
皇子は一日中、部屋にふて腐れて篭もっていが気晴らしに城を抜け出してこの夜会に紛れ込んでいたのだ。しかも憂さ晴らしに最近では影を潜めていた女遊びをしていた。
適当な女を人気の無い庭に連れ込んでいた最中に、バシャバシャという不調和音にふと気が付き周りを見渡すと貴族の娘が裸足で踊っているのを見つけたのだ。
上がったり下がったりする噴水の影で良く見えなくても月明かりに浮ぶその美しい姿に驚き魅入ってしまった。まるで宵闇の女神が降臨し水遊びをしているのかと思ったぐらいだ。
宵闇の女神―――陽の神と夜の神が入れ替わる時を司る女神は、陽が沈み月光が辺りを照らし出すまで無邪気に遊ぶと云う。
(どこの誰だ?見た事が無い・・・いや・・・何処かで見た感じも・・・)
食い入るように見つめるローラントは胸が段々と熱くなる感じがしていた。
情事の最中にいきなり動きを止めた皇子に女が不満の声を上げだした。
「煩い、黙れ」
ローラントは小声で怒ると、その女の上からそっと起き上がった。驚かせたら消えてしまいそうだとローラントは思ったのだ。しかしローラントが起き上がってしまう前にその宵闇の女神は靴を履き長い髪から光の粉を振り撒きながら駆け出して行った。
「待て!」
ローラントの制止の声は一気に上がった噴水の音に掻き消されてしまった。そして噴水が下がった時、彼女を迎えに来た男の声が遠くから聞こえて来た。
「・・・探したぞ。うわっ、その髪・・・全く、お前って・・・」
(この声は・・・アルベルトか?)
アルベルトが彼女のショールを広げて乱れた髪を隠すように頭にかけてやっていた。かなり親しそうな様子だ。そして肩を抱くように去って行ったのだ。ローラントは何故か腹が立って来た。
そしてアルベルトと彼女の関係が気になって仕方が無かった。
(妹か?いや、アルベルトには年頃の妹はいない。親戚か?いや、違う・・・)
ローラントはあくまでもアルベルトの恋人だと言うのでは無く親族にしたいようだった。
しかしアルベルトの家系ならローラントの花嫁候補として筆頭に上っているだろう。
そういう話は聞いたことが無いと言うことは親族では無いと言うことだ。
ローラントは問い質そうと彼らを追いかけたが一足先に帰ってしまっていた。
それからのローラントは夜遊びどころでは無くなった。
夜明けまで悶々とアルベルトが登城するのを待ったのだ。
翌朝、いきなり勢いよく開かれた皇子の部屋の扉にアルベルトとジークは驚いた。
そして部屋の中へと引き込まれてしまった。
「待っていたぞ、アルベルト!」
「おはようございます、ローラント皇子」
「挨拶はいい!あの娘はどこの誰だ!お前との関係を言え!」
「え?娘でございますか?」
ローラントは寝不足で苛々が増している。
「ドレーゼの所で一緒に居た娘のことだ!」
アルベルトとジークは顔を見合わせた。ジークのことがバレたのだろうか?と一瞬思ったが彼女にではなくアルベルトに尋ねているからそうでは無いのだろう。それよりもそれを見たと言うことは皇子もその場所にいたと言うことだ。昨晩の皇子の外出は予定には無かった。ということは・・・
「皇子、また警護の目を盗んで行かれたのですか?」
「そのようなことはどうでもいい。アルベルト、問いに答えろ!」
「同伴していたのはシャルロッテ・クレールと言うものです」
嘘だがその日はシャルロッテの代わりでそう名乗っていたから苦しい言い訳だが嘘でもない。
「クレール?ジークの縁者か?」
「シャルロッテは―――ジークの双子の姉です。それが何か?」
アルベルトが差し障り無く答えた。皇子を騙しているようなものだから気分的に落ち着かない。ジークの姉と聞いたローラントは納得した。見た事があるような気がしていたのはそのせいなのだと思った。それならジークと同じく幼馴染とも考えられる。しかし男と女では立場は違ってくるかもしれない。
「お前との関係は?」
「か、関係ですか?どうしてそのようなことを聞かれるのですか?まさか皇子・・・」
アルベルトはまさか?と思ったが皇子の様子からしてそのまさかしか考えられなかった。
(シャルロッテのふりをしたジークを気に入った?)
「か、勘違いするな!私が裸足でしかも解いた髪で踊る見っとも無い女を気にする訳無い!そんな女と付き合っているお前を心配したんだ!クレールも息子達はまずまずでも娘には苦労するようだ!」
ローラントは心にも無いことを嫌味に言った。
アルベルトは皇子の暴言にジークが怒り出すのでは無いかとハラハラしたが彼女は平静だった。
「皇子が昨晩のシャルロッテをどう思われようと構いません。それよりも皇子がお忍びで出かけた事が問題です。護衛も付けずにお一人で出歩かれるなど考えられません。夜は特に危険でございます」
ジークの忠言にローラントは、ぎらりと睨み返した。
「お前に話す許可はしていない!黙れ!」
「いいえ、黙りません。処罰なら幾らでも後で受けます。もう二度とお一人で外出なさらないで下さい」
「黙れ!黙れ!お前は私に命令するのか!」
「命令ではございません。お願いしているのです。どうか、御身を大切にして下さい。お願いします」
アルベルトは二人の言い合いにハラハラしながら口を挟むことも出来ずにいた。
「御身を大切にか?聞きなれた言葉だ!それは大切だろう?まだ種付けもしてなければ封印の儀式前だからな!」
ローラントは吐き捨てるように言い放った。何度も聞く捨て台詞だ。
しかしその直後に皇子の頬が鳴った―――ジークが皇子の頬を叩いたのだ。
アルベルトは声を上げて驚いたが、叩かれた皇子も瞳を見開いて呆然としていた。
「皇子、貴方が大切なのです。何故分からないのですか?何故いつもご自分を貶めるような言い方をなさるのですか?冥神の血はあなたの一部ですから否定は出来ないのです。ご自分が嫌でもその宿命から逃れられません。ですから否定するのでは無くて受け入れて下さい―――私の最後の願いです。どうかご自分を大切に・・・」
珍しく雄弁に語ったジークだったが最後の言い回しにアルベルトは、はっとした。皇子に手を上げての諫言は当然、死を覚悟してのものだ。
「駄目だ!ジーク!死ぬんじゃない!」
アルベルトの叫び声にローラントが、はっと我に返った。そして同じく叫んだ。
「死んで詫びるなど許さない!」
「・・・主君である貴方に許可無く諫言し手を上げたのです。過去の例に照らし合わせても極刑に値します。それに私は謝りません。ですから罪は重いのです」
ジークの言葉は冗談でも脅しでもない。いつも本気だと言うのはローラントも分かっている。
だから尚更焦ってしまう。ジークに叩かれた頬が熱い・・・叩かれたのはもちろん初めてだった。
それが痛いとも屈辱とも思わなかった。ただ頬と同じく胸が熱くなったのだ。母親以外にこんなに本気で心配してくれる者はいないだろう。その話題にしていたジークの姉の事など頭から吹き飛んでしまった。しかも彼女が気になったのはジークに似ていたからだろうとその気持ちをすり替えていた。
「許す!全部許す!許し無く話すのも私を諌めて叩くのも全て許す!許可受けたものに罰は値しない!そうだろう?アルベルト」
アルベルトは皇子の発言にも驚きの声を上げてしまった。
高飛車で我が儘嫌味皇子が只の護衛官にそんな許可を与えるとは信じられなかった。第一級の皇族には彼らの許し無く話しかけることは出来ない。そのしきたりを免除されているのは数えるだけしかいないのだ。皇帝が許しているライナーのような者は皇子にも直接声をかけることが出来るが、皇子自らが許した者はいなかった。その一人目がジークになろうとは・・・しかも叩くのも認可。
(嘘だろう?)
「アルベルト!返事しろ!」
「は、はい!皇子の言われる通りです!ジーク、皇子がそうおっしゃるのだから罪にはならない。それにお前が居なくなったら誰が皇子をお諌めするんだ?そんな命知らずは居ないし、皇子もこれ幸いにと羽目を外してしまう」
ローラントが、じろっとアルベルトを睨んだ。
アルベルトは、ぎくりとして喋り過ぎる口に手を当てた。そして、ほらっと言うように肩を竦ませてジークに助けを求めるように視線を送った。
それを受けたジークは大きく息を吐いた。緊張していたものが一緒に吐き出されたような感じだった。皇子に仕えるようになってまだ日も浅いのに死を覚悟したのは二度目だ。しかも二度共、皇子を怒らせている。ジークは自分が短気だとは思わないが皇子と関わっているとどうしても命を引き換えにするような事態になってしまう。しかも必ず皇子はそれを許し止めてくれる・・・
(一度目はまだいい・・・しかし二度目は無い・・・私の覚悟はそれ程軽く無いのだから・・・)
ジークは静かに首を振った。
「皇子・・・私ごときに身に余る温情・・・光栄です。ですが二度もそれに甘えられません。他の者が聞けば理由は何であれ、不敬を働いた臣を処罰しなかった皇子は軽んじられるでしょう。それに皇子が許されても私が自分を許せません」
「それが!それが忠義だと思っているのだろう?そうやってお前達は名誉や馬鹿らしい理想の為に簡単に命を捧げる。私に自分を大切にしろとか言ったお前が何故、自分を大切にしないんだ!お前は馬鹿か!」
言うことを聞かないジークにローラントは憤った。
どうしたらこの馬鹿正直な奴を止めることが出来るのか?
「私が皇子だからか?私が冥神の血を継ぐ者だから無礼が許されないと言うのか?ならば私の頬を叩いて諌めてくれる者など誰一人いない!聖なる血が薄まった父は当然、母は自分の世界から出て来ない。だから誰も私に逆らえない!」
ローラントは自分が何を言いたいのか分からなくなってきた。言っていることが支離滅裂なのだ。
しかしジークには彼の思いが伝わってくるようだった。
ローラントは孤独に泣いているのだ。高飛車な態度で他人を拒絶しているのに実際は構って欲しい寂しがり屋だ。寂しい癖に何時も強がっている。
だから本気で接してくるジークに反発しながらも大事に思ってくれているのだ。
自分の気持ちを表すのが苦手なジークと、気持ちを表すことに慣れないローラントは似たもの同士だ。
「これは主とその臣という立場じゃない!そう、そうだ!友人同士の喧嘩だ!それなら文句は無いだろう?お前は私の友だ!だから不敬罪では無い!」
アルベルトは再び驚きの声を上げてしまった。皇子の友人宣言・・・それこそ有り得ない。
しかしそれはどんな言葉にも動じなかったジークの心を動かした。
「友?私と皇子が?」
「そうだ。お前とアルベルトのようにだ。対等に話す事も許しているのだから同じだ」
ジークに友人と呼べるものは少ない。親友となればアルベルトぐらいだ。
彼女の率直さと実直さは美徳であり知り合った誰もがジークを好ましく思う。しかし彼女の内側まで入って来る者は少なかった。ジーク本人は無意識だろうが他人を避ける傾向にあったからだ。
浅く広く・・・決して深く関わらない。
それは幼い頃、自分を守る唯一の防御方法だった。乳母コスタの躾に沿えば感情を殺さなければならなかった。多感な子供にとって自分以外の人間は珍しく刺激的で心弾んだ。だがそうなると感情が溢れ折檻の原因になってしまうのだ。だから他人に壁を作る・・・
ジーク自身、コスタを克服しているつもりだがその悪腫は今でも根強く彼女に巣食っていた。
しかしローラントの傍若無人の横暴さはジークのそんな壁など問題にしていない。軽く嗤って飛び越えるどころか聖剣にかかって霧散する妖魔のようにバラバラに壊して踏み込んでいる。
ジークは皇子の無茶苦茶な提案に肩の力が抜けた。
そして困った人だと思いそんな顔をした。少し呆れて微笑んで・・・
その表情にローラントは、どきりとした。時々ジークはローラントの胸を高鳴らせるような顔をする。彼自身そんな感情の経験が無いから不可解に思うものだ。
「聞いているのか!ジーク!」
自分の不可解な気持ちを発散するようにローラントは怒鳴った。
「はい、皇子。ありがとうございます。許されるのなら私も皇子の友となりたいと思います。そして皇子の示して下さる友情に甘えさせて頂きたいと思います」
奇妙な友情が芽吹いた瞬間だった。ジークは立場も身分も違い過ぎる皇子をアルベルトのような友とは思えないだろう。しかしローラントの孤独の中に抱く渇望を見過ごす訳にはいかなかった。
その皇子を少しでも慰めることが出来るならと承知したのだ。
少し腹を立てて不愉快な顔をしていた皇子がジークのその答えを聞くと、非のうちどころの無い美しい顔を鮮やかに微笑ませた。
今度はジークがそのローラントに魅入る番だった。
人間が考えられる美を集めたような皇子は勿体無いことにいつも不機嫌な顔をしていた。
もしくは全くの無表情。だから笑顔は皆無であり嘲りで笑むぐらいだ。
そのローラントが嬉しそうに微笑むのはかなり珍しい。
「何を見ている?」
ジークとアルベルトが自分に注目しているのに気が付いた皇子は、微笑みを引っ込めて聞いてきた。
もう、いつもの不機嫌顔だ。
(皇子の笑顔に驚いて見ていたなんて言えないよなぁ)
アルベルトはどう言おうかと躊躇している間にジークが答えていた。
「皇子の微笑まれたお顔がとても美しかったので不躾に見入ってしまいました。申し訳ございません。勿体無いですからいつも微笑まれたらどうですか?」
飾らない率直なジークらしい答えにアルベルトはもう冷や冷やしなかった。彼女のこの気質が皇子に気に入られているのだろうと感じたからだ。
「女ではあるまいし美しいと言われても良い気分では無い」
素直ではない皇子の答えだが怒っている感じでは無かった。どちらかといえば照れ隠しのようだ。
「美しいものに男女の区別は無いと思います。皇子の類い稀な美しい容姿は性別関係なく見るものを感動させますし、アルベルトやライナーのように均整のとれた鍛えた身体は躍動感溢れて美しいし、美しいという表現は性別に関係ありません」
ローラントはジークの言いたいことは何となく分かるが、アルベルトやライナーは男らしく自分は綺麗なだけという感じがしてならなかった。男としての誇りが妙な対抗意識を燃やしていた。
聖剣を御する為に鍛錬は必要でありそれなりに努力はした。だから帝国一の剣士ライナーに及ばなくとも腕に自信はあった。しかし最近鍛錬を怠っているのも事実でそうなれば筋力は衰えている。
ローラントはアルベルトを、ちらりと見た。
自分と背格好は変わらないが、アルベルトの方が逞しく見える。今まで考えたことも無かったローラントだったがそれが何だか悔しくなってきた。
細身のジークが憧れるアルベルトとライナーに負けたく無いと思ったのだ。
ローラントはいきなり無言で部屋を出ようとした。
「皇子、どちらへ?」
今日の予定としては出かけるにはまだ早い時間だ。アルベルトは慌てて尋ねた。
ローラントは扉を開けて振向いた。
「朝の調練に行く」
ローラントは視察≠ナは無く行く≠ニ言った。近衛隊の早朝訓練に参加するつもりのようだ。
剣の稽古をしたければ今までのように個別指導を受ければ済むことだが、ジークが喜ぶ方をローラントは無意識に選択してしまった。
それはもちろん的中だ。ジークは皇子のその言葉を受け嬉しそうに瞳を輝かせたのだ。
ローラントは何故か騒ぐ胸を抑えながら満足そうに微笑んで部屋を後にした。
それから毎朝、皇子は二人と共に調練に参加するようになったのだった。