第四章 密林の国3

 
 美羽はとにかく逃げようと思った。
場所を確認しようと重たい鎖を引きずって、その長さの限界まで歩いてみた。しかし外へ出られそうなのは猛牙の王子が出て行った扉だけだった。後は数本の柱と壁だけだ。森閑とした室内は牢獄のようだった。汗ばむくらい気温が高いというのに美羽は寒さを覚え自分で自分を抱いた。
その時、チリンと音がした。なんとか髪の端に引っかかっていたあの髪飾りだ。

「あ・・・・」
美羽は震える手で髪に絡んでいたそれを外して見つめた。手のひらにのった白い雪のような花は美羽を元気つけてくれるような気がした。危ない時にこの音が鳴り美羽を助けてくれていたからだ。そして・・・
『どこにいるか直ぐに分かるように何時も付けていろ―――』
と・・・イエランが言っていたのを思い出した。

(どこにいるか本当に見つけてくれるの?)
今回は無理だと思うのに美羽はその飾りを髪に付けなおして頭を振ってみた。
チリン、チリンと可愛らしい音が寂しい部屋に鳴り響く―――
美羽の頬にいつの間にか涙がつたっていた。寂しくて堪らなかった。黒翔でも何時もひとりぼっちだったのにこれ程、寂しいとは思ったことは無かった。何故なのか分からない。ただ涙が出てしまうのだ。

 それから食事や水が一日に一回与えられるだけでまる五日は経った。
このまま忘れ去られるかと思っていた矢先に、数人の召使い達が現れ美羽の足枷を外して腕を引っ張った。何処かに連れて行こうとしているようだった。

「ど、どこに行くのですか?」
美羽は彼女達に聞いたが答えは無かった。
ただ促されるままその部屋を出て行かされ向った先は湯殿だった。着ていたドレスを脱がされるのは抵抗しなかったが、髪飾りに手が伸びてきた時はその手を思わず払ってしまった。

「これは駄目!」
召使いは、むっとした顔をしたが美羽が必死で抵抗するので諦めたみたいだった。
後で返すと言って美羽の見える場所に置いてくれた。
それからどろどろだった髪から身体を、隅から隅まで磨き上げられ、猛牙国(もうがこく)の女性の衣装を着せられてしまった。その衣装は男性用もそうだが暑い気候のせいか殆ど裸に近いものがある。女性は流石に胸と下腹部に布はあるが、肩や腕はもちろん胴も丸出しだった。腰には薄くひらひらした布を巻いてはいたが、あっても脚はほとんど見えているのと変わりないだろう。
黒翔国は温暖で薄着だがここまで肌を露出するのは踊り子か娼婦ぐらいだった。
着慣れない服に美羽は恥ずかしくて、何処かに隠れたい気持ちでいっぱいになった。でも返してもらった安心のお守りである髪飾りを付けると少しは勇気が出たようだった。
そして連れて行かれたのが・・・・

「王子、お待たせ致しました」
「どれ、見目良くなったか?溝にはまったような女では酒宴に侍らせても楽しくないからな!」
そこは戦勝祝いの宴席のようだった。美羽が放置されていたのは戦いに出ていた為らしい。
男達に華やかに着飾った女達がその場を盛り上げているようだった。
サガンはもう既にほろ酔い気分のようで赤い顔を美羽に近づけて、舐めるような視線で美羽を見た。

「白い肌は気味が悪いと思っていたが・・・なかなか・・・」
「ひっ――っ」
美羽は小さく悲鳴をあげて息を呑んだ。サガンが彼女の細い首に手をかけて胸元へ撫で下ろしたのだ。
美羽は首を絞められるかと思ってしまった。
彼の手は大きく片手で簡単に美羽の首をへし折る事が出来るだろう。
美羽は怖くてガタガタと震えだした。

「サガン、それがあの名高い黒翔の姫か?」
宴席の中央から声がかかった。サガンは美羽から視線を外しその声の主へ振り返った。

「そうだぜ、親父殿!各国の貴人達が黄金を積んで欲しがったあの美姫さ!」
「ほう・・・ちと細い感じがするが確かに美しいじゃないか・・・成程」
猛牙国の王子が父と呼ぶからにはその男は猛牙国の王だろう。
見かけは他の者に比べて随分小柄のようだった。猛牙族はもともと男も女も大柄なものが多い種族だ。そして彼らは獣に変化すると云われている。だから彼らは獣のように俊敏で強靭な肉体と、法国の傀儡の媒体を感知するほどの嗅覚と動体視力に優れていた。

サガンは王が美羽へ関心を寄せたのが気に入らなかった。

「親父殿、これは俺の獲物だ!こい!女!」
サガンは父親に釘を刺し、美羽の腕を引っ張ると自分の横に座らせたのだった。

「女!酒を注げ!」
美羽は酒瓶を持たされて酌をさせられた。
酔っ払い始めたサガンは美羽の肩を抱き更に体を寄せた。彼の酒臭い息がかかり、美羽は何時も酒の臭いをさせていた義父を思いだして吐きそうだった。抵抗するように肘で男の体を押した。

「は、離れて下さい!」
「何だと!俺に逆らうのかっ!」
美羽はその怒鳴り声に、びくっとしたがそれでも反抗した。

「私に近寄らないで!」
「女!大人しくしないならこの場で犯してもいいんだぞ!いい余興にもなるからな!」
サガンのその声を聞いた周りの者達が、やんややんやと喝采している。
美羽はぞっとし
た。
よく見れば何組かそんな状況に陥っている者達が広間にはいた。それもどうみても合意では無い様子だ。男が酔った勢いで召使いの女を犯しているのだろう。噂以上の恐ろしく野蛮な一族みたいだ。
美羽は仕方なくひたすら我慢した。肩を抱かれその手が着衣しているとは言い難い布の上から胸を(まさぐ)られても唇を噛んで耐えた。そして心の中で叫んだ。

(嫌!嫌!嫌!こんなの嫌!)
大人しくなった美羽には興味が無いのか、サガンは酌だけをさせて浴びるように酒だけを飲んでいた。そして驚く程、皆が酒を飲んでいた。酒宴もたけなわで隣のサガンも完全に酔っ払ったようだった。
美羽に絡んでいた腕も何時の間にか離れていた。目の前では踊り子達が狂ったように踊り、耳が痛いぐらいに響く音楽。誰もがそこにいる一人がいなくなっても分からない状況だった。

(ここの踊り子はもっと凄いのね・・・)
自分の格好が踊り子みたいだと思ったが、彼女達は上半身裸だった。そして何か煌く粉を全身に塗っていた。浅黒い肌にそれが艶かしかった。

「酒だ、酒!酒を注げ!」
サガンが怒鳴ったが、美羽の持っていた酒瓶はもう空だった。
召使いがいないか見てももう誰が誰なのか分からない有様だ。立ち上がって周りを探してみた。
そしてはっとして振向く。自分が離れているのにサガンは気がついていないようだった。
もちろん周りの者達も・・・
美羽はゴクリと唾を飲み込み、そっと外へ外へと離れて行った。
運良く誰からも見咎められずに宴席の広間を抜け出せた。熱帯地方だから城は開放的で建物から外へ出るのは簡単だった。外と言っても城の敷地内だろう。
美羽は辺りを見渡した。
黄金色をした石の支柱がそびえる建物が隣合わせで幾つもあるが城壁らしいのは見えなかった。

(とっても広いのかしら?飛んでみたら・・・)
美羽は駄目だと首を振った。そんな目立つ事は出来ない。
城壁を見つけてその時に一気に飛び立てばいいのだ。
美羽はとにかく一直線に走った。そうすれば端に辿り着けると思ったのだった。
しかし道が行き止まりになり一つの建物が目の前に広がった。南国の花が雄々しく賑やかに咲き誇る花園の中にその建物はあった。明らかに他とは違う場所のようだった。
美羽は仕方なく横道にそれようとした時、彼女の腰布が引っ張られた。

「だぁれ?」
その声にも驚いて振向くと四、五歳の女の子が美羽を見上げていたのだ。猛牙族の子供だった。
しかも身なりからすると・・・

「おい!いたぞ――っ!こっちだ!」
美羽は、ぎくりとした。

「も、もう見つかったの?」
走りだそうとする美羽だったが子供が手を離してくれない。

「みつかったって?なぁに?」
「ごめんなさい!私、急いでいるの」
振り払って行こうとした時、男達が現れたのだった。

「いたぞ!王女だ!」
美羽はもう駄目だと目を瞑った。

「いや――っ、はなして―っ!いや――っ」
子供の泣き叫ぶ声?

「おい、この女どうする?」
「今晩は宴席で後宮の女達が出払っているかと思ったら、上等が残っているじゃないか。どうせ王か王子の妾だろう?帰って慰みものにして死体でも送りつけたらいい」
「はははっ、そりゃそうだ!いいな、それっ!」
美羽は目を見開いた。数人の男達が子供を拉致し、美羽を取り囲んでいたのだ。
彼らが見つけたと言ったのは子供の方だったのだ。彼らは王女と言っていた。男達は瞳の特徴と肌の色からして猛牙族だと思うのだが頬に数本、鮮やかな色の塗料を塗っている。猛牙国は色んな部族の集団だからその中の一つだろう。
男の一人が美羽を抱えあげた。

「や、やめて下さい!い、嫌――っ!」
「声が可愛らしいじゃないか?んん?」
男が美羽の顎をとらえると顔を近づけてきた。

「おい、おい、そんな暇ないだろう!早いところ行こうぜ!」
「ああ、気づかれないうちにな」


「王――っ!大変です!門兵が殺されています!後宮の番兵も同じく!賊が侵入しております!」
「何だと!馬鹿な!何やってたんだ!」
宴席に駆け込んだ兵の興奮した声に、いち早く反応したのはサガンだった。
いきり立った彼は、くらりとよろめいた。酒のせいで足を取られたみたいだった。
そして下を見たサガンが目を剥いた。

「いない?」
サガンは急いで周りを見渡した。周辺は男も女も酔って前後不覚になっている。

「何処に行きやがった!あの女!ちきしょう!おいっ、水だ!水を甕いっぱい持って来い!」
水がいっぱいに入った大甕をサガンは簡単に持ち上げた。
その重量で腕の筋肉が盛り上がっていた。猛牙族は腕力も桁外れに強いのだ。サガンはそれを頭からそれを被った。そして首を横に数度振って、かき上げた髪の間から見える双眸は酔いが抜けて、ぎらぎらと光っているようだった。

「皆に水をぶっ掛けろ!正気になった奴はついて来い!賊と逃げた女を捕まえるぞ!」
サガンはそう怒鳴りあげると外へ飛び出した。
そして迷わず真っ直ぐ美羽が辿った道を駆け抜けた。その速さはまるで疾風のように走る獣のようだった。美羽の匂いは賊が侵入した後宮から匂ってきていた。

(あの女を取り返しに来たのか?)
サガンは美羽が通った道の嗅ぎわけは出来たが、風向きが反対で賊の臭いは判らなかった。
しかし城壁でその姿を見た時は、それが間違いだということが分かったのだった。
サガンは叫んだ!

「ユーシャ――っ!」
「うわーん、おにいちゃまぁぁ――っ」
サガンの声を聞いて、泣き疲れ始めていた子供が再び泣き出した。

「ちっ、もう気付きやがったぜ!」
美羽達は城壁の上に立っていた。
城壁と言ってもそんなに高くない。ただし壁が高く無くてもこの城自体が絶壁に建っていたのだ。
下を見下ろせば遥か遠くに密林が広がっていた。危険な動植物の多い場所で人々は木の上や切り立った岩山で生活をしている国だった。
その最も高い位置にこの城はあったのだ。だからこの地へと移動するのは容易では無い。
それを可能にするものこそ神の遺産――翼を持った獅子。エンライだ。この繁殖と飼育は王家が独占して管理しているものだった。

サガンは賊が何者かその風体で直ぐに分かった。

「お前ら!」
「おっと、動くんじゃない。こっちにはあんたの大事な、大事な妹がいるんだぜ!」
「そうだとも!俺達に勝ったと思って祝杯あげていたんだろうが、俺らはまだ負けちゃいねぇ!お前らが勝ったのは俺らに見せかけた他の部族さ!これからゆっくり要求は言ってやるが、もし逆らったらこのチビの指、一本ずつ送ってやる!」
サガンは歯軋りをした。
ユーシャは彼と母を同じくする歳の離れた妹だった。出産でその母が死んでしまった哀れな妹をとても大切にしていたのだ。気性の荒い彼が唯一心を許し、可愛がる存在は周知のことだった。

「――もうここからは逃げられないぞ!妹を放すなら見逃してやる!」
「あっーはははっ、馬鹿か?そんな事をした途端、射殺されるだろうよ!俺らがどうやってここに来たと思ってるんだい?こんなお荷物連れて帰るのによ?」
その時、風がうねった。

「まさか!」
そのまさかだった。エンライが城壁の下から現れたのだ。
他の部族が持つなど有りえなかった。数は管理されてあり、万が一、何処かで繁殖させたとしてもこの獰猛な獣を従順に躾けるのは不可能だった。その飼育も秘伝だったからだ。

美羽とユーシャを連れた賊達がその背に跨って城壁を飛び上がった。
大柄な彼らが五、六人乗っても平気な生き物は翼を広げればその大きさは空を覆うようだった。
兵達が彼らに向って射かけ始めた。そんなもので殺せるものでは無い。エンライの翼は厚い皮で覆われ、胴体は矢じりを弾く剛毛なのだ。

「止めろ!矢がユーシャに当たる!」
今からでは自分達のエンライを出しても間に合わないだろう。
もう見ているだけしか出来ないのか?と思った時だった。
暴れて泣き叫ぶユーシャが賊の腕から、するりと抜けてしまったのだ。

「しまった!暴れやがるから!」
「馬鹿野郎!ぐずぐずしてたら、こっちがヤバイ!捨てて行け!」
「ユーシャ――っ!」
サガンが届かない手を伸ばして叫んだ。


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