魔法の蜜 6


 その日、リリーはキトリーから触れるのも躊躇(ためら)われる年代ものの茶器を預かった。
本体を出すまで何層にも重ねられた箱に収められてあり、大変貴重なものだと分かる代物だ。
それで茶を飲みたいとの希望だったのだ。それを用心しながら部屋に運び、準備をしていた。
そして用意が出来たのでそれをキトリーの前まで静かに運んだ時だった。足元が何かに引っかかり手に持っていたその器を床に落としてしまったのだ!

ガシャン!という盛大な音と共に、キトリーが悲鳴を上げた。

「きゃ――っ!リリー!何ということを――っ」
リリーは自分の手から落ちたその残骸を呆然と見た。何という失敗をしてしまったのか。
それを見た執事のブノアが今にも昏倒しそうに真っ青になっていた。

「な、なんということを・・・家宝の茶器が・・・」
「も、申し訳ございません!」
リリーはその場で平伏して何度も謝った。
自分の仕出かした事が恐ろしくて全身が震えた。壊れた物はもう二度と元に戻らないのだ。

「謝って済むものでは無い!これは二度と手に入るものでも無く、まして買える代物ではない。このような大事なものを何という不注意か!」
ブノアの叱責にリリーはどう答えていいか分からなかった。謝って済むものでは無いと言うのは十分分かっている。だがただ謝るしか自分には出来ないのだ。

「申し訳ございません!申し訳ございません!」
リリーは床に頭を擦り付けて謝った。申し訳なくてキトリーの顔が見られなかった。

「リリー、顔を上げなさい」
「も、申し訳ございません!キトリー様!」
「いいから、顔を上げなさい」
リリーは大きな瞳に涙を浮かべながら優雅に座る女主人を見上げた。
そして再度謝ろうとした言葉はキトリーに遮られた。

「謝るのはもういいわ。ブノアの言う通り、謝られても元には戻らないのだから・・・・それよりもお前はこの始末どうするつもり?」
どうするのかと言われてもどうしようにも無い。

「まぁ・・・はっきり言って、これと同じものは無いのだし、かといって同等のものもなし・・・後はお金に換算したとしても・・・お前ではとても払えるものでは無いわ。一生ここで働いたとしても無理。それは分かるわよね?」
「は、はい。で、でも私に出来ることでしたら何でも致します!」
「そう?そうね・・・お前の家族揃って無理心中でもされたら寝覚めも悪いし・・・私はこれでも寛大なのよ。ここは一つ、取引しましょうか?」
リリーは家族が無理心中と聞いて真っ青になった。自分だけでは無く、当然家族にも迷惑をかけてしまうのだ。キトリーの言う取引というのが何であれ、それを承諾するしか道は無いだろう。
そして言われた内容に愕然(がくぜん)としたのだった。


 クロードは怪我を気取られない状態まで回復すると、屋敷へと戻って来た。
だが何と無く中の雰囲気が違う気がした。若々しいというのか?華やいだ感じというのか?ある一角がそんな雰囲気だった。そこから漂う香の匂いが何時もと違ってそう感じるのかもしれない。
不思議に思いながら帰館の挨拶をしに母親の部屋へと向ったのだった。

「只今戻りました、母上」
「あら?もう帰ってきたの?早かったわね」
クロードはやはり可笑しいと思った。キトリーが何時に無く華やいで若々しいのだ。

「少し、留守をしただけでしたが館内も母上も随分雰囲気が変わりましたね?」
そう言いながら、視線は何時もいる筈のリリーを探した。

「まあ、ほほほ・・・お前は鋭いはねえ。バシュレ婦人から勧められたからそれを実行してみたのよ。今はそれが流行りなのですって・・・ほほほ」
「バシュレ婦人ですか?」
バシュレ婦人はキトリーの友人では無くライバルだ。二人は何かと競い合っていた。
今回も何かは知らないがその馬鹿げた競い合いをしているのだろう。

「ええ、そうよ。私、彼女から言われて悔しかったの」
聞いて欲しそうな顔をする母親の相手をするのも息子の務めだろう。
内心、うんざりしながら聞き返してやった。

「今度は何ですか?」
「屋敷も華やかになって私も楽しいものよ」
勿体つけた言い方に更に、うんざりしながらクロードはまた聞き返してやった。
すると丁度その時、見当たらなかったリリーが部屋に入って来た。
リリーはクロードを見とめると、はっとして俯いてしまったがクロードは彼女の姿に驚き、目を見張った。リリーは(ぜい)を尽くしたドレスを着ていて、まるで何処かの貴族の令嬢のようだったのだ。

(娘にしたいとか言っていましたが・・・まさか養女にしたとか?)
「丁度良かったわ、リリー。今話していたところよ。それで、クロード。先ほどの続き、彼女をヴァランの(めかけ)にしたのよ」
「そうですか。妾?母上!今、妾とか言いましたか?」
「耳が悪くなったの?そうよ、リリーは妻公認の妾になってもらったのよ。今、それが流行りなんですって!それも仲良しの若い子を夫の妾にして一緒に住むのよ。そうすると屋敷も華やぐし夫も自分も刺激を受けて若返るらしいわ!」
クロードは驚いたどころでは無かった。
それが流行っているのかどうかまで知らないが
確かにそんな事をしている貴族はいる。それはどちらかと言うと恋人を夫婦で共有して、それこそ妾は男だったり女だったりする不道徳な関係だ。
「母上!冗談は止めて下さい!」
「冗談?冗談なんかじゃないわ。私はリリーに此処にずっと居て貰いたいからお前に結婚して欲しいと言ったでしょう?でも聞いて貰えないし、聞けばアランが何か画策しているでしょう?養女にしてもいつかは嫁がせる事になるし、どうしようと思っていたらバシュレ婦人が自慢して私を馬鹿にするのよ。私が夫に愛人を作らせない甲斐性無し、とか言って・・・それで私は思いついた訳よ」
「リリー!君はそれを承知したのか!」
クロードは珍しく大きな声を出した。
リリーは弾かれたように顔を上げたが、キトリーの視線に気がついてまた俯いてしまった。
俯く彼女の表情は分からなかった。しかし小さな声でリリーは答えた。

「はい、承知しております」
キトリーから言われた取引とはこの事だったのだ。
彼女の夫ヴァランの愛人になってこの屋敷に住みキトリーと暮らす。所謂(いわゆる)、昼は女主人のお世話をし、夜はご主人様の閨の相手をする召使い兼、愛人。とても世間に顔向け出来ないようなものだった。
それをキトリーから言われた時、絶対に嫌だと思った。
だけどその提案を呑むしか償える道が無いのも確かだった。頷くしか無かった―――

「馬鹿な!母が無理強いしたのだろう?妾なんて君みたいな普通の娘がなるものではない!止めなさい!」
止められるなら止めたい。だけど出来ないのだ。

「何故お前がそんな事を言える権利があるの?私は無理強いして無いわ。提案はしたけれど望んだのはリリーよ。それにこれはお金の問題もあるの。だからリリーは喜んで引き受けたのよ」
リリーは、ぐっと両手を胸元で合わせた。

(喜んでなんかいない!喜んでなんか・・・・)
クロードは信じられないというような顔をしていた。
確かに妾になりたがる一部の侍女達がいるのは知っている。王宮では時々見られる風景だった。
クロードも当然それを狙う侍女の標的になった事は度々あった。クロードは無視していたが、アランは美人ならしっかり手を付けていた。その処理を何度したことか・・・・その女達の顔を思い出した。
美しい姿形をしているのに心は醜悪だった。アランがどうしてこんな女達を相手にしているのかと何時も思っていた。今思えば彼の心は誰も愛していなかったから慰めてもらう、魅力的な姿形があれば良かったのだろう。心など必要なかったのだ。

(金?リリーがあの醜悪な女達と同じだと?まさか?)
クロードはどう考えても信じられなかった。
初めて会った時、陰気な図書館で怯えながらも自分の仕事だからと主張していた娘。
お茶を楽しそうに淹れて最後にとびきりの笑顔で魔法だと言って小瓶を一振りする娘。
その一杯を飲みたい為に何時もより何倍も速く仕事を終えて急いで帰った日々―――その彼女が?

「リリー!」
「まっ!驚くじゃない。急に大きな声を出したりして」
クロードは辺りを見渡した。さっきまでいたリリーがいないのだ。

「リリーなら、お前がぼやっと考え込んでいるうちに出ていかせたわよ。もうそろそろヴァランが帰って来るから部屋で待つように言っているわ。彼女用の新しい部屋を用意したのよ。ふふふっ」
今日は始終楽しそうな母にクロードは食って掛かった。

「母上!父上は承知したのですか!母上は本当にそれでいいと思っているのですか!」
「ヴァランは私の言う事は何でも聞いてくれるわ。知っているでしょう?それに何の文句があるのかしら?殿方ならあんなに可愛い女の子を嫌がる理由なんてないわ。ああ、いたわね、此処に」
キトリーはクロードを指差した。

「私は・・・」
「もう駄目よ。私の計画は変わったのだから。ヴァランが帰って来たら・・・くすっ、今日の夜は愛人契約成立で彼女も幸せ、私も幸せ、ヴァランも幸せになれるわ」
「・・・・・そうですか。分かりました。私は彼女を誤解していたようですね。そんな目先の利益に目が眩むような人物だったとは思いませんでした。それでは母上、父上も余り羽目を外さないようにだけお願い致します」
「・・・・・・・」
クロードは平然とした顔をして退室して行ってしまった。
残されたキトリーは大きな溜息をついた。

「頑固な子ね。これでも鉄の理性が壊れないとは・・・予想外だったわ。リリーにつらい思いをさているのに・・・これでは私が思いっきり悪者だわ」
全てキトリーが企んだ無茶苦茶な作戦だった。
わざとリリーの足を引っ掛けて転ばして茶器を壊させて、その責任を取らせる。

「ヴァランの妾にするぐらいじゃ敵対心湧かなかったのかしら?やっぱり若くないからかしらね。同じ世代と言ってもねぇ〜相手が本気になってもらったら困るし・・・いい手だと思ったのに」
キトリーはまた大きな溜息をついた。

 帰ってきたヴァランは胃が痛くなりそうだった。数日屋敷を空けて領地の視察に行っていたところに、キトリーからの破天荒な命令書を受け取った。まさしく命令書だ。

―――クロードにリリーとの結婚を決断させる為、貴方はリリーを愛人にしたふりをすること。たっぷり嫉妬させるように振舞うように。失敗したら許しませんよ―――

で、帰って来たら話を聞いた様子のクロードが軽蔑した視線を向けてきた。
しかし何も言わず見ているだけだ。引きつりながらそれに微笑みかけると、指定された部屋へと向ったのだった。中に入ればリリーがじっと椅子に座って俯いていた。たぶん泣いていたのだろう。
可愛そうにとヴァランは思った。彼女にはこの計画は内緒らしい。キトリーが言うにはその方が二人とも盛り上がるとか訳の分からない事を言っていた。
最近凝っている恋愛小説の読みすぎだろうとヴァランは思った。

「リリー」
リリーは、はっとして涙を拭うと立ち上がった。

「お帰りなさいませ、侯爵様」
リリーの顔は硬直し、怯えて小刻みに震えた。今からすることは当然分かっているが、その矢先にクロードから非難され、リリーは何処かに消えたい気持ちだった。

(きっと軽蔑されたに違い無いわ・・・でも当然よね・・・)
でも本当の事は言えなかった。自分が悪いのに被害者のような事は言えない。これで許してくれるキトリーに感謝をしなければならないだろう。
ヴァランが近づいて来たのでリリーはびくりと身体を更に震わせた。

「リリー、そう怖がらんでいい。何もせん」
「え?何もって・・・そ、それは困ります!」
ヴァランは困ったような顔をした。

「彼女が無理を言ったようだが・・・私にその気は無いのだよ。本当に困った人でな。言う通りにしないと口を利いて貰えない。暫く付き合ってもらうだけでかまわん」
ヴァランは流石に良心が痛んで、全部嘘とは言えないがそれだけは言った。

「侯爵様・・・でも・・私は大変な失敗を致しまして・・・ですから・・・」
ヴァランもまさか家宝の茶器をこの嘘の為に割るとは思わなかった。
落胆した溜息が思わず出てしまった。
リリーは侯爵のその様子を見て涙が再び溢れ出したのだった。

「リリー、お茶を淹れてもらおうか?時間を潰すのに面白い話をしてあげよう。それを聞けば色々納得するだろう」
ヴァランの始めた昔話―――それは王女キトリーの物語。



安らぎの場所


 イレーネが溜息をついた。

「母うえ?」
大人しく課題を書いていたレミーがその溜息に気が付いて顔を上げた。
 それはアランが自分の妃や愛妾達を整理するとイレーネに言った翌日の事だった―――

昨晩彼女の部屋に訪れたアランは意気揚々に言った。

「イレーネ!明日から俺の女達は全て暇を取らせる!」
「え?」
驚くイレーネを素早く絡め取ったアランはその広い胸に愛しい彼女を収めた。
力強い彼の腕の中でイレーネは、どきりと鼓動が跳ねたがその腕の中からするりと抜け出た。

「陛下、どういう事でございますか?」
アランは抱擁から抜け出て詰問するようなイレーネに少し、むっとした。

「何が気に入らない?俺の女はお前だけでいいと言うことだ!」
大喜びすると思っていた彼女の態度が予想外でアランはとても気に入らなかった。

イレーネはその言葉を聞いてとても嬉しいと思う反面、自分が無視され続けた皇后時代のつらい過去も思い出したのだった。自分と同じ思いをする女達が沢山いると思うと複雑な気持ちだったのだ。

「・・・でも・・・陛下を本当にお慕いしている方はとても・・・つらいでしょう?」
「つらい?イレーネ、じゃあ、俺がその女の所に通ってもお前はいいと言うのか!」
アランは苛々して怒鳴った。
イレーネは心優しいから女達に同情しているのだろうが、逆に自分を独占したがらないという事実に腹が立った。アランはイレーネを唯一の女だと思っているのに彼女は自分を他の女と共有出来るぐらいの想いしか持っていないのかと思ったのだ。

「ああ!お前の気持ちは良く分かった!子供のいる女達だけ残そう!やつらは子供を盾に残りたいと煩いし、俺は女無しでは夜寝られないからな!何方道(どっちみち)お前一人では無理だろうさ!心の広いお前の許しが出たのならそうする!」
アランが烈火のように怒ってしまった。瞳が紫色に変化していたのだ。
イレーネは彼が言うように他の女の所に行っても良いと言ったつもりでは無かった。
自分のつらい過去が過ぎっただけだったのだ。

「へ、陛下・・・ア、アラン様・・・いや・・・わたくしは・・・わたくしは嫌でございます。朝も昼も・・・夜もご一緒するのはわたくしだけにして下さい・・・貴方の腕の中にいるのは・・・わたくし、わたくしだけで・・・」
そこまで言ったイレーネは大粒の涙を落とした。後から後から涙がこぼれ落ちる―――
イレーネは煌びやかに着飾った自分よりも遥かに美しい女達がアランの腕に抱かれるのを想像するだけで涙が止まらないのだ。

「イレーネ・・・」
アランは涙するイレーネに驚いた。
誇り高く気丈な彼女は滅多に泣かない。そのイレーネが嫌だと言って涙しているのだ。
アランは思い出した。彼女は帝国で皇后の地位にありながら何年も皇帝に指一本も触れられず無視され続けていたのだ。そのイレーネが見せた同情は当然だろう。
自分を軽くしか想っていないという証では無かったのだ。
アランは浅はかな自分自身に舌打ちした。そして声を殺して泣くイレーネを優しく抱きしめた。

「すまん。お前の気持ちを分かってやれなくて・・・愛しているのはイレーネ、お前だけなんだ。だから他に誰もいらない・・・お前しか見ない俺の傍にいるよりも女達を出て行かせた方が言いと思ったんだ。絶対に振向く事が無い男の傍にいるよりも良いだろう?だから例え俺が好きで残りたいと言っても聞き届けるつもりは無い」
「アラン様・・・わたくし・・・」
イレーネはそこまで言ってくれる彼に胸がいっぱいで言葉が見つからなかった。
数多くの美しい花を愛で続けたアランがイレーネだけでいいと言ってくれているのだ。
これ以上の喜びは無いだろう。
涙で霞む瞳に愛しいアランが優しく微笑んでいるのが見えた。
そし
て降りてくる優しい口づけ・・・イレーネは花園の女達にごめんなさい≠ニ心の中で呟いた。
(ごめんなさい・・・この人だけは譲れない・・・)


「母うえ?なにかおなやみですか?」
レミーの話し方はまるで大人のようだが年齢相応の可愛らしい顔を傾げて尋ねた。

「・・・レミーは兄弟達が遠くに行くと寂しいでしょうね?」
「きょうだい?ですか?えっと・・・ああ、あのぼくより後に生まれた父上の子どもたちのことですか?」
イレーネは驚いてしまった。レミーがまるで他人のような言い方をしたからだ。
しかし王位継承者であるレミーと他の子供達とでは格段に扱い方も異なり、血の近しい者という概念が無いのだろう。それに母親達が王への寵愛を争っていたのだから当然のように子供達は交流していない様子だった。

「・・・この後宮にはわたくしとレミー以外は誰もいなくなるのですよ」
妃達は子供好きだったアランを自分達が追い出された場所へと引き寄せる為に、誰もが子供を後宮に置いていく様子が無かったのだ。

「えっ?いなくなるの?」
「ええ、お父様が決められたのですよ」
「ふ〜ん、そうなんだ。しずかになっていいね」
レミーはそっけなくそう言うと課題の難問に取り掛かってしまった。しかしそれを書きながら顔を上げることなく質問してきた。

「それでどうして母うえが、ふぅ〜っていってるの?へんなの。だって父うえをひとりじめできるんだよ。そういうことでしょう?みんな父うえのせんようだったし・・・だいたいせんようが多すぎるんだもの。ぼくはほかの子どもたちがいなくなってうれしいけど。父上はぼくだけのものになるんだもの」
子供は正直だとイレーネは思った。だが自分はもっと我が儘だと思っている。
昨日は女達に同情はしたが醜い独占欲が沸きあがってしまった。
そして女達だけではなく子供達まで去ると知った今朝―――
女達の作戦通りにその子供達に会いに行くであろうアランの姿を思うと心がざわめいたのだ。
女達は華やかに装ってアランを誘惑するに違い無い。
自分だけだと言ってくれる彼を疑ってはいないが気分が良いものでは無かった。

「レミー、一人占めは出来ませんよ。レミーもお父様がいなかったら寂しいでしょう?他の兄弟達も同じですから・・・お父様は会いに行かれるでしょう」
「誰がどこに行くって?」
「へ、陛下!」
急に現れたアランにイレーネは驚いた。しかも怒っている様子だ。
昨晩と変わらず沈んだ様子のイレーネにアランは怒っていたのだ。

「イレーネ、お前は何も心配することは無いと言っただろう?それともまだ俺が信じられないのか!」
「いいえ!わたくしは・・・ただ・・・」
「ただ?ただ、何だ!」
「ただ・・・」
イレーネはアランに子供の為とは言っても元妻達の所へなど行って欲しく無かった。でも幼い子供達の事を思うとそんな非情なことなど言えなかったのだ。嫉妬する己が嫌で堪らなかった。
だから唇を、きゅっと引き結んで黙るしか無いだろう。

アランはその様子を見れば当然のように憤慨していた。どんな事でも言って欲しい彼にとってイレーネの態度は勘に障るものだったのだ。

「イレーネ!言いたいことがあるのなら言え!」
「・・・・・・・・」
黙りこむイレーネにアランが益々苛々してきた。そのアランの袖を引っ張るものがいた。
二人の様子を窺っていたレミーだ。
大きな声を出すアランがイレーネと喧嘩をしていると思ったようでレミーの瞳は涙でいっぱいだった。

「父うぇ〜母うえをいじめないでぇ・・・」
アランは、はっとした。
レミーは泣き出してしまいイレーネの引き結んだ唇は震えていて今にも泣きそうだった。

「・・・・・・すまん。かっとして・・・お前が悲しむ理由を俺に言わないからつい・・・」
「だって、父上はぼくのきょうだいのところにあそびにいくのでしょう?ぼくはいやです。父上とまい日あえないのはいやです」
レミーが駄々を捏ね出してアランはイレーネの浮かない顔の理由が分かったような気がした。

「イレーネ、もしかして俺が子供達の所に行くのが嫌なのか?」
でもイレーネは黙ったままだった。

「イレーネ、俺が子供達というか・・・それの後ろにいる母親達に会うのが嫌なんだろう?そうなんだろう?イレーネ?」
アランは上機嫌になって重ねて聞いてきた。イレーネの嫉妬が嬉しいのだ。
こうなったらアランは答えるまで後に引かないだろう。イレーネは諦めて重い口を開けたのだった。

「・・・わたくしは・・・貴方を信じております。でも美しい方々が貴方を誘うと思うと・・・憂鬱になってしまいます・・・幼い子供達に父親は必要だと思うのに・・・わたくしは酷い女でございます・・・こんな醜い心を貴方に知られたくなかった・・・」
「お前は馬鹿だ―――」
アランはイレーネを優しく抱きしめた。

「そんなこと醜くなんかない!お前に愛されているという証のようなものだから俺は嬉しい。それにお前がそんな事で悩む必要などない。俺は例え子供を餌にされようと会い行くつもりなど全くないんだ」
「でも、それでは子供達があまりにも・・・」
アランは心配するイレーネを一度、ぎゅっと強く抱きしめてその腕を解いた。

「まあ聞け。女共は俺が来ないと分かると子供は厄介払いしたくなる。元々、本当に可愛がっているものなどいなかったからな。俺の寵愛欲しさにそう装っていただけだ。今に俺に押し付けに来るだろうよ」
「そんな・・・自分の子供ですよ。そんな馬鹿なこと・・・」
「そう馬鹿な女達ばかりだ。俺はそんな女達の外側しか見ていなかったし、それだけで良いと思っていた結果だろう。それに・・・女達がそれでも尚、何かするようなら・・・お前を悲しませるのなら奴らが喜ぶ黄金と宝石で出来た(ひつぎ)に入れてやる」
「え?どういうことでしょうか?」
「全部、殺してやると言ったんだ」
イレーネは驚いて息を呑んだ。
アランは冗談を言っている雰囲気では無かった。低い声で言葉を紡ぐ姿は絶対権力者の顔をしていた。

「お前を悲しませること事態が既に罪なのだから死は当然だろう?扉を開けた中に全裸で立っていようものなら王に対する不敬罪だ。馴れ馴れしくするのもな」
イレーネは背筋が寒くなる感じがした。
アランの陽気で気さくな雰囲気に慣れていたが本来それが異例なだけだった。昔から帝国でもこのオラールでも絶対権威の王の勘気に触れればその場で殺されても仕方が無いのだ。

憤りで瞳の色が紫に染まりかけているアランにイレーネは恐る恐る手を差し伸べると、その胸に寄り添った。

「恐ろしいことを言わないでください。わたくしは大丈夫ですから・・・」
「イレーネ・・・」
アランを取り巻いていた憤りがすっと消えて、震えるように胸にすがるイレーネに口づけしようとした矢先、レミーの邪魔が入った。

「父上、きょうだいたちの母うえをころしちゃだめ!だって母うえがいなくなったらぼくと同じようにイレーネが母うえになるのでしょう?ぼくはいやだもん!母うえはぼくだけのものだもん!ぜったいいやだからね!いや、いや、いーや!」
レミーが頬をふくらませて訴えるとアランを叩きだした。

「レ、レミー、分かった、分かったから。おいっ!叩くのは止めろ!お前、力が強くなったなぁ〜おいっ!痛いって!」
ぽかぽか叩かれるアランの姿にイレーネは思わずクスリと笑ってしまった。

「おいっ!イレーネ!助けてくれ――っ!」
クスクス笑うイレーネにとうとうアランが泣きついて来たが、そこにはもう怖い顔の王はいなかった。
息子に甘い父親の顔をしたいつものアランだった―――

 結局、アランの予想通り望みが無いと悟った女達はあっさりと面倒な子供達を手放した。
後宮に引き取られる事となったその幼い子供達には、イレーネが厳選した乳母を付けることとなった。
もちろん後宮を取り仕切るイレーネがその子供達の母親代わりのような存在だ。しかし捨てられたとは言っても本当の母親がいる以上、イレーネを母と呼ばせる事は無かったという。でも子供達は母親では無い母のような存在の不思議な女性イレーネに深い愛情と尊敬を抱いて育つ事となるのだった。

 艶かしい甘い香りが漂っていた後宮は子供の明るい笑い声と、豪快に笑うアランの風景が当たり前となった。そしてそこで優しく微笑むイレーネの姿―――
この場所は孤独だったアランが本当に心安らぐ場所となったのだ。
そこにまた一つ新しい家族が加わるのも近いだろう。



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