「どうなさったのですか?」
クロードは一応訊ねてみた。特殊な訓練でもしていなければ広間の中の会話内容など聞き取れる筈が無い。聞こえていたのなら怒るのも分かるが・・・

「お前は聞こえなかったのか?」
「(聞こえていた?)私は聞こえましたが・・・陛下お耳が良いですね」
「ば〜か、耳が良いだけで聞こえる訳無いだろう!お前が出来て俺が出来ない事は無い!ジジイ共は小声で悪巧みするからな」
「仰る通りで・・・」
アランの気持ちが落ち着いた矢先にこれだ・・・クロードは頭が痛くなって来た。

「・・・陛下、お気をお静め下さいませ。私にお任せ頂けないのでしたら感情でお動きになるのは得策ではございま――」
注意を促し始めたクロードはアランの一睨みで口を噤んでしまった。
しかし不興を買うのはいつもの事だ。それに一つだけ言いたい事があった。
それは口に出したら不興を買うどころでは無く・・・その場で手打ちか・・・良くて陽も射さない地下牢で一生涯過ごさなければならないだろう・・・

(リリーを引き合いに出してまで私を牽制する陛下の意思は揺るがないかもしれない・・・しかし・・・)
クロードはリリーの悲しむ顔が浮んだ。しかし湾曲な考えも浮んだ。

(・・・彼女を失うより自分が失われる方が気は楽だ・・・)
リリーを失う自分の嘆きと彼女が自分を失って嘆く様を天秤にかければ自分が死ぬ方が楽だとクロードは判断したようだった。自分勝手で利己的な考え方―――
クロード自身、自分がいつもの冷静で的確な判断が出来ていないことに気がついていない・・・
そのクロードが覚悟を決めて再び口を開いた。

「陛下、イレーネ様がいつもご不安なのは貴方のせいだと思ったことはございませんか?」
その言葉だけでアランが瞳を吊り上げた。

「強引な愛情表現・・・それは誰が見ても陛下がイレーネ殿をどんなに想っているのか分かるものです。しかしイレーネ殿自身どうなのでしょうか?」
「回りくどい言い方をするな・・・何が言いたい?」
クロードは珍しく生唾をコクリと飲んだ。アランの瞳が紫色に鋭く光っている。

「イレーネ殿は陛下のその強引さに流されているだけかもしれないと思い始めているのではないでしょうか?自分の気持ちに自身が無くなっているから不安なのだと・・・もしくは陛下のお気持ちが一過性なのではと疑って・・・」
「俺がイレーネを無理矢理従わせて俺を愛していると錯覚させているとでも言いたいのか?しかもそれが熱病のようだと?」
「その通りです。恐れながら陛下はその地位はもちろん男として魅力的でございます。そのような方から好きだの愛しているだのと毎日毎時間言われれば女人なら誰でも悪い気はしないでしょう。陛下はもちろん欲だらけで随分ご熱心ですがイレーネ殿がご自分から何か動かれたことがございますか?お見受けしたところそれは無いと思ったのですが?それに陛下の今までの女性関係を考えれば疑うなと言うこと自体難しいのではないでしょうか?」
アランは心の奥で密かに感じていたものをクロードの言葉で表に引き摺り出された気分だった。
それは気がつきたくなくて無視していたものだ。
イレーネは幸せ過ぎて怖いと泣いた。自分が描いた夢かもしれないと思ってしまうとも言っていた。
思えばそれらはアランの愛を信じていないとも言える発言だ。
アランはそれも無視して無我夢中で自分の想いを刻むようにイレーネを抱いた。

(彼女も俺を愛してくれている。それは間違いない・・・と思う)
しかしアランは急に自信が無くなって来た。初めてイレーネを抱いたあの夜―――彼女は自分に同情してくれたのだと思った。それは違うと本人から聞いたが・・・

(―――確かに抵抗らしいものは無かった)
イレーネの両手首を引き裂いた夜着で拘束したまま犯したあの夜―――
苦い記憶と共に彼女を初めて女にした瞬間を思い出だせば下半身に熱が集まる。

初めての行為に彼女の身体は硬かった。それをゆっくり解す間も無く欲望と言う名の凶器を彼女に捻じ込んだようなものだった。その瞬間イレーネは小さな悲鳴を上げたと思う。

『ひっ・・・』
アランはまさか?と思った。数え切れないくらい無垢な女達を貪ったアランはイレーネが初めてだと直ぐ感じた。しかし彼女が愛おしく心を込めて刺していた刺繍が目に入り何も考えられなくなってしまった。そして無理矢理捻じ込んだ己の昂ぶりを更に奥へと勢い良く突き入れた。

『くっ・・・』
『ああっ・・・ひっ・・・ん・・・あっ、あ・・・』
激しく突き入れる度にイレーネは自由にならない手の代わりに背中を反らせていた。アランは彼女の意識が無くなるまで己の熱塊を穿っては自分の熱を冷まそうとした。

(優しいイレーネ・・・何も言わずに嘆く俺に身体を与えてくれた・・・あれは優しい・・・愛情と同情の区別がつかず同じだとしたら?)
思えば所構わないアランの激しい愛情表現にいつもイレーネは難色を示していた。イレーネから止めてと言われてもアランはそれを無視して強引にするのは何時もの事だった。それは淑女らしい抵抗だと思っていたが・・・クロードに投げ付けた言葉を思い出した。


『はん!後宮の女達の中にも名家出身者はいた!それこそお前の花嫁候補が何人もいただろうが!どれもこれも由緒正しい娘だったよな?そんな娘でも足を大きく開いて俺をねだっていたさ!』

所構わないイレーネとの情事をクロードから注意された時のことだ。クロードからイレーネは昔の女達とは違うのだから礼節を持ってと言われ、その昔の女達も高貴な者はいたと反論した内容だった。
いわゆる女は皆一緒だと言うような感じだ。
その時、イレーネは涙した―――昔の女達に嫉妬したと言われたが・・・

(あれは本当だったのだろうか?)
怒り狂うかと思ったアランが意外にも黙り込んでしまった。

「陛下?」
クロードはその静けさに激昂されるよりも恐怖を感じた。そして扉を勢いよく開ける音に、はっとして前を向いた。


―――アランとクロードが耳にした会話。

「この音色・・・そなたが弾いていたのか・・・」
ナイジェルは今気がついたように訊ねた。

「そうですよ。イレーネ様は静かな夜には何時も弾いて――」
「ツェツィー!」
リリーの遮りにツェツィーリアは、はっとした。

「あっ・・・すみません・・・」
「いいのよツェツィー昔のことよ」
「イレーネ様・・・」
リリーはツェツィーリアよりも長くイレーネに仕えていたので彼女の気持ちは良く知っている。
静かな夜では無くて寂しい夜にナイジェルを恋しがって爪弾いていたのだ。
三人の様子にナイジェルは初めてその事に気がついた。

「すまなかった・・・イレーネ・・・」
「何も仰らないで下さいませ。昔のことでございます――」
イレーネが手を止めて答え再び美しい音色を爪弾き出した。
その音色を心地良く暫く聞いていると広間の扉が大きな音を立てて開いた。
皆が一斉にその方向に注目すると
そこから現れたのはもちろん強烈な日差しを思わせる太陽のような人―――
オラールの太陽の刻印を持つアランだった。イレーネの心が少し陰ってもその光で払ってくれる・・・

「イレーネ!俺を待たずに弾き始めるなんて許さんぞ!」
アランの怒号にイレーネが微笑んだ。
その嬉しそうな笑みに目を釣り上げていたアランが続きの言葉を呑み込んでしまった。

「何を弾きましょうか?お好きな曲はまだ弾かずにおりましたから・・・」
「うう・・・お前はまたそんな可愛らしい事を言って・・・許さん!」
アランはそう言いながらつかつかとイレーネに歩み寄った。
いつもの様に掻き抱かれ唇を奪われる―――とイレーネは思い身構えたのだが・・・
彼は自分の横を只通り過ぎ、ナイジェルに向かって行ってしまった。

(え?)
イレーネは一瞬戸惑ってしまった。だが・・・ふと・・・いつも傍若無人なアランでも流石にこの客人の前での振舞いは自粛したのだろうか?とイレーネは思った。しかし直ぐに心の中で首を振った。

(・・・陛下がナイジェル様達の前だからと言ってご自分を変えるかしら?)
クロードはもちろんだが、リリーもそんな何時もと違うアランの様子に気がついた。
だから後から入って来たクロードに、そっと耳打ちした。

「クロード様・・・陛下のご様子可笑しく無いですか?何時もなら絶対・・・」
リリーは想像して口ごもり頬を染めた。

「・・・大事なお客様の前だからですよ」
そうかなのかな?と首を傾げるリリーを安心させるように頬に触れてアランの後に付いて行った。
当然クロードはリリーに言ったような事を思ってはいない。

(何を考えているのか・・・)
クロードでもアランの行動が読めずにその背中を見つめただけだった。
そしてアランは横柄な態度のままナイジェルに話しかけていた。

「待たせたな。女達は積る話もあるだろうし俺らは俺らの話をしよう。此処にはあれこれ意見を言いたがる煩いジジイはいないからな」
「いいだろう」
ナイジェルはチラリとツェツィーリア達を見て直ぐに答えた。
ナイジェルにとってオラール王とその腹心だけの会談は有益だ。間を通せば結論まで時間がかかる案件も直接話せば無駄な時間を省く事が出来るからだ。
 
 イレーネはチラチラとアラン達の様子を窺った。
三人は部屋を移らず彼女達とは少し離れた場所で円卓を囲んで難しい話しをしている。
聞き耳を立てればその内容を聞き取れるぐらいの距離だがツェツィーリアやリリーのお喋りにそれは掻き消されていた。

「・・・ネ・・・さ・・ま。イレーネ様」
イレーネは、はっとした。

「な、何?ツェツィー」
「向こうが気になるのですか?」
「そ、そうね。何のお話をされているのか気にはなるわね」
「多分・・・妖魔対策についてだと思います・・・」
ツェツィーリアが萎んだ花のようにうな垂れて言った。
 妖魔―――彼らは人々の生活や命を脅かす恐怖。人より遥かに強い力と生命力を持つ狂暴な生き物。
それらを簡単に跡形も無く滅することが出来るのは光と闇の聖剣だけだ。
そしてそれを扱えるのは天冥の神々の血を受け継ぐ王家、皇家直系だけだという事は赤ん坊以外は皆知っていることだ。
その直系を帝国は失ったのだ。弱体した皇家に降臨した冥の花嫁ツェツィーリア。
明るい未来が約束されていた筈なのに運命は二人に試練を与えた。
ツェツィーリアが帝国の末来を明るく照らす刻印の子を失って手に入れたのはナイジェルの命と彼の愛だった。それは何を犠牲にしても嬉しいものだ。
しかし自分だけが幸せな事が心優しいツェツィーリアには苦しくて仕方が無かった。
今はまだナイジェルが居るから良い・・・しかし次世代に聖剣を使える者がいないのだ。妖魔が跋扈する帝国で人々がお前のせいだと血塗れた指でさされる悪夢を何度も見てしまう・・・
イレーネが今にも泣きそうなツェツィーリアを優しく抱いた。

「大丈夫です。オラールは帝国を見捨てたりしません。レミーは幼いのにしっかりとした子です。立派にアラン様の跡を継いでこの国も帝国も守ってくれますよ。そしてその次もその後もね」
「イレーネ様・・・」
涙が溢れ出したツェツィーリアだったが大きな音にビクっとした。
その音をした方向を見ればアランが円卓に足を投げ出していたのだ。そして横柄に腕を組んで椅子を前後に揺らしていた。

「冗談じゃないぜ!お前ん所の事情を俺ん所に持ち込むな!それにそっちが代わりにやるとか言うものなんか俺は全部持っているんだ。そんな割に合わない取引なんか出来るか!」
「―――では聞こう。どうしたらいい?」
「はん?どんな条件を言っても光の聖剣を抱えて帝国の妖魔狩りなんか行かん!」
「陛下!」
イレーネは咄嗟に立ち上がって大きな声を出した。するとアランが視線だけ流した。

「呼んでるぜ」
アランは自分の事をイレーネが呼んでいると分かっているのにナイジェルに振った。
イレーネはこんな時でも呼び方に拘るアランに段々と腹が立って来た。

「ナイジェル様ではありません!」
「俺か?ふ〜ん」
「ア、アラン様、何故でございます?」
イレーネは腹立ちを抑えながら言い直して問いかけた。

「何故って?何のことだ?」
「事情も全てご存知でございましょう?どうして帝国に協力して差し上げ無いのですか?創世の頃から妖魔は両国共通の敵。お互いに協力しあうのが道と言うものでございましょう?もしも逆の立場だったらとお考えになって下さいませ」
「逆?そんなもん考えてどうする。俺にはレミーがいる。帝国の刻印の子は死んだ。それが事実だろうが」
アランの辛辣な言葉にナイジェルは流石に顔色を変えて立ち上がった。目の端にツェツィーリアが泣き崩れたのが見えたのだろう。

「アラン殿、言葉が過ぎる」
「過ぎるからどうだと言うんだ?」
イレーネは堪らず泣くツェツィーリアをリリーに託して近寄って来た。

「アラン様!」
アランはブラブラと椅子を揺らしながら視線だけ上げると、イレーネが今まで聞いた事無いような冷たい声を出した。

「じゃあ、お前はレミーが帝国で妖魔に食われても良い訳だ」
「え?」
イレーネはアランの声音に驚いて意味まで響いて来なかった。

「皇位継承者のいない・・・しかも冥の花嫁が現れる程衰退した皇家に帝国の妖魔達は小躍りして今に見た事も聞いた事も無い強力な妖魔がウジャウジャ湧き出すだろうよ。それらが国境を脅かすに違いない。昔からそうだった。それだけでも十分迷惑な話だ。それを帝国まで出かける?冗談じゃない。まぁ〜レミーはお前の子でも無いし、帝国は故郷なのだからそう言いたいのだろうがな」
頬が鳴る音がした。イレーネがアランの頬を叩いたのだ。

「わ、わたくしは・・・わたくしは・・・」
イレーネは怒りで震えて言葉が出なかった。

「叩かれるのは二度目だな・・・しかも二度ともあいつ絡みだ」
イレーネは、はっとした。

(あいつ?ナイジェル様?ま、まさか・・・)
「わ、わたくしが怒ったのは――」
「もういい」
「いいえ!わたくし!」
「もういいと言っている!聞きたく無い!」
アランはまたナイジェルとの事を誤解しているのだ、とイレーネは思った。早くその誤解を解かなくてはと・・・言葉を探したが目の前でアランが円卓から足を下ろし立ち上がった。イレーネに叩かれた頬が赤くなっている。

「条件を出そう。受ける、受けないは自由だ」
アランとナイジェルは向き合っていた。

「条件とは?」
「イザナイの男神と女神の役を帝国の皇帝夫妻にやって貰おう」
アランの提案にクロードは目を見張り、イレーネは蒼白になってしまった。

「誘い?」
ナイジェルは聞きなれない神の名を聞き返した。

「帝国にはそんな慣習は無いらしいな?クロード説明してやれ」
「陛下、それは必要無いと自ら省かれたものではございませんか?」
「気が変わった。面白いじゃないか。なあ〜クロード、イレーネ」
イザナイの神とは?いったい―――



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