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第一章 白い翼2![]()
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美羽が目を覚ました時、そこは見知らぬ部屋だった。
そして見るからに建物や調度品の様式が違っていた。
一番特異に感じたのは天井が低いということだった。の城では背翼を出して移動が出来るようにと天井が高かったのだ。
黒翔
床は広く部屋自体狭く無いのだが天井が低いというだけで圧迫を感じた。
それを更にそう思わせるのは、壁全体に天井から床まで吊るした重苦しい色のタペストリーだろう。
そして敷き詰められた厚い絨毯。色合いは暗く趣味が良いとは言えない感じだ。
美羽はふと包まっていた毛布を外してみると、下着以外は何も着ていなかった。
汚れたドレスは脱がされ下着だけは着せてくれたのだろう。背中の翼が出たままでは黒翔風の背中が開いたドレスでも無ければ着替えは難しいと思う。
不思議な事に傷付いていた羽は痛まなかった。
あんな風に傷付けられるのは何時もの事だが治るには日数を要していたのだったが?
(そんなに私は眠っていたの?)
美羽はそう思ったが自分の手首や胸に残るうっ血した赤い痕は少し薄くなりかけていても、傷が治る程の時間は経っていないと主張していた。
しかし翼が癒えている証拠に難なく背中に仕舞うことが出来たのだった。
それから周りを見たが誰もいなくて部屋の中は少し寒かった。
美羽は寝ていたベッドからそっと足を下ろし絨毯の上へ降りた。
そしてシーツを引っ張ると身体を隠すように巻きつけ、窓辺へと近づいた。
窓は白く曇っていたので手で拭いたが白さは変わらなかった。
窓ガラスの曇りは取れても外の景色が真っ白だったのだ。何もかも眩しいくらいに真っ白だった。
感情を忘れた美羽でもその光景には目を見張り驚いた。
「これは・・・もしかして?雪?」
年中過ごしやすい気候だった黒翔では見た事が無かった。
幼いとき絵本で見たのは空から降るという白い花のような雪というもの。
興味を示す美羽に父が大きくなったらその国へ連れて行ってやろう、と言っていた。
叶うことの無かった幼い夢―――
その国とは・・・凍てついた天眼国。
雪が融ける季節はほんのひと時でまた直ぐに氷と雪で閉ざされるという国。
そして伝説の神々に似た天眼を持つ種族が住むという国。
「・・・雪は本当にお花の形をしているのかしら?」
幸せだった頃を思い出した美羽は、本当にただそれが確かめたかっただけだった。
窓の蝶番に手をかけ力を入れて押すと窓は容易に開いた。
外の冷気が一気に流れ込んで、刺すような冷たい空気に身体中の肌が総毛だった。
それでも美羽は窓の縁に足をかけた。もっと近くで見たかったのだ。
よく見れば今いる部屋は上階のようだった。
下からざわめく声と悲鳴のような声が聞こえたが美羽は目の前の景色に胸がいっぱいで気にも留めなかった。その瞬間、自分が何故ここにいるのかなど忘れていた。
窓の大きさは十分で美羽は再び背翼を広げた。
ぐんと広げた真っ白な大翼はまるで外の景色から切り取って作られたようだった。
翼を二、三度羽ばたかせ窓の縁から足が離れた瞬間、その足首を掴まれ部屋の中へと引きずり込まれてしまった。
そして背中は翼ごと床に押さえ込まれたのだ。
低い天井が見えたと思ったら押さえつけた男の顔が見えた。
天眼国の王イエランだ。
彼は肩で息をし、朱金の瞳はつりあがっていたが、あの特徴である天眼が無かった。
彼らも黒翔族と同じく必用に応じて開くものらしい。しかし感情の起伏でもそれは出るようだ。
イエランの額に鋭い小刀で切ったかのような線が次第に浮かんできた。怒っているのだ。でもそれだけで第三の瞳は開いてはいなかった。
「逃げるつもりか!」
美羽は大きな声で怒鳴られて、ビクリと身体を震わせた。
悪夢が甦る―――押さえ込まれた腕は、あの初めは優しく今度からお前の義父だ、と言ったあの男が何時も掴んでいた場所だった。
恐ろしくて震えが大きくなってきた。
イエランは眠らせている美羽がまだ目覚めないと思って油断していた。
それが窓に立つ彼女を見つけ、一気にその部屋へと急ぎ駆けつけたのだった。
また死ぬつもりなのか?それとも逃げるつもりなのか?どちらなのか分からなかった。
しかし羽ばたく美羽を見てその足を捕らえたのだった。
「自害しようとするかと思えば、今度は逃亡か!死のうとするよりまだマシだが、簡単に逃げられるとでも思ったのか!常春しか知らない脆弱な黒翔族の翼など数分もしないうちに凍ってしまう無駄なことだ!」
美羽ははっとしてそうだったと思い出した。
自分の生きる糧だった兄をこの男に殺されたのだった。
もう二度とあの優しい兄に会えないのだ。
追って死のうとしたのをこの男が邪魔をしたのだった。
死≠ニいう甘美な誘惑は美羽を支配していた。
今度こそ、その優しい死の腕に抱かれたいと思った美羽よりもイエランの方が早かった。
彼女に馬乗りになり両手を封じ込めると猿轡をかませてまた邪魔をしたのだ。
「・・・・そうそう私の指を噛ませる訳にはいかないからな」
舌を噛むのを封じるそれを美羽の頭の後ろで結び終えたイエランは彼女の抵抗を予想した。
手足をバタつかせるなり身体をよじるなり・・・だがいずれもその予想は外れた。
美羽は何もかも諦めたような顔をしていてまるで抜け殻のようだった。
黒翔の城へ攻め入った時に見たあの酷い有様だった彼女と同じ表情だ。
その顎をとらえてもその瞳は何も見えていないようだった。
完全に生きる気力を失って、死神の手を取りたがっている。
そんな美羽をその誘惑からどうすれば断ち切る事が出来るのだろうか?
イエランは舌打ちをした。
「聞け!お前が死んでも私は構わない。困るのはお前の国の者達だろう。お前が死ねば言う事を聞かない翅虫など全部殺してやる。だがお前が人質となって私の物になるのならそれを見逃してやろう。お前と私との間に出来た子を黒翔の王座へ据えれば民も落ち着き、周りの国に文句を言われる事なく二つの国は私のものだ」
イエランの話しに美羽の心が少し動いたのか、瞬きもせずガラスのようだった瞳が瞼を震わせ瞬きをしたのだ。
その瞬間を彼は見落とさなかった。
「自分にそれだけの価値など無いと思っているのか?お前以外の王族は一人もいない!だからお前はあの美しい黒翔国をその手に持っているようなものだ。もちろんその価値を作ったのは私だ。だからさっきも言ったようにお前はどちらを選んでも構わない。翅虫を根絶やしにするのが少々面倒なだけで、そうしたからと言って他の国々も天眼の我らに逆らう国はそういない。さあ、選べ!我が手を取るのか!それとも王女の誇りを捨て、民を捨て身勝手に死ぬのか!」
美羽の心に湧いてくるものがあった。
(誇りを持って死ぬのが身勝手?死ぬのが誇りではない?)
そして自分の価値をこの男が作ったと言った。
(にいさま・・を・ころして・・・)
美羽の心に甦ったのは怒りだった。
兄を殺し、黒翔のものを翅虫呼ばわりする傲慢な天眼の王へ向ける怒りだ。
美羽の瞳に生気が宿った。
「・・・・・・・さあ、答えて貰おう」
イエランは猿轡を用心深く外した。だがまだ馬乗りになったままだった。
美羽は初めてこんな顔をしたかもしれない。
上から見下ろす征服者に向って涙をこぼしながらも睨んだのだ。
しかし言葉まで出なかった・・・父と母、そして兄が愛した国を、それを救う術があるというのに滅ぼせないと思った。今までは兄の為、そしてこれからは愛した家族の残した想いの為、そして自分の誇りの為・・・生き抜いていこうと思った。
そして何時かはこの男に復讐したい・・・そう心に密かに誓った。
イエランは探るように決意した彼女のその瞳を見た。
「・・・・怒りか・・・いい瞳だ。人形よりマシだろう・・・その調子で私を憎み恨むがいい。だが覚えておくことだ。お前はこの私の物だということを――」
イエランの段々と低くなる声音に美羽は一変してその瞳は恐怖に見開いた。
反抗的な目をしたのを怒ったのだろうか?
「ご、ごめんなさい・・・」
「・・・何故謝る?」
彼はもっと怒ったようだった。
美羽は意味が分からなかった。義父なら謝れば満足そうに嗤うが怒る事は無かったのだ。
カタカタと震えが止まらなくなってきた。
死への誘惑をはねのけてしまったので死ぬより怖い悪夢は続くのだ。
「ご、ごめんなさい・・もう反抗しません・・何でも言う事を聞きますから許して下さい・・・」
いつもあの男に向って台本に書かれた台詞のように繰り返した機嫌をとる言葉を口にした。
だがこれもイエランには駄目のようだった。更に瞳がつり上がったのだ。
額の天眼が薄っすらと開いて金の眼が覗きだした。
「そうやって奴の言いなりになっていたという訳か?どういう風に抱かれた?乱暴にされるのが好きなのか?答えろ!」
「ひっ・・・」
美羽の身体に拙く巻いた胸元の布は、イエランの手がかかり引き下ろされた。
すると無残な赤い刻印が無数に入った首筋から胸までがあらわになってしまった。
一瞬、イエランはそれを見る瞳を細めた。
それは嫌悪なのか?憐れみなのか?彼の表情からは分からなかった。
しかしその痕を上から消すかのように同じ場所へ、噛みつくような口づけをし始めたのだ。
肌の柔らかな部分を強く吸われる痛みに、美羽は何度も繰り返し反応し、ビクリと背中を反り上げた。
「あっ・・あっぁ・・ぁい・・やぁ・・」
美羽は嫌≠ニ言ってしまったことに、はっとして何時の間にか自由になっていた手で自分の口を塞いだ。嫌≠ニ言ったら何時も義父には打たれていたからだ。
口を塞いだ手にとめどなく流れる涙が伝い濡らしていた。
イエランはチラリとその美羽を見たが何も言わなかった。だが顔を上げて命令した。
「さあ!足を開け!」
何時もと同じ言葉・・・素直に震えながらも素直に足をおずおず開く美羽に、イエランは顔を歪め舌打ちした。また怒ったのだ。
(言うことを聞いているのに何故怒るの?)
美羽はそう言いたかったが怖くて言えなかった。
「お前は主人になった男なら誰にでもそうやって足を開くんだな!まるで淫売のようだ!」
「!」
美羽が反抗できないのを知って命令しているイエランがそんな事を言うのか、と怒りを感じた。
しかしこれ以上この男を怒らせるのは怖かった。
もうただ何時ものようにこの時間が過ぎるのを待とうと思った。
でも義父とはあの部分が違うのだ。それを思うだけで恐怖が込み上げてくるのだった。
「私にそこまで言われてもだんまりか?」
イエランは気に入らないというようにまた舌打ちした。
そして腿の内側の柔らかい部分についた痕にも、念入りに上からなぞるように口づけを落とす。
もうあの男の物ではなく自分の物だと主張するかの行為だった。
それが一通り終わるとイエランは形の良い唇の端に引く唾液を手の甲で拭いながら顔を上げた。
そしてまるで二人を包む寝具のように広がっていた翼の付け根をなぞるように触れてきたのだ。
その暖かく柔らかな感触を楽しんでいるようだった。
一番敏感なその部分に触れられた美羽は、ビクリと大きくのけ反った。その場所から遠い羽の一本一本まで小刻みに震える。
そしてイエランは怯えきった美羽の唇と自分の唇が、触れるか触れないその微妙な位置で顔を止めた。
間近に迫るイエランに美羽は息を呑んだ。
それが恐怖なのか、それか女なら誰が見ても心を熱くさせるような容姿にときめいたものか・・・それとも翼を触る手が意外と優しいせいなのか分からなかった。
「口づけはしない。舌を噛まれては堪らないからな・・・それにお前の中にはまだ挿れない。奴の子か私の子か生まれるまで判らなくなるからな。暫く様子は見させてもらう。淫乱なお前には物足りないだろうが、それまでこの続きはお預けだ」
酷薄に聞かせるようにイエランは冷たく言うと顔を離した。
だがその最後までしない≠ニいう意味の言葉に美羽はほっとして、顔に出てしまった。
それを素早く察知したイエランは再び怒り出したのだった。
「言っておくが、お前は人質だ!それも黒翔国を容易に支配するための手駒だ!だからお前が産むのは私の子だと言う事をゆめゆめ忘れるな!」
イエランはそう言い捨てると立ち上がり、靴音も荒く出て行ったのだった。
そんなのは分かっている、と美羽はその背中に向って言いたかったが言わなかった。
でもやはりほっとした。男が女に最後はどうするのかは嫌というほど知っている。今までの義父のいたぶりとは比べ物にならないだろうと思う。考えるだけでそれがとても怖かった。取敢えず義父との関係を誤解してくれているお蔭で猶予を貰ったようなものだ。
美羽は起き上がると、さっきまであの非情で傲慢な男が優しく触れた翼を触った。
あの男が分からなかった。
何故怒るかも分からないし、言う事は冷たいし酷い扱いをされるのに何故か優しい触れ方もする・・・しかしイエランのせいで無くした筈の感情が呼び覚まされ始めたのは確かだった。
生きる気力を無くしていたのに今はあの男に嘲笑われながら死にたくなかった。それに兄の仇でもある強大な敵に歯向かうのは無謀だとは思うが、それでも憎しみが生きる原動力となったのだ。
美羽は翼を仕舞うと鏡に映した自分の姿を見た。
激しい口づけの跡はまるで血を流しているようだった。
前の痕から被せるように鮮やかな赤い跡を付けている。触ると痛いぐらいだった。ふと手首を見れば何時の間にかこれも念入りに口づけされていた。
「酷い格好・・・」
しかし何故か怒りに任せて乱暴にされた感じはしなかった。
凍てついた氷の国の王に相応しい冷たい唇だったが、何故か熱く感じたような気がした。
いつもは怖くて気持ち悪いだけだったが、思わず口から漏れた声がいつもと違って変だった。
美羽は自分でもよく分からなくなってきた。
義父とは違う何かを感じたが淫売≠セと罵られた言葉を思い出し、その浮かんだ不確かな想いは打ち消したのだった。