
なるほどとクロードは思った。
(冥の花嫁だったと聞いていましたが・・・男なら誰もが一度は手に入れたいと夢描くような女性ですね・・・イレーネ殿も素晴らしいお方ですが―――比べる基準がまるで違う・・・)
イレーネに見向きもしなかった帝国の皇帝を虜にした彼女に・・・女好きのあのアランが目もくれずイレーネに執心した・・・それがとても不思議に思えてしまった。
だが・・・アランがイレーネとナイジェルの仲を疑って帝国を滅ぼしてでも彼女を手に入れると言い放った事をクロードは思い出した。
(まぁ・・・私が彼女にリリーを想う以上に気持ちが動かないのと一緒ですね。いずれにしても双方が丸く収まっているのだから良しとしましょう・・・)
「もう大丈夫です。オラールからどなたか来られたと聞きましたので・・・すみません、お邪魔しまして・・・」
オラールからの訪問者と聞いてイレーネが来たのかとツェツィーリアは思い寝床から飛び出して来たようだった。そう思ったのはその中に誰かまで分からないが女性が居たと聞いたからだ。
ツェツィーリアの周囲に視線を走らせるその様子にクロードはそれを察した。
「申し訳ございません。私と同行しておりましたのは・・・皇后陛下もご存じかと思いますがリリーでございます」
「リリー!まぁ!」
ツェツィーリアは久しぶりに聞く名前に声が弾んだ。
リリーとはもちろんイレーネの侍女時代の仲間だった。
「私の用件が済むまで別室で待たせています」
「ではご用事が済むまでリリーに会って来てもいいかしら?」
「ツェツィーリアまだそんなに出歩いては・・・」
「私はもう平気です」
大げさに心配するナイジェルにそう言ったツェツィーリアだったが興奮した為か咳込んでしまった。
「ツェツィーリア!」
ナイジェルが直ぐに駆け寄って背中をさすった。
「だから無理をするなと・・・やはり・・・」
ツェツィーリアは、はっとして大きく首を振った。
「嫌です!私はオラールに行きます!私は確かめたいのです・・・そうでないと・・・私・・・」
ツェツィーリアの瞳に涙が溢れ出した。
ツェツィーリアはずっとイレーネに負い目を感じていた。自分ばかり幸せで申し訳ないとずっと思っていたのだ。イレーネからの手紙で結婚の話を聞いて初めとても嬉しかった。
しかし本当にイレーネが幸せなのかと不安になってきたのだ。自分達に心配をかけないようにと言う気持ちから発した行動なのでは?と考えてしまった。
ツェツィーリアから見たアランの印象は最悪だった―――
そんな人と?とついつい思ってしまう・・・だから自分の目で確かめない限り納得がいかないのだ。
「ツェツィーリア・・・」
「駄目だと言われても私は行きます!オラールのお方!私をどうぞ一緒に連れて行って下さい!」
「ツェツィー!」
儚げな感じのツェツィーリアだが言い出したら聞かない強情さがあった。ナイジェルもこれにはいつも閉口してしまうぐらいだ。
クロードがその二人の様子を見てゆっくりと口を開いた。
「皇后陛下はご心配なのでしょう?でもそれは当然でしょうね。我が主君の噂はお聞きでしょうから・・・皆様もその目でご覧になられた事でしょうし・・・」
皆が静かにざわめいた。ナイジェルとクロードの謎めいたやり取りを不審に思っていたところだ。
話の内容では以前婚礼の祝いにやって来ていた使者は今此処に居るこの人物の名をかたった偽物だったらしいと言うのは分かった。その件でオラールの国王から詫び状が来ていたらしい・・・
しかし今の話を聞けばもしかして?・・・その偽物とはオラールの・・・
「確かに私共の王は自分勝手でどうしようも無い女好き。まさしく手当たり次第でお手が付いた女人は数知れず後宮の部屋はいつも満室状態・・・陛下は自分の寝床は女人の上だと豪語されるような方でしたし・・・はっきり申しますと此処での噂以上だと思います」
ツェツィーリアは驚いて息を呑んだ。イレーネの手紙にはそんな事は一言も書いていなかったからだ。内容はいつも幸せそうな事ばかりで・・・
クロードは眉を顰めるナイジェルと涙を浮かべ出したツェツィーリアの顔を見渡すと話を続け出した。
「その陛下が私の名前を騙ってこの帝国を訪れた時・・・此方でお会いしたイレーネ様に一目惚れ。それは、それは必死に王子の教育を頼んでオラールに呼び寄せ、あの手この手とイレーネ様のお心を捉えようと悪戦苦闘・・・あんなに女人に真剣な陛下を私は初めて見ました。お心が通った今は後宮の女達を全て追い出しイレーネ様だけを溺愛されて少しでも時間が空けば会いに行かれるので私が何時も迎えに行くような感じです」
クロードの話が進むにつれてツェツィーリアの顔に笑顔が戻っていた。
「ではイレーネ様はお幸せなのですね?」
「それはご本人にお会いになってからお確かめ下さい。言葉よりも何よりもイレーネ様のお顔に答えがあると思います」
クロードの答えにツェツィーリアは安堵した。それなら絶対にオラールへ行くとナイジェルに訴えた。
「―――分かった。ツェツィーリア、オラールに必ず連れて行くと約束しよう。だから今は無理をせずに過ごしなさい」
ツェツィーリアは満面の笑みを浮かべて頷いて大人しく退室して行った。
ナイジェルはそれを優しく微笑みながら見送ると顔を引き締めクロードに視線を戻した。
「―――ところでセゼール殿、話しの途中だったが・・・そなたの用向きは?」
ナイジェルはクロードの思惑が何となく見えていたがあえて聞いた。そう聞かれるのも計算の内だろうと思ったからだ。
「はい、先ほども申しましたように私共の王は自分勝手でございますからイレーネ様とのご婚儀を直ぐにすると申しまして・・・日時の設定は陛下ならそれが如何に大変かご存知でございましょう?算段した日にちが気に入らないと駄々をこねて早めたのです。そうなれば全てが狂いまして・・・更に皇帝陛下と皇后陛下へのご招待は書簡で失礼させて頂ましたが・・・イレーネ様のご実家に王自らが行って話しをするとまた駄々をこねまして・・・」
「それはかなり日数的に厳しいと思うが・・・」
国を動かす同じ立場のナイジェルはそれが良く分かっている。自分も今回のオラール行きの日程を捻出する為かなり調整が必要だったのだ。
「はい、しかも今回皇帝陛下の欠席の旨を受けたものですからイレーネ様を伴って帝国に行くと・・・騒がれまして」
「二人で?」
「はい、イレーネ様が残念そうなお顔をなさっていましたからですね。王は何よりもイレーネ様が悲しむのを恐れますので・・・」
周りにいる者達は驚きながら聞いていた。
ナイジェルには書簡で済ませてもイレーネの実家にオラールの国王自らが結婚の報告をしに行くなど考えられないことだった。それを聞くだけでイレーネへの想いの深さが量れる感じだ。しかもオラールの国王がイレーネに熱を上げて口説き落としたと言う真実が浮かび上がり明日からはこの話題が飛び交うだろう。この場にいた者達は早くこの話を他に話したくてウズウズしている感じだった。
クロードは上手くいったと心の中で微笑んだ。
「それで今回はそなたの意見が勝ったと言う訳か?」
「はい、今回はイレーネ様のお口添えも頂ましたのでどうにか聞き入れて頂まして私が名代として参りました次第です」
「そうか・・・イレーネが・・・彼女は心栄えが素晴らしく良く出来た人物だ―――実のところ私はイレーネとは婚姻を解消するつもりは無かった・・・」
ナイジェルの初めて聞く本心に周りの者達がざわめいた。噂ではツェツィーリアを娶る為に邪魔なイレーネを追い出したと言う話だった。婚礼祝賀会の席でアランが妻は捨てるものでは無く増やすものだと暴言を吐いたぐらいそれが一般的な見方だ。
クロードはアランから冥の花嫁の件もイレーネが自分から離婚を願い出たという件も聞いていたから内容的には驚かなかったが周りは違うようだった。もちろんツェツィーリアが冥の花嫁だったという件は秘密だとしても本当にこの三人の関係は周囲にとって謎だったのだと改めて感じた。
「あれには本当に酷いことをしたと今でも後悔している。敵の多かった私には冥の花嫁の存在を隠す必要があった」
「心中お察し申し上げます」
皆がざわめく中、クロードが答えた。それを頷いて受けたナイジェルは続けた。
「―――それを誤魔化す為に彼女を娶ったようなものだ。そして冥の花嫁を失った時に私は自分の身勝手さを悔い・・・やり直しを申し出たがイレーネは頷かなかった・・・当然と言えば当然だろう。私はツェツィーリアを誰よりも愛しているのにまた彼女に酷い申し出をしたのだから・・・しかし今ならこれで良かったと思える。彼女が本当に幸せになって貰えるのなら・・・アラン殿には私からも彼女のことを頼んでおきたいと思っている」
クロードは深々と頭を垂れた。皇帝のこの発言でイレーネの帝国での立場が決まったようなものだった。これでクロードの仕事は終ったようなものだ。
「我が主君も陛下のご来訪を心待ちにしております」
「ご苦労だった。イレーネの所に行く前に同行している娘をツェツィーリアの部屋に連れて行って貰えるだろうか?あれが喜ぶだろうから」
クロードは承知して謁見を終らせた。後はイレーネの実家に言って話しをするだけで簡単だ。
ナイジェルじゃないがクロードもリリーの喜ぶ顔が見たかった。
皇城にはクロード一人で行くつもりだったが珍しくリリーが同行したいと言ったのだ。
いつも控えめな彼女からそうねだるのは本当に珍しいことだった。ツェツィーリアに会えるかもしれないとリリーも思ったのだろう。
リリーはクロードと一緒に懐かしい皇后の部屋の扉を開いた。
「リリー?ああ、リリー、元気だった?イレーネ様もお元気?」
以前より更に光り輝くように綺麗になったツェツィーリアにリリーは一瞬言葉が出なかった。
彼女の結婚準備の間、イレーネが手伝っていたので時々会ってはいたが・・・
こんなに綺麗だっただろうか?と思ってしまった。
「リリー?どうしたの?」
「あ・・・ツェツィー・・・あっ!申し訳ございません!陛下」
「ツェツィーと呼んでリリー・・・お願い」
ツェツィーリアは悲しい顔をして言った。
皇后となったツェツィーリアは今までの交遊関係が全て崩れていた。当たり前と言えば当たり前だろう。天と地ほど違った立場になったようなもので皆が皆よそよそしくなってしまったのだ。
「でも・・・」
戸惑うリリーの肩をクロードが優しく抱き寄せた。
「リリー、陛下がそう言って下さっているのですから遠慮なくそうさせて貰いなさい。それに私を誰だと思っているのですか?そんなに恐縮しなくても良い立場にもうすぐ貴女もなるでしょう?」
クロードがオラール王族の印である黄金の耳飾りを指先で揺らしなら言うとリリーが頬染めた。
その様子にツェツィーリアは驚いて首を傾げた。
「あの・・・」
「これは申し訳ございません。申し遅れましたがこの度、私はリリーと結婚するのです」
「え?でも・・・貴方様はオラールの・・・」
「私が王族だろうと無かろうと関係ありません。リリーだけが大切なのですからね」
クロードはそう言うとリリーの頬に口づけを落とした。
「ク、クロード様・・・」
リリーは真っ赤になって俯いたがツェツィーリアの反応が気になって視線だけ彼女に向けた。
ツェツィーリアは輝くように微笑んだが直ぐに眉を寄せた。
「リリー、気持ちは分かるわ・・・私も一緒・・・不安よね。でも私はナイジェル様を愛しているから耐えていられるの・・・リリーもそうでしょう?」
「ツェツィー・・・」
リリーの大きな瞳に涙が浮んだ。そして小さく頷くとツェツィーリアに抱きついた。
そして短い時間だったが二人は楽しい時間を過ごしたのだが・・・
皇城を後にしてイレーネの実家への用件も滞りなく済ませたクロードの様子が少し可笑しかった。
殆ど口を開かずずっと黙っていたのだ。リリーは我が儘を言って大事な仕事に付いて来た事にクロードが怒っているのだろうかと思ってしまった。
それから暫くして帝国内にあるオラール所有の屋敷に到着したリリーは重い空気の中口を開いた。
「あの・・・クロード様、今日は本当に申し訳ございませんでした。大事なお仕事にお邪魔致しまして・・・」
「・・・そんな事を怒っている訳じゃないですよ・・・」
「あの・・・」
クロードは真っ直ぐ前を向いたままリリーを見てくれなかった。
リリーは何故怒っているのか分からない。何を言ったらいいのかさえも分からず言葉が出なかった。
するとクロードが大きな溜息をついた。
「―――どうして貴女が相手だとこうも感情を抑えられないのでしょうね。自分でも嫌気がさしてしまいます。本当に嫌な男だ・・・ねぇ?リリー、そう思いませんか?」
リリーが返事をする前にクロードは彼女を抱き上げ用意された部屋へと入って行った。そこは夫婦用の部屋で全てが二人用の設えだ。
「ク、クロード様!」
「リリー、私が怒っていたのは自分に対してです。ツェツィーリア殿の話の中で耐えていると言うのが有りましたよね?貴女も同じだと・・・先日、私が先に怒ってしまって貴女の心の底にある本当の気持ちを考えてあげていなかった・・・それが他人から教えられるなんて本当に情けない・・・」
クロードは力なくそう言いながらリリーを床に下ろすと抱きしめた。
その今にも泣きそうな声にリリーは胸が痛むのでは無く高鳴ってしまった。自分をこんなに想ってくれるクロードが愛おしくて目眩がしそうだった。だから自分も正直に言おうと決心した。
「クロード様・・・私・・・本当にとても不安なのです。私の不安を察してくださって身分とか関係無いと仰って頂けても私には・・・難しいのです・・・私のこの気持ちは名家のご出身のイレーネ様にも分からないと思います。でもツェツィーは分かってくれる・・・彼女は本当なら堂々と皇帝陛下の隣に立つ資格があったのにそれを無くしてしまった今は私と一緒ですから・・・怖くて不安で堪らないのだと思います。そのクロード様は昔も今も私にとって眩しくて・・・何時かは覚める夢のような気がしてならないのです・・・ごめんなさい。上手に言えないのですけれど・・・」
黙ってリリーの話を聞いていたクロードは本当に今にも泣きそうな顔をした。こんな表情をするクロードを両親でさえも見た事無いだろう。
「リリー・・・確かに貴女の気持ちは私には想像出来ても辛さまでは分からない・・・自分が同じ立場に立っていないから分からないのでしょうが・・・」
「クロード様!私、貴方を非難しているのでは無くて!私・・・」
言葉が上手く出ないリリーはクロードに、ドンと体当たりするように抱きついた。そうすれば心が伝わるような気がした。
「リリー?」
リリーは答えずにクロードにしがみ付いたままだった。その手が小刻みに震えていた。
その手を取り上げたクロードは指の関節に口づけを落とした。
「リリー、愛していますからどうぞ逃げ出さないで下さいね。だから私の為にこれからも頑張って色々耐えてくれますか?」
頷くリリーの大きな瞳に涙が浮んで頬をすべり落ちた。
「リリー・・・可愛いリリー・・・」
クロードはリリーの小さな顔を両手で包み、そっと口づけ抱き上げると奥の寝室へと運んで愛を確かめ合った。そして翌日―――二人はリリーの親元へと向かったのだった。