冥の花嫁紫の石3


 
        
 イレーネは振り向いた。開くはずの無い方向からの音だったからだ。

 そこは只一度、婚礼の夜にだけ開いた扉だった。皇帝と皇后の寝所を繋ぐ扉だ。
そこから現れたのは当然だがナイジェルその人だった。
 驚いて硬直しているイレーネに一瞥する事無く、ナイジェルはその横を通り過ぎた。

その手には長剣が握られている。
 そして何だ?と顔を上げた二人の男に抵抗する間も与えず、

ナイジェルは鞘から剣を抜くとその男達を切り捨てたのだ。
 男達の断末魔と共に鮮血が部屋に飛び散り、

重なり合うようにツェツィーリアの上に転がってきたのた。

 ツェツィーリアは悲鳴を上げた―――

 そして目の前には手が差し出されていた。

その手の先を見ると、それは夜のあの人だった。

いつものように無表情の冷めた瞳をしている。
「・・・・何故?あなたが此処に?・・・」
 何処から入って来たのだろうか?とツェツィーリアは思った。

扉は一つしか無いがその扉の前で自分は襲われていたのだから・・・・
「――陛下!それはわたくしの侍女でございます。勝手をして頂いたら困ります」
 ツェツィーリアは瞳を大きく見開いた。
(陛下?イレーネ様は今・・・陛下と?)
 ナイジェルは差し出していた手を引くとイレーネの方へ振り向いた。
「誰に向かって言っている?」
 ナイジェルの声はいつものように低く冷めていた。
 イレーネはそれでも怯まなかった。もう我慢の限界だったのだ。

この場で殺されようと構わないと思っていた。

彼が戯れで関係しているツェツィーリアを辱めようと決めた時から覚悟はしていた。
「折角わたくし達楽しく遊んでおりましたのよ。それをお邪魔されるなんて」
「これが遊びか?まあいい・・・いずれにしても遊びは終わりだ。

この者は私が引き取る」
「いいえ!それはわたくしの侍女です!」
 ナイジェルはイレーネを無視して、状況に驚いているツェツィーリアを抱き上げた。

そして血で汚れていた彼女の胸元を自分の袖で拭った。
「間違い無いな・・・」
 ナイジェルはそう呟いた。
 この夜はツェツィーリアと別れた後、大神官から緊急の連絡が入り急ぎ宣託の間へ向かったのだった。

 そこで告げられたのは長年待ち望んだ冥の花嫁≠フ神託だったのだ。

十七回目の誕生の時を迎えるとその少女の左胸には星の刻印≠ェ現れる。

そしてその少女はイレーネの侍女ツェツィーリアだった。
イレーネの侍女と聞いてナイジェルは、名も知らない夜の少女を思いだした。

まさか?と思ったが何か確信を感じていた。

それを早く確かめたくなり呼び出しの使いを出したが、イレーネに呼ばれているとの事だった。

自分が待つつもりも無く部屋も隣なのだからと向かったところ、この変事に気が付いたのだった。
 ツェツィーリアの血塗れた胸には確かに星の刻印≠ェ刻まれていた。
「あ、あの・・・あなたは?・・まさか・・・本当に?・・・」
 ツェツィーリアはナイジェルの腕に抱かれながら恐る恐る尋ねた。
 ナイジェルは答えなかったがその答えは行き先で確認出来た。

今まで開いたのを見た事が無い皇帝の部屋に通じる扉に向かったからだ。

 そこを通り抜けようとした時、ナイジェルは振り向いた。
「イレーネ。朝までにその部屋を引き払うように。

後は後宮のどの部屋使っても構わない」
「陛下!わたくしは皇后です!この部屋は―――」
「――そうだ。その部屋は第一皇后が使うものだ。明日からはこの娘が使う」
 イレーネもツェツィーリアも同時に驚いた。
 イレーネはわなわなと震えていた。今まで一度も問うたこと無かった事を言った。
「そ、そのような事・・・わたくしは承知いたしません。

わたくしに何の不満があると言うのですか?お教えくださいませ!」
「不満?不満など無い。今まで十分お前には満足していた」
「そ、それは嘘でございます!それならば何故、何故わたくしを無視なさいましたか?」
「これからも今まで通り、自由にするがいい。

ただし、この娘が私の正式な后だ。神が定めた私の花嫁だ」
 イレーネは、はっとした。神?まさか?
「ま、まさか・・・冥の花嫁・・・」
 ツェツィーリアもイレーネが呟いた言葉に驚いた。
(まさか・・・私が?)
 ナイジェルはそれ以上、答えるつもりも無く扉の向こうへと去って行ったのだった。
 何が何だか混乱しているツェツィーリアは、皇帝付きの女官達に預けられた。

そして湯殿で返り血を洗い流され身体中清められたのだ。

抗った時に付いた傷や打ち身が湯にしみたが、左胸に今まで無かった痣を見つけた。

うっ血したものでは無いのは見るだけで分かる。

さっきはこの痣を彼が確かめていたようだった。
(いつもふらりとやって来たあの人が皇帝陛下だったなんて・・・・)
 ツェツィーリアは未だに信じられなかった。

だが、今日のイレーネがあんなに怒っていた理由もこれで分かった。

夜のあの人を皆、恋人だと勘違いしていたのだから、

イレーネが何らかで知って誤解したのだろう。

夫と自分の侍女が浮気をしていたと・・・・
ツェツィーリアはイレーネが怒っても当然だと思った。

しかし身体中に残る痣を見るとぞわりと寒気がした。

そして殺された二人の顔を思い出し恐ろしくなった。

無体な事をされようとしていたとしても殺す必要は無かったと思った。

人を殺したというのに平気な顔をして、無表情で血刀を握って立っていたあの人を

初めて恐ろしいと思ってしまった。
(・・・でも・・・私が冥の花嫁だなんて・・・)
冥の花嫁≠ヘ誰でも知っている話だ。冥神が帝国に贈る神の娘―――
その娘は時が満ちると現れ、皇統を継ぐ者と婚姻を結ぶ。おとぎ話のような伝承だ。

ツェツィーリアは自分が神の娘なんて信じられなく不安だった。

何もとりえの無い平凡な自分が、大きな運命の渦中に

投げ込まれてしまったのだから当然のことだろう。

しかし小さな希望はあった。

見た事も無い皇帝の花嫁になるよりも、あの人で良かったと・・・・

ほんのりと温かいものが胸の奥から感じていた。
 そのささやかな想いを胸に抱きながらツェツィーリアは寝室に通された。

だが其処は先ほど通って来た皇帝の寝所だった。

やはりそうだった。皇帝ナイジェルがその部屋にいたのだ。

彼も血だらけの様相を清めて着替えを済ましている様子だった。
 パタンと扉が閉まり女官らも下がってしまった。

ほのかな灯りだけが広い室内を照らし、静かだった。
 ツェツィーリアは何か話さなければと思うが言葉が出なかったが、相手が皇帝と知った今は自分から声をかける訳にはいかなかった。
「・・・・こちらへ冥の花嫁」
 ナイジェルが呼んだ。
「あ、あの・・・私・・・」
 ツェツィーリアは部屋の奥に進みたく無かった。
「聞こえなかったのか?此方へ来いと言っている」
 ツェツィーリアはビクリとした。
 ナイジェルは声を荒げていなかったが十分威圧的で怖かった。
「あ、あの・・今日は助けて頂いてありがとうございました・・・でも、何も殺さなくても・・・」
 ツェツィーリアは思っていた事を言ってしまって、しまったと思った。

皇帝に対して批判めいた言い方をしてしまったからだ。

勘気にふれ怒鳴られるかと思ったらナイジェルは反対に嘲るように嗤った。
「助ける?冗談じゃない。お前は私の物だ。それを盗ろうとした者を罰しただけだ。

死は当然であってお前の為では無い――私の為だ。さあ、早く来い。

 十七年も待ったのだ。これ以上待たせるな」
(十七年待った?私を?)
 ツェツィーリアは何だか嬉しいような恥ずかしいような気分になって、ふらふらと進んでナイジェルを見上げた。

しかしその宝石のようだと思っていた紫の瞳がぞっとする程・・・・冷たかった。
「本当に危なかった・・・」
 ツェツィーリアは、ぱっと微笑んだ。

色々言っていたが本当は心配してくれていたのだと思って嬉しくなったのだ。

だが・・・・
「しかしあの狼藉者らに汚されていないだろうな?

間に合ったと思ったが・・・まあ・・今から確かめるのだから真偽は判るが・・・」
 ツェツィーリアが何?と聞き返そうとした時、ナイジェルは彼女を寝台へ引き倒していた。

 ツェツィーリアは驚いて瞳を見開いた。
「な、何をされるのですか!」
「何をだと?私に課せられた義務果たしている」
「ぎ、義務って?」
「お前と私でする事と言ったら後継者をつくる。それだけだろう?」
 ナイジェルは淡々とそう言いながら彼女の夜着に手をかけていた。

 ツェツィーリアは叫び声を上げて抵抗し始めた。

 ナイジェルは舌打ちをして珍しく声を荒げた。
「大人しくしろ!抵抗しようと無駄だ。お前はこの国に捧げられた物なのだ!」
 捧げられた物≠ニ聞いてツェツィーリアは胸が張り裂けそうだった。

 恋心にも似た淡い想いが粉々に砕け散ってしまった。

あの夜、綺麗だと思った紫の瞳が氷の刃のように突き刺さった。

誰もが憧れた冥の花嫁とは意思に関係なく物のように扱われると誰が思っただろうか?

ツェツィーリアは抵抗を止めた。無駄だと思ったからだ。

叫んでも誰も助けてはもらえない――皇帝であるこの人を誰も止める事が出来無いのだから。
(早く終わってしまえばいい・・・嵐が通り過ぎるのを待ったように・・・)
「理解したのか?それでいい」
 ナイジェルはツェツィーリアの頬をなでながらそう言ったが、その手が止まった。
彼女が大きな瑠璃色の瞳を瞬きもせず、彼を見上げ涙を流したからだ。

ぽつりぽつりと瞳からこぼれる涙はナイジェルの指を濡らす。
ナイジェルはその涙がまるで害をなすものかのように払いのけた。
 耐えるように泣くツェツィーリアを無視するようにナイジェルは視線を廻らした。

そこで目にしたのは夜着から頼りなく覗く手足に先程の男達からつけられた痣だった。
それを見たナイジェルは体の芯が熱くなる感じがした。何故そう感じるのか?

彼にはわからなかったが同じ感覚は先刻もあった。

ツェツィーリアが卑しい男達に押さえ込まれていたのを見た時だ。
何も今からこのような事をするつもりは無かったが、何故か気持ちに歯止めがきかなかった。

あの男達がツェツィーリアを組み敷く場面を見なければ・・・・

 自分の物を盗られたと言う怒りで高揚したものか?

やっと手に入った花嫁に欲情したものか?何故なのか?自分の気持ちに説明がつかなかった。
 ただ今すぐ彼女を自分の物にしなければ気が済まなかったのだ―――
 嵐のような時間が過ぎツェツィーリアは涙も声も枯れ果ててしまった。

まるで自分は玩具のようだと思った。

何度目かの気絶の後、今度は無理やり起こされたのでは無く自然と目が覚めた。

 ふと横を見ればナイジェルが静かに眠っていた。

眠っているのに彼の長い腕が自分に巻きついている。

瞳を閉じているナイジェルはまるで神殿にある慈悲深く美しい姿の冥神の彫刻に似ていた。
(酷い人なのに・・・なんて・・・)
 ツェツィーリアは悲しくなって泣いた。

もう涙は出ないと思ったのに涙は溢れてきた。

そしてまた気だるい睡魔が瞼を落とさせた。
 ナイジェルは、はっと目覚めた。

いつの間にか寝入ってしまっていたことに驚いてしまった。

しかも誰かと共に眠ってしまうなど有りえなかった。

 安心して過ごせる場所など何処にも無かったのだ。

誰も信用出来ない状況の中、常に神経は研ぎ澄まされ眠りの中でさえもそれは変わらなかったのに・・・・どうしてしまったのか?

 ナイジェルは腕の中で眠るツェツィーリアを見た。

まだ涙で頬が濡れていた。

彼女に触れた途端、堰を切ったように何かが溢れ出し止らなかった。

 そして何度も気を失いその瑠璃色の瞳を閉じるのが許せず自分を見ろ!

と何度も揺り起こし命令し続けた。何故そう思い言ったのか自分でも理解に苦しむ。

 こういう事も(・・・後継者が出来るまでだ・・・)と、

ナイジェルは思う反面、何か言葉にならない思いが胸につかえていた。




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