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天人の
囁き
18![]()
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リネアからの用件は遠見を一人貸してくれというものだった。
「遠見?理由は何か言って来ていますか?」
見当がつかない内容にカルムは聞き返した。
「内密で失せ物探しを依頼したいとの事でした」
「失せ物?それはリネアの?」
「内容は分かりかねます」
「不可思議な力を嫌う猛牙の男が私達の力に助けを求める事は無いでしょうから・・・リネアの失せ物でしょうね。何を失くしたのやら・・・」
「どういたしましょうか?私が参りましょうか?リネア様がいらっしゃるとは言っても危険な国ですから遠視だけ出来る者を送り込んでもどうかと・・・」
サウルは念動力と遠視を合わせ持つ優秀な軍人だ。
リネアの相手としてカルムが推したぐらい彼を認めていた。しかし婚約をリネアから一方的に破棄されたのにそれを根に持つ様子も無く、以前と全く変らないサウルの態度にカルムは良く出来た男・・・という評価ではなく何となく不満を感じていた。サウルはリネアの事を愛していたのでは無く、崇拝する自分から望まれたから婚約しただけだとカルムも承知している。
相思相愛同士で結婚するのが望ましい事だとカルム自身思っていない。条件さえ合えば気持ちは二の次で構わないと思っていた。それなのに不満に感じる意味が自分でも分からなかったが・・・
(少しはリネアを奪い返すっていうぐらいの意地が欲しかったと言うか・・・それにしても自分が行くって?あの野蛮人に見付かったら今度こそ殺されるって思わないのか?リネアにベタ惚れのあの男が元婚約者という肩書きを持つ男を見逃す筈が無い。私でもそう・・・私でも??な、何考えているんだ!)
カルムは自分のふと浮んだ考えに驚いてしまった。しかも心密かにサシャが天山で関わっていた人々や信者達でさえ気になっていたのが同じ様に思えて焦ってしまった。
(違う!違う!冗談じゃない!そう・・・今はそんなこと考えている場合では無い!)
カルムは冷静さを装い微笑んだ。
「サウル、貴方は行った事があるから内情も分かり一番適任かもしれませんが・・・もしもリネアと会っているのをサガン殿に見られたら大変です。あの単純な思考回路で変な誤解をされるでしょう。何しろ貴方はリネアの元婚約者なのですからね。回避出来る危険は冒さないことです。他の遠見を向かわせ――」
サシャの腕輪がシャラと鳴ったのでカルムが言葉をとぎらせた。
彼女がふいに動いた音だった。猛牙と聞いたサシャは、天人たちの噂話と本でしか読んだ事の無かった謎の多い不思議な国の話題に興味が湧きサウルに質問しようと身を乗り出したのだ。
「そなたは行ったことあるのか?猛牙国の住人は本当に獣のような姿なのか?森ばかりで木の上で生活するって?本当か?」
いきなり目を輝かせて質問されたサウルは驚きサシャを見た。
カルムとの会話でその存在を忘れかけていたサシャをしっかり見る結果となった。良く見れば幼さが残る顔立ちでも、聡明な輝きを放つ緑の瞳が印象的でとても美しかった。
「サシャ!大事な話しをしているのですよ。黙っていなさい!」
カルムはサウルの感じたサシャの印象を読むと癇に障り声を荒げてしまった。それこそ滅多に無いカルムのその様子にサウルが驚いた。しかし、サシャはいつもの事だから驚かず口答えした。
「ちょっと聞くぐらい良いじゃないか!そんなに怒ること無いだろう!」
「大事な話し中に横から聞く事ではありません」
「じゃあ、後で聞く。それなら良いだろう?そなた・・・サウル殿だったかな?後で色々話を聞かせてくれ」
「その・・・」
怒っているカルムと、ニコリと微笑んだサシャの顔を交互に見たサウルはどう答えたら良いのかと口ごもった。
「サウルに聞く必要はありません!私に聞きなさい!」
「そなたも行った事あるのか?」
サシャの声が弾んでいた。
その声が自分に向けられると一転してカルムは気分が良くなって来た。
「もちろん。そんなに猛牙国に興味があるのですか?」
シャン、シャンと腕輪の音が鳴った。サシャが勢い良く頷いたようだった。
「猛牙国だけじゃない!黒翔国も蒼苑国も洞国も偉大な五大国は不思議に満ちていて考えるだけでも、ワクワクする!」
「天眼国も、ワクワクする?」
サシャの興奮した様子に惹きこまれたカルムは思わずそう訊いた。
シャン、シャン、と音がした―――サシャが勢い良く頷いている。
「どこまでも真っ白な世界に冷たい空気。まだ見ていないけど虹色の帯に・・・そして天眼!額にもう一つの目なんてどんなだろうと思っていたけれど・・・想像していたより遥かに良い!特に、そなたの金眼は本当に綺麗だ!」
サシャの素直な称賛にカルムは気分が良かった。
彼女の嬉しそうな声も後押ししたかもしれない。本当に気まぐれだった・・・
「では、共に猛牙国へ行こうか?」
「え?」
「カルム様?今何と?」
聞き違いか?と驚いたサウルは聴き返した。
「私が行くと言ったのです。直ぐに開路を猛牙国に繋げなさい」
「し、しかし・・・」
サウルは戸惑っていたが、サシャは反対に目を輝かせると声を上げて喜んだ。
「本当に私も連れて行ってくれるのか?本当に?」
「行きたいのでしょう?」
「うん!行ってみたい!あっ・・・でも・・・良いのか?忙しいって言っていただろう」
険しい顔になったサウルを、チラっと見たサシャは申し訳なさそうに言った。
「特別に急ぐものは無いし・・・至急の用件が入ってもイエランが居るのだから大丈夫」
カルムはそう言いながら、サラサラと書面をしたためた。
「サウル、これを王へ届けて下さい」
「直接言わなくていいのか?」
サウルが言おうとしたことをサシャが訊ねた。
「直接言えば行くのを止められるでしょうからね」
「反対されるようなものなのか?」
サシャが驚いて聞くとカルムの代わりにサウルが答えた。
「カルム様はこの水晶宮の守衛の要。類い稀な遠視の力無くしては出来ない守り。易々と外出出来るお立場では無いということです」
サウルの言い方は誇らしげだった。
サシャは自分が宮殿内をうろついて王の居室まで辿り着いた時にカルムは警備の甘さを王から叱責されていたのを思い出した。だけど・・・カルムと会ったのは国境沿いだ。
「そなたと出会ったのは国境の町だった・・・外出出来ない訳でも無いのだろう?それに一日中、宮内を視ている訳じゃないのだろう?もしそうならそれこそ一人の能力だけで頼っている機能に問題がある。過日のように天眼の王から指摘されても仕方が無いことだ。そなた、自分の力を過信し過ぎているようだな」
サシャはサウルに答えているというよりもカルムを批難していた。
サウルは一瞬で怒気を上らせ顔色を変えたが、カルムは腹を立てなかった。それどころか、少し怒ったようなサシャの言い方に思わず微笑んでいた。彼女の怒りは自分を心配しているからだと察したからだ。これは声の調子だけで心を視なくても分かった。
「何笑っている!私は怒っているんだ!」
クスクス笑うカルムにサシャは腹を立てて叫ぶと、音響が倍になって返って来た。
サシャは慌てて耳を塞いだが、キーンと耳鳴りがして顔をしかめた。それでも笑い続けるカルムに今度は小声で抗議した。
「笑い事じゃないのに!」
「そう?とても愉快だけど。力を過信していると言われたのは初めてだからね」
「本当のことだろう?過信している」
「カルム様は実際力があるのだから、力量不足の者が持つような愚かな考えは無い」
サウルは崇拝するカルムへのサシャの批判に黙っていられず反論した。
サシャはカルムとの会話に横から急に入って来たサウルを、じっと見た。
そしてカルムにそっと耳打ちした。
「あの者はそなたの恋人の一人か?」
「はぁ?違う、違う。私が妹の夫にと思っていたんだから手は出してない。急に何を言い出すんだ?」
「ん・・・あの者の態度から・・・何と無くそう思っただけだ」
「ふふっ・・・もしかして妬いているの?」
「妬く?何?だそれ?」
心浮き立って訊いたカルムはサシャの予想通りの平然とした答えに、がっかりしてしまった。
だから期待する答えが欲しくて更に問いかけた。
「サウルが私の恋人かどうか気になったのだろう?」
「もちろん気になる」
カルムの顔が輝いたがサシャの続けた言葉にその顔は固まってしまった。
「そなたの閨相手を知って覚悟せねばならないからな。女ならまだ良いとしても男は流石にそなた以外となれば慣れぬから・・・」
「サシャ?何を言って・・・」
「そなたは毎夜、あの時のように男女構わず何人もの相手と契り合うだろう?不道徳極まりないものだが・・・私は妻の役目を承知したのだから・・・それに加わらねばならない。だから一応把握しておきたかったのだ」
カルムは唖然としてしまった。そして堪えがたい怒りが胸の奥から湧きあがって来た。
「私の恋人達・・・イェレやユーシリス、サライにジャン達と交わると言うのか?」
「イェレ?ああ、先日のか・・・ユーシス、サライ・・・ジャン?と言うのが男の恋人達か?出来ればいきなり寝所で会う前に紹介してくれたら助かる」
嫌がるサシャが男達に犯され散々陵辱されるのを視るのは興味無いと言えば嘘になる。カルムは自分がこんなに嗜虐心が強いとは思っていなかったが、彼女の嫌がる様子はかなり強い淫欲を感じるものだった。今までに無い感情だ・・・しかしサシャが自分以外の男達に組み敷かれるのを想像すれば・・・警備兵にでも憤ったように・・・
「天山の巫女姫は男を知ると免疫が無いせいか誰にでも足を開く淫乱になるんだな!そんなに色々な男を咥え込みたいのか!」
「カ、カルム様?」
サウルはカルムらしくない口調に驚き目を見張った。
カルムはサシャに対する怒りで彼が居るのにも関わらず表の顔を完全に捨てていた。
「またそんな言い方をするのか!そなたが望むことをしてやると言っているのに何故怒るんだ!そなたは夜、一人では眠れないと言った!淫らな行為をせねば眠れぬとも言った!それにあの行為は快楽だとも!そなたの恋人達を見れば分る。こんな私だけでは満足しないものだろう!湯殿でもそうだった!だから私は自分なりに努力すると心に誓ったんだ!それなのに・・・」
サシャは喉を詰まらせると勝手に涙が浮んで来た。悔し涙だ。
カルムは彼女の涙声に、はっとして頭が冷えた。そして咳払いをすると驚いて棒立ちしているサウルに先程の用件を言い付け追い払った。
「サシャ・・・」
天眼を開いたカルムは涙を浮かべて怒っているサシャを視たが・・・何と声をかけて良いのか分からなかった。思わず涙ぐむ瞳に手を伸ばしたがサシャがその手を払った。そして大粒の涙を、ポロポロと落とし始めた。
「触るな!私は腹を立てているんだ!」
「サ、サシャ・・・」
カルムは彼女にどう接して良いのか分からず珍しく動揺してしまった。
昨日はサシャが急に泣きだし、泣き止めさせようと抱いた。
あれは同意を得て・・・というようなものでは無かった。サシャは錯乱した状態だったのだ。だから犯したようなものだったとカルムは自覚している。
今日は二度目だからだろうか?冷静過ぎて感情的になれ無かった。
サシャは、ポロポロと涙を落としながらカルムの膝から飛び降りた。しかしその手をカルムは掴んで机の上に引き倒した。嫌だと抵抗するサシャの両腕を押さえ込み、半身を彼女の上の圧し掛けて動きを封じた。
それでも宙に浮いたサシャの足は、バタバタと暴れていた。
「馬鹿!放せ!放せっ!私がどれだけの決心をしたと思っているんだっ!私が・・・・・っ」
サシャは嗚咽が上がりもう声にならなかった。
しかも頭が、ガンガンして来た。泣き慣れないせいだ。それに金眼を開いたカルムの眩むような美貌が間近に迫っていて自然と頬が熱くなってくるようだった。
その頬にカルムが口づけを落とした―――
サシャは驚いてしまった。いつもなら力ずくで唇を奪われ、そして犯される・・・身体の動きを封じられ当然そうされると思っていた・・・
(どうして?)
サシャの抵抗していた手足から力が抜けた。
口づけから顔を上げたカルムの表情は曇っていた。そしてカルムの何も映さない双眸はサシャを見ているようだった。無抵抗のサシャの手は天眼へと運ばれ・・・更にカルムの顔が曇った・・・
「・・・私はまるで獣か・・・色情狂のような認識という訳か・・・この私がね・・・」
サシャの心を視たカルムは気分が滅入ってしまった。彼女にそう思われても仕方が無いことばかりしていたが今まで無視をしていたものだったのだが・・・
(そう・・・無視していた・・・心が視え無かったから無視出来ていた・・・)
それはカルムには珍しく解放された気分で浮かれたのだ。心が視えないイエランと会話を楽しむのとは又違う特別な感情・・・親族では無いもの・・・自分とは違う性別のもの・・・サシャは特別だった。
しかし、手を介すれば心が視える今、サシャの特別感が無くなった。
(じゃあ・・・興味が無くなった?違う・・・もっと気になる・・・)
この不可解な気持ちをカルムは持て余した。理解出来ないのだ。今も、サシャの涙を視て自分が何故?嬉々としないのか不思議でならなかった。
沈んでしまったカルムにサシャは戸惑った。だから言葉が出なかった・・・
お互い無言のまま見つめ合い・・・先に瞳を反らしたのはカルムだった。
天眼を閉じたのだ―――
サシャを拘束していた手が離れ圧し掛かっていた身体も離れた。
「どうした?私を穢さないのか?」
「穢すね・・・どうせそんな位置付けだろうね―――しないよ。猛牙族じゃあるまいし何時も発情している訳じゃない。それに懸念している夜の戯れに君を参加させるつもりは無いからね。慣れない君が一々騒げば興が削がれるだけだ。恋人達を呼ぶのが面倒な時だけ相手して貰うよ。だから勘違いしないで貰いたいけど、本当の妻と言う立場は子を産む存在。それが無い関係は恋人・・・その恋人程の器量も技量も無い君は恋人以下の存在だ。便宜上、妻の位置に置いているのは読み書き出来て、性欲処理にも使える邪魔にならない便利なものだからだよ」
カルムは自ら言い聞かせるように酷い言葉を綴った。
怒ると思ったサシャは少し首を傾げて哀しそうに微笑んだ。
「すまぬ・・・役立たずで・・・」
カルムは見えない目を見張り唖然としてしまった。
「どうして謝る?私の方が酷いことを言っただろう!」
「酷いとは思わない。私がそなたの好意に甘えているのだから・・・そなたが楽しめるようにこの身体が成熟していれば良かったし、この頭に染み付いた禁令を軽く考えられるぐらい能天気だったら良かっただろうし、子を絶対に産みたく無いと思わなければ良かったのだろうが・・・本当にすまない」
あれだけ嫌がっていた男女の交わりを気持ちが良かったと認め、何と無く少しは慣れて進歩したのでは?と思っていたカルムだったが・・・サシャは少しも変っていなかったのだと改めて思い知った。
カルムに世話になっているのだからと頑張って譲歩しているだけで根本的には全部拒否しているのだ。
「・・・は・・・はは・・・そう言うことか・・・成程ね・・・あはっ・・ははは・・・」
力なく嗤ったカルムは脱力感が襲って来たがそれとは別に征服欲も湧いて来た。
「サシャ、私はね・・・今まで自分が望んだもので手に入れられなかったものなど無いんだよ。昔も今も狙ったものは逃がさない・・・」
「何のことだ?」
「君のことさ」
「私?」
「そうだよ。前々から言っていたけど・・・嫌々足を開くのでは無く、自分から進んで足を開いて私が欲しいと腰を振り、何人もの男や女達と愉しく交わって遊べるようになって貰うつもりだよ。そうしたら私の理想の玩具の出来上がり!欲しかったからね、そういう子が」
「そんな者は今でも幾らでもいるだろう?湯殿の下女達だってそんな感じだったじゃないか?そなたの恋人達だって――」
カルムの雰囲気が、ぞっとするぐらい冷たくなった。
「違う・・・あの子達の誰もが私が一番ではない。私は誰かの次・・・それに親族はもちろん誰彼と繋がっているものだから要らなくなって捨てたら支障がある。その点、お前は余所者で天涯孤独の身・・・せいぜいレーナが煩いだけ。飽いて捨てようが殺そうが胸は痛まないし周りへの配慮もいらない」
「(配慮?)・・・そう言えば・・・そなた、天眼の王に言っていたな。私にするような酷い事を恋人達にすると評判が落ちるから、私は都合の良い玩具だと・・・成程。そなたは快楽だと言っても常に気を遣い心から楽しむ事が無いのだな・・・そなたを誤解していたようだ。すまなかった・・・そなたに世話になるからには理想の玩具になれるように努力する」
サシャの玩具宣言もだが彼女から哀れまれたことにカルムは再び動揺した。
酷い言葉に隠しながらつい自分の心の弱さを洩らしたそれに気付かれてしまったのだ。カルムは他人の心を視慣れていても自分の心を見られるのは慣れていない。
(確かに嫌なものだ・・・他人に心を見透かされるのは・・・)
カルムは自分で自分を嗤いたかった。嫌、嗤っていた―――
「クッ、クック、ク・・・サシャ、期待しているよ。私も、たっぷりと教授しよう。で・・・今回は本当に丁度良い機会だ・・・猛牙国は勉強になる」
「勉強?」
サシャはカルムの謎めいた言葉を繰り返した。
猛牙国―――獣のような人々が住む密林の王国。どんなところだろうか?と期待が膨らんだ。