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第二章 激情の檻6![]()
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「・・・向こうは・・嫌です。ここで良いです・・」
「お前は良くても私は寒い。血が流れているせいだろう。向こうが嫌ならもっと奥へ行けばいい。行くぞ」
奥と言ったら寝室のことだ。美羽は足が動かなかった。絶対にそこには行きたくない。
夜の寝室で男女がすることなど決まっている。またあの恐怖を与えられると思ったのだ。
しかし抵抗空しくイエランに抱き上げられてしまった。
「嫌!止めて下さい!下ろして!」
「うるさい、騒ぐな。傷に響く」
美羽はそう言われてぴたりと動きを止めた。傷が悪化したら大変だ。
心配してあげる必要が無いのに心配している自分がいた。
それにはっきりと嫌だとか意思表示をしている自分にも驚いてしまった。
大人しくなった美羽をイエランは寝室へ運んで下ろした。
そして自分はさっさとベッドに入ってまだ血が止まらない右手を上げた。
「何をしている、早く来て手を温めろ」
自分で勝手に掴んで怪我をしたのに、まるで美羽のせいみたいな態度だ。
そんなイエランに美羽は段々と腹が立って来た。
しかも本当に寒い。寝床は暖かいだろうが寝室の中は暖炉の火も小さくなっていて寒くなっていたのだ。イエランは厚かましくもその寝床に入れと言っているようだった。
(・・・・やっぱり部屋に戻ろうかしら・・・でも・・・)
美羽はそう思ったがやっぱり心配で出来なかった。ずっと血が止まらなかったらと思ってしまう。
仕方なくイエランの右側からさっとベッドへ入るとその手を両手で包んだ。ハンカチが吸った血は冷たく、その手も氷のように冷たくなっていた。
美羽は無意識に自分の身体に引き寄せ胸元で暖め始めた。
自然と身体も横向きで丸くなってイエランの身体にも触れそうになっていた。
仰向けになっていたイエランだったが美羽の方へ身体を向けた。
美羽が、はっとして顔を上げると彼の鼻先がすぐ目の前だった。整った薄い唇も見える。
自分は何て馬鹿なのだろうと思った。
つけ入る隙をこんなに作っているのだから何をされても可笑しくなかった。
(つけ入る隙?)
そんな言葉も馬鹿な考えだ。彼は自分に何をしても許される身なのだ。
こちらが拒めるものでも、拒んで止めてくれるものでも無かった。
嫌という程分かっているのに・・・・イエランは最初抱かれに来たのか≠ニ聞いた。そんな感覚だろう。彼にとってこんな事をしている自分は、そう思われても仕方が無いような行動をしているのだ。
淫売≠ニ罵られた事もあった。義父の玩具・・・・彼はそんな風に思っているのだ。
イエランの左腕が動いた。美羽はやっぱりと思ってぎゅっと目を瞑った。
その左手は背中を抱き寄せる。美羽の背中がびくりと震えた。
「そうびくびくするな。逆に刺激される・・・今日は手が痛くてお前を抱く気もおこらん。だから良く眠れるように暖めてくれ」
それは嘘だった。傷の痛みなど関係ない。美羽の柔らかな肌に直接触れれば理性は飛んでしまう。
獣になる猛牙族 でもないが獣と化すだろう。ただ欲望を彼女に穿 って悦 びを貪 る獣になる。
(そうすれば更に嫌われて万々歳だ!)
―――しかし今夜はそれをしたくなかった。
もっと嫌われろと命令する擡 げた鎌首は寸前で押さえ込んだ。
何故か自分を心配する彼女に嫌がることをしたくなかったのだ。
それからイエランは美羽の暖かさに珍しく深い眠りについたようだった。
美羽の方は逆にイエランの胸に抱かれるような状態で眠れるものでは無かった。
規則正しい呼吸をする憎らしい天眼の王を間近で見続けなければならなかった。
そして彼が前で左右にかき合わせて着ている夜着のはだけた胸元が目に入ってきた。均整のとれた体躯 の感触が否応なしに伝わってくるようだった。
先日のイエランは着衣を乱す事なく美羽を抱いた。
考える余裕は当然無かったが今思えばこの体で抱かれたのだ。
(この体が私の肌と触れあったら・・・)
どんな感じなのだろうか?と美羽はふと思ってしまった。
そう思った途端真っ赤になってしまった。
なんと破廉恥な事を考えるのだろうかと自己嫌悪に陥ってしまう。でもドキドキするのだ。
義父は軍人だけあって、自分の体躯を自慢していたが美羽は嫌で堪らなかった。肌を合わせる度に気持ちが悪くて吐きたい気持ちを我慢したものだった。
でもイエランは何故か触れてみたい気がするのだ。
だから彼の夜着から覗く胸に何と無くそっと手を伸ばして触れてみた。その肌は冷やりとしてなめらかで、押し返すような弾力が指先に伝わってきた。引き締まった筋肉が張り付いている。
(・・・・すごい・・気持ちいい・・・)
美羽は体の奥から熱いものが込み上げてくるようだった。
だが恐怖も思い出して、ぱっと手を離した。
大きくて鋼のような体躯・・・あの日の事を思い出しただけでも、ぞっとしたのだ。この自分より遥かに大きな体躯が自分に圧し掛かり、その分身に激しく突かれて揺さぶられたのだった。
でもイエランの愛していた許婚はもっと酷い目にあっていた。同じようにされても仕方が無い。
(やっぱり報復の対象・・・)
そう思うと胸の奥がズキリと痛んだ。
イエランは美羽の片手が離れたのを感じたのか、彼女の手で包まれていた手のひらをその手の中で仰向かせた。そしてその長い指が彼女の指に絡んできたのだ。
彼の大きな手が逆に美羽の手を包み込んだ―――
美羽は彼が目覚めたのかと思ってぎくりとした。悪いことをして見つかった子供のようだ。
しかしイエランは眠ったままだった。美羽は緊張を解いてほっと息を吐いた。
色々考えていると何時の間にか夜が明けてきたようだった。イエランは本当にぐっすり眠っているようで、美羽がそっと腕の中から抜け出しても気がつかなかった。
部屋に帰ろうかと思ったが、もう一度昨日の件を確認したかったので彼が起きるのを待つ事にした。
今日は珍しく晴れのようだった。朝日が雪景色を煌かせながら昇っていく。
窓にその朝日が差し込み始め、美羽は外を見ながら背伸びをした。ついでに背翼も出して広げる。
何時もは邪魔だから出していないが背伸びと同じく、時々出して広げると気持ちが良いものだ。
その時、イエランが目を覚ました。
(もう朝か?)
不覚にも熟睡してしまった自分に驚いてしまった。そして眩しさに瞳を細めた。
朝日を更に反射させるものが窓辺にいたのだ。それは翼を広げた美羽だった。
彼女は朝の柔らかな光りを全身に浴びて輝いていた。雪の様に白い大きな翼は天眼の地のどの雪景色よりも美しかった。
「・・・・本当に美しい羽だ・・・きれいだな・・・」
美羽ははっとして振向いた。
(何?今、羽がきれいとか言ったの?)
確かにイエランがそう言ったのを聞いた。彼がじっと自分を見ている。
それも翼を?美羽は恥ずかしくなって翼をしまった。
そうするとイエランの視線がすっと横に流れた。
(やっぱり翼を見ていたのかしら?)
美羽はメラ達が言っていたのを思い出した。
イエランがこの白い翼をきれいだと思っているとか言っていた。
美羽はまた翼を出してみた。するとやっぱりイエランの視線が戻ってきたのだ。
美羽は何だか嬉しくなった。
出したり入れたりを繰り返していると流石にイエランが変な顔をした。
「いったい何をしているんだ?」
美羽は可笑しくなって笑った。
イエランは驚いて朱金の瞳を見開いた。
その様子がまた可笑しくって美羽は更に笑った。
昨日はその瞳が埋め火のようで怖かったけれど今日はそんな感じじゃなかったからだ。
「いったいどうしたんだ?」
イエランが不機嫌な顔をして寝床から這い出した時に、奥の寝室まで聞こえるぐらい廊下で騒いでいるものがいた。そして王の居室でもある扉をドンドンと叩く非礼も聞こえて来た。
流石に中へは入って来ないようだが、イエランはすぐさま飛び起き、寝室から出て主部屋の扉を開けた。扉の外には周辺を警備する衛兵達とリンド姉妹だった。
「何事だ?」
「も、申し訳ございません。このような早朝に・・・あっ!」
メラが真っ青な顔をして用件を言っている間に、イエランの後を追ってきた美羽の姿が目に入った。
「ミウ様!」
「メラ?ルルナも?―――あっ!ごめんなさい!私・・黙って」
「メラ、探し物はこれか?」
イエランは美羽を示すように顎をしゃくった。
「は、はい!誠に申し訳ございません。まさか此方にいらっしゃるとは思わなくて・・・お騒がせ致しまして申し訳ございませんでした」
メラが深々と頭を下げた。ルルナもそれに見習った。
王を早朝から叩き起こすなんてとんでもない失態だ。
それに美羽から目を離すなと言われていたのに、簡単に抜け出されてしまったのだ。
「怠慢だな、お前達」
イエランの冷たい言葉に姉妹はすくみあがって一層深く頭を下げた。
王からは美羽が部屋から出る時は絶対一人にするなと厳命されていたのだ。
「ご、ごめんなさい。私が悪いんです。二人に内緒で夜中に抜け出したのだから・・・二人は悪く無いのです!私が悪いんです!罰するのなら私に。本当にごめんなさい」
美羽は二人を庇うように前に立つと、必死訴えて深々と頭を下げた。
イエランは呆れたように溜息をついた。
美羽は、え?と思って彼を見上げた。イエランがまた笑んでいたのだ。
あの微妙な微笑み―――
「全く、お前は人を庇ってばかりだな。不問にするのは今回だけだぞ。今度二人に内緒で何処かに行ったらお前では無く、二人を罰する。いいな。例え私の寝床に入りたくなって来たとしても抱かれてきます≠ニ言って来るようにするんだな」
美羽は真っ赤になった。
「そ、そんなことしません!」
むきになって言う美羽の顎をイエランは持ち上げた。
「なかなか良い顔をするようになったじゃないか。怒って笑って泣いて・・・良い顔だ。お前はもう人形じゃないんだ。まあ、私の玩具だけどな」
玩具と言われて美羽はかっとした。
「良い顔だ」
イエランはもう一度そう言うと、くいっ、と美羽の顎を上にあげた。
そして掠 めるような口づけを美羽の唇に落とすと扉の外へ突き飛ばした。
「黒翔へは明日出発する。用意しておけ」
イエランは簡潔にそれだけ言ってパタンと扉を閉めた。
いきなり追い出された美羽は唇に指を当てて呆然としてしまった。
一瞬ふれたイエランの唇の感触がまだ残っているようだった。
否応無しに深い口づけは何度もしているのに、この軽く触れただけの口づけが何故か心が騒いだ。
彼が妙に優しかったかもしれない・・・・
だけど安心した。約束は守ってくれるのだ。
美羽は昨晩からざわめく不可思議な気持ちは奥にしまった。そして心は故郷へと向ったのだった。
「上手くいったようね。人の心を操るなど容易いもの・・・少し弱い所を突けばあっという間に崩れるのだから・・・」
麗華はドーラからの報告を聞いて嗤った。
本当に簡単なものだった。ドーラの話をわざと美羽に聞かせるように仕組んだのだ。
それで美羽が動かなければ次の手も考えていたが呆気なくかかった上に、天眼の王がそれにこんなにあっさり乗るとは思わなかった。
「麗華殿、これであの女は始末してくれるのだろう?それにあっさりと殺さないでくれ。アルネと同じ目にあわせてくれ!」
ドーラの瞳には狂気の色が浮かんでいた。それを満足そうに見た麗華は微笑む。
「はい。もちろんでございます。それには段取りが色々ございますので後は私にお任せ下さいませ」
美羽達の出発に合わせて麗華も動いたのだった。
黒翔国と天眼国は隣接していると言っても隣り合わせとなっている地域は全体で言えば十分の一も無いだろう。二つの国の間には小国が隣接しているのだ。
一番近い国境でもだからまともに行っていたら日数がかなりかかる距離だ。
その上、冬の季節に慣れない美羽にその行程は無理だろうと思ったイエランは天眼の術を使った次元移動を使う事にした。少人数なら天晶眼を使わなくても時間はかかるが、次元を操れる数人の力で行き来出来るのだ。
「用意は出来たか?」
翌朝早々にイエランが美羽の部屋にズカズカ入って来るなりそう言った。
しかもそこは寝室だった。主部屋に居なかったから奥へと入って来たのだろう。
「きゃーっ」
美羽は小さな悲鳴を上げた。着替えている途中だったのだ。
「なんだ。まだ着替えてもいないのか?早くしろ」
イエランはそう言っただけで出て行く気配も無く、窓辺にもたれかかって美羽を見ていた。
美羽は夜着を脱いだばかりの裸同然で恥ずかしくて厚顔な王を睨んだ。
「なんだ?恥ずかしいのか?ハッ、お前の裸など何度も見て慣れたもんだ。時間がもったいない、さっさと着替えろ」
美羽はその馬鹿にしたような言い方にむっときた。
しかし嘲りながら開いた右手の包帯が目に入ると、また心配する気持ちがよぎった。
大丈夫だったのだろうか?
(動かしているから腐ってはないみたい。でも指はちゃんと動くのかしら?深く切ると動かなくなると聞いたことがあるけど・・・)
美羽は気になって着替えさせられながら、ちらちらとイエランの右手を見ていた。
(何だ?こっちばかり見て・・・右手?)
思えばあの夜はイエランが驚いた程、彼女はしきりに怪我を心配していた。
イエランは右手の指を無造作に動かしてみた。引きつるような痛みが走る。
ロエヌからは呆れられ阿呆とまで言われた。意外と深かったようで縫い合わされたのだった。縫合が安定するまで右手は暫く使うなと言われてしまった。
「何だ?右手が気になるのか?そんなにじろじろ見て」
美羽は、はっとしてそっぽを向くと顔を赤くした。
「傷は深くて縫ったが塞がるまで安静だそうだ」
美羽は、ぱっとイエランを心配そうに見た。
「何だ?心配してくれるのか?それともいい気味か?」
「し、心配もしていませんし、い、いい気味とも思っていません・・・兄様が・・・兄様が前に剣術の稽古で同じような怪我をしたから・・・」
美羽は言いながら自分は何を言っているのだろうと思った。兄の事を一々言う必要も無いのにと。
でも自分がイエランの事をまるで心配しているように思われても嫌だったから言い訳だった。
「愛しい兄君を思い出したという訳か?まあそんなものか・・・しかし弱虫の兄君はさぞかし泣いてお前の手を握って離さなかっただろう?」
イエランの声が落胆したように聞こえるのは気のせいだろうか?と思った。
しかし次に兄を馬鹿にされて美羽はかっとなった。
「兄は弱虫なんかではありません」
言ってしまってはっとした。反抗的な態度をとったのだ。
しかしイエランはそれに対しては何も言わず、もっと酷いことを言った。
「弱虫だろう?一人前の男の癖に妹を後から来た簒奪者の手から守れず、自分は母親のスカートの後ろに隠れていただけの腰抜けじゃないか」
「に、兄様は、私を絶対助けてくれるって約束していたもの!腰抜けなんかじゃないわ!」
横で仕度を手伝っていたメラも驚くぐらい美羽は大きな声で言った。
こんなに怒る彼女を二人共初めて見たのだった。
「どうだか。案外お前の兄も不能だったりしたのかもな。男じゃないなら仕方が無い。妹一人守れないなんてどんな奴か拝みたかったものだ。首を氷漬けにして持って帰らせれば良かった」
美羽は真っ青になって怒りで震えた。
兄を侮辱したうえ首を晒せば良かったと酷薄に嗤いながらいう王が許せなかった。
「あ、あなたの手なんか腐ってしまえばいいのに!そして死んでしまえばいい!」
「ミ、ミウ様!」
メラが慌てて止めるように美羽の腕を引いた。
王に対しての暴言。敵国の姫が許される類のものでは無かった。敬愛する王は美羽には苛烈で冷酷だ。時々、優しさを垣間見る事があっても気まぐれのようなものだろう。
美羽の暴言を受けた王はやはり冷たい表情で美羽のところへ一歩一歩ゆったりと歩いて来る。
猛獣が狙いを定めた獲物に間合いを狭めていくようだった。
「メラ、お前はもういい、下がれ」