![]()
第二章 激情の檻2![]()
![]()
(な、何これ?これがもしかして口づけなの?)
美羽は口合わせをした事無かった。高暁は口づけをすると喋れないから嫌だったようだ。
彼の楽しみは卑猥な言葉や、いたぶる言葉を並べてその反応を楽しみながら身体を弄ぶのが好きだったからだろう。
だから美羽にとって両親がしているのを幼い頃見ただけで、よく分かっていなかった。
最初の日、イエランが舌を噛まれては堪らないから口づけはしない、と言っていた意味が良く分かった。こんなにも自分の歯列を割って彼の舌が入り込むのだからそれを噛もうと思えば容易に出来そうだった。しかしそれどころでは無かった。
息さえ奪い取るかのように強く吸われて息が出来ないのだ。
「はっ・・・・んっんん・・」
苦しくて唇から声が漏れた。
「ん・・・っ・・・んん・・ぁ」
続けて何度も漏れる声が苦しいだけでは無くなった。
しかし次第にぐったりする美羽に気が付いたイエランが唇を解いた。
すると美羽が咳き込んで肩で息をした。口づけの間中息を止めていたようだった。
「・・・・・・お前、もしかして口づけは初めてなのか?」
イエランは驚いたように聞いた。
美羽は涙を溜めた瞳でその彼を見上げると小さく頷いた。苦しかったけれどなんだかふわふわした気分で、頭の中がぐちゃぐちゃだった。
イエランは瞳を大きく見開いた。
「ああーっはははっ・・これは傑作だ!口づけ一つでこんなに乱れるお前をあいつは見逃していたとはな!傑作だ!奴め、知れば悔しがるだろう。死んだ奴には関係無い話だろうがな」
イエランは満足そうに笑うと、美羽の唾液で濡れた唇の端に軽く口づけを落とした。
彼の機嫌の良さに美羽は驚き頬を赤らめてしまった。イエランの笑い方が本当に嬉しそうでそれを見るとトクンと胸が鳴ったからだ。それに乱れる≠ニ言われて恥ずかしかった。
自分は嫌なのにそう感じるように身体が躾けられていたからだ。そうなる自分が嫌だった。
「――っ。い、嫌っ」
「嫌?何が嫌なんだ!」
美羽のその言葉でイエランの顔色が変わり、上機嫌から一変してしまった。
「何が嫌なんだ!言え!」
「こ、こんなの・・・いや・・」
今までだったら恐ろしくて言えなかったが、少し自分の気持ちを表に出す事に慣れてきた美羽は言ってしまった。
しかしイエランは言葉が足りない彼女からの受け取ったのは自分との口づけを嫌がったのだと思った。
彼は怒りで瞳を見開くと美羽ごと立ち上がり、彼女の背中をテーブルの上へ押さえつけた。
紅い果実の入った器が跳ね上がり下へ落ちた。紅い実がテーブルと床に転がってまるで点々と滴る血のようだった。
美羽の足は床につかず宙を浮いている。両肩をイエランから押さえつけられて起きることも出来ない。
見下ろす彼の瞳と同じ色の髪が美羽の胸に落ちかかっていた。
「口づけを嫌がるのは許さん!ここに触れるのは私だけだ!いいな!さあ、口を開け、そして舌を出せ!今から口づけの仕方を教えてやる」
美羽は怖くなった。嫌だと自由な首を振った。
「許さんと言っただろう?逆らうなら明日、黒翔の村が一つ消えるだけだ!」
「 ! 駄目、それは嫌・・・うっ・・ううっっ・・・」
美羽は大粒の涙をぽろぽろと流し、震えながら唇を開き始めた。
それを見たイエランは苦々しい顔をして舌打ちをした。
「―――ちっ!もういい!」
イエランは美羽を押さえていた両手を離すと、くるりと背を向けた。
美羽は慌て起き上がったが床に足がついていなかったので床に落ちてしまった。
それでも床に這いつくばりながら、去ろうとするイエランのマントを必死で掴んだ。
「ま、待って下さい!ごめんなさい、ちゃんと言う通りにします!ごめんなさい。だから、お願いします。どうか、どうか殺さないで!」
イエランは振り向いた。
美羽は潰れた紅い果実でドレスを汚しながらマントにしがみ付いていた。
民を思い必死に懇願する姿の美羽に卑しい欲情を覚えた自分に嫌気がさした。
黒翔の王を嘲笑ったが自分も変わらない。
口づけを知らなかった彼女に驚き、まるで宝物でも見つけたかのように嬉しく天にも昇る気持ちだった。愛おしくてたまらなかった。
しかしそれを嫌がられ逆上してしまった。
あの男には唇以外全て与えていたのにと思うと嫉妬で我を忘れてしまったのだ。
「お願い、お願いします」
「・・・・・私の名を呼んで願うがいい」
美羽は何時もの事だが彼の考えている事が分からなかった。怒っていると思ったのに振向いた顔は苦しそうだったからだ。
「お、お願いします。イ、イエ・・ラン様・・」
「――・・聞こえない」
「お願いします!イ、イエラン様!イエラン様」
それを聞いたイエランがもっと苦しそうな顔をした。
しかし、分かった、と言って美羽の持つマントを離せというように引いた。
美羽は何だか離したらいけないような気がしてまた引っ張ったが、イエランはマントの肩止めごと外して去って行ってしまった。ビロードのマントがその姿を美羽の視界から遮っていた。
(何故あんなに苦しい顔をしていたの?どうして?)
美羽はやっぱり分からなかった。
ただ部屋の中に広がる甘酸っぱい果実の匂いと、それと同じ味がして酔わされた口づけの余韻を感じていた。
そしてまた、彼の姿を数日見る事が無かったのだった。
あんな事をされてまた食欲が減退するかと思ったら意外とそうならなかった。
体調もすっかり戻ったようだった。
今日も一日が終わり、美羽は毎日がとても早く感じていた。あの塔にいた頃と全く違うからだ。
あの時はいつ悪夢が来るのかと怯えるのも長ければ、それが去るのも長かった。
しかしそれはイエランという次の悪夢が今居ないからだろう。
美羽は寝るにはまだ早かったので、夜の準備を整えられたベッドの近くの灯りの下で、今日習った綾取りをしていた。綺麗な色の毛糸で輪にしたものを指にすくっては開いて色々な形を作っていた。
本当は二人でする遊びだがこの一人綾取りも結構面白いのだ。
そして今、一番難しかった大輪の花に挑戦中だった。
隣の部屋からコトコト音が聞こえていたが、夜の当番のルルナが寝る前のお茶を持ってきてくれたのだろう。だから扉が開く音がしても振向かなかった。
だけどそれと同時に指をいっぱいに広げた花が出来上がった。
美羽は嬉しくってきゃっ、とはしゃいで振り返った。
「見て!ルルナこれ、出来たの!」
振向いた満面の笑顔はその場で凍りついてしまった。
立っていたのはイエランだったからだ。しかも夜着を彼は着ていた。此処で寝るつもりだ。
イエランも驚いていた。彼女の笑顔を初めて見たからだ。
先日、笑い声は少し聞いたが笑顔は見ていなかった。
しかしあっという間にその輝きは失われてしまったのだった。一瞬の幻のようなものだ。
彼女の手を見れば両手の中で美しい花が咲いていた。
「綾取りか・・・上手だな」
イエランは静かにそう言うと美羽の座っていた近くに椅子をずらして座った。
「他にも何か出来るのか?見せてくれ」
美羽は彼の様子が今までと違うので気味が悪かった。でも言われる通りに違うのも作ってみる。
間近で自分の指と顔を交互に見るイエランに、何故か胸の鼓動が早くなってきた。
するとあの口づけの感覚が甦るような気分にもなってきたのだ。
頬が少し赤くなっているかもしれないと美羽は思った。
綾取りが完成するとイエランはその形を言い当てる。
それを繰り返しているうちに彼の手が動いた。
びくりとして手を引っ込めようとした美羽の指に絡む毛糸を、イエランは器用に指に引っ掛けてすくった。毛糸の輪が美羽の手から外れて幾何学模様をしたままイエランの指に移ったのだった。
驚いた美羽に彼はそれを広げたまま差し出した。
「昔、姉に無理矢理させられた事があったが、こんな風に二人でするものだろう?さあ、次を取れ」
「あっ・・・は、はい」
イエランの大きな両手の中にある模様の糸を美羽は恐る恐る触れた。
彼女の細い指がその糸を絡め取って行く。
次はイエランそして美羽・・・・無言でその綾取りは続けられる。
しかしとうとうイエランが失敗してしまった。絡めたはずの糸が模様を作らずもつれてしまったのだ。
「ちっ、失敗したか。意外と難しいな」
本当に残念そうに悪態をつく彼が意外で、美羽は思わず小さく吹き出してしまった。
「・・・・・笑ったな?」
美羽ははっと息を呑んだ。またついごめんなさい≠ニ言ってしまいそうになった。
「ごめんなさい≠ヘ無しだぞ」
イエランはそう言ってふっと微笑んだ。
美羽はどきりとした。
先日見損ねた彼の笑みだった。口の端だけを少し上げる微妙な微笑みだがとても優しく見えた。
イエランは失敗した糸を綺麗に解くと小さくまとめて美羽へ渡した。
「さあ、もう遅い・・・寝よう」
その言葉に和んでいた場が一瞬のうちに緊迫した空気へと変わってしまった。
しかし美羽の心配は他所にイエランはさっさとベッドに入って寝てしまったのだ。
残された美羽はどうしようかと思ったが彼が入った反対側からそっと潜り込んだ。ベッドの中は早くから焼き石を包んだのを入れてくれて暖かい。
今までのように一人寝では無いのだけれど今日は何と無く気が重くならなかった。イエランが優しかったような気がしたからかもしれない。
片手にはさっきまで遊んでいた毛糸が握られていた。
ふんわりと暖かい糸は幸せな気分にしてくれる。
それに何と無く楽しかった・・・そんな事を考えていると瞼が重くなってきた。
美羽は何時の間にか寝てしまったようだった。
彼女が寝るとまたイエランは目を覚ました。そして暫く美羽を見つめる。
彼女が起きていたらまたどうしてなのかと思うだろう。彼の顔は何かに苦しんでいるようだったのだ。
愛しすぎてどうしていいのか分からない。愛するからこそこの気持ちは言えない。
憎んで欲しい・・・だけど嫌わないで欲しい。
微笑んで欲しい・・・だけど誰にもそれを見せないで欲しい。
イエランの心の中で相反する気持ちがせめぎあうのだった。