魔法の蜜 2


 そして早速リリーは翌日、セゼール侯爵邸へと向った。
迎えの馬車に乗り到着した場所は王宮からも近い別邸だった。
本宅は領地にあるらしいが公式な行事が多い季節はこの王都に居を構えるらしい。
とは言ってもその当主と長男が王宮に勤めているのだから、ほぼこの屋敷が本家のようなものだろう。だからその構えも立派なものだ。
到着したリリーを迎えたのは心痛で病んでいるような執事のブノワだった。初老の彼は歳よりももっと老け込んでいる感じだ。クロードが言っていたように侯爵夫人に相当苦労しているのだろう。
リリーを見るなり気の毒そうな顔をした。
思ったより大変なのかもしれないとリリーは不安になった。
しかし案内された部屋にはその侯爵夫人の他にクロードが居てほっとした。

「母上、先ほど話していた侍女のリリーです。今日から暫く此処で勤めて貰います」
クロードがそう言ってリリーを紹介した。
リリーは細身の美人で気位の高そうな侯爵夫人の迫力に呑まれていた。イレーネとはまた違った気品ある貴婦人は、早世した先王の妹というのに相応しい風格だった。
リリーは、はっとしてお辞儀をした。

「リリーと申します。宜しくお願い申し上げます」
「ずいぶん子供ね?」
リリーの顔が赤く染まった。
小柄で童顔だから歳をとても下に見られる事が多いのだ。
それが彼女の悩みの種だった。
「あの・・・私これでも十九になります」
「あらっ?十ぐらいかと思った」
「はい、よくそう言われます」
クロードも歳を聞いて驚いていた。流石に十歳とは思わなかったが十二、三ぐらいかと思っていた。

「お前、お茶を淹れるのが上手だと聞いたのだけど、香草は使える?」
クロードはしまったと思った。キトリーはこの香草関係に今凝っていたのを忘れていたのだ。
庭にその香草園を作らせたばかりだった。

「香草でございますか?種類が揃っていましたらお好みに合わせて色々と調合いたしますが?」
「お前、調合が出来るの?」
「はい。一応、私の実家はそういう類の商いをしておりますので、私も見よう見真似で一通りは出来ます」
キトリーは少し興味を持ったようだった。

「そう。まあ口では何とでも言えるものね。じゃあ一杯淹れて頂戴」
「はい、畏まりました」
案内された場所はお茶の為だけの(くりや)だった。
茶葉はもちろん茶器も種類豊富で棚に整然と並べられていた。

「すごい・・・うちの店でもこんなに無いわ・・・」
リリーは楽しくなってきた。元々、お茶の種類を色々混ぜ合わせて何処にも無いような独自のものを作るのが好きだった。その腕前は超がつくほど一流だと父親が認める所だ。今は行儀見習いのつもりで侍女に出したが、ゆくゆくは婿を取って家業を継いで欲しいと思っているようだった。

「お待たせ致しました。どうぞキトリー様、お召し上がり下さいませ」
侯爵夫人が、ちらりとリリーを見た。

「キトリー?」
リリーははっとして自分の失敗に気がついた。
キトリーをちゃんとした敬称で呼ばなかったのだ。イレーネが皇后とか殿下とか呼ばれるのを好まず、名前で呼んでいたのでついその癖が出てしまった。
言い直そうとしたリリーだったがキトリーが笑い出したのだ。

「懐かしい呼ばれ方。最近では私自身、自分の名前を忘れるぐらいそう呼んでくれるものはいないわ。とてもいい・・・」
最近では眉間にしわを寄せた顔しか見たこと無かった母親の笑顔にクロードは少し驚いた。
器から香る優しい香りのせいかもしれない。

(これはまずまず成功でしょう・・・)
キトリーは初め茶の香りを楽しむように器に口を付けずにいた。

「香りはまあまあね・・・」
「キトリー様、召し上がる前にこちらを」
口を付けようとしたキトリーにリリーが硝子の小瓶を差し出した。
そしてその中身を一滴落とす。その金色のしずくが茶の中に広がると甘い香りがした。

「どうぞ」
「今のは何?」
「これはお茶が美味しくなる魔法です」
「魔法?面白いことを言うのね」
キトリーはリリーの言い方が気に入ったようだった。そして一口飲むと笑みが広がった。

「如何でしょうか?母上?」
母の表情の変化を見逃さずにクロードが訊ねた。
キトリーは勝ち誇るのでも無く澄ました顔の息子が憎たらしかった。

「まあまあよ」
リリーはその答えに自信が無くなってしまった。気に入って貰えると思っていた自分が恥ずかしくなって俯いた。鼻の奥がつんとして涙が出そうだった。

クロードは直ぐ彼女の変化に気が付いた。

「リリー、母はとても気に入ったそうです。今日から宜しくお願いします」
「え?でも・・・」
涙ぐむリリーが顔を上げた。クロードはやはり彼女がとても幼く見えた。

「母のまあまあ≠ヘとても気に入ったという言葉と同一です。そうですよね?母上?」
キトリーは息子の責めるような視線を受けて横を向いた。

「そうだったかしら?」
「母上、違うのでしたら彼女はイレーネ殿の所へ戻します」
キトリーが急に立ち上がった。

「お前、リリーと言ったかしら?」
「は、はい」
「いらっしゃい、香草園を見せてあげるわ」
「え?でも・・・」
リリーは不安そうにクロードを見た。
視線を向けられたクロードは彼女を見ると本当に雛鳥を思い出す。守ってあげないといけないような気持ちが湧いてくるのが不思議だ。

「大丈夫。母は君が気に入ったようだから行っておいで」
「はい、ありがとうございます」
つんと澄まして先を歩く母とその後に付いて行くリリーをクロードは送りだした。
そして少しぬるくなった茶を啜った。

「本当に冷めても美味しい・・・私も屋敷に帰る楽しみが出来ましたね」
そして取敢えず難問の突破口が開けたと安心するのだった。



「本当にリリーのお茶は美味しいわ。他の者にも教えているみたいだけど全然駄目ね。リリー、だからずっとうちに居なさい」
この屋敷に来てもう二週間過ぎようとしていた。
それなのにキトリーはそう言ってリリーを放そうとしないのだ。
今ではお茶だけでなく侍女の役目もしている始末だった。
執事のブノワもすっかりリリーを頼りにしていた。彼女がいればキトリーは大人しいからだろう。
リリーはイレーネの事が気になって仕方が無かった。
しかし今の彼女なら誰が侍女となっても問題なく勤まるだろう。尊敬して一生懸命尽くそうと心に誓っていたイレーネの側に、自分の居場所が無くなったみたいで悲しくなってくる。
だから夜になるとつい泣いてしまうのだった。

真夜中になっても涙が止まらないのでお茶を飲もうと思い立ち、寝床から起き上がった。
薄い夜着のままそっと部屋を抜け出し、召使い用の台所へと向った。
そこで湯を沸かし自分用の特製のお茶を淹れると、心を癒すような香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
それから残りは保温の容器に入れて部屋へと向かったのだった。
しかし帰っている途中に前の方から、ぬっと誰かの影が出てきたのだ。
驚いてお茶をのせた盆を落としそうになるのを、その影が受け止めた。

「やっぱり貴女でしたか」
その影はクロードだった。

「ク、クロード様?ど、どうなさったのですか?こんな夜中に・・・」
クロードは今日、仕事が忙しいとの事で帰宅していなかったのだ。

「今、帰って来たのです。そうしたらお茶の良い香りがするので、それこそどうしたのかと・・・」
クロードはそう言いながらリリーを見た。彼女はまだ驚いたような顔をしていた。
そして飾りも何も無いただ白いだけの子供の肌着のような夜着に、いつもは後ろに束ねてある
髪が左右に振り分けて束ねてあった。
そんな姿を見ると母では無いが本当に保護を必要とする幼子のようだった。

「あの・・・私、眠れなくて・・・」
幼く見えるのは大きな瞳のせいだろうかと思っていると、その瞳は赤く、まつ毛が濡れていた。

(泣いていた?)
クロードの胸に何故か、ずきりと痛むものが走った。

「母が何かしましたか?」
クロードは思わず、まつ毛に残る涙を拭うようにそれにそっと触れた。
リリーは驚いて、どきりと胸が跳ねた。

「い、いいえ・・・ただ少しイレーネ様の事が気になったもので・・・」
「・・・・・・帰りたいのでしょう?母はあの通り手がかかる人ですし・・・」
「ち、違います!キトリー様はとても良くして下さいます!ですから嫌な事は全く無いです!ただ・・・イレーネ様と離れているのが寂しくて・・」
遠い帝国からイレーネだけを頼りに、この国へ来たリリーの不安をクロードは察した。
それに幼いのによく親元を離れ、一緒に同行して来たものだと感心していた。

(幼い?違いましたね・・・)
クロードは彼女の見かけから、ついそう思ってしまうのを何時も自分で否定しなければならなかった。

「貴女は本当にイレーネ殿のことが好きみたいですね?」
「はい、とても尊敬しています!あの方のような女性になりたいと何時も思うんです」
「そう」
クロードは珍しくにっこりと微笑んだ。
彼はどちらかと言えば気難しい顔をしている方が多い。眉間にしわを寄せているみたいな感じだ。
その貴重な微笑みは薄暗い廊下でもはっきりと見えてリリーはまた、どきりと胸が跳ねた。
そして自分の格好が急に恥ずかしくなってきて下を向いてしまった。
色気など全く無い夜着で室内履きをつっかけているだけだから足は裸足だ。どうみても子供っぽい。
侍女仲間がしきりにリリーの夜着に文句をつけていたのを思い出してしまった。
就寝前に彼女達は誰かの部屋に集まって、噂話や愚痴を言い合ったりするお喋りを楽しむのが決まりだった。そしてその日の標的はリリーとなっていた。

『リリー、何?それ?今どき子供でもそんなの着ないわよ』
『え?そう?でも寝るだけでしょう?誰に見せる訳でもないし・・・』
そう言いつつ皆を見ると、レースやリボンに花飾りと昼用のドレスのようなものを着ていた。
違う点は生地が透けるように薄いだけだ。

『リリーは子供だからまだ早いかなぁ〜』
皆が、きゃっきゃと笑った。彼女達からは何時も子供だと言って馬鹿にされるのだ。

『ここは皇城よ。いつ高貴な方の目に留まるか分からないのよ。そして何時忍んで来られるかもね』
その言葉にまた皆が、きゃっきゃとはしゃいだ。
侍女は良家の子女が多いと言っても良くて下級貴族で平民が普通だった。だから彼女達は城に出入りする有力な貴族の目に留まるのを目的にしているものが多かった。良くて妻の一人になるか妾にでもなれば遊んで暮らせるからだ。それを知っている遊び人の貴族達は恋の鞘当を楽しんだりしていた。
だから彼女達の自由時間でもある夜の装いは念入りだったのだ。

しかしそんなのに興味の無かったリリーは彼女達にからかわれながらも気にしなかったが、今は後悔していた。
彼女達みたいにあんなに透け透けのお色気いっぱいの夜着は着なくてももう少し大人っぽくしていれば良かったと思ったのだ。

(馬鹿ね、リリー。そんなの着てたってクロード様が何か思う訳でもないじゃない)
リリーは自分に叱咤して、おずおずと背の高いクロードを見上げた。

「あの・・・宜しければこのお茶如何ですか?寝つきが良くなるようにしています」
「実はそう言ってくれるのを待っていました。個人のものを欲しがるのは失礼ですからね」
クロードがまた微笑んだのでリリーは真っ赤になってしまった。
そして失礼なことを言った事に気が付いた。

「も、申し訳ございません!私こそ自分のものをご主人様にお勧めするなんて!直ぐに淹れ直して参ります!」
そういえば持ってもらっていたままの盆に手を伸ばした。
しかしそれは、すいっと高く上げられてリリーの手が届かなくなってしまった。

「あっ!」
「沢山入っていそうだからこれで良いですよ」
「駄目でございます!」
リリーはそれを取り返そうと、ぴょんぴょん跳んだ。
両側に下げた髪も一緒にぴょんぴょん跳ねるのを見たクロードは、その可愛らしい様子に思わず笑ってしまった。
しかし盆からそのお茶を入れた容器が落ちそうになった。

「うわっ!」
クロードはそれを止めようとして足元がふらつき尻もちをついてしまった。
そして盆と
容器は彼が死守したが、お茶の入った器は中身をリリーの胸にぶちまけながら盆から飛び出していた。
あっ!とリリーは手を伸ばしてそれを追いかけ、床に落ちる前に取った。
しかし体勢を崩してしまったので尻もちをついているクロードの上に落ちてしまったのだった。
それはほぼ抱きついていると言ってもいい感じの体勢だった。

「大丈夫ですか?」
クロードは自分に呆れながらリリーごと立ち上がった。
茶で濡れた夜着は透けて胸に張り付いているし、クロードには抱かれているみたいになっているし・・・リリーはもう何が何だか分からなくなってしまって混乱していた。

「も、申し訳ございません!どうぞ、それをお召し上がり下さいませ!し、失礼致します!」
一気にそう言うと器だけ手に持って走り去ってしまった。

「あっ、待ちなさい!リリー!」
クロードが、はっとして呼びとめたが間に合わなかった。
立ち上がった後、自分から離れたリリーの姿に驚いている間に、彼女から逃げられてしまったのだった。

(・・・・・・・・)
結局、貰ったお茶は他の者が注いでくれたが思ったより美味しく無かった。
リリーの魔法の一滴が無いからだろうとクロードは思った。
彼女が飲む直前にいつも入れてくれるそれは本当に魔法のようだったからだ。
明日こそは早く仕事を切り上げて帰って来ようとクロードは思うのだった。
リリーの淹れるお茶にありつけるようにと―――



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