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天人の
囁き
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女将がやっぱりと言うような顔をした。
「カルム様・・・天山の巫女は未婚が鉄則ですが結婚は許されています。その場合天山を降りて只人に戻る決まりだそうですが・・・ただ純潔を捧げた相手と結婚しなければならない掟だと言うのを聞いた事があります。言い換えれば性的な行為は夫婦間でなされるべきものであり、もしそうで無い場合は大罪となると・・・いわゆる快楽の為の性的な行為は堕落とみなされ、その罪は死をもって償うとか・・・」
「馬鹿な・・・そんな掟・・・めちゃくちゃな・・・無視したらいい!天山を降りたなら何をしても分からないじゃないか!」
馬鹿馬鹿しいと言ったカルムの頬が鳴った。叩いたのはサシャだった。
「黙れ!我を穢した揚句これ以上侮辱するな!私は天山の巫女姫だったのだ!天山の掟に背いて生きることなど出来ない!」
カルムは信じられなかった・・・
目の前の小さな娘の気迫に圧倒されてしまったのだ・・・言葉が咄嗟に出なかった。
だからついポロリと出た言葉が・・・
「だったら結婚してやる」
声に出した時にカルムはしまったと後悔した。それを相手は流石に悟ったようだった。
「・・・・・・何故?」
何故と聞かれてカルムは答えられなかった。自分でも分からないからだ。
どうしてなのか?同情?違うとカルムは思った。自分が見知らぬ他人を気にかける事など無いからだ。
表面上優しい振りはしていても根本は価値を認めていない他人に冷たいのがカルムだ。
ましてこんなに面倒な事を表の顔で取り繕うつもりもなかった。
(―――では何故?)
やはりどうしてなのか考えがまとまらなかった。只言える事は・・・
「気まぐれだ・・・」
カルムのそのいい加減な答えにサシャは微笑んだ。それにはカルムは驚いてしまった。
「何故そんな顔をするんだ?」
「顔??」
「何故、そこで微笑むのか?と聞いたんだ」
サシャはそれに答えなかったがカルムがまるで気まぐれな天人達のようだと思ったから思わず微笑んだのだった。そう彼らは気まぐれだ。良いと言ったり駄目だと言ったり・・・コロコロ変わる気分はもちろん、悪戯ばかりする者達に優しくお節介な者達などなど・・・サシャ達には無い力を持った天人達。
その彼らのような不思議な力を持つカルムにサシャは同じものを感じた。
黙ったまま真っ直ぐに自分を見つめるサシャにカルムはどうしていいのか分からなくなった。
普通はこんなに天眼を開いたまま相手の動向を視たりしない。開眼すれば視たく無いものも沢山視えて煩わしいからだ。本当に必要な時だけ開いて視るだけだ。それなのに何故かこの娘の一挙一動が気になっていた。視力があればこんな苦労はしないのだが生憎それだけはカルムには無いものだ。
彼女の視線がすっと動いた。そして幼顔でも凛とした眼差しが優しく微笑んだ。
「レーナ、私はこの方と行くからお前はお帰り。お前は良く働くから直ぐに次の役目が与えられるだろう。私のことは心配せずに――」
「いいえ!いいえ!私も付いて参ります!どうぞお連れ下さいませ!」
「レーナ・・・私はもう何の力も無い。だからお前が仕える必要も理由も無い・・・」
レーナはいいえ、いいえと言って首を振った。そしてサシャの前で平伏して祈るように訴えた。
「もちろん私はサシャ様の類い稀なお力を崇拝しておりました。しかしそれだけではございません!サシャ様は私達兄妹をお救い下さった恩人でございます!死を待つだけだった私達に差し伸べて下さった小さなお手を私は一生忘れません!」
サシャは天山に捨てられた赤子だったが言葉を一言二言喋り始めた頃には非凡な才能を現し最年少の天女候補として大事に育てられていた。治癒力は誰よりも強かったが天山の中枢はそれを出し惜しみして滅多に彼女を表に出さなかった。
サシャは知らなかったが治癒は施しでは無かった。その病状によってそれなりの代価が必要だったのだ。しかしそこはお布施と言う形で誤魔化されていた。もちろん治して貰った者が謝礼を渋ったり文句を言ったりはしない。誰もが喜んで代価を支払っていた。
しかし払えるものは良いが当然払いたくても払えない者もいる。それが両親を亡くしたばかりのレーナ達だった。親を失いその上頼れる兄が流行り病にかかってしまった。
それはかかると死に至る類いのものだ。しかもレーナにも移りその症状が出始めた。
兄ユハは自分も瀕死の状態なのにレーナだけでも助けたいと彼女を背負い天山を目指した。
ひと目見ただけでその恐ろしい病気だと分かる彼らに人々は出て行けと石を投げた。
それでも何とか辿りついた天殿では救いを求めた巫女達に会う事さえ叶わず取り次ぎの係りに追い出されてしまった。見るからにお布施を期待出来ない風体の子供達だった彼らの足元を見たのだ。
「どうか・・・お願い・・・お願い・・・妹だけでも助け・・・」
ユハは息も絶え絶えに地面に頭を擦り付けて訴えた。
しかし取り次ぎの男は布で鼻と口を押さえて汚いものでも見るような目で睨みつけると怒鳴った。
「煩い!お前達は後だ!」
「どう・・して?並んで・・・いたのに・・・後から来た・・・やつが先に・・・」
石をぶつけられながらもずっと順番を待っていたユハ達は足止めをされて後から来た者達が先にどんどん門をくぐっていたのだ。
「ああ〜予約だよ、予約。皆ちゃんとお布施をして待っているんだ。突然来たってよっぽどな事しない限り無理だな」
その時、ユハはお金が必要なのだと言うことを知った。
しかも自分達にそれが無いと言うのも分かっている。
「・・・お兄ちゃん・・・苦しい・・・よ」
「レーナ・・・ごめんよ・・・」
「おい!早く行け!目障りだろ!」
男は去ろうとしないユハ達を蹴った。
その時だった―――
凛とした声が響いた。
「子供に何をしている!」
男は、ぎょっとして振り向いた。
「み、み、巫女姫様!」
巫女姫と聞いた人々が一斉に門扉の直ぐ後ろに立つ子供を見た。
巫女姫と言う総称は天女候補にしか与えられない・・・子供に何をしている、と叱咤したが病気の子供よりその子の方がずっと小さかった。こんなに小さな子供が?と誰もが思った。
サシャがその場を通りかかったのは偶然では無かった。
優しい春風の天人が可哀想だと告げて来たのだ。春風達はユハ達の道中を見ていたらしい。
天人達は何かと人に構いたがるがそれを一々聞いていたら大変だし嘘もかなり多い。
しかし今回ばかりはサシャも心を動かし様子を見に来た所だった。
人々はざわめいた。小さな巫女姫が汚らしい兄妹に歩み寄り手を差し伸べたのだ。
兄の皮膚は病でただれ、妹はその前兆である膿んだ発疹が出ていた。巫女でも治癒は難しいと誰もが思った。
巫女も万能では無いのだから門前払いされるのは当然だろうと皆は思っていたのだ。
「巫女姫様!なりません!そのような死病!御身に移りでもしたら大変です!」
奥からサシャを追って来た側仕えが叫んだ。しかしサシャは無視をして二人に触れた。
「つらかっただろう・・・直ぐに治してやる」
そして奇跡は起きた―――
レーナは自分より小さなサシャがとても眩しかった。
小さな手が差し伸べられた時、光りの環がその背に見えたような気がした。助かった命はサシャの為にあるとレーナはその時から思っている。兄妹はサシャの口添えで、天山で働くようになった。
それから十数年・・・
レーナはサシャの側仕えを立派に勤め、ユハは逞しく成長し今では天山を守護する守備隊の隊長だ。
「どこまでもお供致します!」
確かにレーナが一緒なら心強い。
そう思っただけでもサシャは自分がとても弱くなったと感じてしまった。
見知らぬ土地で見知らぬ男の妻となるのに不安が段々と込み上げて来たのだ。
自分が馬鹿では無いと言い切ったがその知識が役に立つのか疑問だった。本には色々な事が書かれているがそれの殆どを見た事がないからだ。
それにあれだけ聞こえていた天人達の声が聞こえない事がこんなに不安になるとは思わなかった。
しかし自分だけでも煩わしいと思っている天眼の男に、レーナも一緒にとどうやって頼んだら良いのか分からなかった。だからサシャはカルムをまた、じっと見る事しか出来ない・・・
二人の経緯はレーナの心を見通すカルムには良く分かった。
(駄目だと言っても付いて来るに違いないし、一人が二人になったとしても変わらないが・・・囲うにしてもどっちも好みじゃないのが不満だけどね・・・レーナは成熟期を迎えて適当に遊ぶには丁度良い感じだけどギスギスした大年増のようだし、サシャは―――)
カルムは好みじゃない理由を挙げようとしたが何と無く思いつかなかった。
(身体が成熟していないがあれはあれで意外に良かった。小さな胸でも十分楽しめたし・・・大人びた生意気な口の利き方だが・・・それはそれで可愛らしい・・・ん?可笑しいな??)
カルムは大きな溜息をついて見えない瞳を閉じた。頭が痛くなりそうだった。
「・・・天眼の御方・・・その・・・」
サシャがようやく意を決して口を開いたのだが・・・
「一緒に連れて行けばいい。召使いは沢山いるが・・・考えるのも面倒だ。それに今日は疲れたから早く寝たい。だからもうこれで解放してくれ。今から寝るから・・・出発は昼に。連絡しておくからその頃には開路が繋がっている筈だ」
面倒だから承知して、しかも寝るから出て行け、と言うような感じで言うカルムにレーナは腹が立ったがサシャは違っていた。
「心から礼を言う、天眼の御方。レーナ、お前はもう部屋に帰りなさい。就寝の邪魔をしてはいけない」
「は、はい・・・畏まりました・・・」
様子を心配そうに窺っていた女将は頭を下げてレーナと一緒に出て行ったがサシャが全く動かなかった。
「君は?―――ああ、そうか。此処は君の部屋だったか・・・」
部屋を間違ったのはカルムだった。それを思い出したカルムは部屋を出ようとするとサシャも後ろから付いて来た。
「何で付いて来る?逃げる訳じゃない。置いて行かないし約束は守る」
「疑っているのではない。夫婦は同衾するものだと・・・本に書いてあったから・・・」
「はぁ〜何を言って・・・」
「違うのか?」
また、じっとサシャに見上げられたカルムは言葉に詰まった。どうしても天眼を閉じられない。
彼女の表情が気になって仕方が無いのだ。しかし思い切って天眼を閉じた。このままではサシャに振り回されてしまいそうだからだ。すると目の前はかすみおぼろげな影だけが見えるだけだった。
「あっ、金眼・・・金眼が閉じた・・・」
カルムはサシャの残念そうな声に、はっとした。
どんな顔をしているのだろうかとつい思ってしまった。声だけでは彼女の心は測れない。
(だからどうした?この私が小娘一人の心が視えないからと言って動揺してどうする?)
見えない事に苛立ちを感じるだけだと納得したカルムは部屋を移るのも面倒になりクルリと踵を返した。しかし注意不足で絨毯の端に躓いてしまった。
転んで悪態をつくカルムにサシャが首を傾げながら近寄って来た。
「そなた・・・もしかして?目が見え無いのか?」
サシャは何となくそう感じて問いかけてみたがカルムはばつが悪くて答えなかった。
見えなくてもこんな失敗は殆どしないからだ。見えない分、細心の注意を払って動くカルムには珍しい事だった。それだけ自分では気付かないぐらい動揺していたのだろう。
サシャは自分の弱い腕力で支えることも出来ないのにカルムを助け起こそうとした。
カルムはその行為に驚き差し出された手を払った。
「いい!自分で起きられる」
そう言われたサシャはカルムが立ち上がるのを見守ったが今度は手を引こうとした。
「なっ・・・」
サシャは目の不自由なカルムの補助をしようとしているようだった。
しかしカルムは珍しく頭に血が上った。何時のカルムなら公の場合、柔和に微笑んでその好意を受け、内輪の彼なら存分に甘えて受けるだろう。ところが本心はこの好意を嫌っていた。
「だから余計な事をするな!」
声を荒げたカルムは力任せにサシャの手を払いのけるとその弾みで彼女が、ドサリと倒れた。
その音を聞いたカルムが我に返った。
「すまない・・・乱暴なことをして・・・」
薄暗い部屋はカルムが幾ら目を細めても倒れているサシャを見つけられなかった。音がした方向に手を伸ばして探すとその手をサシャが掴んでくれた。そしてそのままその手に引かれるまま大きなベッドへと戻った。寝床はもうすっかり冷たくなっていたがカルムはそこへ潜り込んだ。
するとサシャも直ぐに後を追って横に入って来た。
「何?そんなに続きをしたい?天山の巫女は禁欲生活が長いから箍が外れると淫乱になるみたいだな」
カルムはまた苛々してきた。彼女を酷い言葉で傷付けたくて堪らなくなった。泣くなり怒るなりしてくれたらこのモヤモヤとした気持ちはすっきりするだろうと思った。
しかしサシャは無反応だった。
俗世にまみれていないから淫乱という言葉の意味が分からないのかもしれないとカルムは思った。
それならそれでとカルムはサシャの上に覆いかぶさった。自分が何をしようとしているのかを彼女に分からせようとした行為だったが・・・サシャの反応は違うところに来た。
「酷いみみず腫だ・・・私が付けたのか?」
覆いかぶさったカルムの後ろ首に一直線に走る数本のみみず腫がサシャの目に入ったようだった。
彼女は自分の指を見て爪が伸びていないのを確かめると、その傷にそっと触れて来た。
その傷は新しく肉を抉ったように酷かった。
「つ――っ!痛いだろう!」
カルムは驚いて身体を起こした。そして後ろ首に手をやる。
そこは昼間、母親から付けられた爪あとだった。カルムは母親似で父親に全く似ていないのに母が父と間違って抱き付いて来たのだ。正気の時は夫にそんな素振りを一度もしたこと無かったが今夢の中にいるエドラは本能の赴くままだった。
唇を寄せられ流石にそれを拒んだカルムにエドラは興奮し抱き付いていた首に爪を立てたのだ。
―――本当に最悪な気分だった。
「すまない・・・やはり駄目のようだ。私にはもうそんな傷さえ治せない・・・」
サシャは癒しの力を試していたようだった。
「落ち込んでいるのか?今、どんな顔をしている?泣いているのかな?」
カルムの声は弾んでいた。嫌な気分を思い出し八つ当たりしたい気分でいっぱいだ。
「慰めてやろうか?まだ途中だったし」
カルムはサシャに向かって話しかけていたが何時もと違って微妙に視線が外れていた。普通なら心を感じるから相手の姿が見えなくてもその相手を見て話しているように出来るがサシャの場合は難しかった。
ふいにサシャはその見えないカルムの瞳に触れた。カルムは驚いて瞬きをした。
「本当に見えないのだな・・・こんなに綺麗な瞳をしているのに。天山に行ってみたこと無いのか?生まれつきならどうしようも無いが・・・それとも――うっ・・・」
カルムは自分に触れるサシャの手を掴み上げた。ギリギリと握り締め吊り上げる。
「い、痛い!放せ!」
「哀れみはいらない!二度とこの瞳のことを言うな!」
カルムが珍しく語気も荒く怒った。サシャの一言、一言が癇に障って仕方が無かった。
本当に気に入らない娘だとカルムは思った。
(今もこんなに酷い扱いをしているのに涙一つこぼさない!腹が立つ!)
更にきつく握った時、カルムのその手の中で嫌な音がした。
「くっ・・・・・・ぅ」
その瞬間、サシャの小さな肩が痛みで震えた。彼女の指がカルムの手の中で折れたのだ。
カルムは自分らしく無い感情の激しさに驚きその手を離した。そして自分でサシャを傷つけたその手を握った。まるで自分の指が折れたような感覚だった。しかし傷付いているのはサシャだ。
折れた指が二本だらりと違う方向に曲がっているのをカルムは思わず開眼した天眼でそれを視た。
「す、すまない・・・君を傷付けるつもりは無かったのに・・・」
サシャは折れていない左手でカルムの合わされている手に触れた。
「大丈夫か?」
「なっ!大丈夫か?だって!指が折れたのは君だろう!私じゃない!」
サシャは小さく首を傾げた。
「・・・つらそうな顔をしている・・・」
「だから私じゃなく――もういい!それよりも手当てが先だ!医者を呼びに行く」
「大丈夫。これくらい自分で処置出来る。またレーナに心配をかけたくない」
「そんな事言っている場合じゃ無いだろう?それに巫女の力は無くなったって・・・」
「大丈夫心配するな。力が無くても医術には自信がある」
言う事を聞かないサシャに治療を手伝わされたカルムは只、呆れて果てていた。
処置が終ると骨折の為かサシャは熱を出した。熱で寒がる彼女を抱いて今横になっている状態だった。ぐっすりと眠るサシャが憎らしくて仕方が無かった。
治療する間、痛い筈なのに痛みに堪えて小さな肩を震わせていた。
その震えが伝わったカルムは下半身に熱が集まって来るようだった。
今まで苦痛に耐える女に欲情したり、それを与えて嬉しがったりする程、嗜虐心が強い訳でも無いのだが・・・思えば最初からサシャの嫌がる様子に高揚していた。
(もしかして嗜好変わった?ははは・・・まさかね?気のせい、気のせい。それにしても・・・)
本当に厄介な事に巻き込まれてしまったとカルムは溜息をついた。
そしていつの間にか自分もぐっすりと寝入ってしまったのだった。