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第一章 白い翼3![]()
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美羽は溜息をつくと冷気を感じて、ぶるっ、と肩を震わした。
開け放たれたままの窓が暖かい部屋の空気を奪っていたのだ。身体に巻きつけたシーツを巻きなおしながらその窓へ向った。
そして蝶番に手をかけようと腕を伸ばした時、空から白いものがはらはらと降って来たのだ。
それを掴もうと腕を伸ばし背伸びをしたところでまた邪魔をされてしまった。
怒って出ていったイエランが戻って来て、また誤解したのか美羽の伸ばした手を掴んだのだ。
「きゃっ!」
「性懲りも無く何をしている!お前は選んだのでは無かったのか!」
美羽は、グルリと向きを変えられ、窓の縁とイエランの身体との間に挟まれてしまった。
憤っている彼につい謝りそうになった。でもまた謝ったらもっと怒ってしまうかもしれない・・・と思った美羽は何と言えばいいのかと困って眉根を寄せた。
「あの、私・・・あっ」
美羽の目の前をふわりと雪が舞った。それはまるで風に舞う白い花びらのようだった。
美羽は初めて間近で見るそれを思わず瞳で追い、口元を少しほころばせた。
それは微笑みまではいかない微妙な表情だったのだが・・・
それを見たイエランは瞳を少し見開いて、掴んでいた彼女の手を離した。
「・・・・雪か?雪が見たかったのか?」
美羽は驚いた。何も言っていないのに分かってくれたからだ。
問う彼の瞳を少し怯えながら見上げると小さく頷いた。
「我々にとって珍しくも無いのだがな・・・」
イエランは小さく溜息をついて呆れたように言った。
そして何時の間にか部屋の隅に控えていた召使いらしい女性二人に何か合図をした。
それから美羽の腕をまた乱暴に掴んで窓辺から引き離すと、部屋の内側へ突き飛ばし一言言った。
「着替えろ」
それを合図に召使い達が美羽を取り囲んで身に纏っていたシーツを剥ぎ取った。
美羽は小さな悲鳴と共に、窓から吹き込む冷気に身を震わせた。それに気が付いたイエランが窓を閉めてその枠にもたれると美羽の着替える様子を見ているようだった。
さっきはイエランからいいように肌を暴かれたが、全部剥ぎ取られその姿をじっと見られるのは恥ずかしかった。しかも淫らな痕を見知らぬ女達に見られるのも同じく恥ずかしく、胸を隠すように身体を自分で抱いた。しかし蔑みの目をした召使いに有無を言わさずその腕を解かれてしまい無駄な抵抗は終わってしまった。
着付けられたドレスは黒翔風のデザインで背翼が出る部分まで後ろが開いていた。
しかし素材が全く違っていた。普通は薄く柔らかな布地を使うがそれではこの寒い地ではとても無理なのだろう。美羽が着せられたのは厚地の暖かい生地で縁は毛皮の飾りも付いていた。
そして開いている胸と背中の防寒の為に、くるりと首に巻かれたのは水鳥の羽根をたっぷり使って長く繋いだものだった。その羽根は白く美羽の翼のようでなんだか変な気分だ。
最後は裸足だった足にも暖かい靴下を履かされ、内側に毛皮を貼った靴に足を入れさせられた。
仕度が済むと召使い達はさっさと退室してしまい、またイエランと二人だけになってしまった。
しかし気まずい思いをする間もなくイエランがつかつかと近づいて来ると、美羽の腕を掴みそのまま歩き出したのだった。
何処に連れて行かれるのかと美羽は不安になった。
横のイエランを見れば怒ってはいないようだが、口元を引き結んでいて訊ねる雰囲気でもなかった。
歩幅の大きなイエランに引きずられる様に連れて行かれながらも周りが目に入ってきた。
長い廊下は部屋と同じく陰気で重苦しい感じだった。黒翔国では絨毯とかタペストリーを使う習慣は無かったが、何もこんなに暗く陰気な色合いで織ることもないのにと美羽は思ってしまった。
例えば花をモチーフにすれば素敵だろう。柄が細やかに入っているのを見ればそういう技術もあるのに残念だとも思った。
そんな壁たちに気を取られて余所見をしていた美羽は、急に冷たい風を全身に浴びて驚いてしまった。
そして瞳が開けられないほど眩しかった。細めた瞳から見えたのはさっき窓から見た景色だった。
美羽は建物の外に連れ出されたようだ。
白銀の景色が雲の隙間から覗く太陽の光りを照り返していて輝いている。
そしてイエランから掴まれていた腕は、何時の間にか離されていた。
美羽は恐る恐る横で不遜な態度で立っている男を見上げた。その視線に気が付いたのかイエランもチラリと美羽を見下ろした。
「雪が見たかったのだろう?好きなだけ見るがいい」
「え?」
まさか見たいと言ったから連れて来てくれたのだろうか?
(まさかでしょう?わざわざ?)
本当にいいのだろうかと美羽はきょろきょろ辺りを見渡した。
その時、後ろから暖かいふかふかした毛皮のケープを掛けられた。
振向くと信じられないことに掛けてくれたのはイエランだった。自分も毛皮の付いたマントを近侍らしき人物から受け取って着装しようとしていた。
お礼を言うべきなのだろうかと美羽は考えてしまった。
言わなかったら怒るだろうか?
義父は時々気まぐれに何かをくれる事があったが、礼を言わなければ酷い目にあった。言っても言い方が悪いとそれ以上に酷い仕打ちを受けたのだ。
ドレスを贈られた時は特に酷かった。着替えさせられて滅茶苦茶にいたぶられながら破られたのに、次の日は肌を隠せるほど布が残っていないそれを、何故それを着ないのかと言って怒ったのだった。
怒るのか怒らないのか・・・彼がどう反応するのか分からない。
しかし黙っていても同じなら素直に礼を言おうと思った。
「・・・ありがとうございます・・・」
大丈夫だろうかと戸惑いながら小さく言った言葉に、イエランは少し驚いた顔をした。だが直ぐに元の冷たい顔に戻っていた。
「―――大事な人質に風邪でもひかれたら困るだけだ」
憎らしい言い方をしたイエランだったが、そう思うなら雪を見せるような親切をしなければいいのにと美羽は思った。でも怒っている訳では無さそうなので安心すると又、微笑み未満の顔をした。
しかしイエランはその顔が気に入らなかったようだった。不機嫌な顔になったのだ。
「?」
やっぱり美羽は彼の機嫌のスイッチが分からなかった。
でもそれ以上機嫌が悪く無らないみたいだった。
「もうすぐ天候が変わる。そうなったら外は歩けないぞ」
突き放すような言い方のイエランに促され、美羽は初めての雪に心は移っていった。
踊り場から雪の積った地表までは数段の階段があった。
しかし雪を除かれた階段は凍って滑りそうだった。慣れない美羽はそこへ踏み出した途端、つるりと足元が滑り危なく落ちるところをイエランが支えた。
「気をつけろ。この国のものは滑って死ぬような間抜けはいないがお前は違うからな」
美羽は間抜けと言われて、むっとしてイエランを睨んだ。
すると彼の機嫌が直ったみたいだった。
反抗的な態度をとっているのに機嫌が良くなるのは不思議だった。
支えてくれた手が離されると美羽はまた恐る恐る進み出した。
あと一歩踏み出せば雪の上だったが、踏み出しかけてまた引っ込めた。そしてまた踏み出そうとして靴を宙に浮かせたまま、つま先でつんつんと突いてみた。積ったばかりの雪は柔らかい感じだった。
大丈夫だろうか?と、美羽は首をかしげた。
あどけない可愛らしいその仕草をイエランは後ろからじっと見守っていた。
自分達にとって煩わしいだけの雪だが、それを見た事がない者にとってそんなに珍しいものだろうか?とイエランは思った。逃げるのかと思った美羽がその雪を見たくて窓から出ようとしていたとは思わなかったのだ。彼女が逃げようとしていると思い腹いせで酷い扱いをしてしまった。
それを思うと苦いものが込み上げるようだった。
それに彼女の態度を見ればあの男がどう扱っていたのか簡単に想像出来てしまった。強権と暴力で美羽を従順な奴隷のように躾ているようだった。
しかもそれに染まっている彼女に腹立ちを覚えてしまったのだ。
だが怯えて泣く姿を見ればあの男と一緒で、もっと見たいと思う嗜虐的な気持ちが鎌首を擡げてくるのを感じた。そんな自分に嫌悪してしまう。
(私はもう狂っているな・・・)
イエランはそう心の中で呟いた。そして雪の上を微笑み未満の顔で歩く美羽を見つめたのだった。
部屋に戻ると間もなく窓の外は猛吹雪となっていた。外を見ても全く白い渦巻きで何も見えなかった。
美羽は窓辺に張り付いてその様子を見ていたがずっとそうしている訳にはいかないだろう。しかし同じ部屋の中にはイエランがずっといるのだ。
一人で放置してくれている方が慣れているからずっと良いのにと思った。
ちらりと後ろを窺うとイエランは大きなベッドの上に大の字で横になっていた。
とても落ち着かない気分だった。
仕方が無いので一番離れた部屋の隅にあった椅子に腰掛けていたが何時の間にか寝てしまっていた。
しかし目を覚ました時はベッドの上で更にぎくりと驚いた。
真横に夜着姿のイエランが寝ていたからだ。
椅子で寝入った間に運ばれたのだろう。それに随分寝ていたようだった。
周りがすっかり暗くなっていたのだ。
「起きたのか?食事はそこに用意してある。冷めているが食べられるだろう」
イエランから急に声を掛けられて美羽は飛び上がった。
彼は目を瞑っていたので眠っていると思っていたからだ。
でもずっと食べていないからお腹が空いていた・・・言われた方向を見るとテーブルに簡単な食事が並んでいるのが見えた。肌のぬくもりが感じれるくらい近くにいたイエランと離れたくて、急いでベッドから降りるとテーブルの席に着いた。
ちまちまとパンをちぎっては口に運んでいたが食べている気がしなかった。
イエランが相変わらずベッドに寝そべり頬杖をついて美羽をじっと見ていたからだ。
無表情な顔の中で朱金の瞳だけが熔炉のように光っていた。
だから食べ終わってもどうしたらいいのか思っていたら昼間の召使い達が現れた。
イエランが呼び鈴で呼んだみたいだ。
そして無言の彼女達に連れられて今度は湯殿に連れて行かれたのだった。
イエランの目が無くなったら彼女達の美羽への扱いは酷かった。
敵国の者と言うだけでも十分だが、勝者の慰み者に甘んじる誇りのない者と蔑んでいるのだろう。頭から足の爪先まで肌が剥けるかと思うぐらい洗いあげられた。しかし美羽にとって大した事ではなかった。何時もそうだったからだ。城の召使い達も美羽を自分達が仕える主人とは認めていなかったのだ。彼女達に比べたら此処の方が優しいぐらいだと思った。
そして頭から夜着を着せられ部屋に戻されたのだった。
元々居た部屋は寝室だったのでそこに入るには、主部屋に入って更にその奥の部屋だった。思えば広く立派な居住空間だ。寝る準備をされたようで灯りが暗くなっていた。
しかしそこにはさっきと同じくイエランが居たのだ。
美羽は驚き、立ち尽くしてしまった。
彼は先ほどとは違って就寝するようにベッドの中に入っていた。
美羽はどうしようと思って他に自分が寝られそうな場所を探して部屋を見回した。
しかし静かな部屋にイエランの声が響いた。
「何をしている。身体が冷えるだろう?早くここに入るがいい」
「あの・・・でも・・・」
イエランは美羽の戸惑いを察知したようだった。
「ここは私の部屋だ。それにお前の部屋はもともと用意していし、用意するつもりも無いからここに共に居るしかない」
「そ、そんな・・・」
イエランの溜息が聞こえた。
「何度も言わせるな。お前は人質で私の物なのだから私の側に置く。分かったか?それとも引きずられて入りたいのか?」
美羽はびくりと震えた。
あれの続きはまだしないと言ったのにやっぱりするんだと思った。
でも美羽には逆らう術は無いのだ。
のろのろ歩いて二人が寝ても他に何人も寝れそうな広いベッドに滑り込んだ。
そしてぎゅっと目を瞑ったが、その後ずっと待ってもイエランが動く気配が無かった。
美羽はそっと目を開けると彼は眠っているようだった。規則正しい寝息が聞こえてきたのだ。
ほっとして気が抜けると美羽も次第に瞼が落ちてきて何時の間にか眠ってしまった。
彼女がイエランに背を向け丸くなって寝息を立て始めると、寝た振りをしていたイエランが目を開けた。
「・・・髪がまだ濡れている。風邪をひいたらどうするんだ。あやつら手を抜いたな・・・」
明日になればあの召使い達はイエランから処罰を受けるだろう。
美羽が見たらまた何故怒っているのかと思うだろうが、今もかなり不機嫌な顔をしていたのだ。
イエランは暫く彼女の金の髪を弄んで寝姿を見ていたが、寝返りで自分の方に向いたのでそっと包み込むように抱きしめた。美羽の身体は柔らかくイエランより体温が高くて暖かく、抱き心地が良かった。
熟睡しているのか全く気が付く様子が無い。
少し開いた薔薇色の唇にそっと口づけをしてみた。
やはり眠りは深いようだ。
更に深く唇を重ねる。そして彼女の少しだけ開いていた唇の隙間から侵入させた舌で口腔を探ってみた。そこは自害を阻止するため指を差し込んだ場所だ。その時も噛まれた痛みよりもその指に伝わるものが温かく柔らかで酔いそうだった。貪り尽くしたいという衝動に駆られてしまう甘やかなもの。
体の芯が熱くなるような感覚―――
「・・・うんんーはふっ・・・」
口を塞がれていた美羽が息苦しそうに空気を求めた。
イエランは、はっとして唇を離した。
危なかった・・・・このまま歯止めが利かなくなるところだった。
いとも簡単に己を昂ぶらせる事が出来る美羽をイエランは恨めしく眺めた。
「本当に狂ってる・・・」
イエランは声に出して呟くと、昂ぶったものを鎮めるように大きく深呼吸をしたのだった。