第一章 白い翼1


 空を飛んだのはいつだっただろうか?
今では塔の窓から見える空は透きとおる青では無く鉛色にしか見えない。
全ての色が灰色―――


兄、
(かい)()が助けてくれると言った言葉だけが今、生きている支えだった。
毎夜訪れる恐怖の時間をあと幾つ過ごせばそれが来るのだろうか・・・と
美羽(みう)は思った。

 黒翔(こくしょう)国の王が十年前急死した。
王妃と姦通した国軍総帥
高暁(こうぎょう)によって暗殺されたとも噂されたが軍最高責任者の彼を表立って糾弾するものは居なかった。また王位継承者の王子海翔は幼く、その母であり王族の一員であった王妃が後押しする高暁が王位に就くのを反対する命知らずはいなかったのだった。

その王が最近目を付けたのが前王の側室が産んだ王女美羽だった。
彼女は元々生まれながら異端視されていた。黒翔国では背に黒い翼を持ち、象牙色の肌と黒髪が定番なのに彼女は白い翼と白い肌に金の髪だったのだ。
一族の代表である王族なのにまるで色が抜けたような姿を出来損ないだと言うものは多くいた。
それでも王と母親、それと王太子海翔は彼女に愛情を注いでくれていたのだった。
それが王の死によって一変してしまった。母親もいつの間にか死に、後追い自殺したと言われたが、王妃が手を下したという噂も流れていた。
美羽はどうでも良いという存在で放置されていたのだが、不幸にも美しく育ち過ぎてしまったのだった。幼い頃は異質な姿は忌み嫌われたが、それが誰もが溜息を洩らすものとなってしまった。
次第に近隣諸国にはその美しさが評判となるくらいに・・・・・


 悪夢の靴音が聞こえて来た・・・・・
そして重い扉の開く音が聞こえた・・・・・
美羽は虚ろな青い瞳をその扉へ向ける。
その悪夢の男が入って来ただけで強い酒の匂いが漂っていた。また酔っているようだった。
―――最近、天眼国との関係が悪化しているようで荒れているのだ。
そんな日は特に美羽への仕打ちが酷かった。

悪夢の張本人は美羽の細い手首を掴むと壁に押し付けた。抵抗する気持ちも奪われているのに・・・何時も手首を押さえつけられ、その痕が消える事が無かった。

強かに打ちつけられて美羽は思わず痛いと小さな声を出してしまった。
それを抵抗と受け取った王は目を剥いた。

「痛いだと?生意気な事を言って!人形のくせに!」
「ご、ごめんなさい、ごめんなさい。もう言いません。許してください。何でもします。ごめんなさい・・・」
美羽は怯えて涙を流した。
全てを諦めた彼女の無くした感情の中で、皮肉にもこの恐怖や怯えは無くなっていなかった。
しかしその様子がまた高暁の嗜虐性を煽るようだった。

「美羽、翼を出せ!」
美羽は震えながら背翼を出した。
黒翔族は通常人型をとっていて必要に応じてその本来の姿になる。
床まで届く真っ白な大翼が広がると王は残忍に嗤い、その付け根部分を鷲掴みにした。

細く切り裂くような悲鳴が上がった。
翼の一番敏感な部分を掴まれたからだ。更に爪を食い込ませされて白い羽毛の間から真紅の血が滲み出してきた。
簒奪者の王は満足そうに顔を歪めると、美羽の手首から手を離し、その手でドレスの胸元を引き裂くと胸の膨らみを中から手荒く掴み出した。その白い胸も消える事の無い赤い痕が無数に刻まれていた・・・王は貪るように同じ場所へ顔を埋め、執拗に吸い上げては柔らかい果実を乱暴に弄ぶ。
いつまでも慣れないその行為に美羽の叫び声が上がった。

「くそっ!あの若造め!馬鹿にしおって!」
誰かに悪態をつきながらその責めを美羽へと向ける。それから翼を掴んだまま引きずるように寝台へ突き飛ばした。

「さあ、足を開け!裾を持ち上げろ!」
美羽はビクリとし、言われるままドレスの裾を持とうとしたが手が震えて上手くいかなかった。
パラリと落とすのを見た王が美羽の頬を叩いた。

「ご、ごめんなさい、ごめんなさい」
口に広がる血の味を感じながら美羽は必死に誤った。
こんなに機嫌が悪い日は大人しく言う通りにしても駄目だとは分かっている。
下腹部の下着は引きちぎられ、それを隠していた部分を執拗に舌と指で責められる気持ち悪い感触を堪えるしかなかった。それでもこの時間が過ぎるのを我慢するしか無いのだ。

どれぐらい時間が経ったのだろうか?王はひたすら美羽をいたぶっては、彼女が泣き叫ぶのを楽しんでいた。
しかし急に城の周辺が騒がしくなったのだった。訝しんだ王は美羽の身体から顔を上げた。

「何事だ?」
その音は爆音と怒号が混じり始め、扉の外では更に剣を切り結ぶ音が聞こえ始めたのだった。
高暁が驚き起き上がった時は扉が粉々に吹き飛ばされ味方の兵達が次々と倒れているのが見えた。
そしてその
(むくろ)を踏みつけて入って来たのはあの腹立たしい若造だった。
天眼国王イエラン―――神に最も近いと云われ、神通力を操る天眼を額に持つ種族。

最近色々と問題を起こしていた高暁への報復として一気に本拠地へ奇襲をかけてきたようだった。

「ば、馬鹿な!こんなことをして許されると思っているのか!他の国が黙っていないぞ!」
緋の影のような男が薄く嗤った。
朱金の髪のその男は
黒翔(こくしょう)王の後ろに人形のように半裸で横たわる美羽をチラリと見た。
そして髪と同じ色の瞳を、すっと細めた。

「お楽しみのところ・・という訳か?気楽なものだ・・・先に手を出したのはお前だろう?それも散々馬鹿にしおって」
その男の額には瞳を縦にしたような金色の天眼が細く開いていたが、それが次第に大きく開き始めた。
天眼が開く時―――その場は恐怖に凍ると云われている。

高暁はその天眼の光りに射すくめられて命乞いをし始めたのだった。

「す、少しまってくれ!話し合おう!そ、そうだこれを・・これをやろう?お前も欲しがっていただろう?ほらっ」
高暁はさっきまで組み敷いていた哀れな王女美羽の金の髪を掴みむと、寝台から引きずり下ろし灯りの中に晒した。
ドレスがやっと腰の部分で止まっているような状態で、形の良い胸の膨らみも、すんなりとした脚も床に投げ出された。そして方翼が真紅に血塗れ、直前まで女の敏感な部分をいたぶられていた美羽の顔も身体も上気して、白い肌はほのかに薔薇色に染まっていた。更に長くうねるような曲線を描く金の髪がその肌に巻きつくようにはりついている。
顔を上げさせられた彼女はその姿とは裏腹の楚々とした美しい顔立ちだった。
その差が扇情的で何とも言えない感じだ。
それを見れば男なら雄の
(うず)きを覚えるはずだ
黒翔の王はどうだというように言ったのだろうが・・・天眼の王には通じなかった。
逆に激怒させてしまった。

「それが自慢の姫か?近隣諸国に鳴り響くという美姫・・・成程、お前が降るようにくる結婚の申し入れを全部断る筈だ・・・そして噂どおり体面上義父でもあるお前が手を付けていたとはな・・・くくくっ・・しかし嗤える。そのお前の手垢にまみれた人形を差し出されて、ありがたがる者がいると思うのか?」
 美羽は目の前で悪夢がドス黒い血をまきちらしながら床に倒れるのを見た。
王女の居室とは思えない殺風景なこの部屋は切り出したままの冷たい石の床だった。見る間に血がその灰色の石を赤く染め上げて広がっていた。

美羽は次が自分の番だと思った。
少し怖いような気もしたが超然として冷たい眼差しで立っている男が遥かなる昔、地上を支配したという全知全能の神のようで心は落ち着いてきた。
誰かが言っていた・・・凍る北の大地には神に最も近いと云われる種族がいると・・・

天眼の王は手に提げた血濡れた剣を振り上げた。
それと同時に美羽は全てから解放されると信じて微笑を浮かべながら静かに目を閉じた―――
だが頬に風圧を感じただけでそれが通り過ぎ、石の床と剣が当たる大きな音がしたのだった。

恐る恐る目を開けてみると、彼が切ったのは黒翔の王が苦し紛れに掴んだ美羽のドレスの裾だった。彼女と狂王はそれで完全に別たれた。
血塗れた水色のドレスの切れ端を握ったままの高暁を蹴り上げた天眼の王は、それと入れ替わるように美羽の前に立った。

そして全てを見透かすような視線が彼女に注がれた。
美羽はその瞳を見られなかった。
高暁は隠そうとはしなかったので、臣下や召使いの前でも見せ付けるように美羽を弄んだ。その後の彼らの目は同情ではなく蔑みの目だったのだ。王女の誇りを捨て大人しく簒奪者と噂される男の慰み者になっているからだろう。
しかし死を選ぶ事も美羽には許されなかったのだ。
この男が彼女を陵辱するのは美しく育ち過ぎた他にもう一つ理由があった。
始めは上手くいっていた王妃との関係は次第に冷めていき、何かと煩くなって来たのだ。そんな頃、高暁が流行り病にかかり命に関わる事がなかったが、男としての機能が不能となってしまった。自尊心が強い高暁にとってそれは許しがたいものだったようで、そのことを王妃に知られる事を恐れた。それこそ馬鹿にされた挙句、違う男を王位に即けるかもしれないと思ったようだ。元々、男好きの王妃だったから懐柔できたものだった。そこで彼女を怒らせ何か事を起こさせればそれを理由に親子共々、葬ることが出来るだろうと画策したのだ。

美羽には兄の安否をチラつかせて言う事をきかせた。可愛がってくれていた母も父も死んだ後は兄だけが心の拠り所だった美羽は言う通りにするしか道がなかったのだった。
元々、王妃は先王が寵愛した美羽の母を憎んでいた背景もあって効果は上がっていた。
それに美羽を性的に蹂躙する事によって自分の無くした男としての自尊心を満足させるのにも役立ち一石二鳥だったのだ。

高暁を殺した男の凍るような声が上から降ってきた。
きっと皆と同じ蔑すむような瞳をしているだろう・・・と美羽は思った。

「翼をしまえ」
美羽の白い背翼が震えた。
傷付けられた翼は痛みで思うように動かないのだ。
しかし言う通りにしなければ何をされるのか分からない。

「うっ、っぅ・・ぅ・・」
美羽は涙を浮かべて小さくうめき声を上げながら翼をしまおうとしたが上手くいかなかった。
その時、男の手が振り上がったかのように見えた。
叩かれると思って首をすくめ目を硬く瞑った。
黒翔の王より大きく若いこの男の強靭な手で叩かれたら今までと比べものにならない程、痛いに違い無いと思ったのだった。
しかしもっと悪かった。彼の手は傷付いた翼へと伸びていたのだ。
その指先が少し触れた時、痛みがまた脳天から足先まで突き抜けた。

「ひぃやぁ――ああっ」
細い悲鳴と共に意識を手放したかったが、そのあまりの痛みにそれさえもままならない。
殺されないのだろうか?では悪夢が去ってもまた違う悪夢になっただけなのだろうか?

(兄さま・・・兄さまは?・・・)
美羽は生きる糧だった兄の安否が気になった。兄に何かあれば自分も生きていない。生きる必要が無いのだ。もう生きるのが辛かった。

「に、兄さまは?兄さま・・・」
「兄?王子の事か?海翔とかいった・・・死んだだろう。王族は殺せと命令している。この状況でまず生きてはいまい」
美羽はその男の無慈悲な声が遠くで聞こえるようだった。
自分の枷でもあった兄が死んだのだ。恐ろしい事に兄の死を聞いてほっとする自分がいた。
この世に生きる価値が失われた今、やっと王女として誇り高く死ねると思った―――胸を突く小剣が無くても舌を噛んで死ねる。
思いっ切り噛もうと息を吸い込むように大きく口を開けて噛んだ。
口に血の味が広がった―――
でも噛んだそれは自分の舌ではなかった―――
直前に彼女の口の中へ突っ込まれた天眼の王の指だったのだ。

「ひ弱な小鳥と思っていたら、なかなか元気がいいじゃないか?」
イエランは低く言うと、口の中を抉じ開けるように指を動かした。

「あぅ・・ふぐっ・・うう」
美羽は無理矢理に差し込まれた異物を吐き出したかった。
しかし意思のあるそれは追い出す事も、これ以上噛むことも許さない。
血が混じった唾液が顎を伝う・・・美羽はこのまま舌を噛むことさえ出来ないのだと悟ってしまった。そう思った途端、顎の力が抜けた。
それを感じたイエランは美羽の口から指を抜くと、噛み切られたその傷口を自分の口へと運んだのだった。ゆっくりとそれを舐める姿はまるで、獲物を切り裂いた鋭い爪を舐めている獣のようだった。

「馬鹿が・・・勝手に死ねると思うな」
イエランは脅すようにそう言うと怯える美羽の額にその指を当てた。
彼の止まらない血
が自分の鼻梁を伝って流れるのを美羽は感じながら自然と意識が遠のいた。イエランが力を使って彼女を眠らせたようだった。崩れる美羽をイエランは片腕で抱きとめたが、また傷付いた翼に手を伸ばした。その時、額の天眼は再び開眼していた。


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