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第一章 白い翼5![]()
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美羽が連れて来られた場所は食事をする処のようで、朝食が並べられていた。
イエランは先に食べていて、その横に美羽の席が用意されてあった。
彼は美羽をちらりと見ただけで食べ続けていた。
美羽もまたちまちまと食べていたが、食欲も無いうえに隣がイエランなのでとても食事が喉を通らなかった。早々に手を膝に置いた美羽にイエランがまた、ちらりと見た。
「もう終わりか?昨日も殆ど食べなかっただろう?それとも反抗しているつもりか?」
「ち、違います・・食欲が無いだけで・・・あの・・ごめんなさい」
美羽ははっとした。何時もの癖でまた謝ってしまったからだ。
きっと彼は怒るに違い無い。予感は的中した。
「謝るぐらいなら無理にでも食べるんだ!それでなくても数日何も食べずに寝ていて、今までと気候が違う土地にいるのだから体力が落ちれば直ぐ病気になってしまうぞ。それに骨と皮だけの痩せぎすなんか抱く気も失せる!お前にはその身体しか売れるものは無いのだから、私が楽しめるようにせいぜい気をつけるんだな!」
吐き捨てるように酷い事を言われた美羽は涙が溢れてきた。
泣いたらまた彼は怒るだろう。義父は喜んだのに彼は反対なのだ。だから泣かないように一生懸命瞳を大きく開いて深呼吸をしたが無駄なようで、ぽたぽたと料理の上に涙が落ちてしまった。
これで食べないと彼を本当に怒らせてしまうと思った美羽は食事を再開した。
無理矢理口に運んでは味を楽しむ訳でも無く飲み込んだ。まるで砂を噛むようだ。
これも何時もの事だった。精神的なものだが義父の仕打ちが酷い日が続くと決まってこうなるのだ。
数日、食事を受け付けなくなるのだった。きっとこれも後で吐いてしまうだろう。
美羽は真っ青な顔をして食べていたが、我慢出来ずにその場で吐いてしまった。
イエランはさっと彼女を見た。美羽は怒られると思って、ぎゅっと目を瞑った。
「ご、ごめんなさい、ごめんなさい」
首をすくめて小さな声で何度も謝った。
「謝らなくていい!具合が悪いのか?悪いなら悪いと言え!」
「すみません・・大丈夫です・・喉がつまっただけで・・」
本当だろうかとイエランは疑った。妊娠の兆候に似ているからだ。
美羽はすぐに駆けつけさせた医師の診察を受けさせた。
「診立ては?」
診察の間、患者によくないからと言われて同席を許されなかったイエランが、苛つくように聞いた。
彼の信頼が厚い老医師ロエヌは、手を清めながら自分より遥かに背が高い王を見上げた。
「新しいのは貴方様のでございますかな?」
ロエヌはそう言って自分の胸元を指さした。
美羽に付けた口づけの跡の事を言っているようだったが、イエランはむっとした顔をしただけで答えなかった。
「ほっほっほっ・・そんな顔を見るのは久しぶりですな。若いと言えばそれまででしょうが、無茶をなさいましたのう。あれでは病になるのも仕方ございませんぞ。すっかり怯えておいでじゃ。しかも昨日今日のでは無く長くそのような状況だったようですのう。あれは心の病のようなものですな。本人に聞けばようこんな状態になったとか・・・まあ・・これは小さな子供に見られる症状でしてな」
「子供が?」
「はい・・・親に虐待される子供・・・何処にも逃げ場がなく暴力にただ耐えるしかない状況におかれる力の無い子供ですな・・・王よ、見損ないましたぞ。傷付いておる雛の傷を抉って楽しいですかな?」
見事な白い顎鬚を撫でながらロエヌは鋭い眼光を向けた。先代の頃から王を王とも思わず意見するその頑固な姿は昔から変わらない。
イエランはその眼から顔を背けた。
「―――どうすれば良かったんだ?死を望むものにどうすれば良かったんだ?剣を振り上げた時、あれは微笑んだんだ!幸せそうに・・・全てから解放されたいと思うものをどうやって留める?私を憎ませるしか無いだろう?死んでも死に切れないほどに憎まれるしか・・・」
心許すロエヌの前でイエランは一度喋り出したら止まらなかった。
心に秘めた想いが噴出し、その顔は苦悩に満ちていた。
「ほっほっほっ・・そんな顔を見るのは初めてですな。成程、成程。じいは嬉しいですぞ。そうですか、そうですか。その時、恋に堕ちたのですな。それならば許しましょう。しかし行き過ぎはなりませんぞ!ほっほっほっ・・」
そうだった――前々から黒翔国の秘められた美姫の噂は聞いていた。そして黒い噂も。
何故か心惹かれて興味本位で諸国の王や王子達と同じように求婚もしてみた。若くして王位に就いたせいか、執務や武術ぐらいにしか興味が無かった王のその行動に臣下達が驚いたものだった。しかし結果は皆と同じく承諾されなかった。その時から見たことも無いその娘を気にしていた。
しかし城を攻めた時はその娘共々、王族は皆殺しするつもりだった。
その姿を見るまで・・・・
淫靡な空気が漂う中にいた彼女を、ちらりと見た時は瞳を細めても暗くてよく分からなかった。
しかし目の前に引き出された時、あの痴れ者がどうだ、欲しいだろうと勝ち誇ったのが良く分かった。
その姿を見た瞬間、自分の脳天から下へ貫くような衝撃が走ったのだ。
だがそれは雄としての劣情。まして汚辱にまみれた女に価値は無いと思い直した。
そして手に掛けようと剣を振りかざした時に再び胸に衝撃が走ったのだ―――
識見ある老医師が言ったように、その一瞬で恋に堕ちてしまった。
しかし初めての感情をどうしたらいのか分からなかった。
湧いてくるのは醜い嫉妬ばかりだ。そう嫉妬―――
「御託はいい。では子が出来ている訳では無いのだな?」
「 ? もちろんでございますとも。心が平穏に保たれれば大丈夫ですぞ」
「ならばいい」
「素直でございませんなぁー」
コトリと扉の開く音がした。美羽が身だしなみを整えて二人のいる部屋へ入って来たのだ。
ふて腐れたような若者らしい顔をしていたイエランが、さっと無表情に変わった。
それを見たロエヌが、ほっほっほっ・・・と笑う。
「いずれにしても無茶は駄目ですぞ!この病は背の傷のように天眼で移せませんぞ!」
ロエヌがそう言うとイエランの背中を叩いた。
「――つぅ」
イエランが呻き声をあげて顎鬚を撫でる老医師を、ぎろりと睨んだ。
「ほっほっほっ・・やせ我慢しおって!可愛いのぅ。お姫さんの傷付いた場所は急所じゃぞ。移せばどうなるか・・馬鹿じゃのぅ。ほっほっほっ・・」
(この死に損ないの爺が!余計なことを!)
イエランは心の中で悪態をつくと、笑っているロエヌを、ぎろりと睨んだ。
「こい!行くぞ!余計な時間を使ってしまった」
「あっ・・」
美羽の腕を掴んだイエランは大股でその部屋を後にした。
引きずられるように連れて行かれる美羽はさっき耳にした事が信じられなかった。
(私の翼の傷を自分に移した?天眼というのはそんな力があるの?でもなぜ?)
傷を移したというのは本当だろうと思った。
昨晩、イエランの夜着が胸元ではだけていて、そこから包帯が見えていた。
戦闘の時の傷かと思って目を逸らして気付かない振りをした。上半身に巻かれていたがそれが背中の為ならそうなのだろう。
それにこんなに早く傷が治るわけでは無い。
あの時傷付いた翼に触れたのはそれをしようとしたのだろうか?
(何故?優しく無いのに優しい気もする・・・)
美羽はまた、分からなくなってしまった。
引っ張るイエランの顔を見てもそこに答えは無いようだった。
そこにあったのは何時もの怒ったような不機嫌な顔だけ・・・・
そして今度、連れて来られたのは重厚な扉の前だった。
天翔城は広々とした空間が特徴の城で内部が細かく区切っていなかったがこの城は逆だった。
直線的な内部は長い廊下が四方に伸び沢山の部屋で仕切られていた。極寒の地ならではの暖房効率を考えた造りだろう。
その部屋の一つである扉は重厚さもさる事ながら他の扉より大きかった。
それにその扉には衛兵達が並んでいたのだ。
彼らが最敬礼してイエランを迎え、それを合図に内側から侍従がその扉を恭しく開いた。
一斉に中にいた者の鋭く尖った視線が集まって、美羽は心臓が止まりそうだった。
部屋自体は広くないが内装は外の扉と同じく重厚で、飾り柱も天井の枠も黒で統一されそれらは年数を重ねた光沢を浮かべていた。その中央にも同じく黒色の円卓があり、それを囲んだ重臣らしき七人が一斉に立ち上がって礼をしたのだ。
その中をイエランは無言で美羽を連れたまま入って行った。
その流れと共に徐々に重臣達の顔が上がっては二人に視線を送る。
そしてイエランの席らしき一番細工の細かい立派な椅子まで来ると、王は美羽から手を離しそれに腰掛けた。その着座と共に重臣達も腰掛ける。
立っているのは美羽だけだ。いきなり放置された美羽はどうしたらいいのか戸惑ってしまった。
それに七人の目が自分に向けられていた。
「王よ。この方が黒翔国の王女ミウ様でございますね?」
立ち上がって訊ねたのはイエランの直ぐ横に座っていた若い男性だった。
その男はイエランより年は少し上だろうか?さらさらと流れるような銀髪と藍色の瞳で綺麗な顔立ちをしていた。
イエランは無表情で頷いただけだった。
「承知致しました」
その男は美羽に優しく微笑みかけた。
そんな風に微笑まれるのは兄依頼だったので美羽はつんと鼻の奥が痛くなった。
しかし他からは憎しみにも似たような冷たい視線を向けられて、涙は引っ込んでしまった。
この会は天眼国の最高決定議会だ。
此処でイエランは黒翔国への報復進攻を決定し、王族断絶の命を下したのだった。民の拠り所となる全ての王族は殺し国を支配する。逆らう民がいれば殺す。黒翔という国を完全に消滅させても構わないつもりだった。ところが王がそれを翻して彼女を連れ帰り、進攻が途中で止まったままなのだから重臣達は説明を求めたのだ。
皆は王が話すのを待っていた。
彼らにとってイエランは先代以上、恐れ敬う最高の君主だった。最強を誇る金の天眼の持ち、その誇り高く時には非情ともいえる冷徹さを持つ彼は誰もが従いたくなる十分な資質を持っていた。
その彼が決定したのなら黙って従うだろう。
しかしその何ものにも揺るがない彼が何を血迷ったのか、根絶すると決めた王族を連れ帰ったのだ。
二年前ぐらいにその王女に求婚したのにも驚いたが、まさか今更それを?と思った。
そんな馬鹿なと―――
しかし今、目の前で懸案の王女を見れば、冷徹な王さえも惑わしかねないと納得してしまいそうだ。
肌は天眼の地に降る雪のように白く、長いまつ毛の下には晴れた日の空のように青い大きな瞳。
そのガラス細工のような繊細で美しい顔を縁取る長い髪は光りの波のようだった。
噂以上の美姫――男の征服欲をかきたてるには十分なものだろう。
「気が変わった。逆らう翅虫を一々殺すのが面倒になった。あの国の王位継承者はこの女だけだ。これを手に入れる者があの国を手にしたようなものだ。あの痴れ者が黒翔の王妃を手に入れたようにな。そしてこれに私の子を産ませて二つの国を統合すれば容易だ」
王の言葉に皆ざわめいた。
「お言葉ではございますが、黒翔国の者達への制裁が生ぬるいのではありませんか?それでは彼らに自分達の愚かさを思い知らす事が出来ません!天眼に仇なした報いを受けるのは当然。そんなまどろっこしい事などせずに、逆らうのなら死を与えたらいい。それも従順になるには半数ぐらいで足りましょう。まあ根絶やしになるかもしれませんが。奴らは矜持だけは高いから。はははっ・・」
そうだと相槌を打って共に嗤う重臣達。
美羽は真っ青になった。
イエランが約束したというか提示した条件はまだ承認されていなかったのだ。
足元がふらつくようだった。
何故この場に自分を連れて来たのだろうかと美羽は思った。見せしめにこの場で八つ裂きにさせるつもりなのか?
ちらりと横に座るイエランを見ると、彼は冷たい無表情だった。
相変わらず何を考えているのか分からない。
「――私も初めそう思っていたのだから否定はしない。だが面白いことに気が付いた。こやつは国で何と言われていたか知っているか?」
「異端の姫≠フ事でしょうか?」
「そう、そうだ。出来損ないの異端の姫≠セ。お前達、何故そんな風に言われるのか知っているか?それがどんなのか見た事あるか?」
「いいえ、まさか。見かけだけも黒翔なら髪や肌の色が違いますが、黒翔の誇りでもあり特徴である羽の色が違うとか、片翼しか無いとか、羽根が抜け落ちているとか・・・いずれにしても深層の王女を垣間見る機会などございません」
「女!翼を出せ!」
突然、イエランの冷たい口調の命令が走った。
美羽は涙を浮かべていた。
本人を前にして出来損ない≠ニか異端≠ニか言われて、そのうえその恥ずかしいものを見せろと言うのだ。義父も翼を出せと言っては醜いと罵って傷つけた。
翼の事を何も言わなかったのは本当の家族だけだった。
メラ達が綺麗だと言って褒めてくれたが信じられなかった。あの時、イエランもそう思っていると言われたが今の彼を見てそう感じられない。
美羽は思わず首を振って抵抗してしまった。
そして命令する絶対者から逃れて後ろへと一歩、一歩、と下がる。
イエランが立ち上がって離れようとする彼女の手を乱暴に掴んだ。
「出せ!」
「い、いや」
「出すんだ!いとも簡単に男の前で足を開いてみせる癖に、たかが翼ぐらいで反抗するのか!勿体つけるな、出してみろ!」
王の激昂した様子に皆が目を丸くした。こんなに激しい彼を見たのは初めてだったからだ。
しかも美姫に惑って色ボケしたのではと思っていたのが吹き飛んでしまった。
彼女に対する態度にそんな欠片も見出せなかったからだ。泣いている彼女を見ているとまるで理不尽に虐めているような感覚になってしまうのが不思議だった。
「王よ。そのへんで・・・」
と、一人が止めかかったが、美羽が泣きながら広げた翼を見て息を呑んでしまった。