
ジークは慌てて起き上がったが、オイゲンは皇子に睨まれたまま腰を抜かしていた。皇子が恐ろしく激昂していたのだ。それは癇癪を起こしていつも怒っていた時のようなものでは無かった。
激昂する整い過ぎた顔は見る者を恐怖に陥れていた。
「ジーク、大丈夫か?」
ローラントはオイゲンを睨んだまま声をかけてきたがジークは直ぐに返答出来なかった。
この状況を何と説明すれば良いのか分からなかったのだ。誤魔化すのは苦手だ。
だからと言って本当の事は言えない―――
着衣が乱れ窮屈な襟も無いと言うのに息苦しくなって来た。
それはオイゲンも同じだ。どこから見てもジークを襲っていたとしか見えない。
しかも襲う意味合いが違う・・・ジークは性別を隠しているのだから尚更不味かった。女ならまだしも男を性的対象として襲っていたという不名誉な事になってしまうのだ。
近衛隊の規律では同意の無い行為は当然だが勤務中の性的行為を厳しく罰する項目があった。
それはもちろん男女問わない罰則だ。
オイゲンは折角苦労して入り込んだ近衛隊から除名される危機だ。
どう誤魔化すかと真っ白になった頭を回転させだした。
ローラントは二人を追い出した後、大神官の追及をかわし続けたがジークの様子が気になって仕方が無かった。普段からあまり表情の無い彼女がとても動揺している様子だったからだ。
(姉の名が出て驚いてはいたが・・・それだけでは無いような感じがした・・・)
ローラントは何時までも花嫁を選ばない自分に対して怒っているのかとも思った。
(彼女からすれば私が責任を放棄していると思ったのか?しかしダマーから叱責された後の方がおかしかったような・・・)
昔から陰で囁かれ聞きなれた自分の価値を大神官が、はっきり言おうとローラントはどうでも良かった。以前なら自棄になって自暴自棄になるだけだったが今は違う。
(今はジークが私を見てくれる・・・冥神の血では無く私自身を・・・)
ダマーに食って掛かろうとしたジークを思い出したローラントは胸を熱くして、ふと微笑んだ。
すると目の前では腹の奥を曝け出すかのように諫言し続けていたダマーが驚き口を噤んでしまった。
それは今まで見た事の無い幸せに満ち足りたような微笑みだったからだ。
「皇子?皇子、聞いておられるのですか?皇子?」
「―――聞いている。だが私の考えは変わらない・・・もう少し時間が欲しい。結論は必ずだす・・・」
結論とは一つしか無い―――
ローラントはジーク以外と結婚するつもりは無いのだ。それを実行すれば帝国への裏切り行為に近いだろう。彼女と結ばれその結果として次代の継承者が誕生するかもしれない。
そうなっても誰からも祝福されず母子共々誹謗中傷の対象となるだけだと思う。
皮肉なものだとローラントは思った。自分は濃すぎる血に悩んだというのに自分の子には薄まったと悩ませるのだ。何もかも出来るのは神の血により当たり前だった。しかし今度は何か出来なければほら見たことか≠ニ言って非難されるだろう。
(ジークはもちろん・・・私の子にそんな思いを絶対させやしない)
ローラントは、ふとそう思いその考えに自分でも驚いた。今まではジークと二人の世界だけで自分の子供という存在を思い描いてはいなかった。二人だけなら全てを捨てて生きる道が見えていた。
しかし未来ある子供と共に歩く道は見えない・・・
ローラントは今の今まで全てを捨てる考えだった。周りが許さないのならその周りを捨ててやる。
しかし・・・それで良いのか?と考えてしまった。甘美な夢を描いてしまったのだ。
愛する者達との幸せな日々を―――
(ならば器だけの存在とは言わせはしない―――私の手で帝国に繁栄と安寧の世をもたらせば皆黙る筈だ。誰にも彼女を責めさせはしない。本当の力を手に入れ守ってみせる)
「皇子・・・」
ダマーは皇子の瞳が生き生きとした光りを放ち、強い意志に輝くのを見た。それは瞳だけでは無く身の内側から溢れるような感じだ。眩しく感じて思わず目を細めてしまった。
(皇子は変わられた・・・もしかして現世の神となりうるかもしれない。しかしこの変化の原因はやはり・・・)
ダマーも薄々気が付いていた。その原因が好ましい人物であったとしても立場上、絶対に許せないものだ。恨まれようとも気付かぬふりをするしか無いのだ。しかし・・・
「分かりました・・・皇子。もう暫く様子をみましょう。それでお気持ちを整理して下さいませ・・・」
大神官は少しばかり折れてしまった。気持ちの整理とダマーは言うがローラントの気持ちは決まっている。それでも分かったと言って頷くと部屋を出た。
急いで出た扉の前で待機するアルベルトは居るが一緒に出た筈のジークがいなかった。
「アルベルト、ジークはどうした?」
「申し訳ございません。少し席を外しております。遠くには行っておりませんので途中で合流出来ると思います」
「・・・そうか。なら先に行こう」
その時、ローラントの耳にジークの抗うような声が聞こえたような気がした。
「今、ジークの声がしなかったか?」
「え?そうですか?私には何も」
ローラントは何故か急に胸騒ぎがしだした。
そしてもう一度声が聞こえたような気がすると走り出していた。
「皇子!」
急に走り出した皇子に驚いたアルベルトは後を追いかける感じになってしまった。
そしてローラントの目にジークが組み敷かれている姿が飛び込んで来たのだ。
胸元に手を差し込んでいる様子も見えた。彼女を女だと知っていて襲っているのか?
それとも男でも構わずのし掛かっているのか分からなかった。
とにかくジークに危害を加える者は許さない!
「お、皇子。私は皇子に仇なす者の証拠を確かめていたのでございます!」
よろめき立ち上がったオイゲンはそう切り返して来た。
その言葉にジークが息を呑んだ。
言い逃れを考えたオイゲンの方向性が決まったのだ。ジークの秘密を皇子に話すつもりだ。
「私に仇なすだと?」
皇子の冷やかな声にずる賢く横柄なオイゲンも落ち着かない様子で答えた。
「は、はい。この護衛官は――」
「オイゲン殿!」
ジークが彼の言葉を制するように声を張り上げたが皇子が、すっと手を上げたので言葉を呑み込んだ。
「ジークが?」
「は、はい。この者は性別を隠しております!男と偽っているのです!そこにいるアルベルトもライナー・ベルツも皆、皇子を騙していたのです!ですから私が確かめようと――」
「女かどうか確かめようと組み敷いていたと言うのか?」
「は・・・」
得意な顔をして顔を上げたオイゲンは更に一層怒りに満ちている皇子と目が合ってしまった。
「お前、何を勘違いしている?ジークは偽った事は無いし隠してもいない」
「いいえ!ち、違います!この者は女です!間違いございません!」
「だから?ジークは自分が男だと言った事は無い」
オイゲンもジークも唖然としてしまった。
「そ、そんな馬鹿な。皇子は知らないと言っていたじゃないか!おいっ!」
驚いたまま呆然としているジークにオイゲンは食って掛かった。こうなったら計画を台無しにする訳にはいかない。
「皇子に申し上げます!花嫁候補のベルツ家の娘はそこのアルベルトと男女の密接な関係がございます!二人で結託して・・・いえ、ライナー・ベルツも共に皇子を騙しているのです!第一皇后とさせ権力を私せんと企んでおります!」
ジークは更に瞳を大きく見開いて驚いた。オイゲンはエルナと皇子の仲をジークに取り持てと脅していたのだ。それなのに?
「アルベルト、そうなのか?」
ローラントは驚きもせず平然と聞いて来た。
「いいえ!違います!エルナとは昔付き合っていましたがそれは彼女が神官になる前の話であって今は全く関係無いです!」
「ほら皇子、白状しましたでしょう?男女の仲が早々切れるものではございません。白状したも同然!完全に裏切っているのです!」
「オイゲン!貴様!何を言っているんだ!」
身に覚えの無い数々の暴言にアルベルトの怒りは頂点に達したようだった。
「それでお前はアイゲル家の娘と良い仲と言う訳か?」
ローラントが、さらりとオイゲンに向って言った。
「なっ・・・」
「最有力候補のベルツ家の娘を追い落とし目障りなアルベルトやライナーも同時に葬る。そして浮上して来るのがアイゲル家の娘と言う計算だろう?」
「ち、違う!し、知らない!」
「神殿は馬鹿じゃない。到底騙せるものではない。アルベルトとの仲は当然調べたうえで選定されている。それよりも仮に私がアイゲル家の娘を選んでも神殿の花嫁に資格を問う最終審議で落とされるだろう」
「さ、最終審議?」
オイゲンはもちろん誰もそんな審議を聞いた事は無い。
「これは一般に公表していないが神殿は性交渉の有無を調べる。純潔は花嫁の条件だ。それは当然だろう?―――どうした?顔色が悪いようだが?」
オイゲンは真っ青になっていた。口も水から上げられた魚のようにパクパクとしている。
「神殿を甘く見ないことだ。奴らは我ら皇家の血脈存続に心血を注ぐ狂信者なのだからな。―――そなたへの処罰は追って沙汰する!謹慎して待つがいい!」
皇子の怒号にオイゲンは弾かれたように喚きながら走り去った。
結局、オイゲンがジークにほのめかした自分が近衛隊の隊長になるというの小さな企みどころでは無かった。それは誤魔化しで大きな企みが隠されていたのだ。
野心家のドレーゼ公はアイゲル家の娘エリーに話を持ちかけたのだろう。
今のままではベルツ家に決まると―――
世間知らずの娘を手玉に取るのは遊び人のオイゲンにとって簡単な事だったに違いない。
そして女好きで手が早いのは有名な話だ。鎌をかけたら当たりのようだった。
利害に全く関係のない筈のドレーゼの息子が、エルナとアルベルトを陥れようとしたのが命取りだった。エルナが候補から外れて得をするもの・・・
どうでもいいと思っていたローラントだったがエリーに男の影を感じていた。訪れる彼女が微かに付けていた残り香にローラントは気が付いていたのだ。それが誰とは確定出来ないものだったのだが今回それがはっきりとした。それはオイゲンの使っている香油と同じ香りだった。
「―――皇子・・・いつから・・・いつからご存知だったのですか?」
ジークが震える声で聞いた。
皇子はまだオイゲンが去って行った先を見ている。
怒りをすっと収めた皇子がゆっくりとジークへと向いた。
「わ、私は・・・」
ジークは何と言ったら良いのだろうかと言いよどんでしまった。言い訳?謝罪?それとも何?皇子は怒っていない感じだ。何故?
「・・・さあ、行こう。することは色々ある」
「皇子!お答え下さい!」
「ジーク、皇子は――」
アルベルトが堪りかねて間に入って来ようとしたが、皇子に止められた。
「私が私であるように。冥神の入れ物でも何でも無いローラントと言う私だ。だからお前が男だろうと女だろうとお前はお前だ。それに何の問題がある?」
「皇子・・・」
ジークは皇子の言葉で胸がいっぱいになって言葉に詰まった。アルベルトも以前同じような事を言ってくれた。しかしアルベルトと皇子は比べられないものだ。皇子が良くてもオイゲンが言って廻れば中傷の的になるかもしれないのだ。もう遅いかもしれないが皇子の下を去らなければならない。
「ジーク、私の下を去ろうと思ってはいないだろうな?」
「私は・・・」
「それは許さぬ。私が構わないと言っているのだ。お前は堂々としているがいい」
「しかし」
「駄目だ!」
淡々と言葉を発していた皇子が最後に激しく首を振って言った。
「駄目だ、ジーク!絶対に私から離れる事は許さない!絶対にだ!」
幾ら皇子が構わないとも許さないと言われてもジークは頷けなかった。味方の筈のアルベルトは中立状態だ。
「あの馬鹿のことを気にしているのか?それは取り越し苦労だ。私が承知している事を言って廻っても無駄だというくらいは分かっているだろう。誰が耳を貸す?負け犬の遠吠えだ。何ならジーク、今からドレスを着て護衛をするか?」
「皇子!ご冗談は止めて下さい!私がドレスを着るなんて考えられません!」
ドレスはお前に似合うだろうとローラントは言わなかった。
「それは冗談だが今までは試験的なものとして皆に黙っていたと言う事にしよう。全ては私とライナーが仕組んだ筋書きだと言うことにすればいい」
「そんな馬鹿な!試験とは何です!」
突拍子も無い事を言い出した皇子にジークは畳み掛けるように詰問した。
「―――護衛官は男ばかりだ。しかし女人には同性の護衛官も居た方が良いだろうと思わないか?危険に満ちている今の時代に何処にでも同行出来なければ守るものも守れない。女人は男に立ち入って欲しくない場所が色々あるだろう?そこで試験的にお前を試したという筋書きだ。女でも護衛官としてやれるとなれば門扉が広く開かれるようになる。初めからそう言っても皆は素直に認めないだろうから周りには黙っていたというのなら話が合うだろう?」
ローラントのこの意見は今思いついた事では無かった。ジークにもし事が露見した場合彼女を上手く引き止める理由を色々と考えていたのだ。
何でも無いような言い方をしているが内心ではジークを引きとめようと必死だ。
それを聞いていたアルベルトも頷いて納得している様子だった。ライナーもこれには賛成だろう。
ジークが頑張っている様子を見てライナーからもそういう話が持ち上がった事もあった。
「ジーク、ベルツ隊長もそんな話をしていた。皇女や皇后陛下方の護衛は何かと難しいからジークみたいな人材が何人かいればいいのにと言っていたんだよ。もう皆は君を認めているんだから女だって馬鹿になんかしないし新しい形の護衛官が誕生するだけさ。そして君みたいになりたいっていう子達も出て来る筈だ。皇子が後押ししてくれるのだから名誉な事となる」
ジークはふと子供の頃を思い出した。女と男の間に引かれた線。
これは駄目でこれはいいと言う男女の区別―――
誰が決めたのか納得出来なかった。それを壊した自分を容認してくれていた両親に感謝していた。
でも世間では認められないものが沢山あるのだ。
(その一つが認められる?)
ジークの顔に笑みが広がった。静かに・・・静かに彼女は微笑んだ。
少し恥ずかしそうに・・・そして嬉しそうに・・・
ローラントはそれに魅入ってしまった。今直ぐにでも抱きしめたい衝動に駆られた。強く抱きしめ微笑む唇に優しく口づけしたかった。それを、ぐっと抑え込みジークに微笑んだ。
「ジーク、私の側に居てくれるか?」
ジークは皇子の微笑みをまともに見てしまい胸がいっぱいになって声が出なかった。
やっと頷くのが精一杯だった。この胸の広がるものは何か分からない・・・
でもそれは何となく分かるような気もしたのだった。