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第二章 激情の檻5![]()
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その日の夜は自室でじっとイエランが帰って来るのを待った。
隣の扉が開く音が聞こえる位置に座って耳を澄ませていた。
カルムは彼が昼間いないと言っていたから帰るかどうかは分からない。
真夜中を過ぎても神経が昂ぶって、眠ることなど出来なかったから丁度良かった。
しかし待ったかいがあって何人かの足音と扉の開く音がした。
力強い足音に小走りに付いて来る軽い何人かの足音・・・・イエランと召使い達だろう。暫くすると軽い足音達が隣から出て行ったようだった。イエランの用が済んだのだろう。
美羽は、ごくりと唾を飲み込んで立ち上がった。
そしてそっと音を立てずに廊下の外へ出ると隣の扉の中へ、さっと入った。
入室の合図も無く扉の開く気配に振向いたイエランは、そこに美羽の姿を見て驚いた。
飲みかけの酒盃を危なく落としそうになってしまった。
大きな青い瞳が真っ直ぐにイエランを見ていた。
その瞳を見ていると一口飲んだ酒のせいか、美羽のせいか・・・多分、後者だろう。胸がかっと熱くなるようだった。
真夜中なのにきちんとドレスを着込んでいる美羽は、ずっと自分を待っていたのだろうか?何か言いたそうな顔をしていた。
あの日以来、姿を目で追っても話した事は無かった。
(あの日も話したという類では無かったな・・・)
イエランはそう思うと嗤ってしまいそうだった。
一方的に自分が嫉妬をして責める言葉を浴びせかけ、後は無言で美羽の身体に自分の欲望を沈めただけ・・・・・
「何の用だ?こんな真夜中に・・・抱いて欲しいのか?」
美羽がびくりと肩を震わせたのを、イエランは瞳を細めて苦々しくそれを見た。そんなものを望んで来る筈もないのに彼女を貶めるような言葉を吐く。
「・・・・・抱いてもらいたいのなら自分でドレスを脱げ」
脱ぐはず無いのに追い詰めるような言葉しか出ない。嫌われるなら徹底させるだけだ。
「ち、違います。私はあなたに確かめたいことがあったから・・・」
「確かめる?私に?何を?そんなにお前は偉くなったのか。私の子でも身ごもったのか?女は子を身ごもると男より優位に立ったと思うらしいが・・・」
イエランが酒盃を目線に掲げて嫌味に言った。
美羽はその言葉に愕然とした。子を身ごもるなど全く考えていなかったからだ。当然そうなっていい事をされたのに失念していた。
「わ、私が・・み、身ごもるなんて・・・」
「くくくっ・・さあ、どうだろう?神のみぞ知るだ。だがあれなら出来ても可笑しくないだろう?」
イエランの意味深な言い方に、美羽は無理やり自分に注ぎ込まれた熱い欲望の果てを鮮明に思い出してしまった。
「あ、あなたの子とは・・・か、限らないわ」
女にとって一大事だと思うのに、ふざけた様に言うイエランが憎らしくてそう言った。
しかし彼は一口酒を飲んで、くすりと嗤った。
「男からああされたのは初めてだった筈だ。それなのにあの痴れ者の子とでも言うのか?まあ・・・何故そうだったのか想像出来ないが―――何故だ?」
何故だと聞くのは当然だろう。
美羽の身体は敏感で触るだけで瞬く間に感じて蕩け出していた。
男を知らない身体では無いのだ。そうなるように十分躾けられているようだった。
イエランは何度か彼女に触れてそれを苦々しく思っていたのだ。
あの痴れ者の王にどれだけ嫉妬したことか―――
それがまさか、最後の一線は越えていないと誰が思うだろうか?
それを聞くイエランの朱金の瞳が埋み火のようだ。激しい感情がちろちろと見え隠れしている。
美羽は確かめたい事を聞く前に彼を怒らせる訳にはいかなかった。しかし何時もどう言えば彼が怒らないのか分からない。でも正直に言うしかないだろう。
「・・・義父は病気で・・その・・駄目になってしまって・・・でも義母に知られると立場が無いから・・・私と関係していると見せかけていて・・・」
「見せかけ?あれが?その割にはあの日は、その白い肌を薔薇色に染めて悦 んでいたようだったな?」
イエランは初めて会った時の事を言っているのだ。
美羽は恥ずかしさで身体が熱くなった。
あの時、死ぬことが出来たなら今もこんな辱めを受ける事も無かった。
死への誘惑がひたひたと後ろから近づいているようだった。
思い出したくも無い話をこの非情な男にしなければならないとは・・・
「そ、そんな・・・義父は私が嫌がる事が好きだから・・・良いように・・も、弄 ばれていただけで・・・」
イエランはまた一口、酒を飲んだ。
「奴も哀れなものだな。勇猛を馳せた好色な英雄が勃 たないなんて、隠すのに必死だったなど嗤える話しだ。泣かせるのが好きか・・・違うな。鳴かせる・・の方か?悦 い声で鳴くからなお前は・・・勃たんでもさぞ奴は楽しかっただろう」
鳴かせる≠サう・・・義父もそう言っていた。
『鳴け!美羽!』
『きぁ――っ、あぁ―っひぃ・・・』
『もっとだ!もっと許しを乞うて鳴け!』
『お義父様――っ、ゆ、許してぇ・・・あっ・・ひっ――っ』
美羽は自分が泣き叫んだ過去を思い出した。
縛られたり胸を執拗に攻められたり敏感な花芯を嬲 ったりされた。
しかしイエランが無理矢理侵入した花芯の奥には指一つ挿 れることは無かった。その場所は自分自身で侵すことが出来ないという悔しさからだったかもしれない。
だから先日初めて体験したそれは義父のどの仕打ちよりも酷かった。
悦い声で鳴く≠ニ言ったイエランの低い声の意味が恐ろしくなって美羽は一歩後ろへ下がった。
しかしイエランはまた一口酒を口に運ぶと杯をテーブルに置き一歩前に進んだ。美羽の下がった歩幅以上進まれ二人の間の距離が縮む。
「で・・話しとは?」
イエランはそう言いながら歩を進め、とうとう美羽を壁際へと追い込んだ。
間近で見る彼は本当に顔だけ見れば清冽な感じだ。薄氷に覆われた湖のように澄んで冷たく・・・きれい。
しかしその瞳は峻烈な炎を宿していた。
その瞳に見つめられ、息もかかるような位置で問われた美羽は何故か鼓動が跳ねた。
緊張しているせいなのだろうか?
美羽は覚悟を決めて大きく息を吸って吐くと一気に喋った。
「本当に約束通り黒翔にはあれから何もしていないのですか?」
「何が言いたい?」
美羽はごくりと唾を飲み込んだ。
「私に嘘をついているのではないですか?嘘を言って本当はもう国を滅茶苦茶にしているのではないですか?」
イエランの方眉が上がった。
「何を言っている。馬鹿馬鹿しい」
「で、でも私は此処に閉じ込められていて確かめることが出来ない・・・あなたも皆も嘘を言っていたら分からないわ!み、みんな兄様のように・・し、死んでいても・・・私には確かめる術がないじゃない!」
美羽は言いながら全身が震えていた。
でも涙は流さない。確かな答えが出るまで泣くなんて出来ないのだ。それだけの覚悟はしている。
「心配する必要など無い。約束通り民には手を出していない。最初は国の中枢が壊滅したのだから混乱していたが今は我々の統治下で問題なく治めている」
イエランが今までの空気を一変させて真摯な態度で答えてくれたが、美羽はそれだけでは納得しなかった。
「それなら私にも見せて下さい!そうじゃないと信じられません!」
イエランが眉だけでなく目もつりあがった。
「信じられないだと?」
「そ、そうです!私に酷いことしかしないあなたの言うことなんか信用出来ません!」
イエランは更に目を剥 いた。言われて当然の事をしていたし、そうして嫌われるようにと願ってもいたが実際、面と向って言われるとかなり堪えた。
しかし覚悟を決めていた美羽は引かなかった。
「私に見せられないなんて・・やっぱり嘘を・・・嘘だったのね」
「嘘は言わない」
「嘘!じゃあ、私を黒翔へ連れて行って!嘘じゃないなら出来るでしょう?」
「馬鹿馬鹿しい。女の癇癪に付き合う暇などない」
イエランがそう言ってそっぽを向き美羽から離れた時、カチャリと言う音がした。
はっとして振向くと、美羽が隠し持っていた短剣を胸に向けていた。
「何をしている!」
「私は国のみんなの為と思って生き恥を晒していました。でもそれが嘘なら私の命なんかいらない。黒翔へ連れて行かないと言うのならこの場で胸を突きます」
咄嗟に動こうとしたイエランに美羽が叫んだ。
「動かないで――っ!それに天眼も開かないで!少しでもそうしたら直ぐ死にます!」
短剣を持つ美羽の両手は震えていなかった。彼女は本気だ。
天眼で短剣を弾くことも出来ない。
嘘では無いから黒翔を見せるのは問題無いのだがイエランは美羽を此処から出したくなかったのだ。
鳥籠から放した鳥が二度と戻って来ないような感覚に近いものがあった。
彼女の憎しみを煽り続けていても、自分から離れて欲しくないのだ。美羽はイエランをただ避けるだけ。避けるだけなど許せなかった。憎しみが足りないのだ。もっともっと自分を憎ませて他を見る隙間も与えず、その瞳を自分に釘付けにさせたい。
故郷の中で彼女の心を占めるものを作らせたく無かった。
耳も瞳も塞ぎこの氷の宮殿に閉じ込め、憎しみだけを植え付けて自分だけを見させたかった。
鋭い短剣の切っ先が布一枚で美羽の心臓の上に当てられている。
イエランは苦々しく瞳を細めた。
死の淵から引き戻したと安心する間も無く彼女は、あっさりとその淵へ戻ってしまうのだ。
生と死の狭間の糸はこんなにも細く脆い―――
「・・・・分かった。連れて行こう。そしてお前の目でしっかり確かめるがいい。だから早くその短剣を下ろせ」
「・・・・・・・」
美羽は大きな青い瞳を更に大きく開いてイエランを見つめた。
直ぐに信じるには疑いが深過ぎた。
本当にそうしてくれるのだろうか?本当に大丈夫なのだろうか?と。
イエランが少し動いたので美羽は、びくりとして短剣を握る手に力が入った。
「嘘は言わない。約束する。危ないから早くその短剣をこちらへ・・・」
イエランは焦りを隠しながらそう言うと、そっと右手を出して来た。短剣をよこせと言っているのだ。
美羽は無意識に首を振っていた。欲しい答えを貰ったのに彼を信じられなかった。
これも嘘かもしれないと―――そして冷たく光る刃先が甘美な死を誘っていた。
これを胸に埋めたなら何もかもから解放されるのだ。
美羽はあの日イエランが恋に堕ちたあの瞬間のように、静かに微笑んだ―――
そして短剣が胸に進められた―――
「美羽―――っ!」
イエランが叫んだ。
その声に美羽が一瞬反応した時、短剣が止まった。
それは彼女を傷付けてはいなかったが真紅の血で染まっていた。
イエランが刃を素手で握って止めたのだ。
美羽のあの微笑が出た刹那、イエランは鼓動が止まるようだった。
叫んだと同時にその手は短剣の刃を握っていた。咄嗟の判断だったがイエランは間に合ったのだ。
ほっとして手が震えそうだった。
「あっ・・私・・・・」
美羽は驚いて短剣から手を離した。
イエランは震えを押さえてその掴んだ刃から柄へと短剣を持ち直し、美羽の前へ差し出した。
刃先を自分に向けて―――
「黒翔には必ず連れて行く。もし私が約束を違えたのならお前はこの短剣で自分を突くのではなく、この私を刺すがいい。だがもし今のように馬鹿な真似をするのなら国を見る前に黒翔はこの地から抹消されるだけだ。分かったな?」
美羽の頭の中にはまだイエランが自分の名を呼んだ声が木霊していた。
あの激流に飲み込まれたような日に囁かれた時と同じ美羽≠ニいう呼び方だった。
胸に広がるのは何なのだろうか?
彼の深く傷付いた手のひらから血が滴って絨毯を染めている。
約束を破ったなら自分を殺せとまで何故言うのだろうか?そこまでする必要は無いと思うのに?
でもイエランが本気だというのだけは分かった。
(信じていいの?本当に?)
美羽は天眼の王を真っ直ぐに見た。
何ものにも左右されないと云われる冷徹なる王。その彼が再び約束してくれるのだ。
もう一度彼を信じることにした美羽はイエランの瞳から逃れるように小さく頷くと短剣を受け取った。
イエランは安心したのかそれからくるりと背中を向け、酒盃を取ると傷付いた手のひらにその中身をかけていた。消毒しているのだろう。かなり沁みるはずなのに頬を少しぴくりと動かしただけだった。そして大雑把に水気を飛ばすように手を振っていた。
美羽は考えるよりも先に行動してしまった。
自分のハンカチを三角形にたたんで細長くするとイエランの振っていた手を掴んだ。
イエランは驚いた。いきなり後ろから急に美羽から手を掴まれたからだ。そして更に驚く。傷付いた場所に止血するようにハンカチを巻きだしたからだ。
見る間に白いハンカチは血色に染まった。血が止まらない―――
「駄目だわ・・・どうしましょう。ロエヌ先生を呼びましょうか?」
イエランの右手を美羽は両手で持ったまま眉をひそめて言った。
イエランは驚き過ぎて声も出なかった。彼女が自分を心配しているのだから当たり前だろう。
美羽も自分の取った行動に内心驚いたが傷付いている者を見過ごすことが出来なかった。
それに憎い仇でも何故か良い気味だとも思わない。
この手は自分を乱暴に押さえつけるものでもあるが、綾取りをしてくれた優しい手でもあった。
血が流れるせいか何時も冷たい手が更に冷たくなっているような気がしてきた。
美羽は暖めるようにただ持っていた手を包み込むように持ち直した。
すると今度は彼女とは逆にイエランがびくりと肩を揺らしてしまった。
「血が・・・血が止まらない・・」
「・・・・大丈夫だ。時期に止まる。心配は無い」
「でも、手がこんなに冷たくなって・・・血が通わなくなると腐れるって聞いたことがあります。そうなったら大変です。先生を呼びましょう」
イエランがあの口の端だけを上げる微笑を浮かべた。
美羽はまたどきりとしてしまった。本当にこの顔は心臓に悪い。滅多に見ないからだろう。
「大丈夫だ。それに奴はもう夢の中だろう。呼んだらこれぐらいで呼んでと小言を言われるだけだ――お前の手は温かい・・・痛みが和らぐ・・」
珍しく優しい声音に美羽はまた、どきりと鼓動が跳ねた。
「で、では私が・・・血が通うように血が止まるまで手を持っています」
「・・・・お前が?」
イエランはまた驚いてしまった。
彼女は媚を売るような者でないことは知っている。美羽の心は美しく本当に優しいのだ。醜い心ばかりを視てしまうカルムが手放しで絶賛するぐらいに・・・・だからそれを逆手に取って脅している。
そんな自分が最低だと思いつつ、それで良いとも思うのだった。
「・・・・ならここは冷える向こうへ」
イエランがそう言って奥に視線を送った。
しかしそこには無理矢理犯されたあの長椅子があった。
絨毯もその椅子にあったクッションも新しいものに変わっていたがその椅子は同じものだった。
見事な細工を施した低い背もたれが付いた重厚な椅子―――昼寝には最高で心地良かったそこは悪夢の場所となったのだ。
ざわりと悪寒のようなものが美羽の身体に湧いてきた。
顔色が変わった美羽を見たイエランもその事に気がついた。そこは思い出したくも無い場所だろう。
しかし拒絶されればもっと≠セという思いが鎌首を擡げ始める。