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天人の
囁き
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連れ戻されたサシャは不機嫌なカルムと部屋の中で黙していた。
しんと静まり返った部屋は朝日が昇っているのにも関わらず暗く感じた。
カルムが何も喋らないからサシャも黙っていた。元々、天山でも人との会話を好んですることが無かったサシャは沈黙も苦にならない。ならないのだが・・・今は胸の奥で何か痞える感じがしてならなかった。
それは最近経験した感覚だ。いつも煩いぐらい聞こえていた天人達の声が聞こえなくなった時のようだった。彼らの声が聞こえなくなった代わりに彼ら以上の、自分勝手で我が儘なカルムの言葉が耳に飛び込んでいた。そのカルムが黙ってしまうとその時の事を思い出してしまうのだ。
天人達の姿は見えず気配だけ感じて会話をする。
だから声が聞こえないとその存在を感じられない・・・だがカルムは目の前に居る。
だから話さなくても実際に見えるのだからそんな気持ちになる方がおかしいのだが・・・
サシャは思わず手を伸ばしカルムの服の端に触れた。
「何?」
カルムの棘のある声がようやく聞こえた。
天眼は閉じているが見えない瞳がサシャを見た。
カルムは天眼を開いていないからサシャが微笑んだのを視ていない。
彼女は、ほっとしたような顔で微笑んでいた。
「だから何?」
カルムは自分の服から手を離す事なく返答もしないサシャに苛々して再度訊いた。
するとサシャは、ぱっと手を離すとカルムの側から離れたようだった。
「何故返事しないんだ!言葉にして貰わないと何も分からないだろう!」
サシャはそう問われても自分でも良く分かって無いから答えようが無かった。
この感情は何なのか?寂しい感じ?でも・・・何故なのか分からない。
「・・・何でも無い」
「何でも無い?それは答えになってないじゃないか!大体、勝手に部屋を抜け出して行った事もまだ謝っていないだろう!夜中の宮殿の警備は厳重なんだ!不審者は抵抗すればその場で切り殺されても仕方が無いぐらいだ!騒いでも捕まえようとだけした警備兵が甘かった事に感謝するんだな!その甘さを出した兵は厳重注意を受けるとしてもだ!」
サシャは警備兵が自分の為に罰を受けると聞いて驚いた。
「違う!彼らはちゃんと仕事をしていた!私が怖がったから・・・肩を掴まれたら、穢れを受けた時の事を思い出して騒いでしまったんだ!逃れられない、逆らえ無い、異性の力の差に恐怖したんだ!だから兵は悪く無い!」
カルムは思わず言葉が出なかった―――
サシャはいつも飄々としていた。穢れの行為は気持ち悪いとか、嫌だとか言っていたが怖いとは言っていなかった。初体験が痺れ薬を飲まされ、何が何だか分からない間に犯されたのだから恐怖するのが当然なのにサシャから怖いと聞いた事が無かったのだ。だからカルムもすっかり失念していた。
それぞれの思いや考え方が違っているとは言っても同性の持つその感情はそう変わらないだろう。
性的暴力を受けた美羽は何時も恐怖していた。
イエランから強姦された後の美羽の恐怖に彩られた悲惨な心をカルムは思い出した。彼女はイエランの名前を聞くだけで恐怖したものだ。それが普通だろう・・・
(サシャは・・・私にも恐怖しているのだろうか?)
彼女の心は視えない―――もちろんそんなことはお構いなしにサシャを散々いたぶった。何とも思っていない彼女の心情を気にする必要は無いのだから当たり前だ。イエランに言ったようにサシャは偶然手に入れた都合の良い玩具なのだから・・・しかし、今はそれが何故か気になって仕方が無かった。
何故?しかし気持ちとは裏腹な事を口に出した。
「兵は悪く無い?じゃあ、誘ったのは自分だと認めるのか?」
「怖かったから騒いだと言っているのに何故そんな話になるんだ?」
「嫌がった素振りをすれば男は煽られる。そんな事、今まで私と体験済みだろう?忘れたとは言わせないよ。嫌だ、嫌だと言いながら、イェレで失敗したから男を漁りに出掛けたのだろう?」
サシャはカルムの言い掛かりに驚いて、理性溢れる緑の瞳を大きく見開いた。
「何を言うんだ!私はそんな事をしない!虹の帯を見に行ったと言っただろう!」
「虹の帯か・・・イエランと?」
「今度は自分の弟を誘惑したとでも言いたいのか!」
「イエランは誘惑しても無駄だよ。あれはミウちゃんに、どっぷり浸かっているからね。だからあれの気を惹こうとしても無駄なことさ」
「もうっ!どうしてそなたはそんな事ばかり言うんだ!私はそなたの言うような行為を望んでいないのは知っているだろう?望んでいるのなら何もそなたを断る必要も無いじゃないか!」
「私が嫌だからでは無いと?」
サシャはカルムの垣間見た本心に、はっとした。
(もしかして・・・自分が嫌われていると疑っていたのか?)
あのサシャからすればおぞましい行為もそれは快楽と言いながら飢えた愛情を求める行為なのかもしれないと思った。
「私はそなたを嫌ってはいない。しかし好きでは無い。だが気を悪くしないでくれ。私には好きという感情は捨てた。そんな感情を持てば他人と深く関わってしまう・・・だからそんな感情は生涯持たないと誓ったのだ」
サシャの繊細な心をカルムは思い出した。天山の中で彼女は一人黙している事が多かっただろう。
誰にも心開かず誰にも関わらず過ごしている後姿が見えるようだった。
それを望んでしていたのだから寂しいと思った事も無かっただろう。
「・・・それは良いことを聞いた。それなら私を好きだと言わせてみせる。もちろん強制では無く、心からね。そうすれば自ら穢れと称するものを受けたがるようになる。自分からその足を開いて私の情けをねだるだろう」
サシャはこんな答えが来るとは思わず驚き飛び上がった。
それを言ったカルムも自分自身驚いてしまったが後には引けなかった。
「そ、そんな事はしない!」
「さて、どうだろう?巫女姫と言っても同じ女。持って生まれた性には逆らえ無いさ。例えば、私の妹リネア。彼女はね、昔から私に異性としての恋愛感情を持っていた。私はもちろん大事な妹としか思っていなかったから間違いは起こらなかったけれど、彼女が本当に強く望んでいたら多分受け止めていただろうね。ところが、猛牙の野蛮な男が好きになって私はあっさりと過去の男になってしまった。それにミウちゃん、彼女はイエランが憎い敵国の王だと言うのにいつの間にか恋した。もちろんイエランは最初からミウちゃんが好きで仕方がなったけれどそれを尾首にも出さず、非情な男を演じていたのにだよ。何度も彼女を押さえつけ無理矢理犯したりしたのにね。だから嫌だ、嫌だ、と言っていても女は変わる―――それを恋と言うらしいけれどね」
それは女だけで男もそうだとカルムは認めていない。自分はそうならないと思っていた。
恋―――
サシャはレーナからまるでカザンに恋しているみたいですね≠ニ言われたことがあった。
あれが恋と言う感情なら恋などしたくないとサシャは思った。カザンが側にいないと心配で、楽しそうにしていると自分も嬉しかった。そして、レーナに尻尾を振ってじゃれているのを見ると面白く無かった・・・カザンはサシャを幸せな気分にも嫌な気分にもさせた。とても大事な存在だった。
それが突然消えた時の痛みを思い出したく無かった。だから恋≠ニ言うものはしない。
「私は恋などしない。例えこの身を力ずくで穢されようと心は穢されない」
「恋が穢れと同一か・・・まぁ、良いか・・・私が飽きるまでこの遊びには付き合ってもらうだけだからね。それはそうと今から仕事に行くよ。今日は七家の会合もあるから服装は準礼装で・・・と言っても分からないか・・・おいで」
カルムはそう言うと、さっさと部屋の中の一つの扉を開いた。
そこは一歩入れば小さな入り口と関係ない広い部屋でぎっしりと棚が並び衣装が沢山収納されていた。
「左端に女物を用意させたからある筈だよ。手前の方から正装、そして次が準礼装。形が違うから分かるだろう。好きなものを持って行ってレーナに着せて貰ったらいい。あと、奥に宝石もある適当に選んで使っていいよ」
サシャは言われた通りの場所でその礼服を見つけた。そして適当に選ぶとカルムが気になって彼を見た。召使いを呼ぶことなくカルムは自分の服を選んでいた。
手で触れば形が分かるから大丈夫なのだろうが・・・
「目が不自由なのに召使いに選ばせないのか?」
サシャは思った事を口に出してしまい、しまったと口を手に当てた。
目の事を言うとカルムは怒るからだ。案の定、凄い勢いで睨まれた。
「必要ない!収納場所を決めているのだから関係ない!」
「でも、色は?見えないだろう?」
サシャは更に睨まれた。
「色を選ぶ必要は無い!」
選ぶ必要がない?サシャは疑問に思ったが良く見れば手前にあるものはほとんど同じ色合いのものばかりだった。頻繁に着用するものだけ故意的に集めているのだろう。
「成程、選択肢を狭くしているのだな。でも、そなたの容姿からすると勿体無いな。あんなに沢山持っているのだから色々着れば良いのに・・・あっ」
サシャは走って、目に止まった服を取って来るとカルムの胸に押し付けた。
「ほらっ、これなんかとても似合う」
カルムは驚き、思わずその服を手に取った。
「要するにそなたは自分で何でもしたがるのはその心眼のせいなのだろう?召使い達が余計な気を遣わないように身の回りの事は自分でする。そうだろう?ならば今度から私がするから安心しろ。服もこれから私が選んでやるからな」
サシャの声が弾んでいた。仕事が増えて喜んでいるのだ。しかもカルムが呆けている間に勝手に着せつけも始めてしまった。棒立ちするカルムから服を剥ぎ取り次の服を着せ付ける。
「下は自分で脱いでくれ、ほら、足を上げて」
カルムは、はっと我に返り脱がされかけた服を引き上げた。
「勝手に脱がすな!」
「自分で着替えきれるのか?服・・・その・・・彼女達に脱がして貰ってたから・・・」
「あれは前戯の一環で」
「前戯?」
聞きなれない言葉にサシャが首を傾げた。
「ああっ!もう!性的な興奮を高める為の手段だよ!なんでこんな説明をしなければならないんだ!自分で脱げるし、着られる!だから余計な世話だ!」
「分かった。すまない余計な事をした」
黙ってしまったサシャの気配を感じなくなったが彼女が直ぐ近くに居るだろうとカルムは思った。
きっとあの大きな緑の瞳で、じっと自分を見ている筈だと思うと居心地が悪かった。
だから急ぎ過ぎて止め具に布を挟ませてしまいどうしても外せなくなってしまった。
苛々と乱暴に引っ張っていた所にサシャの手が伸びて来た。
「そんなにしたら駄目だ。私に任せて」
見えるものと見えないものの差だろう。サシャの手で簡単にそれは外れた。
そしてサシャは満足そうに一歩下がってカルムを上から下まで眺めた。
「うん、とても似合っている」
「何色を選んだんだ?」
カルムはきまりが悪くなり不服そうに訊いた。
「紅色だ」
「紅!冗談じゃない!」
脱ごうとしたカルムをサシャが慌てて止めた。
「駄目!とても似合っているから脱ぐな!あんな年寄りが着るみたいな色より、ずっと良い!」
「と、年寄り?」
カルムは自分が好んで着ていたものをそう言われて次の言葉が出なかった。
確かに視力が無いから色に関心が無く、そして間違って着ないようにと着る場所を選ぶような派手な色は避けていた。だからカルムの為に仕立屋が競って趣味を凝らし用意した衣装は手を通す事無く収納されていたようなものだ。
「そなたの髪は銀色で色素が無いのだから鮮やかな色を着た方が映える。それにその美貌が青白く見えずもっと華やぐ。これに金眼が開くともっと綺麗だろう」
サシャの、うっとりするような声音にカルムは反対する気力が削がれてしまった。
だから思わず天眼を開いてやった。すると蕾が一気にほころんだように微笑んだサシャが視えた。
しかも小さな歓喜をあげて飛び上がっていた。そんな様子を見れば年相応の幼い少女にしか見えなかった。それにしてもサシャはまだカルムの大きな毛皮のガウンを着たままだった。
だから腹いせにそれを無言で剥ぎ取った。
「何をする!」
笑顔が今度は怒った顔になった。
「今度は私が着替えを手伝ってやるんだよ。下着も引き出しに入っている。ああ、持って来たんだ。じゃあ、それから着せてやろうか?」
「下着ぐらい自分で着る!」
「そう?じゃあ、どうぞ」
天眼が開けば当然見られている―――
意地悪全開のカルムを睨みながらサシャは彼の前で全裸を晒しながら堂々と着替えた。天眼国は派手な下着が一般的だ。年中真冬の土地での服はお洒落感覚を発揮できる要素が無いらしくそれが下着へと注がれたらしい。見た事ないような透けるレース地に派手な原色の凝った形・・・サシャは絶句したがそれしか無いのだから着るしかない。一応、一番地味な色の黒を選んで着たが変な感じだった。
カルムの見えない視線が何か言いたそうだった。だから、つい言ってしまった。
「何?」
「何って?何?」
カルムは、ニヤニヤしながらそう答えただけだった。
「何でもない・・・」
サシャは溜息をついて礼装を着ようとするとカルムがそれを奪って遠くへ放り投げてしまった。
「何をするんだ!」
「ん?何って?その下着似合っているからそのままでも良いかと思ったんでね」
「そ、そんなこと!」
「とっても素敵だよ、サシャ。皆に自慢したいくらいだ。おや?この肩と手首のうっ血は今まで無かったものだね・・・そうか・・・警備兵に押さえ込まれた時のものかな?」
カルムは不気味なくらい優しく囁くように言った。今までなら怒った感じで言うのに?戸惑うサシャのその肩をカルムが掴んだ。そして彼女の足を払い床に倒すと手首のうっ血している同じ場所を掴んだ。
「こんな感じで押さえ込まれていたよね?サシャ?怖い?」
サシャは少し驚いたが直ぐに微笑んだ。
「そなたは怖く無いと言っただろう。と言うか・・・綺麗だ」
サシャはそう言うと上半身を浮かせた。両手首は押さえ込まれているから辛い体勢だか近付いていたカルムの金眼に口づけした。
瞬き出来ない天眼が大きく見開かれ、カルムは驚きの余りサシャを放して立ち上がった。
「そなたが望むのなら裸では無いからこのままで私は構わない。それで気が済むのならそうしよう」
サシャはそう言いながらカルムの前に立った。裸では無いと言っても隠す場所は小さく殆ど裸同然だ。
答えないカルムにサシャは溜息を付くとその部屋から出て行こうとした。
「サシャ!そんな姿で外に出るのは許さない!」
「そのままでいろと言ったり、駄目だと言ったり・・・どっちなんだ?」
「煩い!着ろと言ったら着るんだ!そんな格好で連れ歩いたら私の気が狂ったのかと思われるだろう!」
「ふ〜ん・・・そうか。そなたが無茶なことばかり言うから天眼国では妻を裸や下着姿で他人の目に晒すのが常識なのかと思ってしまったが、そんなこと無いのだな。安心したぞ」
うっ、とカルムは言葉を詰まらせた。だから大人しく彼女が着替えるのを待つ状態となってしまった。しかも着替えを手伝わされた。
「お揃いのようだな」
サシャは満足そうに言った。結局カルムが選び直した服をサシャは着たのだが色が同じ紅色だったのだ。お揃いと言われてカルムは悪い気はしなかった。
サシャがカルムに似合う、綺麗だ、と連発していたがサシャにも紅色はとても良く似合い可愛かった。
露出の少ない天眼国のドレスはサシャの独特な雰囲気を一層引き立てるのだろう。
しかし、何時も恋人達に言うような褒め言葉が出て来なかった。
それに後からやってきたサシャを崇拝するレーナが褒めちぎるから横から口出す事も出来なかった。
だからカルムは不機嫌なまま部屋を後にした。そうすればサシャが後から付いて来るからだ。
天眼を閉じているから振り返ったとしてもサシャの姿は見えない。しかしさっきサシャの両手首にはシャラシャラと音の鳴る腕輪を付けさせた。だからその音で彼女が自分を追ってくれば分かる。
シャラシャラシャラ―――
シャラシャラ・・・カルムはその音を聞き微笑んだのだった。