が思ったよりも悪く・・・護衛官として役に立てませんので・・・それに血の臭いは妖魔を誘うので休みを頂戴いたしました」
「それだけでは無いだろう?私に会いたく無かったのだろう?」
ジークは、はっとして話しながら彷徨っていた視線を皇子に向けた。

「そうだろう?ジーク」
「い、いえ・・・ちが」
「違わない。何をそんなに怒っている?何が気に入らない?言いたいことがあるのなら何時ものように、はっきりと言えばいい。どうして言わない?」
ジークは言わないのでは無い。自分でも分からないから言えないのだ。それにオイゲンとの問題も皇子には言えない。傷よりも精神的な理由で休んだのだ。こんな気持ちでは仕事が出来ないからだ。
気持ちの乱れは剣を鈍らせる。それは皇子の身を危険にするのと一緒だ。しかし皇子自らがこんなことをされては元も子もない。

ジークが口を開きかけた時、大きな奇声が空から降って来た。耳障りな声を発するのは曲がった羽を持った妖魔だった。

「妖魔!皇子!」
ジークは直ぐに腰に手を伸ばした。

「しまった!剣は屋敷の中だった!皇子、屋敷の中へ――お、皇子!」
ローラントはジークの前に出て背中に庇った。

「皇子、何をなさいますか!私が時間を稼ぎますから!皇子!」
最近の皇子は聖剣を帯刀している。それでもそれを真に使う時は呪を唱える間完全に無防備になってしまうのだ。ジークはそれを十分分かっている。皇子は前線で戦うものでは無い。後方にて最大限の力を発揮することが出来るのだ。

「皇子、なりません!」
ローラントは聖剣を鞘から抜き構えていた。呪を唱える時は捧げ待つ。

(皇子は聖剣を普通の剣のように使うつもりだ!)
ジークの予想通りに飛んで上から攻撃して来る妖魔を聖剣で切りつけていた。
力を
発動させていない聖剣は只切れ味の良い剣にしか過ぎない。だから切りつけても傷は再生し妖魔を滅することは困難だ。
「ジーク!お前こそ屋敷の中へ行け!」
「出来ません!」
「行け!命令だ!」
「命令でも行きません!この身に代えましても妖魔を引き付けることは出来ます!」
ジークならやりかねないとローラントは思った。素手でも妖魔を押さえ時間を稼ぐだろう。そうなればあんな腕の傷どころではない。命さえ危なくなる。

「勝手な真似はするな!」
ローラントは今にも飛び出しそうなジークに当て身をした。遠のく意識の中で皇子が妖魔を串刺しにして地面に聖剣を突き立てているのが見えた。
そして耳には不思議な旋律の開放の呪文が聞こえた―――

力を解放してしまえば妖魔が大挙して来ようと問題ではない。
瞬く間に妖魔は聖剣の前に斃れてしまった。
屋敷の者達も騒ぎに気が付いて出て来るだろう。
ローラントは気を失っているジークを抱き上げた。そして近くの彫像の足もとに背を預けて座り込んだ。腕の中でジークが静かに眠っている。

「・・・・・・少しだけなら・・・」
そんな言い訳をしながらローラントは少し開いたジークの唇に、そっと口づけを落とした。
胸が高鳴り鼓動が跳ね上がる・・・こんなに気持ちが昂ぶるのは初めてかもしれない・・・
いつも凛と引き結んでいるジークの唇はほんのり温かく柔らかだった。
そして上下する胸にそっと触れる。柔らかで弾むような感触が手に伝わって来た―――
ローラントはまだ少し疑っていたがジークが女だと言う事を確かめることが出来た。

「ジークリンデ・・・」
ローラントは誰にも聞こえないように・・・ジーク本人にも聞こえないような小声で囁きかけた。
そして、深い溜息をついた後、そっとジークを彫刻にもたれかけさせると自分の着ていた外套を脱ぎ彼女に掛けた。ほんのひと時の夢は終わった―――
庭先に人の気配がしだしたのだ。

「皇子――っ!」
アルベルトの声が聞こえて来た。

(アルベルトか・・・早いな)
ローラントは何も無かったかのように、すっと立ち上がるとジークの側を離れた。
「此処だ、アルベルト!」
「あっ!皇子、ご無事ですか?妖魔が現れたと門前で聞きましたが・・・えっ!ジーク!」
アルベルトは、ぐったりと彫刻にもたれかかっている友が目に入り声を上げた。

「大丈夫だ。素手で立ち向かおうとしたから私が当て身をして大人しくさせただけだ」
「そ、そうですか。ジークなら無茶を承知でしますから。止めて下さってありがとうございました」
アルベルトから礼を言われた皇子は少し、むっとした。まるでジークがアルベルトのもののような言い方だからだ。

「お前は・・・嫌、いい。それよりもアルベルト、直ぐにベッケラートに連絡しろ。今回は空を飛んでいた。あんなものが帝都に飛来したら厄介では済まされない。厳戒態勢を至急整えさせよ!」
「はい、直ちに!」
その時、ジークは、うっすらと意識が戻って来た。

(アルベルトと皇子?)
皇子がアルベルトに何か指示を出しているようだった。

(――空を飛ぶ?・・・)
ジークは、はっと我に返り完全に覚醒した。そして立ち上がろうとした時に自分の身体に掛けてあった外套がずり落ちた。

「えっ?これは誰の・・・」
ジークは再び、はっとした。もちろん覚えのあるものだ。それはついさっき見たもの・・・目の前に広がったものだ。ジークを背中に庇った皇子が着ていた―――

屋内からシャルロッテを呼びに出ただけのジークは薄着のままだった。肌寒い外気から身を守るように掛けられた外套は暖かかった。
ジークは急に寒くなった肩を震わせてそのずり落ちた外套を握りしめた。

(庇われた挙げ句にこんな気を使わせてしまった・・・護衛官失格だ・・・)
ジークは自分が情けなくて仕方がなかった。何もかも中途半端だと思った。どんな男よりも強くなりたいと思ったが理想には遠く力が及ばず、かと言ってシャルロッテのように女らしい事は全く出来ない。男になりたかった訳でも無いが憧れていた。弱かった自分を解放してくれるものと信じていたのだ。
剣の一振り一振りに勇気が湧いた。

(こんなんじゃ駄目だ!何を気弱になっているんだ!このままでは昔と一緒だ!コスタの顔色ばかりを窺っていた頃と同じ・・・何も出来ないんじゃ無くて何かをするんだ!剣が男にかなわないから駄目というなら何か自分にしか出来ないものがある筈!止まっていては何も見つからない!)
ジークは心の中で自分を叱咤し奮い立たせると立ち上がった。
「皇子!私も参ります!」
城下の見回りに向かうとアルベルトに話していた皇子にジークは勢いよく言った。

皇子が直ぐに振り向いた。
アルベルトと並び立つ皇子は昔のようにどこか現実離れした人形のように只綺麗なだけの存在では無かった。現実に足を付けた次代の帝国を担うに相応しい風格と威厳に満ちている。
そして・・・何故か目の前に広がった広い背中を思い出した・・・
ジークは胸が熱く高鳴るのを感じた。しかしこれが臣下としての主に対する尊敬なのか異性に対する恋に似た高鳴りなのかジークには分からない。
只、胸が熱くなるのだ・・・

「お前はいい」
「いいえ、先ほどのような失態は致しません。私も参ります」
いつものように凛とした声でジークは答えた。
「・・・・・・」
ローラントはジークを窺うように見た。
その瞳は少し迷いを感じるがいつものように澄んでいる感じだった。

「分かった、付いて来い」
ジークは皇子の答えに止めていた息を吐いた。皇子の答えが怖かったようだ。
その皇子がジークの後ろに視線を移した。
何かと振り向くとシャルロッテがジークの剣と近衛の長衣を持って立っていた。

「あの、ジーク。これが必要かと思って・・・」
シャルロッテが差し出されたものをジークは直ぐに受け取らなかった。
ちらりと様子を窺った皇子が滅多に見ない微笑を浮かべていたからだ。皇子の月光のような瞳は今、シャルロッテに釘付けのようだ。ジークはまた、もやもやとした気分になって来た。しかしその気持ちを奥へと押し込めると皇子の視線を遮るようにシャルロッテからそれらを受け取った。

「ありがとう、シャルロッテ。行って来る」
「気をつけてね、ジーク。アルベルトも・・・」
アルベルトはにっこりと微笑んで答えた。
シャルロッテは伏し目がちにローラントへ視線を送ると小さな声で付け加えた。

「あの・・・皇子様もお気をつけて・・・」
それを受けた皇子は返事をしなかったが、ふと微笑んだ。
ローラントはシャルロッテをジークに重ねて見ていただけだった。夢に描く女神の姿を―――

(皇子が微笑む・・・シャルロッテに・・・)
ジークは微笑む皇子を只、何故か切なく見つめたのだった。



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