天人の囁き


 さっきまでサシャが寝かされていたベッドはカルムが使っているものだった。
その場所は既にきちんと整えられていたが其処に抱えていたサシャを転がした。
そして彼女を包んでいたマントをカルムは勢い良く引いた。するとその中から転がり出て来たサシャは細い
小枝のようだったがその蒼白の顔は苦痛に歪み唇の端が切れて赤い血が滲んでいた。
「ううっ・・・不味い・・・絶対に不味い・・・」
カルムは天眼を閉じてしまおうかと思ったがどうしても閉じ切れなかった・・・
サシャのその様子がカルムの欲望を駆り立てていた。切れた唇を舐めてその血を味わいたい・・・苦痛に歪んだ顔に口づけの雨を降らしたい・・・などなど・・・とにかくサシャを触りたくて仕方がなくなったのだ。
しかし彼女に触れないと言う約束を違える訳にはいかない・・・

「―――ちょっとだけ・・・」
カルムは気を失っている今なら・・・と、そっと顔を近づけた。
そして舌を出し、その舌先を尖らせてサシャの唇の端を舐めようとした―――瞬間!
彼女がパチリと目を開けてしまった。それに驚いたカルムは危なく自分の舌を噛むところだった。
サシャの真っ直ぐな瞳が、じっとカルムを見つめていた。

(緑色だろうが・・・どんな色?)
天眼は色も不自由なく視ることが出来るがそれは大まかな色分けになっているようなものだ。
視覚で見るような鮮明さに欠けるから微妙な色合いまで分からなかった。だから直ぐ間近に迫るサシャの瞳の色が、ふと気になったのだが・・・

「・・・何をしている?」
サシャの不審そうな声にカルムは、はっと我に返ると慌てて顔を離した。

「な、何って何?」
カルムは気まずく質問返しをした。
サシャはそれに答えず、上半身を起こして膝を折りペタリと座るとやはりカルムを、じっと見ていた。
カルムはベッドの横に立っていたがサシャのその視線から逃れる為に彼女の横に腰掛けた。
するとサシャがカルムの天眼に手を伸ばして来たのだ。

「触るな!」
カルムは思わず大きな声をあげると自分の額に手の平を当て天眼を隠してしまった。

「あ・・・すまない。綺麗だからつい・・・」
しゅんとしたサシャが残念そうに手を下した。そして自分が裸だったのに気がつき、横にあったカルムのマントに手を伸ばしながら質問をした。

「王は天眼を開いて無かったな?王ももちろん金眼だろう?金眼と言っても同じ色なのか?どんな感じ?」
(イエランの天眼?)
イエランの金眼がどんなかと聞くサシャにカルムは何故か段々腹が立って来た。

(サシャは最初から金眼に関心を寄せていた・・・私以外の金眼も?・・・)
マントを掴んだサシャの手をカルムが弾いた。

「何をする!」
カルムは自分のマントを取り戻すと、サシャの手の届かない場所に投げ捨てた。

「誰が着て良いと言った?」
「もう必要は無いだろう?」
「許しも無く勝手に気を失って必要を無くしたのは誰だ?よくも恥をかかせてくれたな・・・許されると思うのか?」
カルムの声が低くなり・・・人形にはめ込まれた何も映さないガラス細工の瞳のような彼の瞳が・・・視力の無い筈の瞳が・・・光っているようだった。
サシャは金眼よりも一瞬その藍色の瞳に魅入ってしまった。

(これが見えないなんて・・・見えるようになったらどんな感じだろう?もっと色々な表情を映すのだろうな・・・)
「サシャ、聞いているのか?」
無言で、じっとしているサシャにカルムは更に声を低くして問い質した。

「それは・・・悪かったと思う・・・でも!」
「でも?何だ?妻は夫に従うものだと言っただろう?触らないと言う条件以外の妻の義務を果たして貰わないと。分かる?分からない?どっちだ?」
そんな条件だっただろうか?とサシャは心の中で首を傾げた。周りを黙らせる為に妻を演じると言う約束をしたが・・・まさかこんな事までさせられるとは思っていなかったのだ。

「妻の義務の中に裸を夫以外の男性に見せなければならないというものがあるとは知らなかったから・・・」
「内容のことを言っている訳じゃない。夫となった私に従う義務があると言っているだけだ。だから服を着るなと言えば着るな。その姿のまま王宮を一周して来いと言われたならそうして来い。そう言うものだ」
カルムの理不尽な横暴さにサシャは呆れてしまった。まるで妻とは書物で読んだ奴隷と呼ばれる者達のようだった。国によってはそういう奴隷制度がある所もあり彼らには自己を持つ事は許されず主の命に従うものだとあった。

(妻とはそういうものだとは書いて無かった・・・しかし天眼国ではそうなのだろうか?)
サシャは戸惑い黙ってしまった。

「分かったのか?分からないのか?分からないのなら分かるまでその姿で過ごして貰おうか?もちろんこの部屋以外の場所でも」
「!」
サシャはその理不尽な命令に絶句してしまった。

「ああそうそう・・・レーナに助けを求めても無駄だからな。彼女は何も出来ない。それにお前の事など忘れてしまうくらいの快楽を与えてやることも出来る。それも楽しそうだな。クククッ」
「レーナが私を忘れる?」
「ああ、そうだ。この宮殿や与えられた衣服ぐらいで大層なはしゃぎようだったのだから造作も無いことだ。だから助けなど期待するな。お前を助けられるのはこのわた・・・(なっ!)」
カルムは突然微笑んだサシャに驚き言葉を呑んでしまった。

「そうか、良かった。レーナを悲しませるのは本意では無かったから・・・本当に良かった」
カルムは意味が分からなかった。彼女が何故?良かったと言って微笑むのか・・・

「どういう事だ?」
「どういう?あっ、すまない。心眼が利かないのだから気持ちを言葉にして言わないと駄目だったな。私は自分が死ぬのは怖く無い。だけど私が心を寄せる者が死ぬのは恐ろしいし耐えられない・・・そんな経験は二度としたくない・・・それにその対象が自分になるのも嫌だ。だから私は誰にも深く関わらない。しかし・・・レーナには失敗したから困っていたところだ」
カルムは視えなかったサシャのとても繊細で感受性の強い一面を知った。しかし・・・理解は出来無かった。カルム自身、何よりも大切だと思う存在が無いからだ。血縁者は大切だと思うがそれとは違う感じがした。だからそれがどんな感情なのかが分からなかった。それに自分が関わる他人の感情まで気にしているとなれば・・・カルムはその原因となったものが気になった。何かがあったからそう考えるようになったとしか思えないのだ。サシャの語らない彼女の心に影を落としたもの・・・

(誰だ?身内?嫌・・・孤児だった・・・まさか男?―――それは無いだろう。しかし・・・)
男がどういうものかさえ知らなかったようなサシャに男の影を見るのは考えすぎだろうとカルムは思った。しかし子供でも恋はするものだ。カルムはそう思うと何故か気分が悪くなって来た。

「だいたい・・・」
腹立たしさをぶつけようと口を開いたカルムだったが、はっとした。
彼女の憂いの源だったレーナの件が解決するとなると・・・

(サシャは死ぬかもしれない?)
それは駄目だと言う自分と、もうどうでもいいだろうと言う自分が頭の中でゴチャゴチ
ャと言っていた。
「うるさい!うるさい!黙れ!」
カルムは頭を抱え自分自身にそう叫んだ。

「どうしたのだ?大丈夫か?」
カルムの異変に驚いたサシャが心配そうに声をかけた。
すると今の取り乱した様子が嘘のようにカルムは感情を全て抑え込んでいた。

「大丈夫なのか?」
「何が?」
カルムの答えは平静だった。

「・・・大丈夫ならいい。先ほどの続きだが」
「続き?」
「レーナの事だ」
「ああ・・・レーナね。気が変わった。面倒だからしない。いいじゃないか?殉死しても構わないと言うくらい慕われて。どこが悪い?」
カルムはやはり気まぐれな天人のようだとサシャは思った。
「・・・分かった。もう頼まない」
カルムはサシャから頼まないと言われると腹が立って来た。

「頼み方が悪いんだ」
「頼み方が悪い?」
「そうだ。自分から何も差し出さずに願うだけで叶えられると思うのか?願いには代償が必要。常識だろう?」
そういうものなのだろうか?とサシャは首を傾げた。
サシャは天人達に願っているだけで叶えて貰っていた。それは無償だと思っていたが・・・思えばその代わりに天人達の退屈を紛らわす話に付き合わされていた。天人達は人界に興味津々だったが彼らと話せる能力者は少ない。彼らにしたら人に巣食う病魔を追い出すのと、興味あるお喋りは同列だったのかもしれない。等価交換の原理だ。

「すまない・・・言われる通りだ」
しゅん、となったサシャにカルムは強い色欲を感じた。そのうな垂れた様子にそそられるのだ。

「それで何を差し出す?」
「え?何って?」
「レーナから忘れられたいのだろう?あの心酔ぶりだと嫌われると言う手は難しい。となれば私が言ったように天山では味わえなかった贅択を与えてやればいい。それが物でも人でも私には何でも与えられる。贅沢は人の考えも価値も変えられると言う訳だ」
カルムは先ほど使った快楽と言う淫らな事を連想する言葉は使わなかった。
サシャは難しいとしても(カルムは自分で難しいと思っている)レーナのような生娘は男を与えるのが一番だと思っていた。遊びなれたカルムの恋人の一人にでも言えば直ぐに骨抜き状態になるだろう。
そうすればサシャよりもその恋人で頭がいっぱいになる筈だ。

(イエランのように?)
ふと、美羽に夢中のイエランを思い出したカルムは苦笑いをした。
そしてサシャの答えを楽しみに待つ―――

「・・・私は何も持っていないから・・・そうだ!まだ何もしていないが、そなたの仕事をそれに見合うだけ沢山手伝う!」
「それは名目だけの結婚してやる条件だろう?」
「そ、そうだが・・・」
サシャの困った様子がカルムには堪らなかった。もっともっと追い詰めて見たくなる。

「じゃあ、これはどうだろう?その価値にもよるが―――代価として口づけ・・・とか?」
「なっ!」
「ああ、嫌?レーナの為とは言っても嫌なものは仕方が無いか・・・ではこの話は無かった事にし――」
「待て!そ、それが・・・あんなものが等価交換になるのか?」
カルムは心の中でしてやったりと・・・ほくそ笑んだ。

「ああいう行為を商売にしているものもいる。だから私が最初、楽しませて貰った分の金をやると言ったらレーナがサシャ様は商売女じゃ無い≠ニ叫んだだろう?」
「そういえば・・・そんな事、レーナは言っていたが・・・そうなのか・・・そういうことか」
「そう、そういう事。で?どうする?知っての通り私はあれを快楽として行なっている。でも相手に困っている訳では無いから君とは名目上の結婚でも構わなかった。だからこれは好意で言っているだけだ。私はどうでもいいのだから」
カルムは興味の無い風を装った。
心の中では今直ぐにでも無防備なサシャを押し倒して好きなように貪りたい欲望を必死で抑えていた。
そしてサシャをここまで頑なにさせている存在が気になって仕方が無かった。

サシャは迷っていた。あれはもう二度としたく無かった。
それが口づけだけと言われても嫌なものは嫌だ。

(でも・・・本当にレーナが悲しまなくなるのなら我慢出来るかもしれない・・・)
そしてそれが叶った時は心残す事なく自分で自分を抹消し無になる事が出来る・・・とサシャは思い直した。しかし確認したいことはあった。

「・・・天眼の御方。心遣いい頂き感謝する・・・一つ確認したいが代価の口づけとは何回必要か?本当に口づけだけか?」
「回数?それはレーナ次第だ。彼女が何に心奪われるのか分からないから色々試す必要がある。だから何回かと聞かれて答えようが無いな。そして口づけと簡単に言うけれど・・・これは色々ある。唇と唇を、そっと合わせるだけの軽いものから、唇以外の場所への口づけに・・・したから分かるだろうが舌と舌を絡ませ唾液を貪りあうようなものまで色々・・・まあ、物に合わせてそれに見合うものをさせて貰うつもりだが?どう?怖くなった?」
青ざめ始めたサシャにカルムは微笑みかけながら意地悪く言った。
そして彼女の答えを待つ―――今日は待ってばかりだがそれがとても心浮き立ち愉快で堪らなかった。

サシャはあの悪夢のような出来事を回想していた。嫌で、嫌で堪らない。しかし心底嫌だと思っていない自分に気がついてしまった。それがどういう事なのかサシャは良く分からなかった。
レーナの為?それだけでは無い感じがしたのだ。
湯に初めてつかった時のような、ぼうっとする感覚にも似ていた。
これが堕落への一歩だと感じたのだが・・・

「了解した。レーナのことを頼む」
「頼む?それがお願いする態度か?これは私の好意であって同等な取引では無いと言う事が分かって無いのか?」
「あっ・・・すまない。どうぞお願いする」
サシャは慌ててベッドから降りて床に座ると毛足の長い絨毯に両手をついて頭を下げた。
彼女の小さな背中がカルムの足元で蹲っていた。
それを視て心が躍るかと思ったカルムだったが気分は最悪だった。

「立て」
サシャはカルムの突き放したような命令に顔を上げた。何故怒っているのか検討がつかなかった。
ベッドの端に腰掛けたままのカルムを、じっと見上げた。

「立てと言ったのが聞こえなかったのか?」
「何故そんなに怒っているんだ?」
「怒ってなんかいない!」
「怒っている・・・」
「口応えするのか!言う事を聞かないのならその姿のまま廊下に叩きだしてやる!来い!」
カルムはサシャの腕を掴みあげて立ち上がらせると、彼女を引き摺るように寝室から出
て外への扉へと向かった。
「嫌だ!止めて!嫌――っ!」
ジタバタと手足を動かしても非力なサシャではカルムの手から逃れられなかった。

「止めて!止めて!嫌―――っ!」
「大きな声を上げれば上げるだけ何事かと皆、集まって来る。もっと叫んだらいい!」
皆が集まると聞いたサシャは叫び声を呑みこんだ。集まる者達は女だけとは限らない。

「お願い・・・お願い・・・どうかそれだけは止めて・・・もうこれ以上、罪を重ねさせ無いで・・・お願い・・・」
サシャの悲痛な声にカルムの動きが止まった。
彼女が泣いているのかと振り向いて視たが相変わらずその瞳に涙は無かった。
だが、掴んでいた腕は離した。細い腕にはくっきりとカルムの指の痕が残っていた。
サシャの肌は繊細で痕が付き易い・・・カルムはその痕を視るだけでも欲望が疼くようだった。
しかしそれを抑え込み平静な振りをして口を開いた。

「お前を恐怖させるのも・・・そしてそこから助けてやれるのもこの私しかいない。だから逆らうな。分かったか?」
サシャは頷くしかなかった。その通りだからだ。
何も頼れるものが無いサシャにはカルムしかいないのだ。

「じゃあ、早速支払って貰おう」
「え?」
「もちろん、レーナに与えた服の分。急だったから召使い用じゃ無く恋人に贈る予定のものを着せた」
レーナを見た時、上等そうな服だとサシャは思ったがそういう代物だったと聞いて納得した。レーナが大喜びだったのも分かる。

「あっ・・・」
サシャはカルムに軽く抱き上げられ寝室に連れ戻されてしまった。
そしてベッドに転がされると身体を、ビクッと揺らした。カルムの舌がサシャの乳首を突いたからだ。そしてその粒を転がすようにねっとりと舐め始めた。

「や・・・っあ・・・っん、・・・っ」
その何ともいえない刺激にサシャは足を突っ張って背中を反らした。その浮いた背中にカルムの手が潜り込み背骨を撫で下ろす。

「やっ・・・あっ・・・っん」
ビクビクとするサシャを愉しむようにカルムは尖り始めた頂きを口に含んで、もう一舐めすると顔を上げた。

「今のは彼女の靴の分・・・次は靴下・・・」
「く、靴?そんなっ・・・あぁっ・・・ん」
サシャは後悔し始めた。まさか一つ一つを請求されるとは思わなかったのだ。靴下分は胸の頂きを染めるピンク色の輪郭をその線に沿ってチロチロと舐められた。サシャは心に反してその行為を喜ぶように乳首が、ギュッと硬く尖っているのが自分でも感じた。

「次は服・・・これは高かった」
「やっ・・・うんん・・・うぅぅ・・・ん」
服の代価は唇だった。重ねられた唇から熱い舌が侵入して来た。ザラリとする舌の表面で粘膜を舐め上げられ蹂躙される。

「うううっ・・・んんっ・・・ぅん」
サシャはもう嫌だと思った瞬間、唇は解かれた。

「はい、終わり」
サシャは真上で優しく微笑むカルムを驚いて見るしか出来なかった。自分が息を止めているのさえ忘れていた。今の今まで恐怖さえ感じたカルムとは余りにも違っていたからだ。
(同じ顔なのにこんなに雰囲気が違って見えるものなのだろうか?)

「どうぞ、入って構いませんよ」
(え?)
サシャは頭を少し上げて寝室の扉を見た。

「早すぎたかしら?」
入って来たのは綺麗な女性だった。いったい誰なのか?



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