
また何時もと変わらない日常が過ぎる―――
それでもオイゲンが何か言いたそうな視線を送っていた。猶予の時間はそんなに無いのだろう。
そして違うと言えば花嫁候補達が頻繁に訪れることぐらいだ。もちろんエルナは嫌々ながらだが、どうも兄のライナーに国の為だときつく説教されたらしい。
そしてまだ子供らしさが抜けていないモニカはジークがいる時にしか現れない。前回優しくしてもらったジークに懐いていた。だからジークの側から離れようとはしない感じだ。皇子が怖いのだろう。
そしてエリーは積極的だが皇子の気性をかなり研究している様子で一番上手く対応しているようだった。皇子にとって特別に良くも悪くも無い感じだ。
そんな中、うずうずと皇子の返事を待つ大神官ダマーがやってきた。
「皇子、もうそろそろお決めになられても宜しいのではありませんか?懸念していた件は今のところ出ておりませんし」
「ダマー!その件は内密だ!」
「あっ、申し訳ございません」
大神官は後ろに控えるジークとアルベルトに視線を流し口に手を当てた。焦る余りに皇子の顔を見るなり口が滑ったようだ。
ローラントも同じく視線を流すとジークと目が合ってしまった。
前から口数の少ないジークだが最近では殆ど口を開かなくなってしまった。ローラントが以前のような無茶をしなくなったせいかもしれないが楽しく聞いていた小言も今は聞かない・・・
本当に護衛官に徹している感じだ。様子のおかしかったジークが気になって仕方が無かったがそれが逆に今まで通り過ぎてローラントは不満だった。彼女の性別を知らない振りをしている以上、ローラントから求愛行為は出来ない。ジークの心が傾くのを待つ身としてはとてももどかしかった。
ローラントは大神官に視線を戻すと、もうどうでもいいような事を言い出した。
「嫌、もういい。今更隠す必要も無いな・・・その件はまだ不十分だ。今少し様子を見れ」
ダマーは目を剥いた。
「いいえ!それは承知出来ませんぞ!我々ではもう十分だと言う判断を致しました。皇子だけが反対しているだけでございます!お約束をお忘れでございますか!」
ローラントは花嫁候補達の後ろで覇権を狙う貴族が動かないかどうか見定めた後、花嫁を選択すると約束していた。だからダマーもそれを促しに来たのだ。
「まだ不十分だと言っている」
ローラントは苛つきを抑えて淡々と言った。
しかしダマーは食い下がった。
そして何かを思い出したように、はっとした顔をすると一度ジークを見た。
「皇子、まさかまだクレール家のシャルロッテ嬢を娶りたいと思っているのでは無いでしょうな?」
ジークはシャルロッテの名前が出て驚きに瞳を見開いた。
「余計な事を言うな!」
ローラントはジークの前で余計なことを言うダマーの息の根を止めてしまいたくなった。
「その件は分かっている!何度も何度も同じ事を言うな!彼女の事は考えていない!」
ローラントは驚いた顔をしているジークを、チラッと見て忙 しく付け加えた。
「私は反対しているのではございません。御子がお誕生なさいましたらその後、皇子がどの娘を選ぼうとご自由でございます。直系の御子様のお血筋が問題なだけでその他の御子様に血筋の優劣があったとしても多く誕生するのは良いことでございます」
「ダマー!もういい加減に――」
「冥の花嫁の御子が皇子で本当によろしゅうございました。これが皇女なら御子を多く望めませんでしょうが皇子なら女子 の腹を変えれば幾人でも儲けられます。以前、貴方様が手当たり次第なさっていたようにお気に召すままどうぞご自由になさって下さいませ。そうなれば我が帝国は幾久しく安泰でございましょう」
ダマーは今日と言う今日は皇子に口を挟ませなかった。いつもなら皇子の逆鱗に触れる事柄を皇族の婚儀を司る大神官の面目にかけて嫌味たっぷりに最後まで言い切ったのだ。
ローラントはダマーを困らせるかのように女遊びが激しかった。それこそ人妻だろうが下働きの娘だろうが手当たり次第だった。それを今持ち出して言われたのだ。
(皇子・・・)
ジークはシャルロッテが皇子から望まれていると言う話しに驚いたが、それよりも皇子が心配になった。大神官の言い分は皇子を最も傷つけるものだ。皇子に流れる冥神の血だけが大事だと言っているようなものだった。
皇子自身を見ようとしないような風潮・・・
この話題で皇子は何度も激昂している。傷付いた心を誤魔化すように怒るのだ。
しかし・・・
「ダマー・・・お前の望む・・・嫌、国が望むそれらを私が拒否した場合、お前達は私を塔の上にでも閉じ込めるか?そして・・・毎日慰めに女達を送り込むのだろう?」
皇子の声はとても静かだった。
「なっ、何馬鹿なことを?尊い御身をどうしてそのように扱いましょうか?」
「それは尊いからだろう?我が身に流れる血を途絶えさせない為には厄介な私と言う人格はいらない筈だ。過去の事例にもあることだし・・・本音を言ったらどうだ?ダマー?私は邪魔なのだろう?」
「そ、そのような事は決して・・・決してございません!皇子!違いますぞ!」
囁かれ続けた皇子の幽閉説。絶対に無いとは言えないかもしれない。
ジークはそんな事無いと大神官と一緒に言いたかった。しかし言葉が出なかった。
最近ではすっかり良くなっていたと思っていた皇子の深い傷が再び開いたのだ。
パックリと開いた傷跡から真っ赤な血が止めどなく流れているようにジークは感じた。
そして皇子の静かな声音が慟哭に聞こえたのだった。
「私があの三人全て拒絶してもそう言うか?」
「ななな、な、そ、それはど、どういう意味でございますか!」
「言葉通りだ。私は選ばない」
「それはなりません!理由をお聞かせ下さい!あの三名がお気に召さないとか言うのは受け付けませんし、理由になりません。そもそも皇子の婚姻は好き、嫌いでするものでは無いのです!お分かりでしょう?皇子!」
ローラントは改めて自分の胸に聞いてみたのだ。
本当にこのままでいいのだろうか?と。
どうでも良いと思っていた花嫁候補達とジークは別物だと思っていいのかと・・・
シャルロッテを間近で見たローラントはその姿をジークに思い描いた。きっと着飾った花嫁候補達よりもジークは美しいだろう。彼女達と同じようなドレスを身に纏ったジークの細く整えられた腰に手を回し抱き寄せたかった。想像するだけで身体が熱くなり目眩がしそうだった。
ジークが以前言っていた理解しがたかったものが頭に浮かんでは消える・・・
あの時ジークは結婚する相手は一人しか考えられない≠ニ言った。
それが何だ?とローラントは思っていた。それがどうしたのだと・・・
だが今なら分かるような気がした。母の・・・そして父の気持ちが分かるような気がした。両親はお互いに国の為と承知していた筈なのに結局心はすれ違ってしまった。義務の結婚は愛し合っていた二人には耐えられないものとなったのだろう。それが心の片隅にあったのかもしれない。今までの考え方なら適当に選ぶことなど簡単なことなのに何故か決め難く、先延ばしにしていたのはどうしてなのかと自分でも不思議だった。しかし、いよいよダマーから急かされて心の奥底から沸き上がったものがあった。
(彼女だけでいい。彼女だけしか欲しく無い。ジーク・・・ジークリンデ以外はいらない・・・)
反対されればされるだけその想いは強くなるようだった。そしてジーク以外の女に触れるのでさえもローラントは疎ましく感じだした。
しかし許されないこの恋―――
未だジークの心を掴んで無い今はまだ自分自身を抑えることが出来るとローラントは思った。
(だが彼女がもし応えてくれたとしたら・・・私は自分に課せられた全てのものを捨てるかもしれない・・・彼女が私を愛してくれたのなら・・・)
ローラントはそう思ったがそれはあくまでもジークの気持ち次第だ。国を省みないこの行為を今の彼女は許さないだろう。ジークがローラントに抱く忠義心と言うものは国家を母胎とするものだからだ。
国の未来などどうなっても良いと思うローラントに従うことは無いだろう。
ローラントは昔から執着するものは無く義務も放棄し、ただ毎日息をしているだけでのようなものだった。退屈を通り越して生きている意味さえも見失いそうだったと思う。だから今更捨てて惜しくなるものなど無いのだ。此処がしがらみを捨てられなかった父親と決定的に違う面だ。
追いつめられたローラントはジークの心を掴む為には時間が足りなかった。
そして敵が多すぎる。もしローラントのこの考えが露見してしまえば今は影を潜めている皇帝派が動きだすかもしれない・・・皇帝派はいつも正統さを主張しているからだ。花嫁として不適当だと判断された娘との仲を決して認めはしないだろう。そうなるとローラントの想いが強くなればなるだけジークが危険になると予想された。邪魔なものは排除しようと動くかもしれないのだ。
政治的後ろ盾の無いジークなど消し去るのはとても簡単だろう。
ローラントは自分にジークを守るだけの力が無いと自覚していた。あらゆる権限を持っているというのにそれらを機能させることが出来ないのだ。自分がその権限を振りかざしたとしても皆が背を向けてしまえば終わりだからだ。今まで現実に目を背け続けて味方になるものを作っていなかった。
皇子派と呼ばれる者達は味方では無い。彼らは自分達が利権を握りたいだけで本当に信用出来る者など誰もいないのだ。ローラントは皇城で孤立しているようなものだった。一人では何も出来ない・・・
「皇子!お答え下さい!皇子!」
ダマーが煩く返答を求める。このまま適当に決めて見せかけだけでも進めることは出来るだろう。
しかしそれではジークの心がまた遠くへと離れてしまう。思えばジークの様子が可笑しくなったのはこの話しが浮上したぐらいからだった。
(考えてみれば簡単なことだった・・・結婚相手は一人だけだと言っているジークから見れば理解出来ないものだろう。何人もの妻を持ちながら彼女に求愛しても軽蔑されるだけだ・・・私が同じ立場なら絶対に許せない)
ローラントは八方塞がりだった。
選べばジークに嫌われ、選ばなければジークに危険が及ぶ―――
「皇子!」
「―――ドルン家の娘は年齢的に最後でも良いだろう。アイゲル家の娘か、ライナーの妹かのどちらかを・・・もう少し考えさせてくれ」
「何をご検討されるのでしょうか?」
「色々とだ」
「色々とは何でございましょうか?」
ダマーは引き下がらなかった。ローラントは心の中で舌打ちした。
「やはり心に想う方がいらっしゃるのでしょう?それは許されるものではございませんぞ。皇子が皇子である以上・・・いいえ、皇子は皇子以外になれません。御身は国家の為にあるのですから」
「大神官殿!お言葉が過ぎます!」
ジークは堪りかねて声を上げた。
「護衛官の分際で大神官たる私に意見を申すか!そなたこそ口を慎むがいい!皇子から寵愛されているからと言って驕るのも程々にせよ!」
「ダマー、黙れ!ジーク、お前は下がれ!アルベルト、連れて行け」
ジークは皇子の寵愛と聞いて、どきりとした。
オイゲンが言っていた戯言を思い出してしまった。早婚が慣例の皇族で結婚が遅すぎるとは言ってもこんなに慌しく話しが進むのも可笑しいと思っていた。
(大神官の耳にも入っていた?)
皇子も前に男に走るとかそんな戯言を大神官に言って撃退したことがあった。大神官は皇子にはそんな恋人がいるから花嫁選びが進まないと思っているようだ。それは全く出鱈目だと間近にいたジークは知っているが・・・皇子の周りにそんな男や、
(そう言えば・・・女もいない?)
ジークに思い当たる人物はいなかった。昔は知らないが今は居ない筈・・・しかし、はっと思い出した。
(シャルロッテ・・・)
彼女へ微笑みかけていた皇子を思い出した。優しく話しかけて微笑んでいた・・・
「ジーク、出よう」
アルベルトがジークを連れて退室した。皇子が出てくるまで扉の前で待機だ。
「―――アルベルト、すまん。顔を洗ってくる・・・」
「え?ああ、分かった」
アルベルトは今にも泣きそうな顔をしているジークを初めて見た。
だから何故とも聞かずに見送ったのだった。
「やっと、一人になったな?」
顔を洗って帰る途中のジークに誰かが声をかけて来た。
その声の主はオイゲンだった。彼は柱の影から薄気味悪く嗤いながら現れた。
「・・・・・失礼ながらこの回廊は皇子専用通路です。直ちに立ち去って下さい」
「私を避けていただろう?」
「オイゲン殿!聞こえませんでしたか?皇子がご使用中は立ち入り禁止地域です」
「はははっ、ほら?見えない?襟の徽章 」
オイゲンが指差す徽章はジークやアルベルトと同じだった。皇子専用の護衛官を指すものだ。
この徽章があれば皇子専用の場所の出入りは自由だった。
「いつの間に・・・」
「ふっふっふ、で?答えを聞かせて貰おうか?お嬢さん」
「何度聞かれても一緒です。お断りします」
「じゃあ、言ってもいいのか?皆が大変な目に合うのに?」
「・・・・・・」
「まさか無条件で黙っていてくれとか言う甘いこと思って無いだろうな?」
「お願いします―――」
ジークはそう言いながら深々と頭を下げた。
こんな卑怯な男に頭など下げたく無かった。
しかしオイゲンが言うような事は出来ないし、皆を巻き込みたく無い。どうしたら良いのか答えは見付からず、この卑怯な男の心情に訴える他に道が無いかった。
オイゲンは苛々としながらジークの髪を掴むと顔を無理矢理上げさせた。
「頭下げてお願いだけして、はい、そうですかと聞けると思うのか?」
「・・・お願いします」
ジークは屈辱に耐えながら重ねて言った。
「ふ〜ん、お前、美人だとは思っていたが意外と色っぽかったんだな?身体つきも悪くないしあの傷さえ無ければ一級品か・・・まあ、それを見なければ良いんだし・・・決めた!黙っていてやる代わりに私の情婦にしてやろう」
「なっ!」
ジークは驚き、オイゲンを睨んだ。
「いいぞ、その顔。ゾクゾクする!気の強そうな女が逆らえず悔しそうに言う事を聞く姿はそそられる。父上には申し訳無いが裏で画策するより面白い!」
ジークは、あっという間に足を払われ廊下に押し倒されてしまった。
此処は皇子専用通路で誰も通らない。
「や、止め――っう、ん」
ジークの両手は押さえ込まれ制止する唇はオイゲンの唇で塞がれてしまった。
「うっ、ううっ・・・っ」
両足をバタつかせたが自分よりも大きい男の体が圧し掛かっていて逃れることが出来なかった。
「静かにしろ!黙って貰いたかったら大人しく抱かれろ」
「い、嫌だ!こんなのは――くうっ・・・」
噛み付くようにまた唇が塞がれた。オイゲンの歯でジークの唇が切れたのだろう。血の味が口の中で広がった。剣に手が届かないように両手は頭の上で吊り上げられたように押さえ付けられている。男は片手でこんな力技が出来るのだ。オイゲンの空いた手がジークのきっちりと閉じている制服の襟元に伸びて来た。上から一つ一つボタンが外されて行く―――
「うううっ・・・(嫌だ!止めて!)・・・うう」
開かれた隙間から手が侵入して来た。
肌に直接オイゲンの手が触れ、ぞっと悪寒が走る―――
ジークはもう駄目だと思った時に駆け寄る足音を聞いた。
(ア、アルベルト?)
「何をしている!離れろ!」
オイゲンは襟首を掴まれジークから引き剥がされた。
投げ出されて蹴られたオイゲンがその相手を見た。
「お、皇子!」
ジークを助けたのはアルベルトよりも早く走って駆けつけたローラントだった。