
話を振られたクロードは溜息混じりにゆっくりとした口調で説明し出した。
「帝国では挙式後にお披露目としての宴が一般的ですが・・・我が国の・・・一般的な慣習はご存知かと思いますがご説明させて頂きます。我が国では婚礼の儀の前にまず披露宴があります。ですからお二人にはこの日程でご招待させて頂きました」
ナイジェルは頷いた。それを確認したクロードは更にゆっくりとした口調で説明を続けた。
「その挙式前に行なわれる宴の意味は結婚する二人の心の確認です。本当に二人が結ばれても良いと思っているのか?心変わりがないのか?など最終的な判断の場でございます。ですからお互いの親族や友人知人を招いてそれぞれが二人について歓談する・・・いわゆる秘密の暴露会のようなものです。より絆が深まる場合もあれば、亀裂を生じる場合もあります。そして更に挙式前夜は新郎新婦お互いがそれぞれ指定した男女・・・新郎が花嫁に男性を花嫁が新郎に女性を指名して・・・それぞれがその指定された者と二人だけで一夜を共にして頂きます」
「指名した相手?それがイザナイ神か?」
ナイジェルは話の内容から慣習の意味合いが見え始めた。
クロードが更に説明をしようと口を開きかけた時、アランが嘲るように笑った。
「あははははっ、そうだ。イザナイ神とは別名審判の神!これなら知っているだろう?善と悪、男であり女でもある二つの顔を持つ神だ。その神になぞって最後の審判にかける訳だ。イザナイとはその名の通りに結婚する者達を悪しき道へと誘う。本気で誘惑して貰わないと意味が無い。それが重要だからな。その二人の心に迷いが無いか見極めさせる儀式だ。その神役と間違いを犯せばもちろん即破談だ。だからお互い選ぶ相手はそれなりの人物を選ぶ・・・そう、それなりにな」
アランの言うそれなり≠ニはいわゆる仲を疑う相手を選ぶという意味だ。
そういう相手がいなければ浮気心を出してしまいそうな魅惑的な男女をあてがうのが慣わし。
一般でも儀式の一環として簡単に行なわれるものだが王家となれば古式に則る。婚礼を挙げる大神殿の地下にその審判の部屋があった。温度の低い小さな部屋には一組の寝台だけしかない。そこで透けるような薄手の衣を身に纏って一夜を過ごすというものだ。
イレーネは初めてこの儀式を聞いた時は驚いた。
しかしアランはそれを必要無いとして却下したものだ。
裸同然の格好をしたイレーネを他の男に見せるなんてとんでもない!と怒ったのだ。それが今・・・
沈黙が重く漂っていた―――
最初にその沈黙を破ったのはナイジェルだった。
「―――貴殿は、私とイレーネの仲をお疑いか?」
アランは答えなかった。不遜な笑みを浮かべたままだ。
「私と彼女は今も昔も何も無い」
「はん!そんなこと言われなくても分かっている!男と女の関係が無かったってことは、よ〜く知っている。イレーネは俺が初めてだったんだからな!なぁ〜イレーネ」
イレーネの顔が蒼白から一変してカッと赤く染まった。
「分かっているのなら何故に?」
ナイジェルがそう訊ねるとアランより先にイレーネが口を開いた。
「アラン様!わたくしの気持ちを疑っているのですか!わたくしは――」
「この男が好きだったんだろう?相手にされなくてもずっと・・・」
「それは昔のことだと何度も申し上げた筈です!」
「そう、何度も何度も聞いた。何度もな!だから機会を与えてやろうと言っているんだ!果たせなかった想いを叶えたらいい!」
「そのような事、わたくしは望んでおりません!」
「望んでいない?なら何故、悲しい顔をする?俺は言った。お前を守ると!憂うことがあるのならその原因を全て消すと言っているんだ!あいつに・・・あの男に未練があるのなら抱いて貰え!」
イレーネは息を呑んで大きく瞳を見開いた。
アランからそんな言葉が飛び出すとは思ってもいなかった。だから自然と身体が震えだして来た。
「そ・・そうしろと・・・貴方がそうしろと・・・言われるのですか?・・・貴方が?」
「ああ・・・そうだ。お前を悩ませる奴らを・・・その存在自体消してしまおうかとも思った。そうすれば俺もすっきりするしな・・・しかしそれでお前の心からあいつが消えるのかと問えば・・・否だろう。だったら逆に・・・」
アランが言葉に詰まり握った拳を震わせていた。
イレーネは涙を浮かべてその震えているアランの手を両手で包み込んだ。
イレーネは知っている―――
アランが自分をどれくらい愛してくれているのかそれは充分過ぎる程に。それなのに他の男に身を委ねろと言ったアランはそれを言葉にするだけでも血を吐くような想いだっただろうとイレーネは思った。今は悲しみも不安もナイジェルに関係ない。全てがアランを中心に回っているのだ。
それをどうすれば分かって貰えるのだろうか?
「アラン様・・・わたくしがナイジェル様にお情けを頂いても良いと言われるのですね?」
イレーネの手の中のアランの拳がピクリと動いた。
「ああ、そうすればお前も過去に決着をつけて気持ちの整理が出来るだろう。そして今度こそ本当に俺を・・・俺だけを選ぶ筈だ」
イレーネはアランの握りしめたままの拳を持ち上げて胸に抱いた。
彼女らしくない積極的な行為にアランは驚いて彼女を見つめた。涙が頬を伝っている・・・
「このご提案は何よりも一番であろうとなされるアラン様らしくございますが、わたくしは嫌でございます。そこまでしてお二人を比べる必要などございません。貴方様がお疑いでもわたくしはわたくしの気持ちが分かっております。わたくしの中で一番なのはアラン様、貴方なのですから・・・選ぶも選ばないもございません。まして今度など必要ございませんわ。不安なのはわたくし自身の問題です・・・自分に自信が無かっただけ・・・それは何でも言えと仰る貴方にも言えなかった・・・お察し下さいませ。貴方様の周りには魅力溢れた女人が数多くおりました。わたくしをその方々と比べてみればどれもこれも並・・・特別なものなど何一つ無いのだと充分分かっていました。珍しいのは帝国の元皇后という肩書きだけのつまらない女です。でもそれが・・・貴方が私に興味を持たれた最初の要因だと知っております。そしてアラン様はナイジェル様に何かと対抗意識を持たれていると噂で聞き納得致しました。だからいつかはその興味も薄れナイジェル様から無視されたように何れアラン様にも・・・と時々思うのです」
アランが懸念していた事をイレーネの口からはっきりと聞いてしまった。ナイジェルとの過去を重ね自分との関係に彼女が不安を感じているというものだ。
「俺とあいつは違う!」
「いいえ!同じでございます!もちろん容姿も性格も何もかも違いますし、表面的には正反対でしょう。でも根本はとても似ておいでです!だから・・・わたくしは・・・イザナイの審判など嫌でございます!もし・・・もしも貴方が・・・貴方様がナイジェル様のようにツェツィーに心を動かされたようになったらと思うと・・・わたくし・・・わたくし・・・」
唇を噛み締めて震えながら俯いたイレーネをアランは抱きしめた。
それはいつもの彼女の不安を拭う為のものでは無かった。自分への憤りを誤魔化す為だった。
クロードが言ったようにイレーネの不安の源はアランにあったのだ。自分に自信が無いイレーネはアランの愛情表現が強ければ強い程、不安になったのだろう。どうして?何故自分なのか?と・・・
だからクロードが例えてもう一つ言ったようにアランの強引さに流されたイレーネが自分の気持ちに自信が持てなくなり不安だったのでは無かった。
(全部、俺が悪い!俺は何て阿呆だ!イレーネは自分の気持ちを隠すと分かっているのに気付いてやれなかった俺が馬鹿だった!彼女は自分から熱心に愛情を表現しないんじゃない!自分に自信が無かったから動けなかったんだ!)
アランにはイレーネが時折見せていた嫉妬に浮かれていたが、その裏ではその女達と自分を比べていたとは思ってもいなかった。そんな事も分からず嫉妬が愛情表現だと浮かれていた自分の馬鹿さ加減に怒りしか湧いて来なかった。しかしどう言えば彼女の不安を払ってやれるのか分からなかった。自分の想いをぶつければぶつけるだけイレーネの心は不安が増すのだ。
「アラン殿、イザナイ神の役・・・受けさせて貰おう」
今まで無言で二人を見ていたナイジェルが静かに言った。
誰もがその申し出に息を呑んだ。
アランはイレーネを抱いていた腕を解きまるで幽鬼のように、ゆっくりと振り向いた。
振り向いた先にはいつの間にかツェツィーリアを庇うように腕に抱くナイジェルが居た。
そのナイジェルはアランと目が合うと静かに微笑んだ。
それは嫌味でも哀れみの笑みでは無く静かな・・・静かな微笑みだった。
「私がイレーネを、そしてツェツィーリアが貴殿を誘惑する儀式・・・確かに引き受けた。異存はあるまいな?」
「―――ああ、無い」
「アラン様・・・何故・・・わたくしの!わたくしの気持ちは全てお話しました!なのに、何故!まだわたくしの気持ちをお疑いなのですか!アラン様!」
イレーネはアランの背中に向かって叫んだ。
リリーはこんなに取り乱すイレーネを初めて見た。そして自分のことのように胸が痛み、助けを求めるように横に立っていたクロードの腕にすがった。
「リリー・・・」
クロードは大丈夫だからと言って彼女の肩を抱き寄せた。アランの考えは読めた。
(皇帝もそれを察してくれたようですが・・・一番の問題はイレーネ殿・・・)
今回ばかりはアランが今までのように押せば押す程逆効果を生み、引けば引くで問題は炎上するだろう。
返答もせず振り向きもしないアランの背中をイレーネが叩こうと両手をあげた時、アランがクルリと振り向いた。そして彼女の振り上げた両手を掴んだ。
「イレーネ、お前の俺に対する気持ちは疑っていない。そして俺の気持ちが疑われているのも良く分かった―――先人達もたまには良いことを考えるようだ。今まで馬鹿馬鹿しい慣習だと思っていた婚礼の儀に今は感謝したい気分だ」
明るくそう言ったアランはいつものように自信たっぷりに微笑んでいた。イレーネをいつも温かく照らすアランは太陽そのもののように輝いている。
「アラン様・・・」
「答えは三日後の婚礼の朝に聞かせて貰う」
イレーネは驚いた。アランが婚礼を挙げるかどうか判断を自分に委ねると言っているのだと思った。
結婚したく無い訳では無いのだ。イレーネはそんな事を望んでいなかった。
「わたくしの答えは決まっております!わたくしは――」
イレーネの言葉は突然重ねられたアランの口づけで途切れた。
「その答えは知っている。俺を愛している。だろう?俺の聞きたい答えはそれじゃない。お前への俺の気持ちを信じるかどうかだ。と・・・言うよりもお前が自分自身を信じるかどうかだ」
「わたくしを?」
「そうだ。お前は自分の魅力を見つめ直せ。そして俺を全部見せてやるから俺がどうしてお前に惚れたのか答えを見付けろ」
その時、ナイジェルが二人の会話に割り込んで来た。
「その答え次第でイレーネを帝国に連れ帰っても構わないのだろう?オラール王よ」
クロードは恐れていた瞬間に息を呑んだ。背中に冷たい汗が流れるようだった。
「何の話だ?連れ帰るだと?冗談じゃない!答えがどうなろうがイレーネは俺のものだ!例え本人が帰ると言っても断る!何年かけても俺を信じさせるんだから邪魔をするな!」
アランの身勝手な答えを聞いたナイジェルは何も答えなかった。
「ふん!クロード!皇帝夫妻は長旅でお疲れだ!もう部屋に案内してやれ!」
クロードは心の中で、ほっと息をつきリリーと共にナイジェル達をその場所から連れ出した。
残して来た二人は気になるが目の前のナイジェルが問題だった。
(陛下がこの方々を殺そうと思ったとか口を滑らせるし・・・聞き逃していないでしょうね・・・)
「私達が似ているとイレーネは言ったが・・・それは違う。アラン殿はまだ甘い」
ナイジェルが、ふと歩みを止めて言った。
「・・・私ならこのような好機逃さず殺す」
「何のお話でしょう?」
クロードは微笑みながら聞き返した。
「まあいい。アラン殿はまだ幸運だ。イレーネを不幸にした私という憎むべき対象者がいるが・・・ツェツィーリアを傷付けたのは私自身だからな・・・この気持ちはぶつけようが無い・・・」
「ナイジェル様、私は幸せです!そんなこと仰らないで下さい!」
「ツェツィーリア・・・お前が私に隠れて涙しているのを知らないと思っているのか?私が全て悪いのに子を亡くした責任を感じ、そして拭えないイレーネへの後ろめたさに苛まれている。亡くした子をどうすることも出来ないが、イレーネの幸せを見届ける事は出来る。そうしたら半分の涙は消えるだろう?」
優しく囁くように言ったナイジェルはツェツィーリアの浮かべた涙に口づけした。
「・・・と言う訳だ。我々は協力を惜しまない。何なりと言うがいい」
ナイジェルはクロードに向かって含むところ無く言った。オラール王の側近中の側近、右腕どころか陰の王と呼ばれる男に含んだ言い回しをしても無駄だと判断したようだった。
「帝国の皇帝も我が王と同じく愛する人の為にと言う訳ですね・・・承知致しました」
昔のクロードだったら口先で同調したように答えても心の中ではたかが女一人の為にと馬鹿にしていただろう。しかし今はそう思わなかった。愛する人が出来る事で弱くもなるが、それ以上に強くなれる原動力となることを知っているからだ。
今は早く皇帝夫妻を部屋に案内してリリーと二人きりになりたかった。
「ではご案内しながら明日からの内容をご説明致します」
ナイジェルは頷くと歩き出した。
一方、二人だけになったアランとイレーネはただ黙って立っていた。しんと静まり返った広間に耳を澄ませば小鳥のさえずりが聞こえていた。
「・・・イレーネ・・・いや、何でもない。今日は早く休め。じゃあ、明日な」
「アラン様!待っ――」
去って行くアランをイレーネは止めたかったが彼は後手を振りながら行ってしまった。
「わたくし・・・どうして・・・」
イレーネは言いたい事の半分も言えていないような気がした。しかし心に秘めていた事を全部吐き出してしまった。そしてその答えを見つけなければならない婚礼前の三日間から逃げ出したかった。自分自身のことは自分が良く知っている。つまらないものを今更再認識しても辛いだけだ。自分がどんどん嫌いになるだけだと思うのだが・・・こういう時にこそアランの力強い腕に抱かれて何もかも忘れたかった。しかし今夜は久し振りに一人寂しく床に付くしかなかった。
もちろんアランも自分の部屋で一人過ごす事になった。
「何ですか!この有様は!」
急に呼びつけられたクロードが不機嫌な顔で怒鳴った。
リリーとやっと二人になった所にアランから呼び出されたのだ。
人払いされた部屋に勝手に入ったクロードは呆れてしまった。淫猥な雰囲気に満ちた部屋はここで何をしたのか一目瞭然だった。
「本当に所構わず!呆れます!ところでご用件は何でしょうか?」
「ふん!至急手配して貰いたいものがある。あのな―――」
アランはクロードに耳打ちした。別に誰もいないから普通に喋っても構わないのだが何と無く大きな声で言えなかったらしい。
その内容にクロードは特に驚きもせず耳を傾けていた。
「承知致しました。それにしても何時もと変わらぬ様子・・・さっきまであんなに深刻な話をしていたとは思いませんね」
「そうだなぁ〜でも俺は勝負に負けた事は無い。そうだろう、クロード?」
「そうですね!憎らしいくらい強運ですからね!では失礼致します!」
「ああ、リリーに宜しくな!」
アランの笑い声を背中に聞きながら部屋を後にしたクロードは、リリーの元に帰るのがまた遅くなると溜息をついた。そして急ぎ足でアランの用件を済ませに向かったのだった。
そして翌日―――
イレーネは進行に従って指定された時間に披露宴会場へ到着した。
宴が始まって暫くして入場するようだった。華々しい音楽と共に開かれた扉の目の前には手を差し伸べたアランが居た。
自然と微笑んだイレーネだったが・・・視線を上げたその先に見たものは・・・
イレーネの笑顔が凍った―――