
ローラント皇子のお気に入り護衛官が増えて良かったと同僚達は胸を撫で下ろした。
もちろんそれはジークの事だ。皇子はアルベルトのように指名はしないがジークが付いても文句は言わない。口には出さないが気に入っている証拠だろうと皆は思っていた。だからアルベルトとジークの組み合わせは不動のものとなりつつあった。日中彼らを放さない皇子に合わせて夜の警護は外された。
宿直が無くなっただけでアルベルトは一気に楽になった気分だった。無頓着なジークに付き合っていたらおちおち眠れないからだ。
「おかげでぐっすり眠れるようになったよ」
「何か言ったか?アルベルト」
ジークは隣で何か呟いた親友に問いかけた。
「ああ、宿直が無くなって良かったなと言ったんだよ。調練に参加出来るだろう?」
「ああ」
短い返答だが十分に嬉しそうなジークを満足そうにアルベルトは見つめた。
「お前って本当に好きだよな。俺はそんなにのめり込めないけどさ」
やれやれと言うような感じで肩をすくめるアルベルトをジークは、じっと見つめた。
アルベルトは昔からジークの真っ直ぐに見るその瞳で、じっと見られるとたじろいでしまう。
最近ではそれに焦りが加わるような感じだ。
「な、何?」
ジークは大きな溜息をつくとふいにアルベルトの腕を掴んだ。
そして上腕から手首まで遠慮なくガシガシと触った。
「な、な、なん??」
ジークはまた溜息をついた。そしてアルベルトの手のひらと自分の手のひらを合わせる。
アルベルトは自分の顔が段々と赤くなっていると感じた。
更にジークの手はアルベルトの肩をがっしりと掴んで来た。そしてまた溜息だ。
「アルベルト、こんなに恵まれた体格をしていて本気で剣に取り組まないなんてずるいだろう。昔は私の方が背も高かったのにこんなに差が出るなんて思わなかった・・・」
「それって子供の時の話だろう?俺は男でおま――うごっ!!」
人の気配を感じたジークがアルベルトの口を手でいきなり塞いだ。
しかし曲がり角から出て来たのはライナーだった。
「ライナー、今――」
弾むような声を上げたジークだったが彼の後ろから続いて出て来た人物を見た途端、続きの言葉を止めた。
「ライナー?ライナー、お前は部下に名前で呼ばせているのか?」
嫌味皇子の登場だ。
ジークは皆が言っているように自分が皇子に気に入られているとは思わなかった。
いつもこんな調子で嫌味ばかり言われるのだ。でも今回は自分が悪いと直ぐに反省した。
親しい仲でも仕事場なのだから公私混同したら駄目だ。
「申し訳ございません。ベルツ隊長、以後気をつけます」
「今は勤務中では無いし誰も他にいないから何時も通りで構わないよ」
ライナーは気安くそう言ったがローラントは異を唱えた。
「私がいる!アルベルトも!」
今日の皇子は朝からご機嫌ななめらしい。
ローラントは珍しく早起きしたようで早朝から護衛の目を盗んで、ふらふらしている所をライナーに見つかり連行されていた。そこまでは機嫌が悪い訳では無かった。しかし途中でジーク達を見かけ段々と腹が立ってきたのだ。自分の前では畏まって真面目な調子のジークがアルベルトとじゃれ合っていた。それが妙に勘に障って仕方が無かった。そしてライナーを見つけると何時ものきらきらした瞳になる・・・とにかく何故だか分からないが気分が悪くなるのだ。
「えっと・・・隊長はどちらに行かれるのですか?」
不穏な空気を払うようにアルベルトが話題を変えた。
「ああ、久し振りに調練に参加しようと思ったところ皇子を見付けたもので送っている途中だ」
調練に参加と聞いたジークの瞳が輝いたがそれが叶わないと知るとそれは一瞬で消えた。
ジークの感情は表情にこそ余り出ないが瞳にはそれがでる。もちろんそれは良く観察していないと見落としてしまうぐらい微妙なものだ。
ローラントはそれを見て取った。
「―――調練を視察する」
ローラントは思わずそう言ってしまった。自分が行けば当然ライナーも行く結果となるだろう。
朝から剣の訓練を見るのはうんざりだが何故かそう言ってしまった。
「皇子が?承知しました。では参りましょう」
ライナーは皇子の気まぐれには慣れている。部屋に送り届けても暇な朝はまた抜け出す可能性は高い。心配するより一緒に来て貰った方がずっといいだろう。
踵を返したライナーに今度は誰もが見て分かるくらいジークが嬉しそうに付いて行った。
ローラントはそれを見ると妙な気分になってきた。ジークが喜んでいるのを見るのは何故か気分が良い反面、その原因がライナーだと思うと、不快にもなる・・・ローラントはこの感情に名前を付けられない。
付けるとしたら独占欲≠ニ嫉妬≠オか無いからだ。
(冗談じゃない!女ならまだしも相手は男だ!馬鹿らしい!)
そう心の中で悪態をついたローラントだったが今まで一度もそんな感情を女性に対して持ったことが無いとは本人は気がついていないようだ。
独占欲や嫉妬を覚えるまで執着したものが無いのだから当然だろう。
ローラントは視察をすると言ったが、修練場に辿り着いた時にはその、もやもやとした気分で目的はどうでも良くなっていた。それに苛々は増して誰かに八つ当たりしたくなってきた。
「アルベルト、お前とジークはどっちが強い?」
皇子の側に残ったアルベルトにローラントは聞いた。
「体術なら私が。剣ならジークが強いです」
急にそんな事を聞く皇子にアルベルトは嫌な予感を感じながら答えた。
「体術は体格差が出るから当たり前としても・・・ふん、そうか・・・」
何を考えているのだろうか?とアルベルトの不安が膨らんで来た。
「では帝国一の剣士ライナーと御前試合優勝者ジークとの手合わせを所望しよう。久方振りにライナーの真剣勝負を見たいからな」
皇子の性格を良く知るアルベルトは素直にそれを言葉通りに受けとれなかった。
普通に聞けば何とも無い話だが、どう考えてもジークに対する嫌がらせとしか思えなかった。
明らかに勝敗が分かっているようなものをさせようとするのはライナーの剣技を見たいと言うよりも、ジークが無様に負ける姿を見たいのだろう。
アルベルトもジークと同じく皇子に彼女が気に入られていると思わなかった。
しかし嫌っているとも思わないのだ。嫌っているようで気に入られている・・・妙な感覚だ。
それにその意地悪もジークの気を引く為にしている感じさえ思う時が度々あった。
(女って気がついて無いは筈だよな?まさか皇子は冗談じゃなく男もいける?)
アルベルトは自分の恐ろしい考えに、ぞっとしてしまった。
もしこの考えが当たりなら手の早い皇子のことだけに心配になってきた。
(まさか同意無しに押し倒したりしないよな?)
そんなことでもされたら一発で女だと分かってしまうとアルベルトは思ってしまった。
そんな馬鹿らしい心配ごとをしている間にローラントがライナーに命令していた。
それを受けるライナーは仕方が無いと言うような顔をしたが、アルベルトの心配は他所にジークは嬉しそうだった。誰もがライナーとの手合わせは嫌がるものだがジークは違っていた。珍しく頬を上気させ瞳を輝かせている。だから誰が見ても嬉しそうだと分かるだろう。
ローラントはそれに気が付くと尚更機嫌が悪くなって来た。こうなったらジークが負けて悔し涙を流すのを見るまでこの気持ちは治まらない感じだ。
手合わせが始まった―――
「行くぞ、ジーク。手加減はしないからな」
「はい。宜しくお願いします」
余裕たっぷりかと思ったライナーは最初から本気全開だ。彼がジークに剣を教えただけあって剣さばきは良く似ている。何処にどう行くのか分かるのかその動きは素早く、見学者達は動きを追うだけで大変だった。唯一違うと言えばジークの方が身軽く体勢が柔軟な感じだ。それで随分健闘しているが押され気味なのは明らかだった。それなのにジークの表情に悲壮感は無く生き生きとして楽しそうで、それを見るだけで自分達まで楽しくなるような気がして来た。しかしライナーの鋭い斬り返しに反応出来なかったジークは体勢を崩しその剣の切っ先から逃れられずとうとう勝負はついた。
「―――参りました」
ジークの敗北の声が掻き消えるかのように仲間達が歓声を上げた。ライナーの腕を知っている彼らはジークの健闘を称えたのだ。
「良くやったな、新人!」「御前試合で優勝したって言うのは本当だったんだ!」
「隊長、もう少しで負けそうでしたね」「そうだ!」「そうだ!」
わいわいと言いたい事を言っている。
ライナーはやれやれと肩をすくめると、地面に膝をつくジークに手を差し伸べた。
そして、にっこり微笑んだ。
「本当に上達したな、ジーク」
「でもまだまだです。貴方には到底及ばない」
「はははっ、早々追いつかれても俺は困る。少しは威張らせてくれ。さあ」
ジークはライナーの差し伸べる手を取って立ち上がった。アルベルトと同じく大きな手だ。
努力してもどうにもならない悲しい現実―――立ち上がってもその手を離せなかった。
「ん?どうした?」
手を離さないジークにライナーが首を傾げている。
「・・・手が大きくて良いなと思って・・・」
「はははっ、それは仕方が・・・おっとっと・・・ああ、だからさっき羨ましくってアルベルトをベタベタ触っていたんだな?何やっているんだ?と思っていたよ。ジークはジークの良さがあるからそれを伸ばしたらいい。だから俺の剣は卒業して自分の剣を見つける時期だろう」
「―――そうですね。私も今日実感しました。頑張ります」
繋いだ手は握手に変わり解かれた。
その間、ローラントはムカムカして気分は最悪だった。惨めに負けて皆の笑いものになり、悔し涙を流すと思って期待していたのに全く逆だった。その上、ライナーと手を握り合ったまま離さない。
それが妙にムカついて仕方が無かった。さっきのアルベルトとじゃれ合っていた時と一緒だ。
この感情を持て余したローラントは無言で修練場を立ち去り始めた。気が付いたアルベルトとジークはライナーに自分達が行くと言ってその後を追ったのだった。
結局その日一日、皇子は私室から一歩出る様子が無かった。
「んんっ〜今日は楽だったのか疲れたのか分からない一日だったよな?」
アルベルトが勤務の交代を終えると背伸びをしながら言った。
「そうだな・・・皇子はお加減でも悪かったのだろうか?」
「それは無いな。機嫌は相当悪かったみたいだけど元気良く侍女を怒鳴ってたし」
「あの子・・・泣いていたな・・・」
泣きながら飛び出すように退室して来た若い侍女をジークは思い浮かべた。
「でもまぁ、あの侍女には良い薬だろう」
噂の侍女はローラントの気を惹く為に仲間を陥れては皇子の世話を独り占めしていたのだ。
皇子は気がつかなくても外から様子を見ているアルベルト達はそれが分かっていた。
「それでも女性を泣かせては駄目だ」
「ジーク、あの女なら泣くのも計算のうちさ。女の涙は武器だしな」
「武器?」
「ジークには分からないだろうけど・・・男としては女の涙は、ドキッとするし焦って構いたくなる」
「そう言うものなのか?」
不思議そうに言うジークが妙に可愛く見えたアルベルトは少し焦ってしまった。鼓動が速くなる。
(じょ、冗談じゃない!静まれ心臓!)
「アルベルト?どうした?」
「な、何でも無い!と、とにかくジークは男の前でなんか涙するなよ」
「私は泣かない・・・」
ジークの顔が曇ったと言うよりも無表情になってしまった。
アルベルトは長い付き合いだが確かにジークが泣いたのは見た事無い。
(笑顔も殆ど見ないけどな・・・)
アルベルトは出会う前のジークの過去を本人から聞いたことは無い。でも長い付き合いだし家族の様子から何となく分かっていた。ジークは泣かない―――そういう感情を無意識に抑え込んでいるのだ。それでも最近では随分良くなったとアルベルトは思った。平凡だった日常の変化から少しは感情が顔に出るようになってきたのだろう。その変化が嬉しい反面少し焦ってしまう。
「ところでアルベルト、今夜は大丈夫か?」
シャルロッテとエドガーがドレーゼ公爵家の夜会に父親の頼みで出席しなければならなくなっていた。しかしエドガーが急に行けなくなってしまったのだ。シャルロッテは心が繊細で人見知りするから同行者は誰でも良いと言う訳には行かなかった。父親は行かれないと言う。だから殆ど公の場にも出たことが無い彼女の為にジークが顔見知りで夜会慣れしているらしいアルベルトに頼んだのだ。
「え?ああ、大丈夫だ。それにしても本当に俺で良い訳?何かそれって見合いかなぁと思ったけど?」
「・・・父上は、はっきり言われなかったが・・・たぶん」
「だろう?絶対怪しいって。有力貴族が良くする話さ。花嫁候補を何人か集めて競わせて選ぶ。どうせあの馬鹿息子の発案だろう。相手が悪すぎて伯爵は断れなかったんだろうな」
アルベルトの言う通りだろう。貴族の付き合い上、断れない相手もいる。ドレーゼ公爵家は勢力的に強く敵に回したくは無い家だった。ご機嫌まで取る必要は無いが機嫌を損ねるのは不味いらしい。クレール伯は嫌々ながら馬鹿げた宴に参加するしかなかった。だから自分が一緒に行って乗り気だと思われたくなかったらしい。
「すまない、アルベルト。立場的に不味いのなら断ってくれても構わない」
「ドレーゼ公だろう?嫌な家でも一応親戚だから俺は大丈夫。全然構わないし美人のシャルロッテを連れて歩けるなんて楽しみだよ」
アルベルトはそう言いながらジークもシャルロッテも同じ顔だったよな?と不思議な気持ちになってしまった。いずれにしても時間を確認した二人は皇城を後にしたのだった。