冥の花嫁紫の石7



  ナイジェルは嗤っていた。
「何を嗤って――」
 ベッセルが嗤うナイジェルを腹立たしく見た時、彼は凍るように微笑んでいた。

それはベッセルも時々見たことのある皇族殺し≠フ異名を持つ彼が、敵を葬る時の表情だ。

一片の曇りの無い白刃のような冷酷さ。

皆が畏怖し憧れる大帝国に君臨する皇帝ナイジェル―――
 上からナイジェルの行く手を阻んでいた番兵達の断末魔が聞こえた。

出口が明るくベッセルは見え難かったが、仲間が切り捨てられているようだった。

 ナイジェルが酷薄に薄く微笑みながら下りてくる。
「ベッセル・・・お前は優秀だったがまだ私には及ばない。

お前は自分が私に信用されていると思っていたのだろう?・・・・私は昔から誰も信じていない。

そうやって今まで生きてきたのだからな。だからあらゆる事態を想定して布石はうつ・・・

お前は私を帝都から遠ざけ上手
くやったと思っただろうがそうはいかない・・・」
 ベッセルは信じられなかった。計画は完璧だと思っていた。

 特殊な皇位継承に疑問を持った時から長年従順に仕えつつ、狙い続けていたのだ。

政敵と思う者は皇帝が手を下してくれていた。

三界の盟約など知った事では無い。

妖魔など軍備を整えれば十分だと思っていたから皇家の血統に頼る必要など感じ無かった。

能力がある者が国を治めれば良いと思っていた。自分にはそれだけの力があると自負していた。

そして目の前にぶら下げられた冥の花嫁≠ワさしく帝国の勝者に与えられるもの・・・・

 皇帝に暗殺団を送り危険だからと彼女を幽閉するように進言し、皇帝を帝都から遠ざける。

その間に冥の花嫁を手懐け奪い、皇帝を
弑する―――筈だった。
 皇帝の護衛兵達が駆け下り、呆然とするベッセルを捕縛していった。
 ナイジェルはそれを一瞥すること無く下段にうつ伏せで倒れているツェツィーリアを助け起こした。

気を失っているが呼吸は止まっていない。

ほっと安心するナイジェルの手にぬるりとした生温かい感触が・・・

ツェツィーリアから流れる血だった。

彼女の腰にベッセルが持っていた短剣が落下の時突き刺さっていたのだ。

ツェツィーリアの顔がどんどん青ざめ始めた。

 ナイジェルはこれほど恐怖を感じた事は無かった。震える声で名を呼んだ。
「ツ・・ツェツィー・・・リア?」


  


 ツェツィーリアは何処からか悲痛に自分の名を呟く声を聞いていた。

そして目を覚ました時、そこは皇后の部屋だった。

目覚めた彼女に気が付いた医師が話しかけてきた。
「大丈夫でございますか?幸い傷は浅くて直ぐに治りますからご安心下さい。

傷よりも打ち身の方が辛いでしょうがこれも自然と治ります」
 ツェツィーリアは自分の事よりもナイジェルの事が気になった。命を狙われたのだから。
「あの、陛下は?」
 事情を察した医師は大丈夫だと教えてくれた。

 ツェツィーリアはほっとして急に眠くなってきた。

瞼が重い・・・誰かが優しく頬を撫でているような感じがしたが眠くて目が開けられなかった・・・

でもナイジェルの声が聞こえたような気がしてまどろみから抜け出ようとした。

 ナイジェルと医師が小声で話している。
「―――では子が流れたと?」
「はい。残念ながら――あの衝撃では命が助かっただけでも奇跡でございます」
 ツェツィーリアは一瞬にして目が覚めた。
(・・・私の中に赤ちゃんがいたの?)
 子が流れた≠ニ言っていた。お腹の中でその命が死んだのだ。

ナイジェルに唯一望まれた後継者を死なせてしまったのだ。
 密やかに話しをしていた二人は部屋から出て行った。

 ツェツィーリアは嗚咽をあげながら泣いた。

これで全てが終わったと感じた。何もかも全て―――
 ナイジェルは帝国を揺るがす大きな事態に直面してしまった。

ツェツィーリアに宿っていた第一子を亡くしてしまったからだ。

星の刻印を持つ者は第一子にのみ継がれていく。

長年待ち望んだ冥の花嫁との血の交わりがこれで絶たれたのだ。

しかも次にいつ現れるか定かでない。冥の花嫁が現れるまで帝国は聖剣を扱える者も無く、

妖魔に荒らされるだろう。全て自分の責任だった。
(ツェツィーリアを結局、皇位争いに巻き込んでしまった・・・)
 更に今自分が思っている事を皆が知れば廃位されても仕方が無いだろう。

その考えにナイジェルは自虐的に嗤った。
 私室に閉じこもっていた彼のもとへ大神官クレヴァーが入って来た。
「クレヴァーか?もうそろそろ来る頃かと思っていた・・・」
 クレヴァーが拝謁の許可を願い出た時は既に了解されていた。ナイジェルがそうしていたのだ。
「陛下。この度の事、お悔やみ申し上げます」
「悔やむ?そんな簡単なものではないだろう?」
 ナイジェルは又、自虐的に嗤った。
「・・・・・・・過ぎた事はもう取り戻す事は出来ません・・・今は次を考えるだけでございましょう?」
「・・・・お前の言う通りだ。次の冥の花嫁はいつ頃現れるか予測出来るのか?」
「いいえ。冥神のお心のままでございます。

文献では例がございませんので・・・何とも申し上げられません」
 ナイジェルは又嗤った。
「それもそうだろう。第一子が夭逝して継承が滞った事があっても、

冥の花嫁の子を亡くすような馬鹿はいなかったのだからな。冥神も驚くだろう・・・誠に愚か者だ」
「陛下・・・・」
「いずれにしても皇位争いで皇家が揺らいでいる場合では無い時代が来るのだから、

更に強固な中央政権を確立し軍備を強化してゆく――」
「さようでございますね――そして次なる時代へと繋ぎ、冥の花嫁を待つ事となりますでしょう。

ところで冥の花嫁と申しましたら・・・ツェツィーリア様はどうなさいますか?」
「どうするとはどういう事だ?」
 ナイジェルはクレヴァーが何を言いたいのかと怪訝な顔をした。
「あの方の役目はもう無くなっております。元々生まれも育ちも違う世界でございましたから

あの方の為にも開放して差し上げるのが宜しいかと――」
 クレヴァーの言葉にナイジェルは瞳を見開いた。

役目が無い♀mかにそうだ。後継者を産むのがツェツィーリアの役目だった。

それが無くなったのだから彼女は自分にとって用無しなのだ。

そんな事は考えてもなかった―――
(開放する?何から?・・・私から?)
「駄目だ!」
 一言叩きつけるように怒鳴った。クレヴァーはその激しさに驚きの声をあげた。

そして息を殺すように問いかけた。
「・・・何故でございますか?・・・」
 ナイジェルは更に紫の瞳を見開いた。
「あれは私のものだ!あれが生まれた時から私のものだと決まっていた。

ずっと待っていたのだ。ずっと――手放すつもりなど無い!」
 その瞳は激情に揺れていた。

 クレヴァーが初めて見るナイジェルの姿だった。そして悟った。
「陛下――ツェツィーリア様を愛しておいでなのですね?」
 ナイジェルはその言葉を聞いて愕然とした。(何?愛だと?)
「はは・・何を言っているクレヴァー?とうとうもうろくしたのか?」
 クレヴァーは皺だらけの顔で微笑んだ。
「陛下。ツェツィーリア様の事を思うだけで胸が熱くなったり苛々したりませんか?

あの方が微笑んでくれたらご自分も嬉しくなりませんか?

逆に他の人にその微笑を向けられたら、ご気分が悪くなられたりしませんでしたか?」
 ナイジェルは今まで不可解だと思っていた気持ちを言い当てられて驚いた。
「ナイジェル様・・・今のような感情を人は恋をする≠ニ言うのです。

誰も貴方に教えなかったのでしょうか?その人の事を想えば苦しく嬉しく・・・

誰にも渡したく無い想い・・・それが恋する心、愛でございます・・・」
 ナイジェルはその言葉に驚いた。
「恋をしている・・・私が?ツェツィーリアを?愛して?・・・・・何という事だ・・・

ああ・・そう
だ・・・その言葉ならこの胸に渦巻く感情の名に相応しい・・・」
 己の気持ちに初めて気が付いたナイジェルは呆然となった。

そして渇いた心に湧きあがる切望。

欲しくて、欲しくて手に入らなかったもの。

身体をどんなに重ねても虚しさだけが気だるく残った。

見えなくて掴めないもの・・・それはツェツィーリアの心―――


すれ違った絶望的な関係でもそれを望みたかった。
 その頃、悲しみにくれるツェツィーリアのもとに意外な訪問者が訪れていた。

皇后イレーネだった。
「イレーネ様!」
 驚き起き上がろうとするツェツィーリアをイレーネは優しく戻した。
「・・・・・・・・・」
「・・・・泣いていたのね?可哀想なツェツィー」
「イレーネ様、私・・・私は・・」
 イレーネは黙ってとツェツィーリアを制止した。
「ごめんなさい。ツェツィー。もっと早くあなたに謝りに来たかったのですが

愚かな自尊心が邪魔をして・・・・本当にごめんなさい。あなたは全く悪く無かったのに

酷いことをしてしまって・・・本当にあの日のわたくしはどうかしていました」
 いいえ、いいえとツェツィーリアは首を振っていた。
「いいえ、イレーネ様。私に謝る必要はございません!

私・・私は確かにあの人が陛下だとは知りませんでした。でも・・・でも・・私は陛下のこと・・・」
 涙がこぼれて最後まで言葉が出なかった。
 イレーネはツェツィーリアの瞳をじっと見て優しく微笑んだ。
「あの方が好きなのね?」
 ツェツィーリアは、ぎゅっと瞳を閉じて小さく頷いたようだった。
 イレーネはそっと泣く彼女の頭を胸に抱いた。
「可哀想なツェツィー。あの方は夜空の月のような人――むくわれない恋ね」
「はい・・・それに私は・・私は大事な赤ちゃんを――」
「あなた!知っていたのね・・・私達はお互いあの方にとって必要が無くなった存在・・・

でもあなたの方がこれから辛いでしょうね?そんなにあの人を愛しているのだから・・・

私はそんな感情は無いのよ。もちろん最初の頃は憧れたものだけど、

今はこの厄介な自尊心だけ・・・だからツェツィー、あなたはこれからもっと辛いでしょうね・・・」
 これから≠ニ言う言葉にツェツィーリアは泣いた。これからに希望は無いのだ。

イレーネの言う通りナイジェルにとって不必要な物となってしまったのだ。

彼の口からその事を告げられた時、自分は耐え切れるのだろうか?

考えただけでも胸が張り裂けそうだった。
 ツェツィーリアを慰めたイレーネが部屋から出ると入り口でナイジェルと出くわした。
「イレーネ何故ここに?」
「ツェツィーの見舞いでございます」
「お前が?」
「陛下こそ、まさか今からツェツィーの所へ?」
「まさかだと?お前にそのように言われる覚えは無いが?」
 イレーネが両腕を広げた。
「なりません!彼女は今、大変傷付いております。身体では無く心がでございます」
「黙れ!お前に関係は無い!そこをどけ!」
「いいえ。お通しできません!今は精神的に不安定でございます。

ですから陛下が行かれればもっと傷付くことでしょう。もう暫くそっとしてさしあげてくださいませ」
「私に命令するのか!」
 イレーネはナイジェルの恫喝に怯む様子も無かった。

 イレーネはツェツィーリアの心が傷付いていると言う。その原因が自分にあると?

確かに自分のせいで彼女は怪我をし、子まで失った。

それよりも彼女には嫌われる事ばかりしていた。自分から逃れようとして食事を取らず反抗した。
(そうだった・・・いつも私から逃れようとしていたじゃないか・・・)
 彼女の役目は無くなってしまった・・・引き止める理由が無いのだ。

まだ彼女はその事を知らないが、何時までも隠せるものでもない。

いずれ知るだろう・・・どうしたら留まってくれるのか見当もつかなかった。

しかし自分の本当の気持ちに気が付いた今、行動せずにはいられなかったのだ。

 ナイジェルは立ちふさがるイレーネを無理やり押し退け、ツェツィーリアの所へと向った。
「ツェツィーリア!」
 泣きはらした顔が真っ直ぐにナイジェルを見た。

その顔を見ると自分の心を告げる勇気が消えそうだった。それでも・・・
「ツェツィーリア・・・子は・・死んでしまった。だからお前の役目は終わって――」
 ナイジェルは口をつぐんだ。ツェツィーリアが悲鳴をあげたからだ。悲痛な叫び声だった。
「出て行って下さい!出て行って―――っ!それ以上聞きたくない!いや―――っ」
 激しい拒絶だった。

 愕然とするナイジェルをイレーネが連れ出した。

ナイジェルの整った顔が真っ青だった。

 イレーネはその様子に疑問を感じた。今までとは違うナイジェルを用心深く見つめた。
(もしかして?でも・・・まさか?)
 半ば呆然として去って行くナイジェルを見送った後、

ツェツィーリアの様子が心配になって戻ってみた。

彼女は完全に自分を失っているかのように身じろぎひとつせずにいた。
「ツェツィー?」
 ツェツィーリアが、すっとイレーネの方を向いた。
「・・・・イレーネ様・・私・・・もう駄目です。やっぱり耐えられません。私は物では無いのです。

心があります・・・好きな人から物扱いされ、捨てられるぐらいなら・・・」
「ツェツィー。それはどうかしら?あの方は――」
 イレーネは言葉を呑んだ。
(もしかしたらあの方はツェツィーを愛しているのかも・・・)
 さっきはそう感じたが確証は無いのだ。

希望を持たせて違っていたら更に傷付くかもしれないと思った。
「・・・私・・死んでしまいたい・・・」
「何を言っているの?駄目よ!心を強く持ちなさい!」
 イレーネはそう言いながらこの子はもう駄目だと思った。

耐え難い悲しみが続き、心が壊れかけている・・・・

このままでは本当に死んでしまうだろう。
(それならばせめて・・・)
「ツェツィー。死ぬのは怖いわ・・・痛いし苦しいのよ・・・

だから私が眠るように死ねる毒薬をあげましょうか?」
 ツェツィーリアは、ほっとした顔をして頷いた。その顔が痛ましかった。
 その後、イレーネは紅い液の入った硝子の小瓶をツェツィーリアに手渡した。

そして彼女をぎゅっと抱きしめた。
「さようならツェツィー。ゆっくり眠りなさい・・・そして今度生まれかわった時は

幸せにおなりなさい・・・・おやすみなさい。可愛いツェツィー・・・」
 ツェツィーリアは手渡された小瓶を見た。

そして窓を見上げた。今日は闇夜で月は出ていなかった。

せめてナイジェルのような月に見守られながら死にたかったがそれさえも叶わないらしい。

小瓶の蓋を開けようとするとその硝子がほのかに光った。

ツェツィーリア
は再び窓の外を見上げると雲の切れ目から月が覗いていた。

 涙が一滴こぼれた―――

冷たく優しい月の光に照らされながら一口、二口と一気に飲み干すと瞼が落ちるまで、

ツェツィーリアはその月を眺め続けたのだった。

 闇夜に浮かぶ月のような人・・・紫の石のような瞳・・・愛していました・・・・
 そしてツェツィーリアは本当に眠るように逝った。

朝を告げる鐘がまるで弔いのように鳴り響いているときだった―――







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