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魔法の蜜 4![]()
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リリーはそんなつもりで言った訳では無かったが、入って来たばかりで最後の方しか聞いていない彼はそう思わないだろう。
「わ、私、そんなつもりじゃなくて・・・」
クロードの顔を見られなかった。きっと気分を害しているだろう。
うつむくと涙が頬を伝わらず、ぽたぽたと床に落ちた。
「あっ、泣かせたわね?クロード。意地が悪いんだから」
「意地が悪い?何故です?私は何もしていません」
声は更に不機嫌で怒ったようになっていた。
リリーはもっと涙が溢れてきだした。嗚咽を堪えるので肩が震えてきた。
「もう!無神経な男は嫌いよ!貴方達、此処から出て行きなさい!」
ヴァランは自分も?というような顔をしたが、キトリーに睨まれてクロードと部屋から追い出されてしまった。
「父上、何ですか?母上のあの癇癪は?」
「さあ?何だろうな」
クロードはその答えが気に入らなかった。
肝心なことを何時も言わないのがヴァランの特徴だ。聞き出すのには苦労するから今日は止めにした。
リリーのあの好きじゃない≠ニいう言葉が自分的に結構堪えているみたいだった。好きじゃない≠ニいうのは言い換えれば嫌い≠セと言うことだ。
そして泣く姿を思い出すと胸がずきりと痛む。
いつ嫌われるような事をしたのか?と考え込んでしまった。
一方、キトリーは泣いてしまったリリーの為に、自らが茶を淹れると彼女に勧めた。
「さあ、リリー、泣きやんでこれを飲みなさい。私が調子に乗りすぎたわ」
リリーは驚いて、ぱっと顔を上げた。
「も、申し訳ございません!キトリー様にお茶を淹れさせるなんて・・・」
そしてまた涙が溢れ出した。主人にお茶を淹れさせるなんて侍女失格だと思った。
「たまには良いでしょう?そうそう、お前の魔法じゃないけれど、私も魔法をかけようかしらね?貸して頂戴、お前の魔法の小瓶を」
キトリーはそう言って、リリーから何時もの小瓶を受け取ると、一滴落とした。
「はい、どうぞ」
「・・・・・あ、ありがとうございます・・・」
リリーは温かいそれを両手で包み、一口飲んだ。
優しい香りが彼女を包むようだった。涙が止まって少し微笑んだ。
「ふふっ、私にも魔法が使えたわね」
「え?」
「リリーこれを入れる時、願いごとを心の中で唱えるのでしょう?例えばそうね・・・私になら今日は楽しいことがありますように≠ニかクロードになら疲れがとれますように≠ニかね?」
リリーは驚いて楽しそうに喋るキトリーを見た。
「どうしてそれを?」
「どうしてですって?だってそう感じるのですもの、お前のお茶を飲むとね。楽しくなったり、ほっとしたりとか・・・当たりでしょう?」
「はい。この小瓶に入っているのは珍しくもない花の蜜なんです。亡くなった母がいつももお茶を淹れる時、魔法だと言って入れてくれていましたから・・・私も同じように魔法をかけるみたいに心を込めてと思って・・・」
キトリーは優しく微笑んだ。
「素敵なお母様ね。そしてお前がどんなにいい子なのか改めて思ったわ。それとさっきの続きだけどクロードのこと好きでしょう?」
「はい・・・憧れています。でも本当にそれだけです。もう見ているだけで、いっぱい、いっぱいなんです」
今度は正直に言った。嘘を言って彼に不快な思いをさせてしまったからだ。
「あら?見ているだけ?駄目よ。だって抱きしめてもらいたいとか思わない?口づけしてもらいたいとか・・・そのもっと先とか・・・」
リリーはこの侯爵夫人が変わり者だというのが良く分かった。
自分も王族だというのに息子に平民の侍女と結婚させようとしたり、それを率先したりするからだ。
リリーはもう絶句するしか無かった。そして数日後、リリーはキトリーが変わり者では無く、王族の血筋がそうなのだと思い知ったのだった。
王の要請で王宮の会議室にリリーは来ていた。
あれ以来クロードの態度がよそよそしくなってしまい、リリーは誤解を解きたくても何も言えないでいた。
それに今日は朝からもっと機嫌が悪いみたいだった。見るからに苛々としている感じだ。
朝食後のお茶も早々に飲み干し、さっさと席を立って先に王宮へ行ってしまったのだ。
リリーは一人でそっと涙ぐんでしまった。
よそよそしい態度になっていた彼でも、お茶の時間だけは楽しむようにゆっくりと飲んでいたからだ。
そして悲しい気持ちのままリリーは王宮に向ったのだった。
その会議室にはまだ王やクロードなどの重臣は入室していなく、王国の主だった商工関係者だけが着座していた。彼らに先にお茶を出すように言われたリリーは、言いつけ通りに出し終えた。
そして次ぎに王の控え室へ呼ばれ、そこでお茶を淹れるように言われた。
そこには王と共にクロードがいた。
ちらりと様子を窺えば、クロードはむすっとした感じで朝よりもっと不機嫌そうだった。
逆に王は上機嫌だ。
「おいっ、リリー。どうだった?」
「え?」
リリーは驚いた。王が声をかけてきたからだ。今まで一度もそんなことは無かった。
「奴らの中でいいのはいたか?今日の連中は王国でも指折りだからな。保障するぞ!」
「何の話でございますか?」
アランは何だ?というような顔をしてクロードを見た。
クロードはその視線を受けたが知らぬふりをした。アランからこの見合いもどきの件を、リリーに前もって話しておくようにと言われていたのだった。しかしこの数日そんな気分にはならなかったのだ。
「クロード、お前、話していないのか?」
「ああ、そうでございました。うっかり忘れておりました」
クロードはわざとらしく手をぽんと叩くと、しらっとした顔をしてとぼけた。
「お前・・・何考えているんだ?お前が忘れるようなボケするかぁ?」
「私も人間ですから、うっかりすることもございます」
アランは舌打ちした。
「何がうっかりだ!そんなもの!それとも何かあるのか?」
「何も問題ございません」
澄ました顔でクロードは答えた。ふん、とアランは鼻を鳴らした。
「もういい!お前は当てにしない!リリー、今日呼んだのはお前の見合いだ」
「見合い!私のですか!」
リリーは驚いてひっくり返ったような声を出した。
「そうだ。お前の親が結婚相手を見つける前に、ここで結婚してしまえ!」
「け、け、けけ結婚!」
「そう結婚だ!これは命令だ!そしてここにずっといてイレーネの側にいるんだ!」
「イレーネ様・・・」
リリーはイレーネの名を聞いて、王が何を考えているのかが分かってしまった。
反対にそっぽを向いていたクロードが、はっとしてリリーを見た。
(彼女にイレーネ殿の名前を出したら・・・きっと・・・)
クロードの懸念通りにリリーは、突拍子も無いアランの考えを真剣にとらえているようだった。
彼はアランの考えに賛同出来なかった。イレーネの為にリリーを無理矢理結婚させるような事は間違っていると思っていた。
(しかしイレーネ殿を引き合いに出せば彼女を尊敬して慕っているリリーは・・・)
クロードは彼女がイレーネの事を想って泣いていた姿を思い出してしまった。
「そういう訳だから会議中、お前も中にいて茶の世話をしろ。そして誰がいいか観察するんだぞ!俺が後から話は付けてやるからな」
そんな馬鹿な、とリリーは思ったがこの王は押しが強い。
イレーネがいつの間にか彼と結婚するようになったのは、そのせいだとリリーは思っている。
こうと決めたらそれを無理矢理押し通す感じ・・・・
リリーは助けを求めてクロードを見た。
大きな瞳ですがるように見つめられたクロードは何やら胸の奥が、もやもやとしてきた。
最近ずっとこうなのだ。原因は全て、この帝国から来た侍女リリーのせいだと分かっている。
冷静に自分を分析すればこの娘が気になっているのだと答えは出た。
(・・・・それもかなり・・と付け加えよう)
それが異性に対する感情だと分かるが、それらは自分の中で制御出来るものと思っていた。性格的なものだろうが、アランのように感情的にはなれない。彼がイレーネとの関係で感情を爆発させて部屋で暴れたことがあった。クロードにしてみれば自分は絶対にそうならないだろうと思っている。
(だから問題は無い・・・)
余計な感情は何かと支障をきたすもので有り、必要の無いものだった。この感情は一過性で治まる筈だと思っていたのだ。
だからその間は無視に限ると、リリーの視線を冷たく受け流した。
その途端、リリーは涙ぐんだ。
(??なんだ?この二人?ふ〜ん)
アランは様子の可笑しい二人に気が付いた。
リリーのことは良く知らないがクロードの事は昔から良く知っている。この男が他人に対して特に女性に関して、こんなに感じ悪く対応することは無いのだ。何事もそつなく自分に深く立ち入らせず、気分を害させる訳でも無い。実に浅く広く表面だけがいい三枚舌なのだ。
(クロードの奴にも春が来たのかな?ふふん・・・楽しそうだ)
アランのニヤニヤ顔にクロードはしまったと思った。自分の気持ちを整理する前に勘付かれたと思ったのだ。アランの勘は野生動物並に鋭い。
「なぁ〜クロード。好きな女ぐらいさっさと攫って来い!とか前、偉そうに言って自分は二の足を踏んでいるわけか?」
「私は二の足を踏んでいるのではありません。私には必要ないだけです」
「ふ〜ん。まあ、お前らしい答えだな。じゃあいいんだな?」
話しこみだした二人に、リリーは自分から話題がそれたと思って安心した。
しかし会話を聞いているとクロードに好きな女性がいるようだった。だから胸がツキンと痛む。キトリーが夢みたいな提案をしたが、それこそ夢のようなものだった。王との会話を聞けば好きな人でも彼は必要無いと言っている。キトリーの言ったようにクロードをその気にさせるのは難しいだろう。
「じゃあ、リリー、頼んだぞ。奴らの中で気に入らなかったら次ぎを用意してやるからな。う〜んと良い奴を俺が見つけてやる!」
また自分に話題が戻ってしまったリリーは、涙を引っ込めて小さく溜息をついた。
「なんだ?溜息か?ほらっ、にっこり笑ってみろ!今日は可愛いぞ。男共は釘付けだろうよ。その服、イレーネから貰っただろう?」
リリーは驚いた。その通りだったからだ。
侍女服でないものを着て来いとのことだったので着替えを取りに帰った。その時イレーネが自分の着ない普段着で、リリーに似合いそうなのがあると言って寸法を直してくれたのだ。
「はい、その通りです。イレーネ様から頂ました」
「やっぱりなぁ〜ひとつを覗けばイレーネの好きそうな感じだ。俺は基本的に好きだがイレーネには似合わんだろう?」
リリーは王の言っている意味が分からなかった。
「なんだ?分からないって顔しているな。胸、胸だ。そんなに開いているデザインはお前みたいに、俺の片手にでも余るぐらい胸が大きいなら様になるが、イレーネみたいに片手で収まるようだとちょっとな・・・まあそれが慎ましやかで良いんだがな。うん、うん、イレーネはいい、とってもいい」
アランはイレーネの感触を思い出すように、手を開いたり閉じたりして上の空になった。
しかしリリーはその具体的ないやらしい表現に真っ赤になってしまった。
胸が開きすぎると自分でも思ったが、イレーネは似合うと選んでくれたのだ。確かに胸は寸法を直してもっと開いてしまった。胸がまるく盛り上がっての谷間をくっきりと描いている。
「だ、だだから、みなさん私の胸を、みみみ見ていたのですか!」
声がまたひっくり返ってしまった。そして思わず胸を両手で抱くように隠した。
クロードは弾かれたように、ぱっと振り返ってリリーを見た。
しかし我に返ったアランの、にやりとした視線がきたので顔を背けた。
(ふふん、これはやっぱり面白い)
「リリー、そう気にするな。男はどうしてもそこに目がいくんだよ。なあークロード?」
「もう時間でございます」
「ちっ、無視かよ。ふん、まあいい。じゃあ、リリーよく見とけよ」
アランはそう言って片手をひらひらさせると出て行った。
続けてクロードもリリーを見ることなく出て行った―――
リリーはもうどうしたらいいのか思考能力の限界を感じてしまった。
キトリーにクロードと結婚しろと言われたり、アランからは結婚相手を斡旋されたりと、もう何が何だか理解に苦しんだ。しかし逃れる言い訳も無く、会議室の隅で控える事となった。
そして意外と長い会議の間、何度かお茶を出していた。要望や意見もかなり出て中弛みしている時だった。
アランが側に座るクロードへ愉快そうに耳打ちをしてきた。
「あの三番目と向こうの七番目なんか、彼女に熱い視線送っているみたいだぞ」
「何の話かと思えば・・・今は大事な会議中ですよ。そんなことばかり見ていたのですか?」
クロードは呆れてそう言った。
しかしアランは、にやりと笑った。クロードの視線も自分と同じく見ていたと分かっているからだ。
「ふ〜ん、別にお前に相談する必要もなかったな。後であいつらと話しをつけてこよう」
「駄目ですよ」
「何が?」
クロードは言いたくなさそうに眉間にしわを寄せた。
「三番目の者は女好きで、今でも二人ほど妾を囲っています。それに向こうの七番目は年端のいかない幼女が好きな嗜好の持ち主です」
「へぇー流石よく知ってるな?ここにいる全員の弱み握ってるんだろうな。だから誰も宰相閣下には逆らわないか?嫌、逆らわせないか?怖い怖い・・・」
アランはおどけた調子でクロードをからかった。
クロードもいい加減我慢の限界だった。
アランの言動は腹立たしい上に、リリーが皆、胸を見ていたと言って涙ぐんだように、本当に若い男達が彼女を、ちらちらと見ているのが気に入らなかった。帝国出身の侍女は珍しく、そのうえあの容姿だから目立つのだろう。
(それに、あのドレスがいけない!)
朝、リリーの姿を見た時、思わず見とれてしまったのだ。
アランが言っていた子供のようで大人のような不調和な魅力。まさにその通りだった。それを今日の男達の目に晒すのかと思うと気分が悪くなってしまったのだ。感情など制御できると高を括っていたが中々難しいものだった。
取り敢えずアランの言動だけは黙らせようと口を開きかけた時に、その異変が起こった。
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クロードの受難![]()
その日クロードは朝議の後、大神官に待ち伏せされてしまった。
しかも煩わしい事にアランが面白そうな顔をしてその場に留まっていた。
「クロード様!今日こそ話しを聞いて頂きます!」
最近ずっと避け続けていたがその行為も面倒になっていたところだった。仕方が無いが話しを聞くしかないだろう。
クロードは小さく溜息をついて立ち止まった。
「何でございましょうか?」
くるりと振向き、にっこりと微笑みながら言うクロードに大神官は思わず、ぞっとした。
顔は微笑んでいるのに目が全く笑っていないのだ。怒っていると言う方が正しいかもしれない。
「も、もちろん。貴方様のご婚礼の日程の件でございます」
「はて?私の聞き間違えでしょうか?婚礼の日程と聞こえましたが?」
「き、聞き間違えではございませんぞ!もう勝手は許されません!王族の婚姻は神殿によって決められるもの、そればかりは王族でも従ってもらいます!」
今日は中々強気だとクロードは思った。
昔から何人かの候補がいてそれなりに婚約をまとめようとしていたが、今ではその候補者がいなくなっていた。
(全部、王が手を付けてしまいましたからね・・・)
深層の由緒正しき姫君まで毒牙を伸ばしていたアランだった。
クロードと言えば許婚達が次々寝取られたと言うのにそれはそれで正直助かっていた。そのアランもいよいよ落ち着くと神殿は思い出したかのように又、候補者をあげて結婚を迫ってきたのだ。
煩わしいとしか言えないものだった。
「クロード様!聞いておられますか!」
「クロード、我が儘言わず、大神官の仕事をさせてやったらどうだ?」
アランがニヤニヤしながら口を挟んできた。
それを聞いた大神官の顔が輝いた。
「王、王も承諾して頂けるのですか!」
王族の婚姻は神殿の選定と王の許可で決定するのだ。だからクロードは先手でアランに絶対許可をするなと頼んでいた。言い方を変えれば脅しとも言う。
クロードは、さっと瞳を細めアランを見た。
「あっ、いや・・・その・・何だ・・・」
その視線を感じたアランが焦って言いよどむと、クロードが追い討ちをかけるように耳打ちをした。
「許可・・・などなさいませんよね?もし、そのような事うっかりとなさるようでしたら、私もイレーネ殿にうっかり口を滑らせてしまうかもしれません・・・あれこれと」
「ク、クロード!あれこれって!」
「しっ!お声が大きい。あれこれとは、あれこれでございますよ。お分かりでしょう?陛下?」
アランは、ぞっとした。クロードが握っている情報はどれもこれもイレーネに知られたら大変な事になるものばかりだ。
アランはすがるような目で自分を見ている大神官を柱の影に連れ出し耳打ちした。
「大神官、クロードはあの叔母上の息子だぞ!無理強いしたら何をやらかすか分からんだろう?ここは穏便にだな」
王の叔母キトリー姫の奇行はこの大神官もかなり悩まされていたから身にしみて分かっている。ぞっとしながらにこやかに微笑んで立っているクロードを、ちらりと見た。
「た、確かに・・・」
「お二人共、聞こえていますよ。とにかく私は結婚いたしません。そんなのに時間をとられるのが勿体無いですからね。では急ぎますので失礼致します」
クロードは優雅に一礼して去って行ってしまった。
大きな溜息が大神官から漏れた。
「まあいいんじゃないか。俺の子がいるから王家は安泰だろう?」
大神官が険しい顔をして王を見上げた。
「それが問題でございます!そのお子様方に釣り合う者達が不足しているのでございます!ああ・・・頭の痛いこと・・・」
よろめきながら去って行った大神官をアランは唖然としたまま見送った。
(もう俺の子供達の結婚相手の心配だって?)
アランはその話しがまだグルグルと頭に回ったまま、イレーネが居るレミーの勉強部屋へ向った。
「陛下、どうかなさいましたか?難しいお顔をなさって」
イレーネは心配して訊ねた。
「ん・・・いや、さっき大神官が子供達の結婚相手が不足しているとか言っていて、だからクロードに早く結婚をと迫っててな・・・」
「まあ、クロード様に?そうでございましょうね。陛下とはお歳が近くあの方がご結婚されてお子様がお出来になられれば、血筋も申し分無いのですからお相手に都合が宜しいでしょうね。女子ならばレミーの正妃でも可笑しくございませんわ」
「レミーの正妃だって!冗談じゃない!あんな奴の娘なんてきっと理屈ばかり捏ねる可愛く無いのに決まってる!そんなのをレミーの相手になんか出来るか!」
「ねぇ、せいひ ってなぁに?」
横で二人の話を聞いていたレミーが自分の名前が出できたが、分からない単語もあったので意味を訊ねた。
「正妃とは一番の妻のことですよ」
「つま?」
レミーにはまだ難しい意味合いのようだった。
「そうですね・・・妻と言うのは――」
「レミー、いいか。正妃はお前の母だった。そして今の母イレーネが俺の正妃になる」
イレーネが説明に迷っているとアランが助けてくれた。
「ふ〜ん。じゃあ、ぼくの母上になる人が、せいひ ?」
「ん??何か違うぞ。お前の母が正妃じゃなくてだな・・・えっと・・・」
何だか訳が分からなくなってきた。
「俺の妻が・・・分からんか・・・えっと・・」
「とくべつのせんようのことでしょう?」
「そう、そう!それだ!あ?レミー?」
「それぐらいぼくにも分かっています。父上をからかっただけです」
レミーは澄ました顔で言った。
「レミー!こいつ!」
「や〜ん。母上、父上がいじめるぅ〜」
レミーは、きゃっと笑ってイレーネの背中に隠れた。
「こいつ!またイレーネに甘えて!許さん!」
アランは生意気なレミーを捕まえようと、イレーネを挟んでグルグル回った。
「陛下!いい加減になさいませ!」
「嫌だ!そうだ!こうしてやる!」
「きゃっ!」
アランはとうとうイレーネごとレミーを腕の中に抱き込んでしまった。大きく広い胸にイレーネもレミーもまとめて抱きしめられた。
「へ、陛下!お、お離し下さい!」
イレーネは真っ赤になって抵抗した。
「嫌だね。離したらチビも逃げてしまうからな」
「そ、そんな・・・レ、レミー。もう逃げないですよね?」
「逃げていいぞ!」
「ぼくはどうしようかとなやんでしまいます。母上のいうことはききたいけれど、父上もかわいそうで。母上と遊んでほしくてだだをこねているのがわかるので・・・ふぅ〜こまりますね」
アランは、あんぐりと口を開けて腕を解いてしまった。
イレーネが小さく笑いだしてようやく我に返ったようだった。
「お前のその口調・・・クロードに似てきてないか?ああ、そうだ!あいつの子供の頃にそっくりだ!」
「クロードはぼくの先生です。クロードのようにりっぱになるため、いっしょうけんめいお勉強します」
アランは、ぞっとした。
「イ、イレーネ!奴をレミーの教授陣から外せ!」
「それは出来ませんわ。素晴らしい先生ですもの。王国中探してもあの方以上の人材はいらっしゃいませんわ」
イレーネは、クスクス笑いながら答えた。
「お前達はあいつの三枚舌に騙されているんだ!あいつな――」
アランは言いかけた言葉を呑み込んだ。
「三枚舌とは誰のことでございますか?陛下?」
クロードが現れたのだ。彼は冷ややかな笑みを浮かべながら訊ねた。
「うっ・・・ク、クロード。何か用か?」
「何か用?お帰りが遅いのでお迎えに参りました。次ぎの御前会議に皆集まっております」
アランは時間が少しでも空けばイレーネの顔を見に来るのだ。それを分かっているクロードが度々迎えに来るのは日常茶飯事だった。
「父上だめですね。おしごとはちゃんとなさらないと、クロードのようなりっぱな人にはなれませんよ」
「クロード!お前、いつレミーを懐柔した!」
「懐柔?人聞きの悪い。私は真面目に勤めているだけでございます。子供は正直でございますからね。で?三枚舌とは誰のことでございますか?」
クロードが、じろっとアランを見た。
「な、何の事かなぁ〜なっ、イレーネ」
アランはクロードの視線を避けながらイレーネの後ろに隠れた。
「あっ!父上も母上にあまえてる!ずるい!ぼくにだけするなっていって!」
レミーは頬をふくらませて文句を言った。
「陛下の負けでございます。夕刻にはまたゆるりと話をお聞きいたしますからお戻り下さいませ」
「むぅ・・・」
アランも旗色が悪いと察したのかそれ以上何も言わなかった。
「さっ、陛下。皆が待っております」
アランを促し去って行こうとするクロードの目の前に、レミーが何か言いたそうに彼を見上げていた。
「王子、何かご質問でしょうか?」
「クロードのところのおんなの子はいつ生まれるの?」
「女の子?で、ごさいますか?」
クロードは意味が分からなかった。
「うん。その子はぼくのせいひ になるんでしょう?ねぇ〜いつ?早く会いたいな。だってその子は母上みたいに、ぼくだけのとくべつのせんようなんでしょう?」
クロードが一瞬、にこやかな仮面を捨て凄い形相でアランを見た。
(ば、馬鹿!レミーのやつ!)
アランは冷や汗をかきながらそしらぬ振りをしてそっぽを向いた。
クロードが王子の方を向いた時には彼は何時もの顔だった。
「そうですね。いずれ・・・」
「嘘つき・・・」
ぼそりとアランが呟いた。
「陛下、何か言われましたか?」
クロードの鋭い一瞥にアランはまたそっぽを向いた。
「うん。じゃあ、待ってるね!」
レミーは期待に胸をふくらませて嬉しそうに言った。
クロードはその後、大神官よりも執拗な催促をこの王子から受けるようになるとはその時、夢にも思わなかったのだった。
―――ねぇ、クロード。ぼくのせいひはまだ?―――と。