
「それにしてもあの皇子が毎日欠かさず来られるとは・・・しかも自主鍛錬もしているとか?全く信じられないな」
近衛隊の隊長を務めるライナーは感心していると言うよりも恐々 とアルベルトに言った。
調練の時間を使ってライナーと打ち合わせをしているアルベルトも訓練に参加している皇子とジークに視線を送って頷いた。初めは驚いて訓練どころでは無かった隊員達も次第に慣れてきた様子だ。
「そうでしょう?ジーク効果と言うのでしょうかね?皇子はジークと一緒に居ると楽しいようです。相変わらず憎まれ口は叩きますけどね」
「・・・まさか・・・バレて無いだろうな?」
「バレる?あっ、そうか。ははは・・・つい忘れそうです。それは無いでしょう。ジークは皇子の女性観から大きく外れていますし」
「まあ・・・アルベルトが忘れそうなぐらいなら大丈夫か・・・」
「そ、そうですね」
アルベルトは冷や汗ものだった。ジークが女性だと忘れているのでは無く、度々意識してしまうから自分で暗示をかけているような状態なのだ。
ライナーに知られれば間違え無くジークの側から排除されてしまうだろう。
「しかしこうなるとジークの除隊が難しくなるな・・・後々話しが難しくなる前に辞めさせたいのだが・・・」
「今の状態ではかなり難しいと思います。それこそ急に除隊でもしたら皇子が黙っていないと思います」
「そんなに?」
「はい・・・皇子のジークへ対する信頼は日増しに大きくなっています。誰も寄せ付けなかった皇子がジークには心を開きかけているのです。今、ジークを引き離せば皇子は前より酷い状態になるかもしれません。無気力、無節度、非道徳・・・帝国一の貴人を誰も止めることは出来ませんでしょう?」
ライナーは大きな溜息をついた。
「無気力か・・・それが一番悪いな。そうなったら皇子派が喜ぶだけだろう。代替わりしたらやる気の無い皇帝の代わりに帝国を牛耳れる・・・」
「妖魔だけでも大変なのに相変わらず皇子の周りは権力抗争だらけのようですね」
「妖魔より人の方が恐ろしいかもな」
笑いながら言うライナーの意見にアルベルトは同意したのだった。
有力貴族であるライナーのベルツ伯爵家とアルベルトのランセル侯爵家は中立の立場だ。
しかしアルベルトの親戚筋のドレーゼ公爵家は皇子派の先頭に立っている。
貴族の勢力分布は入り組んでいて難しいものだ。
それを左右すると言われる皇子の花嫁候補―――
その選別の遅れが皇子派の焦りを煽り思わぬ事件を巻き起こしてしまうとは予想出来なかった。
それは年に一度行なわれる神事の日―――
その神事を司る皇帝が食事に混入された毒で倒れた。それは幸運だったのか?それとも故意だったのか?命に関わる類いの毒では無く、暫く身体の自由が利かなくなる程度のものだった。
皆は、ほっと胸を撫で下ろしたが神事の延期は不吉とされ出来ないものだ。
そこで皇帝の代わりとして急遽、ローラント皇子が執り行う事になってしまった。
突然、皇帝の急病の知らせと、それに伴う神事代行の旨を同時に受けた皇子は急ぎ皇宮へと向った。
もちろんジークとアルベルトも同行した。
そして急ぎ到着した皇宮の入り口で出迎えたのは厳しい顔をしたライナーだった。
ローラントはそれが侍従では無い事に不安が過ぎった。
「ライナー?・・・父上のご容態は?」
「・・・・・・皇子、どうぞ此方へ。お前達も一緒に」
案の定ライナーはその場で答えず、近くの小部屋へ誘った。
「内密ですが陛下はご病気ではございません。毒を盛られました・・・」
「なっ・・・毒?まさか!」
ローラントは驚き信じられないと言うように首を振った。
皇族を・・・しかも皇帝を手にかけようとする者がいるとは思わなかった。その罪は帝国の刑罰の中で最も重いものとなりその内容を聞くだけでも恐怖するものだ。
「毒の種類からしてお命を狙ったものでは無いと推測されますが・・・断言は出来ません。情報が少な過ぎて犯人の狙いが何なのかはっきり致しません」
「では、父上はご無事なのだな?」
「はい。手足が痺れて今は立てない状態ですが医師の診立てでは一週間もすれば良くなるそうです」
「それなら安心だ。それで代行と言うのだな?」
ローラントは安堵した表情をしたものの直ぐに嫌な顔をした。
月が満 夜中に大神殿で行なわれる神事―――
国家安寧の儀式は一般にも公開される。それは皇家の神格化を強化する為に冥神の血筋である皇帝をその冥神に譬 えて執り行う類いのものだ。ローラントの大嫌いな冥神ごっこのようなものだ。
「はい。ダマー殿が大神殿で準備してお待ちしております」
ローラントは更に嫌な顔をした。
「私で無くとも母上で良いのでは無いか?母こそ冥神の子ではないか?」
「皇后様は今、陛下に付き添われております」
「母上が離宮から出て来たのか?」
ローラントは驚いて聞きなおした。
「はい。しかしご心配の余り錯乱されておりますので、ご無理かと・・・」
ローラントは更に驚いてしまった。母がそこまで父を心配するとは思わなかった。
公式の場でさえも二人が一緒に居ることも無く、冷め切った夫婦と言う印象しか無かったのだ。
「分かった。では今から大神殿に行く――」
「陛下の所へは?」
「母上がいらっしゃるのなら私はいいだろう。行ったとして何の役にも立たないのだから、私は自分の出来る事をする」
(以前なら駄々を捏ねて嫌がっただろうにな・・・)
ライナーは微笑んで頭を下げながらそう思った。本当に驚くばかりの心の変化だ。
「ジーク、アルベルト、皇子をしっかりお護りするんだぞ。犯人の目的が分からないのだから皇子を狙わないとも限らない。神殿内は増員もかけているが心して警護に当たれ」
ライナーの厳命に二人は姿勢を正して返事をした。
(ジークの存在は皇子に良い刺激をもたらしているようだ・・・しかし・・・)
ライナーは部屋を出て行く皇子達を見送りながら不安も大きかった。もしもジークの真実が分かった時、どうなってしまうのかと思わずにはいられない。信頼が増せば増すだけそうなった時それがどう転ぶのか・・・不安は尽きなかった。しかし、今は毒を盛った犯人の追及が先だった。
ライナーは再び顔を引き締め、その部屋を後にした。
大神殿の中の一角で神事の衣装に着替えた皇子が大神官ダマーの説明を受けていた。そしてその周囲には皇子をうっとりと夢見るように眺めている神官達がいる。
ジーク達は少し離れて警護をしていた。神殿内では神官の位を持つ神殿専用の護衛官が近侍する決まりなのだ。
「ジーク、皇子・・・かなり機嫌悪そうだな?」
「・・・そうだな・・・」
「あれだけ言われればなぁ・・・でも仕方ないさ。実際、俺でもそう思うよ。あんな格好をした皇子はまるで冥神のようだからな。神々しい事この上ない」
皇子の衣装はもちろん身を飾る宝飾品から履物まで神殿に描かれる冥神と似たように作られてあった。そしてそれを身に付ける皇子自身、神に等しい容姿をしているのだから誰もが冥神のようだと褒め称えたのだろう。それは皇子が一番嫌う褒め言葉だ。
「冥神のようか・・・私はそう思わない」
「思わないって?」
アルベルトとジークが小声で話しているのが気になったのか皇子が視線を送って来た。
そしてローラントは喋り続けている大神官へ片手を上げて黙らせると、ジーク達に話しかけた。
「何を話しているんだ」
ジークとアルベルトはお互いに、ちらっと目を合わせた。正直に言えば不興を買い皇子は、もっと不機嫌になるだろう。しかし此処は先に話しかけたアルベルトが覚悟を決めて答えた。
「皇子はご不快でしょうが・・・皇子のお姿が本当に神々しいので皆が冥神のようだと言うのも分かると思いまして・・・」
アルベルトが恐る恐る答えるのに従って予想とおりにローラントの顔がもっと不機嫌になってきた。
「それで?」
それでと聞く皇子の声は今にも怒りを爆発しそうな感じだ。
しかしその脅しにも似た言葉を気にした様子も無いジークが淡々と付け加え出した。
「私は皇子が冥神のようだとは思いません。我々は実物の神を見たことはありませんし、そのようだと言っているのは大神殿に描かれた絵姿や彫像と比べているのでしょう?それらと比べると皇子の方がずっとお綺麗ですから私は似ているとは思わないとアルベルトに言おうとしていた所です」
ジークは誰もが皇子は神のようだと褒め称える中、ローラントの容姿が冥神より綺麗だから似ていないと言い放った。もちろんジークがお世辞を言う類いでは無いとアルベルトもローラントも良く分かっている。彼女の正直な気持ちなのだ。
だからローラントは一気に毒気を抜かれ唖然とした顔をしてしまった。似ていないときっぱり言われたのは初めてだったし、その理由が冥神より勝っていると言うのだから変な話しだ。
「くっくく・・・あははははっ、お前は本当に突拍子も無い事を言う。傑作だ!本当に傑作だ!」
「何が可笑しいのでしょうか?」
真面目な顔をして言うジークがまた傑作でローラントは身をよじって笑った。そんな皇子を初めて見る大神官ダマーは仰天していた。一気に上機嫌になった皇子はそれこそ皆が平伏してしまいそうな笑みさえ湛えてその嫌だった神事を乗り切った。
しかしこれが幸か不幸か・・・更なる波紋が国中に広がってしまったのだった―――
「これが目的だったのか・・・」
皇城の特に皇帝の警備責任者でもあるライナーが唸った。彼は先日の皇帝を狙った毒混入事件を追っていたのだが犯人の特定と言うよりも彼らの目的が朧気に分かったのだ。
先日、皇帝が行なう予定の神事は皇子が初めて代行した。それは歴代の中でも皇帝の都合により、時々あることであり特別なものでは無かった。だから皇帝が毒で倒れたと言う大事に気持ちが完全に奪われてしまって迂闊にも深く考えていなかったのが本音だ。
しかしそこが盲点だったのだ。
冥の花嫁から誕生したローラント皇子は冥神の血を濃く受け継ぎ、その姿は先日神事で見た通り誰もが心奪われるものだった。それに合わせたかのように国中で皇子派の勢いが増して来てしまった。
皇子人気の裏では密かに現皇帝の退位まで望む声が囁かれている始末だ。
見る者の心を虜にする皇子の姿を使って人心を操ったのだろう。
どう考えても全てが意図的に動いているとしか考えられないものだ。
「皇子派の奴らが仕組んだことだろうが・・・困った事になったものだ」
証拠は何も無い。しかしそうとしか考えられない状況なのだが確証が無い以上、追及は難しく中立の立場を取る重臣も少ない状態で相談出来る人物も限られていた。
大きく動けば国を二分する内乱になる可能性もあるかもしれない。
しかし水面下でこの状況を打開しようとするにはローラントの協力が必須となるだろう。
この親子の関係はライナーから見ても皇帝が皇子をどう扱っていいか持て余している感じで、皇子はそれを感じているのか皇帝に寄り付きもしない。公式の場でしか会話を交わすことも無いだろう。
「まさかこんな一大事をあの子に任せないといけなくなるとはな・・・」
ライナーは大きな溜息をついて、ジークとアルベルトを呼び出したのだった。
「―――という事情だ。把握は出来たか?もちろんこれは極秘であり当の皇子にも悟られてはならない」
国を二分する重大な話に二人は固唾を飲んで聞いていた。
宮廷の事情はアルベルトの方がジークより詳しい。そのアルベルトが言い難そうに口を開いた。
「その・・・隊長。いわゆる自分達は皇子を上手く誘導して陛下と仲良さそうにさせろと言うことでしょうか?」
「簡単に言えばそうなる。陛下と皇子の仲違いはこの状況を悪化させる。それに皇子寄りに傾いた今の状態を戻すのには今まで通りでも困る」
「皇子は・・・皇子は父君、陛下を嫌っていない」
「ジーク?」
「皇子は陛下が倒れられたと聞いて顔色を変えてとてもご心配されていた・・・」
「確かにあの日の皇子には驚いた。自分のやるべき事も分かっていて直ぐに行動された・・・しかしそれが不味かったと今は思う・・・倒れた陛下を見舞わなかっただろう?皇帝派には良い感情で思われていない」
ジークと違って色々な場所に顔を出すアルベルトはその噂を耳にしていたから頷いた。
「そうですね。酷い噂では皇子が早々の皇位を狙って陛下に毒を盛ったとまで言われていますし・・・」
「皇子はそんなことしない!」
ジークが珍しく大きな声を上げた。
「ジーク、落ち着け。我々も皇子を疑ってはいない。しかし極秘だったその毒盛り事件もいつの間にか流出している。宮廷の中枢部が腐っている証拠だ。皇子のお命を狙う馬鹿はいないが懐柔しようとする者達で溢れている。それに伴って陛下のお命は狙われるだろう。その逆に皇帝派は危険分子の皇子を陥れ幽閉しようとしている」
「まさか!」
アルベルトは驚いた。皇子派の動きは分かるが皇帝派にそういう考えがあるとは思ってもいなかったのだ。考えれば皇帝派とは皇帝側と言うよりも皇子派貴族の反対勢力なだけだ。皇帝に忠義を感じている者がどれだけいるのか定かでは無い。そうなれば只の権力争いというだけだ。
「そのまさかだ。証拠は無いが情報は掴んでいる。過去に例が無かった訳では無い。その皇帝は自分の権力に執着し過ぎてその座を譲ろうとし無かった。それどころか自分を脅かす敵として自分の継承者を無実の罪を着せて幽閉し、次代を継ぐ子だけを無理矢理作らせたらしい」
「幽閉されたその後は?」
ジークは胸騒ぎを抑えながら聞いた。
「直系の継承者を皇帝でも殺すことは出来ない。継承者は皇子だったが権力に執着した父親が崩御しても光りも射さない地下牢から自然に息絶えるまで一生出られなかったらしい。何も知らず育てられた彼の子もまた権力に血迷った貴族達の傀儡と成り果てていたとのことだ」
長い歴史の中には暗い過去も存在する。冥神の血を繋ぐ最も貴い皇帝に誰も逆らえない。だから狂ってしまえば誰も止められない一例だ。
「陛下は愚かでは無いからこんな極端な例のようにはなら無いと思うが・・・それでも馬鹿な奴ら程それに踊らされる・・・現にその時代は宮廷貴族が帝国を支配していたのだからな」
「皇子が危ない・・・」
ジークはローラントの身に危険が迫っていると聞いて胸が熱くなった。
助けなければ・・・と鼓動が速くなる。皇子派の甘い誘いと皇帝派の罠―――どちらも危険なのだ。
「皇子に全て話せば・・・」
「それは無理だろう、ジーク」
「アルベルトの言う通りだ。皇子も愚かでは無い。しかし世情などどうでも良いと思っているだろう。皇子は本当に冥神そのものか?と思ってしまうことがある。お前達はそう思う事はないか?俺は時々そう思ってしまう。人の世とは違う世界に住むそんな風情をあの方に感じる・・・あの透明な硝子のような瞳に映るのは自分とは違うどうでも良い世界としか見えてないようだ・・・」
ジークが初めて見た皇子は退屈で死にそうな顔をしていた。どうでもいいからそんな顔をしていたのだろう。
(人の世界が退屈?本当に冥の神のよう・・・)
自分もライナーのその考えに引きずられそうになったジークは首を振った。
「皇子は今少し皮肉れているだけだと思う。誰もが自分達と違うって言って仲間外れするから皮肉れて少し、そっぽを向いているだけ・・・でも皇子は今では自分の仕事を真面目にしているからきっと周りも見えている筈」
「そうです!隊長。ジークの言う通りです。隊長が言わんとすることは分かります。自分もそう思っていました。しかし先日も言いましたが皇子は本当に変わってきているのです。最近では嘲りでは無く本心から笑ったり微笑んだりしています」
「確かに・・・顔つきは以前より良くなったとは思っていたが・・・それでもまだ時期では無いだろう。こんな話は皇子が一番嫌がる類いのものだろう?面倒を嫌う皇子がやっと世間に目を向け出したんだ。もう少し様子を見た方がいい。そうでないとまたどうでも良い病になってしまう」
ジークはそこまで過保護にしなくても皇子なら大丈夫だと言いたかったが、上司のそれも尊敬するライナーの言葉にこれ以上異を唱えられなかった。
(皇子は私がお守りする・・・絶対に・・・)
ジークの胸はまだ熱い―――ふと寂しげに遠くを見つめる皇子の顔と、ふと楽しげに微笑んだ皇子の顔を思い出した。
(皇子にはいつも微笑んで頂きたい・・・)
「ジーク、戻ろう。皇子がきっとウロウロして待っている筈だ」
「ん・・・行こう。そして陛下へのお見舞いを促そう」
「ううっ・・困難な仕事だな。でも、まあ、ジークが言ったら大丈夫だろう」
そうだと言いけど・・・とジークは答えながら歩き出したのだった。