天人の囁き


 天眼国・・・サシャはそう思った。
今までいた場所も確かに天眼の土地だったが極寒の国でも国境に位置するあの場所は温暖な方だった。しかし本当の天眼国は氷の国と言われるような凍てつく気候だ。
だから防寒の為に部屋の造りが何もかも違う。

圧迫感を感じる低い天井に窓枠には内扉、壁には天井から床まで届く厚地の織物が掛けられ床は毛足の長い絨毯が敷き詰められていた。

「・・・書物で読んだ通りだ・・・」
サシャは色々な国の生活を知るのが好きだった。滅多に外へ行く機会の無い自分がまるでその国に行ったような気分になるからだ。書物を読んでは気まぐれな風の天人に話を聞
いてみる。天人の話は嘘と本当の区別がつかないから信用はしないが面白可笑しく話をしてくれるから好きだった。
知識を与えてくれる書物を信用していたサシャだったがそれにも書かれていないことがあるという事実を知ったのだが・・・

(夫婦生活に子供のこと・・・まだ他にも知らないことがあるのだろうか・・・)
「サシャ様、お目覚めでございますか?」
考え込むサシャに、レーナの明るくはしゃぐような声がかかった。

「レーナ・・・此処は?」
「天眼の御方のお屋敷でございますよ!天眼の王宮、水晶宮の離宮だそうですが、それは、それは素晴らしい宮殿です!もう私、驚いてしまって!それにあの御方!怖いと思っていましたが本当はとても良い方ですね!気を失われたサシャ様を大事にお連れ頂いて此処に着いたら直ぐにお医者様も呼んで下さるし、何から何まで親切丁寧に私達が不自由しないようにと心配りして頂きました」
サシャが骨折した手を見ると真新しい包帯が巻かれ手当されていた。
薬でも飲まされたのか頭はぼんやりとしているが痛みは少し和らいでいる感じだった。嬉しそうに話すレーナを見れば胸元が詰まった厚手の生地で仕立てられた天眼国風の衣服に着替えていた。ふと自分を見ればサシャの持ち物でない夜着を着せられている。

「それで・・・天眼の御方はどこに?」
「王に挨拶をしに行くと言って行かれましたが、夜には戻ると言われました」
「仕事なのか?」
「そうだと思います。忙しいと言っていましたから」
「仕事なら私も行かないと。レーナ、仕度を頼む」
「え?何を?」
「ああ、すまない、レーナ。そなたに説明して無かったな・・・天眼の御方は私と結婚してくれるとのことだったが・・・その・・・夫婦となったら妻の義務として何度も契らなければならないらしい・・・」
「あの・・・サシャ様・・・もしかしてご存じ無かったのですか?」
「レーナは知っていたのか?」
頷くレーナにサシャは驚いてしまった。

「そうか・・・何もかも全部分かっているつもりだった自分が情けない・・・」
「サシャ様は天女候補だったのですから無縁の事でございますし、私はサシャ様とは違って外から奉公に来た者達との交流がありましたから知っていただけで」
レーナは赤い顔をすると慌てて言い訳をした。
もちろんこの手の話は天山では当然禁句
だった。男女の交わりは巫女の妨げとなる忌むべきものと位置づけされていたからだ。しかし駄目だと言われていても年頃になれば何となく話題にのぼってしまうようだった。
レーナの言う通りサシャはその点、純粋培養された天山の自信作のようなもので不必要とされるものは全部排除された状態で教育されていた。その無垢な高潔さはレーナから見れば侵し難い聖なる存在だったようだ。

「・・・承知しているなら話は早い。私はそれが嫌なのだ・・・一度穢れてしまえば同じことだとしても私はもうこれ以上穢れたくない・・・」
レーナも穢れは怖い。彼女が聞いた話では最初だけが怖くて痛いらしいとの事だった。しかしそれが本当かどうか?だからサシャが嫌がるのも分かるのだが・・・

「嫌と言われましても・・・」
「そう・・・嫌だと言ったらそんな夫婦はいないから普通なら即、離婚らしい・・・」
純潔を失って結婚しないとなると当然死罪だ。
元々、死ぬ覚悟だったレーナは迷う事無く力強く言った。

「サシャ様、私もご一緒に参ります!」
「レーナ、早とちりするな。話はまだ途中だ。あれを・・・穢れの再現を何度も繰り返すと言うのならいっそ儚くなった方が良いと私は正直思った。だがあの御方が私に取引を申し出てくれた・・・」
「取引でございますか?」
サシャは頷いて続けた。

「結婚してくれるが私に触れない約束をしてくれた。その代わりに仕事の手伝いをする」
「お仕事?それはどのようなものなのですか?」
レーナの質問は当然だろう。

「仕事の管理とか・・・それに瞳が不自由だから書類の音読をとか言っていた」
「え?あの方、瞳がご不自由なのですか!」
サシャも初め驚いたが、レーナも気がつかなかったらしい。

「天眼を開いていたら見えるようだが本当の瞳は殆ど視力が無いらしい・・・」
「まぁ・・・お気の毒な・・・でも天眼を開いていれば見えるのでしょう?なら・・・」
「レーナ!それをあの方の前で言ったら駄目だからな。色々と事情があるらしい・・・瞳に関して触れると酷い目にあうからな」
酷い目と聞いたレーナは、ぞっとした。
サシャは何も言わないが思えば指を骨折、手首や腕、首筋には締め付けたような指の痕があった。

「・・・やっぱり怖い方ですね・・・」
「違う、レーナ・・・あの方は優しく、そして寂しい人だ・・・」
「そう・・・ですか?」
「そうだ」
レーナはサシャが微笑むのを見た。それは天殿の奥院で良く見た微笑みだった。
レーナには聞こえない天人達と会話をしている時のサシャの表情だ。
少し困ったようなそれでいて穏やかな優しい顔・・・レーナはそんな表情で話しかけられている天人達を羨ましく見ていたものだ。

「・・・サシャ様はあの方をお気に召されたのですね?」
「気に入る?それは無い。私はそういう感情は持たない・・・昔も今もこれからも・・・」
レーナは違うのでは?と言えなかった。今までのサシャを見ていれば確かにそうだと思えたからだ。
淡白な人間関係・・・しかし天人達との交流は正反対だった。だからその彼らに見せたような表情でカルムを語るサシャに気に入ったのかと聞いたのだが・・・

(気のせい?・・・そうよ。あんなことされてサシャ様が気に入る訳無いわ)
馬鹿な考えだったとレーナは反省した。そしてそれからサシャの身支度を手伝ったのだった。


 その少し前、カルムはイエランの居る場所へと向かっていた。
サシャの件をどう報告したら良いかと考えながら歩くからか速度はかなり遅かった。
そしてイエランの気配を追って行った先は執務室でも会議室でも無かった。
いわゆる仕事場にイエランの気配は無く・・・

「あ〜ミウちゃんの所だ!全く!まだ昼過ぎだって言うのに!ちょっと目を離すとこれだから!」
一気に歩を早めたカルムは王の私室に踏み込んだ。
案の定、イエランは美羽と和やかにくつろいでいた。

「見つけた!仕事もせずに何しているのさ!」
「帰って来た挨拶も無しにいきなり何だ?仕事の合間で休憩していて何が悪い」
「お茶だけで終わる休憩ならいいけどねぇ〜ミウちゃんとじゃそうならないだろう?」
カルムが何を言いたいのかイエランには分かった。だから不快な声音で直ぐに答えた。

「美羽の顔を見に来て茶を飲むだけだ。人を色情狂のように言うな」
「ふ〜ん。お茶だけねぇ〜上手に言い逃れてもミウちゃんに聞けば直ぐ分かるさ。ねっ、ミウちゃん?大変だよね?昼間からさ」
カルムは、ニヤニヤしながら美羽に情事の意味を含めた話をふった。そうすれば純な彼女は真っ赤になって俯く筈だ。ところが予想に反してそうならなかった。

「私は少しでもお会い出来て嬉しいのですけれどお忙しいのに申し訳なくて・・・」
カルムには美羽の心の中は手に取るように視える。だからそれが本当なのか嘘なのか直ぐに分かったから驚いた。

「何?本当にお茶しに来るだけなんだ!イエランの事だからミウちゃんに、やらし〜い事をしに何時も抜けていたと思っていたよ」
今日に限らずイエランが仕事の合間、美羽の所に行っているのを見て見ぬ振りをしていたカルムだったがそんな健全な休憩だとは思っていなかった。

「そ、そんなことお仕事中になさいません」
やっと含まれた意味が分かった美羽は顔を赤く染めて答えた。

「へぇ〜イエランも随分大人になったもんだ」
カルムはそう言って笑うとイエランは大きな溜息をついた。

「それで此処に来た用件は連れ帰った女の事か?」
「あ〜気がついた?遠視でも無いのに何処にでも目を光らせているんだな」
「この水晶宮の守衛はお前に任せているのだから誰が出入りしようと私は関知しない。何か問題があれば言いに来るだろうからな―――ロエヌを呼んだだろう?その時、一緒に居たからお前に何かあったのかと心配して様子を聞いただけだ」
「心配?君が?どうしたんだい?そんな言葉を聞けるなんて!お兄ちゃん感動だなぁ〜」
調子良く茶化すカルムにイエランはまた溜息をついた。

「例の場所に行くのは知っていた・・・心配するのは当たり前だ」
「ははは・・・そうだね。まぁ〜何時も通りだからそれはそれで終ったし・・・その後が問題だっただけで・・・」
カルムは何処まで正直に言うべきかと迷ったが取合えず結婚に至る話までをした。
イエランに話したとしても、勝手にしたらいいとしか言わないだろうと思った。
ところが聞き終わったイエランはカルムの予想をまた覆してしまった。

「天山の天女候補の巫女を間違って犯したから結婚する?いったい何を考えているんだ!こんな大事な事を天気の話でもしているかのような感じで話すな!」
いつも無表情なイエランが珍しく顔色を変えて怒る様子にカルムは驚いてしまった。
その姿が見えなくても声音で充分それが分かったのだ。

「な、何で怒る訳?」
「この馬鹿!お前は結婚したく無かっただろうが!降るような縁談を断り続けていた理由を私が知らないとでも思っているのか?」
「へぇ〜イエラン、君は心眼も出来るようになったのかい?」
「茶化すな!まだ遊びたいとか何とか言っていたがそんな言葉を私が信じていたと思うのか?特別な存在をつくるのを疎んでいるのを私が知らないとでも思っているのか?」
「イエラン!それ以上言ったら・・・怒るよ」
カルムは数いる妻達の中で特別になりたいと願う母親の女の醜さと、父親の薄情さを見て育った。
だからカルムは恋人達との関係を続かせないし、それ以上の関係に発展させない理由は視え過ぎる心眼の力だけとは言えないとイエランは思っていた。
妻と言う特別な存在はカルムにとって嫌悪するものなのだ。

「怒ったらいい!自分のことをもっと大切にしろ!私やリネアにはうるさいくらい干渉して世話を焼くのに自分の事となると私達には全部隠してしまう。私はもう守って貰うような子供では無い!」
「子供じゃない・・・か・・・」
カルムの暗い水底を見るような表情にイエランは、はっとした。

「私が言いたかったのは――」
「分かっている・・・もう私の役目が既に終わっているのを自分が認めたく無かっただけ・・・」
「違う!役目とかそういうものでは無い!私達の事よりも自分の事を考えて欲しいと言っているんだ!それなのに安易な結婚話を聞かされて怒らない訳無いだろう!」
本気で怒るイエランにカルムは微笑んだ。

「君がそんなに感情的になるなんて珍しいね。本当に変わったなと思うよ・・・」
イエランは美羽を愛するようになって本当に変わったとカルムは思った。イエランは何事にも強い関心を示さず何時も淡々としていた。それが今では感情を表に出すようになったのだ。カルムがどんなに努力しても引き出すことの出来なかったものが美羽の存在で簡単に出た。
悔しいような・・・嬉しいような・・・複雑な気持ちだ。

「私の事はいいから話を戻す。私はそんな結婚は反対だ。まだ七家から無理矢理押し付けられた縁談の方が良いだろう」
「可哀想だろう。死罪だとか言うんだし・・・」
「本気で死ぬ訳ない!天眼の王族だと知って泣きつき結婚の約束を取り付けることが出来れば幸いという筋書きだろう!その話が本当なら犯された相手と結婚したいと思うか?普通なら思わない筈だ!」
「普通ならね。でもちょっと違うんだよ。あの子は・・・ふふふっ」
カルムはサシャとの噛み合わない会話を思い出し思わず笑った。
イエランはそれをカルムの悪ふざけと捉え更に激昂した。

「笑い事じゃないだろう!他所の騒動に巻き込まれただけでそれを助ける必要など無い!死ぬなら勝手に死なせればいいだけだ!お前が間違わなかったとしてもそうなる運命だったのだからな!」
「イエラン!言い過ぎだよ。ミウちゃんが怖がっている・・・」
イエランは、はっとして美羽を見ると彼女は俯き両手を、ぎゅっと握り締めて少し震えていた。

「ミウちゃん、大丈夫だよ。怖い話をしてごめんね」
美羽は首を小さく振って顔を上げた。その青い瞳にはうっすらと涙が浮んでいた。

「あの・・・その方・・・可哀想です。住み慣れた場所を離れ、身分も何もかも失って・・・つらいでしょうね・・・」
美羽は前の私と同じ・・・と言う言葉は呑み込んだ。
カルムには当然その心を読まれたがイエランも察したのか顔色が変わった。

「美羽・・・」
「そうそう、ミウちゃんの言う通り。可哀想だから助けてやるんだよ。分かったかい?イエラン?」
「可哀想?そんな感情を他人に持った事のないお前がそれを言うのか?何を考えている」
「違います!カルム様はお優しいです」
イエランの非難を美羽が咄嗟に否定した。
するとイエランが急に不機嫌な顔になってしまった。美羽がカルム贔屓なのは何時もの事だがそれが腹立たしく思うのも何時ものことだった。

「お前はカルムを分かっていない。カルムがお前に優しいのは私の想い人だからだ。そうでなければ冷たいものだ」
「酷い言い方だなぁ〜イエラン」
「違うとは言わせないぞ」
冷ややかに問うイエランにカルムは暫く黙していたが冷めた顔をして微笑んだ。

「―――まぁ〜ね。優しい人を演じるのは嫌いじゃない。それを信じる皆が滑稽で愉快だしね」
ほら見ろと言う感じのイエランに美羽は首を振った。

「いいえ、カルム様はお優しいです!」
「ありがとう、ミウちゃん。君のその綺麗な心が好きだよ。でもそんなに人を信じては駄目だよ」
「いいえ、本当にカルム様はお優しいです!」
「ふふふっ、私の本性を知ってもそんな風に言ってくれるのはミウちゃんとあの子・・・いや、何でもない・・・」
カルムはサシャが言った事をふいに思い出した。彼女も優しいと言ったのだ。
美羽が言うのならまだ分かる。彼女を酷く扱った事が無いからだ。
しかしサシャは・・・今思えば偽りのない自分をさらしていた。

(それなのに?)
「本当にミウちゃんは良い子だね。私のものにしたいなぁ〜イエランが嫌になったら何時でも良いから言ってね」
「カルム!」
「はははっ、怒らない、怒らない、冗談さ!君の大事な人を盗らないよ。そんな恐ろしいこと出来ないからね」
「冗談が過ぎる」
「ふふふっ、じゃあ、何れにしてもそんな感じだから」
じゃあ、と言ってカルムは退室しようとした。

「待て!話はまだ終わっていない!」
「私は終わったよ」
笑いながらカルムは扉に手をかけて開き始めるとイエランが怒鳴った。

「私は認め無い。どう考えてもお前が利用されているだけのような結婚を認める訳にはいか無い!」
イエランの最後の言葉と扉が開け放たれるのが同時だった。
そしてその扉の向こうに―――サシャが立っていた。



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