「私にグレーテ皇女の護衛官になれと言われるのですか?で、では、皇子の護衛は・・・」
表情の乏しいジークだが皇子のこの命令に驚きをあらわにした。
それに少し心が浮き立ってしまうローラントだが・・・此処が肝心だと気を引き締めた。

「私の護衛官としては解任だ。今日からグレーテの専属となる」
ジークは一瞬耳がどうかしたのかと思った。
皇子は言った―――

『ジーク、私の側に居てくれるか?』

―――とつい昨日聞いたばかりだ。それなのに?

ジークはあの後、取りあえず自宅待機するようにと帰宅させられた。そして皇子がこの件で直ぐに色々動いたとアルベルトから聞いた。申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
しかし予想外の展開にただ驚くばかりだ。

ジークは自分が・・・と言うよりも女としての新しい可能性を示す絶好の機会だと言うことは十分分かっている・・・分かっていてもローラントから離れなければならないのならジークにとってそれは無価値にさえ思えた。
女と男の間に引かれた線―――
それが嫌だったのはその仕切りのせいで兄達と共にいられなかったせいだ。

(無価値・・・)
ジークはその時初めて自分の心に芽生えていた不確かなものに気がついてしまった。
嬉しく受けられない理由・・・忠義を誓った皇子の命令を快く受けられない理由・・・

(・・・嫌・・・皇子のお側を離れるのは・・・嫌・・・)
何故そう思うのかジークは分かってしまった。
皇子という存在は初め国にとって最も重要な人物という認識しか無かった。しかしその皇子は尊い血に嘆き孤独に苛まれていた。そして心の傷を無関心の鎧で固めいつも虚勢を張っていたのだ。
ジークがそれに気がついた時からローラントへの気持ちが変わり始めていた。
護らなければならない人から守って
あげたい人となっていたのだ。守るとは何も危険からだけでは無くどちらかと言えば精神的なものからだった。
しかし今はもう守る必要も無いくらいになってしまった。
何も映していなかったような瞳は意志を持ち、前を見ていた。ベッケラート元帥が言っていたように皇子の心境の変化は花嫁を迎えるからなのだろうとジークも思った。
花嫁―――

(馬鹿な私・・・今頃気が付くなんて・・・)
花嫁候補が決まったと聞いた時、ジークは何故か黒い小さなものを呑み込んだような感覚だった。
エルナや他の候補達が気になって仕方が無かった。そしてローラントがシャルロッテに微笑んだ時・・・
その呑み込んだものが大きく膨らみ胃を圧迫するようだった。

それは初めての感情―――

誰かを独り占めしたい気持ち・・・自分だけに微笑んで貰いたい気持ち・・・それらは嫉妬という名の初めての醜い心。ジークはローラントに特別な感情を抱いていたと気が付いてしまった。

それは初めての恋―――

だからと言ってこの気持ちを皇子に告げることは出来ない。友だと言ってくれる皇子を困らせるだけだとジークは思ってしまった。仮に情けを貰ったとしても後宮で皇子の寵を争うなんてとても考えられない。それに友達でも無く家族でもない特別な人を誰かと共有するのは生理的に駄目だ。

(嗤ってしまう・・・私はこんなにも心が狭く我欲が強いなんて思わなかった・・・本当に馬鹿・・・)
ジークは今までローラントが妹や弟達と会わないのを知っている。冥神の血を受け継いだローラントと他の皇子や皇女達とは全てにおいて扱いに差があった。それだけローラントは特別でありそして孤立していた。グレーテ皇女の専属護衛官となれば広い皇城の中で皇子を見ることさえ叶わなくなるだろう。

(皇子とは・・・もう・・・)
自分の気持ちに気が付いた途端に別れが来てしまった。仮にこの話が無かったとしても花嫁を迎える皇子の側で平静を保つ自信は無い。この気持ちを抱いたまま側を離れる方が良いのかもしれないとジークは思った。醜い心を皇子に気づかれたく無いのだ。

ジークの驚いた表情は消え俯いて黙り込んでしまった。驚いたものの納得しているのか?していないのか?俯き加減の状態では彼女が何を思っているのかローラントは読めなかった。

「―――承知致しました。皇子がお決めになられたのですから私に異存はございません」
ローラントの予想通りの答えだった。一言も異議を唱えないあっさりとした承諾。もち
ろん承知しなくても説得しなくてはならなかったのだが・・・ローラントの胸に広がるのは安堵では無く落胆だ。
驚きの表情を見て少しは期待していた自分がいたのだが・・・

「―――グレーテは・・・知っているだろうが今は亡くなった第二后妃、ベッケラートの妹の娘だ・・・喪服の皇女と呼ばれている」
喪服の皇女≠サう呼ぶ人々は同情心からくるものと嘲りの半々だ。
ローラント自身、今まで興味も無くそれらを聞いていた。喪服の意味も知っていたがどうでも良かった。グレーテは二度、夫となる者を婚礼の最中に亡くしていた。
不幸な事にいずれも妖魔の襲来によるものだった。それから彼女は喪服しか着用しなくなり、三度目に用意された結婚を今現在拒否している状態だ。

ジークは視線を上げて皇子を見た。
今まで関心を示していなかったグレーテ皇女を気にかけている様子が窺えた。

(・・・本当に皇子は変わられた・・・)
寂しいような・・・嬉しいような・・・そんな気持ちがジークの瞳に宿った。

(ジーク?)
それを感じたローラントは何か自分が大きな間違いを犯している気分になってしまった。
ジークの瞳に浮ぶ何かが心をざわめかせたのだが・・・



 その後、オイゲンの流言より先にジークの詳細が皇城を駆け抜けた。
同僚だった近衛隊の面々は一様に驚いたがジークを良く知る彼らは暖かく歓迎した。
好奇の目はあるもののローラントとベッケラートが後押しをしている彼女を表立って非難するものはいなかった。正しくローラントが描いた筋書き通りに事が進み出したようだった。ところが・・・

「わたくしに必要ございません」
喪服の皇女グレーテが、きっぱりとジークを撥ねつけた。
着任の挨拶にジークは一人で来たのだがライナーとローラントもその場に現れた。
ライナーがやって来たのは上司だから分かるがローラントが同行する必要は無いだろう。
簡単な顔合わせと思っていた着任の挨拶が、こうなるかもしれないと彼らは予想していたのだ。

「今まで交代で護衛にあたっていた者達に代わり専属でこの者がさせて頂くだけでございます。それに今までとは違いお側近くでお護りしても気になられないかと思います」
ライナーが早速ジークの着任の意味合いを説明した。しかし皇女は首を振った。

「護衛がいてもいなくても一緒です。それに前々から必要無いと申し上げていた筈です。誰であろうと必要ございません」
確かにライナーが配置した護衛官をグレーテは快く思わず遠ざけようとしていた。近くで警護しようとすれば部屋から一歩も出ずに何日も引きこもってしまうのだ。だから今は彼女の視野に入らない場所から護衛するような感じだった。護衛官泣かせのローラントの次に難攻していたのがこのグレーテだ。

頑ななその様子に黙って様子を窺っていたローラントがとうとう口を開いた。

「グレーテ、これは決定事項だ。何が不満で否を言う?」
グレーテが少し驚いてローラントを見た。それは初めて声をかけてもらったからだ。
それにこんなに間近で見たことも無かった。

(本当に冥神のよう・・・)
グレーテは噂好きの侍女達が言っていたローラントお気に入りの護衛官のことは知っていた。それが女だったと言うのだから不名誉な噂になるかと思えばそうなら無かった。彼女の名誉を守る為に用意されたものは誰もが納得する理由だった。それに利用されるのだとグレーテは直ぐに気がついたのだ。
ひっそりと過ごしたいのに噂の渦中に身を晒したくなかった。

「ローラント皇子、失礼ながらわたくしは護衛など役に立たないと存じております。それはお分かりでございましょう?」
グレーテにしても他の弟や妹達もローラントを兄と呼ばない。もちろん会話は初めてそう呼ぶ習慣も無いのだ。そして護衛を役立たずと言う理由は二度に及ぶ婚礼での惨事を指していた。

「あれは護衛官の責任でも何でも無い・・・私の責任だ。責めるのなら私を責めよ」
「え?」
俯き加減だったグレーテが驚きに瞳を見開いた。
そして側にいたライナーとジークも皇子の言動に驚いてしまった。

「妖魔に対抗出来る力を持っていた私がそれを放棄していた・・・責められるのは私だ。私を許せとは言わないが謝らせてくれ。すまなかった、グレーテ」
ローラントの艶やかな闇色の髪が揺れた。下げることのない頭が傾いているのだ。ベッケラートに続いて頭を下げたローラントだったが見てはならぬものを見たかのように皆がその場で凍り付いてしまった。

「ロ、ローラント皇子、お、お顔を・・・お顔をお上げ下さいませ!わたくしは貴方様を責めるつもりで申し上げたのではございません!」
先に我に返ったグレーテが慌てて言った。しかしローラントは頭を下げたままだ。
おろおろしだした皇女にジークが口を開いた。

「皇女殿下、どうぞ皇子を兄上とお呼び下さいませ。皇子もそれをお望みと思います。ご兄妹ならば妹は兄に無理を言うのも甘えるのも世間では良いことになっています」
「え?」
真っ直ぐに自分を見つめるジークをようやくグレーテは見た。凛とした声で驚くような意見を言う彼女から目が離せなくなってしまった。

(ローラント皇子を兄と呼ぶ?)
考えられないことだった。しかし、何故かそれが許されるような気もした。グレーテは小さく息を吸って吐いた。そして渇いた唇を何度か湿らせてそっと囁くように言ってみた。

「お、お兄様・・・わたくしは・・・お、兄様を恨んではおりません。あ、あの・・・」
すっと顔を上げたローラントとまともに目が合ってしまったグレーテは真っ赤になってしまった。
自分が持っているどんな宝石よりもローラントは溜息が出るくらい綺麗だった。
父親が同じで半分血が繋がっているとは言っても兄と呼ぶなど恐れ多いことだ。

「ありがとう、グレーテ」
「あ、あの・・・わたくし・・・」
グレーテはそれ以上言葉が出なかった。ローラントが微笑んだからだ。貴重なこれは誰もが魅入ってしまうものだから免疫のないグレーテが言葉を無くすのは当たり前だろう。

「グレーテ、このジークは私が信頼する護衛官だ。剣の腕前も保障する」
「・・・わたくしは誰にも注目されずに影のようにひっそりと過ごしたいと思っておりました。そのわたくしの下にこの者が来れば否応にも注目されるでしょう・・・」
「グレーテ」
ローラントは心配そうに妹の名を呼んだがグレーテは微笑んだ。

「お兄様とこんな風にお話が出来るとは思いませんでした。わたくしがこの者の主に選ばれたからですよね?感謝しないといけませんね」
ようやく取り付けた了解にローラントとライナーはお互いに、ほっとして顔を見合わせた。
しかしジークは逆に沈んでいた。皇女が拒否した時、このままこの話は流れるかもしれないと少し期待していたのだ。しかし兄妹なのによそよそしいグレーテの態度とそれに傷付いている皇子を見るとつい口出ししてしまった。これで良かったと思いつつも心は正直で落胆したのだ。
そしてとうとう別れの時が来た。ライナーと皇子がジークをグレーテの下に残し去って行く。
その後ろ姿をジークはずっと見送った。そして姿が見えなくなると小さな溜息をついてしまった。
本当に小さな溜息だったのだがその様子をグレーテが、じっと見ていた。

「聞いてもいいかしら?ライナーとお兄様、どちら?」
「?どういう意味でしょうか?」
「・・・あの・・・どちらの恋人なのかと聞いたのだけど・・・それともテオドール伯父様・・いえ、ベッケラート公?」
問うグレーテは恥ずかしそうに頬を染めていた。侍女達の噂話を確認しておきたかったのだ。今まで興味なく聞いていたのだが実際ジークを見ると忘れかけていた娘らしい好奇心が芽生えてしまった。
性別を隠していた時にはローラントとの怪しい噂が横行していた。そして今回の顛末でやはりと確信したものもいれば、それと同時に浮上して来たのはそれに関わっていた人物のライナーとベッケラートだった。一介の護衛官の処遇で動くには大物過ぎたのが噂を炎上させた原因のようだ。しかしそれを見越した今回の異動によってその噂も沈静化するだろう。それをジークに彼らは告げていなかった。
だから風評に疎いジークはグレーテから聞かれて初めて気がついた。

(そうだったのか・・・)
それに気がつくと少し気が晴れた。

「いいえ、皆さんが喜ぶような浮いた話はございません。一つだけ申し上げれば恐れ多いことですが皇子は私を友と呼んで下さいます。だから親身になって下さるのです。お忙しいのにありがたいことです」
「友達?・・・確かにそうならとても貴重でしょうね。わたくし達のような身分ではそう呼べる人は本当に少なく出来難いものですからね」
過去に何件か嫌な経験があったのだろう。グレーテは苦々しくそう言った。権力者に擦り寄る意地汚い者達は沢山いるのだから聡いものなら嫌な思いをするだろう。
「・・・やはり似ていらっしゃいますね」
「え?似ている?どなたに?」
「もちろんローラント皇子にでございます」
「わたくしが?」
「はい。私が皇子の護衛官を拝命したばかりの頃に良く似ておいでです。世の中に嫌気を感じいつも遠くを見ていらっしゃる。どうでも良い毎日を怠惰に過ごしながらも心の奥底では何かを求めていらっしゃる・・・」
グレーテは驚いて目を見張った。面と向ってこんな事を言われたのは初めてだ。しかも本心を言い当てられたのだ。かっと頭に血が上る感じがした。それは羞恥なのか怒りなのか分からない。
だが無表情だったジークが、ふと静かに微笑んだのでそれに目が奪われてしまった。

「でも皇子はお変わりになられました。今はご自分がやらなければならない責務に向かい合って足元もしっかりと見つめていらっしゃいます。今では毎日忙しくて退屈している暇も無いくらいです。だから皇子は以前よりずっと輝いておいでだと思います」
「・・・ローラン、いえ、慣れないものね。ふふふっ、お兄様が貴女を気に入っている理由が分かるような気がするわ。お兄様にもこんな風に飾らない本音をぶつけたのかしら?もしそうならお兄様は初めかなり怒ったでしょう?」
「はい?確かに・・・」
「ふふふっ、そうでしょうね。それにもしかして不敬罪どころか手打ち覚悟で諫言とかもしたのかしら?」
ジークが少し戸惑いながら頷いたのでグレーテは声を上げて笑い出してしまった。
笑われているジークは何故可笑しいのか分からなく戸惑ったままだ。

「あはははっ、可笑しい!久し振りだわ。こんなに楽しいのは!分からないという顔をしているわね?わたくし達皇族にそんな態度をとる者などいないのよ。ましてお兄様ともなればもっと特別。いきなり首をつかんで頬を叩いて聞け!と言われる感じかしら」
「なっ!く、首をつかんで、ほ、頬を叩く?」
「そうよ。衝撃的だったでしょうね。思わず下界に降りてしまうほど」
ジークは皇女が言う意味が分からなかった。しかし皇子に対して自分がかなり失礼だったというのは分かった。再三アルベルトから注意を受けていたのに似ていた。

「私は・・・」
「勘違いしないで、わたくしは褒めているのよ。貴女は本当にわたくし達にとって貴重だわ。目が覚めるよう・・・ふふふっ」
グレーテもジークを気に入ったようだ。しかしジークの気は晴れなかった。
目に浮かぶのは去って行った後ろ姿のローラントだけだった―――



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