第四章 密林の国6


「なんでこんなところに!」
猛毒のこの蜘蛛は強いものなら一瞬で牛を殺すことさえ出来るものだった。
昨晩の賊は毒蜘蛛などを扱う部族だった。その者達が後宮に押し入ったときに嫌がらせに巻き散らかしていたのだ。それがたまたま美羽の開けていた窓から侵入したようだった。
美羽は高暁が戯れにこの猛牙国に生息する蜘蛛を飼っていたから知っていた。
そして彼女の目の前で残酷にも罪人を殺して見せたりしたのだ。
以前同じように舌を噛み切ろうとしたがイエランから簡単に阻止されたのを思い出し、確実な方を選んだのだった。美羽は息が詰まり身体中の血が逆流しているかのように痛く熱かった。
そして遠のく意識に見えるのは天眼の空だった。

(・・・・・・きれいな天色(あまいろ)・・イ・・エラン・・・)
美羽は自分が誰の名を呼んだのか意識しなかった。ただ死んだら心だけは何処までも飛んで行けるのだろうか?とだけ思った。何処へ?との答えは無く―――

サガンは蜘蛛を踏み潰すと、腰に下げていた実のようなものを口の中に放り込み咀嚼して吐き出し、美羽の刺された場所にすり込んだ。そしてまた同じものを口に含み、今度は彼女に口移しで飲み込ませた。彼らの住む密林には毒虫や毒蛇など毒を持った危険なものが沢山いる。だから彼らは常にそれらの解毒剤を所持しているのだった。
サガンがそれを数度繰り返すと美羽の意識が少し戻ってきた。

「おい!しっかりしろ!おいっ!」
「・・・い、いや・・・あ、なた・・のもの・・になる・・く・・らいなら・・・しぬわ・・・」
真っ青になった美羽の唇から漏れる言葉は死をもってする拒絶だった。
意識が混濁している。解毒を直ぐに行なったとしてもかなり危ない状態のようだった。
サガンは再び意識を失った美羽を腕に抱き咆哮した。簡単に死を選んだのが許せなかった。
そうしてまで自
分を拒絶したのが許せなかった。しかし美羽を失うのはもっと許せないのだ。
「医者だ!医者を呼べ!」

「美羽・・・美羽――っ!」
叫んでもどうすることも出来ないイエランは歯軋りをするしかなかった。
彼女があの男に汚されようとした時、怒りで水晶宮を吹き飛ばしそうだった。辛うじてそうならなかったのはカルムの力によるものだろう。共鳴中の彼がイエランを何とか抑えたのだ。
そして時間切れだった―――
美羽の姿がぼやけだすとぷっつり糸が切れたように真っ暗になり視えなくなったのだ。

「消えるなっ!」
「イエラン、落ち着いて・・・私が視ているから。あっ、医者達があの男に怒鳴られながら治療しているよ」
イエランは苛立ちを隠せなかった。

「あの男は何者だ!」
「ちょっとまって・・・あの男は・・・猛牙の王子みたいだ・・・」
「王子だと?じゃあそいつが彼女を攫わせたのか!」
「それは違うだろう。猛牙族は法国嫌いで有名だから絶対に彼らとは馴れ合わない」
イエランがいきなり部屋の出口へと歩きだした。

「イエラン!何処に行くんだ?まさか猛牙国じゃないだろうね?」
イエランは返事をしない。立ち止まった足が再び歩き出した。

「いきなり路を開いて乗り込むと(いくさ)が始まってしまうよ。彼らは何しろ好戦的だから・・・まして彼が噂に名高い暴虐の王子だったら尚更だ」
イエランは歩みを止めなかった。だからカルムは再度咎めるように名を呼んだ。

「イエラン!君はこの国の王だ。その責任は全うするべきだろう?」
イエランがやっと振向いた。そしてくぐもった声で嗤ったのだった。

「王の責任?彼女を取り戻す為にそれが邪魔なら捨ててやる・・・兄上でも姉上でも私の代わりに王になればいい・・・」
「イエラン!何馬鹿なこと!そんなこと出来る訳無いだろう?そんなに大切なものなのか?私達よりも君を慕う臣下や民達よりも?」
イエランはまた嗤った。

「兄上、貴方はまだ知らないだけだ。何よりも自分の命よりも大切だと思う存在を――」
カルムは何時も思っていたことがあった。弟イエランは幼い頃からその強い力の片鱗を見せ、次の王は彼だと言われていた。だから何時も自分に厳しく、常に最良であるように
と努力していたのも知っている。早すぎる王の死もイエランのその努力で何ごとも無く引き継いだ。
彼は冷厳なる王と呼ばれるのに相応しい冷静で感情が無い仮面をしているだけだとカルムは思っていた。それがこんなに激しい心を持つ者だったとは予想出来なかった。
しかしカルムは微笑んだ。
それは皆をうっとりと魅了するいつもの優しい微笑みでは無かった。
冷たく儚い薄氷のような微笑―――いつ割れるか分からない薄氷の上に立つ恐怖。
そんな風に背筋を凍らせてしまうような微笑だった。

「待ちなさい、イエラン。私達の王は君以外にはいない。その君を惑わす彼女には死んでもらう」
そして低く冷たい声だった。表では温和で思慮深く弟の王を立てる兄であり、親しい者の前では陽気なお調子者のカルム。しかしドーラを追求した時にも、ちらりと見せた冷たく凍るような滅多に出さないもう一つの顔―――

そんな顔を出すカルムは本気だとイエランは悟った。美羽を助けてもきっとその後、カルムが彼女の息の根を止めるだろう。兄はやると言ったら必ずやる。しかもそれだけの力を持っている。
それでも・・・それならば・・・イエランに殺気が立ち昇った。

「―――美羽は殺させない。誰であろうとも・・・例えそれが兄であっても」
「この私を殺してでも?」
暖かい筈の部屋が一瞬で凍るような冷気がカルムから立ち昇っていた。反対にイエランからは全てを焼き尽くすかのような気が揺れている。

「イエラン、今私の手には天晶眼がある。今ならお前を一瞬のうちに木偶人形(でくにんぎょう)にするなど簡単なことだ。もしくはあの娘の記憶を全て消し去ることも・・・少しばかり記憶が曖昧(あいまい)になるが問題は無いだろう。さあ、どちらにする?選ばせてやろう」
カルムは手の中にある天晶眼を瞳の高さに掲げて見せた。彼の見えない筈の藍色の瞳は天晶眼の煌きを通してイエランの瞳を射抜くように見つめている。
天晶眼―――天眼族の力を増幅する神の遺産。
カルムの言うようにそれを使えば天眼国で最強を誇るイエランの力を凌駕するだろう。

「どちらも断る―――」
イエランは既に覚悟を決めていた。美羽に心を奪われた時からイエランは生きる喜びを知った。
物心ついた時から与えられた責任と義務だけの灰色の世界に舞い降りた愛しい者。
彼女の微笑みはどんなものよりも心浮き立ち、声はどんなものよりも美しい調べに聞こえた。
彼女は鮮やかな色を放ち生きる喜びを与えてくれたのだ。それを知った今・・・

美羽が居なくなるなどイエランは考えられなかった。
何よりも代えがたい存在―――それを奪う者はただ滅するだけ。

今にも爆発しそうな力が伝わった部屋の窓硝子は悲鳴のような音を出していた。
勝敗は一瞬で決まるだろう。しかしカルムの氷の貌が融けた。

「―――負けたよ。結構、私も本気だったけど・・・君の本気を見せてもらったよ。今迷わず私を殺そうとしただろう?ふふふっ・・・参ったよ。だから君について行くことにしよう。自由にしたらいい、その為の補助はする。君がこの天眼の王なのだから全てその意思に任せるよ。こうなったら猛牙国を攻め滅ぼしてもいいよ」
「・・・・・・・・・」
「あ〜信じて無いっていう顔だね?やるからには徹底するのが私の主義なんだ―――知っているだろう?七家が、ぐだぐだ言うんだったら私が黙らせる」
一瞬だけ氷の貌になった。そして融かして微笑む。

「ここは私が守るし、黒翔はリネアに。だからガツンと猛牙国に思い知らせてやるがいい」
「ああ、取り返して来る。あれは私のものだ!あんな畜生にやるものか!」
イエランはその部屋から飛び出すと王座のある中央府へと向った。
そしてその数段高い王座から大きな声を張り上げた。

「戦だ――っ、戦の準備をしろ!敵は猛牙国だ!」
王の一言で戦の準備が始まった。黒翔を攻めた時と同じく天晶眼を使い一気に大軍で城を包囲する。
ただし今回は美羽の救出が最優先だった。しかも彼女を人質にされれば身動きがとれない。
それならば最初自分を含めた少人数で美羽の下へ渡り、奪還した後、城を包囲するのが妥当だろう。

イエランの脳裏に美羽の蒼白な顔がよぎった。戦の準備もあるがあと数日、待つ必要があると思っていた。次元空間を捻じ曲げた路は健康体なら問題は無いが、衰弱した身体には負担が大きい。
まして外傷と違って身体中にまわった毒を天眼の力で移すのには時間がかかりそれも出来ない。
と、なれば美羽の回復をあの男に頼るしかないのだ。イエランにとって非情に腹立しいことだった。

(あの男も・・・彼女を?)
イエランは直感したのだ。あの男も美羽に自分と同じものを感じていると―――
胸が熱く(たぎ)れば滾るだけ頭が澄み渡るようだった。愚かな感情だけで動いて美羽を危険に晒すことは出来ないのだ。常に己を律していた天眼の王がそこにいた。誇り高い天眼族は他族から侮られることを嫌う。黒翔国でもそうだったが今回も神託に記された国にとって貴重な娘を不当に連れ出されたと知った今、反対する者は誰もいなかった。

 大国同士の永年続いた冷戦は終結を迎えたのかもしれない。
一石を投じたのは黒翔国王だったかもしれないが、それが波紋を呼んでいる。
一人の女を巡って既に黒翔国、天眼国、猛牙国、そして法国が動いているのだ。


「どうだ!助かるのか!助けられないのならお前達の首は飛ぶぞ!」
悪鬼のように怒鳴るサガンに医者達は、真っ青な顔をして治療に当たっていた。

「も、申しあげます。危険な状態は抜けました。後は毒が身体から完全に抜けるまで、発熱などございますが安静にしておれば大丈夫でございます」
サガンはその言葉を一句一句確認しながら聞いていた。本当だろうかと疑うかのように。
治療がしやすいようにとサガンの部屋に運び込まれた美羽は彼の大きな寝台で寝かされていた。確かに蒼白だった顔は今では赤味をおびている。
しかし息は荒く意識は無いようだった。時折、誰かの名を呼んでいた。

「分かった!下がれ!」
「は、はい。王子、くれぐれも安静にお願い致します」
サガンは、ぎらりと医者を睨んだ。
それと同時に医者達は飛び上がって部屋を逃げるように後にしたのだった。

広い部屋には美羽とサガン二人だけになった。
美羽は胸を大きく上下させながら息苦しそうにしていた。薄い賭け布をめくれば形の良い胸のふくらみが現れた。そして所々に付けた白い肌に浮かぶ赤い口づけの跡・・・
それを見るだけでサガンは体の芯が疼いた。命に別状は無かったのだから意識が無い今がチャンスだろう。意識を取り戻せば又、死ぬ程拒むのだから今が―――
伸ばしかけた手をサガンは引っ込めて拳を握った。

(いったい俺は何を考えているんだ!)
寝込みを襲うなんて卑怯な真似を・・・と思ったのではない。今までなら意識があろうが無かろうが関係無くやった。意識が無いからなんて道徳的なことを思うことが無かったのだ。
今までは欲しいなら気絶させてでも犯した。それが今、躊躇しているのだ。
医師達もサガンの気性を知っているから安静にと二度注意したのはそのためだった。
無理矢理連れ込んだ女を滅茶苦茶に犯し過ぎて、死にそうになったのを治療したことが何度かあったぐらいだ。またそうなって呼ばれても大変だと思ったのだろう。
しかし医師達はお互いに首をひねっていた。なぜなら王子自らが自分達を呼んで、側にいたことが無かったからだった。酷い目にあった女達を助けたのは近侍の者達だったのだ。
王子はやりたいだけやったら面倒な事は一切しない。だから不思議な光景だった。

苦しそうに息をする美羽をサガンは見つめた。
頑なに拒んだ唇が薄く開いて息を吸ったり吐いたりしている。薔薇色の唇が熱のせいで乾いていた。
サガンはそれに吸い寄せられるようにその渇いた下唇をぺろりと舐めた。
すると、ぴくっと美羽の瞼が動いたようだった。
しかしそれに構わず誘惑に負けたサガンは、美羽の開いた唇にそっと舌を滑り込ませた。
美羽は夢を見ていた。今までの事は全部夢で朝起きると天眼国だったのだ。
しかし身体がだるくて頭も芯がぼんやりしていた。
風邪だろうか?と美羽は思っていた。段々息も苦しくなってきた。頭が真っ白になる感じ?

(あ・・・これは・・もしかして口づけ?)
美羽は優しく口の中を探るように動く舌を感じた。
もちろんこんな事をするのはあの人しかいない―――
しかも今日は優しい方?美羽はイエランが分からなかった。まるで責めるような口づけをしたり、罰するかのようにしたり・・・恋人にするみたいな甘い口づけをする時もある。何を考えているのかは分からないが、彼は自分を自由にする権利があるのだから仕方が無いと美羽は思っていた。

(今、彼がしているの?それとも夢なの?)
美羽は分からなかった。しかし前回、イエランが教えてくれた通りに口づけを返し始めた。
あの時彼の声が耳元で甘く囁いていた
もっと舌を出して絡めて強く吸うんだ≠ニ―――
あの時、言われた通りにするともっと気持ちがよかった。
だからその時もしたように重い腕を伸ばして彼の頭を抱いた。もっと深く重ねてもらうように。

サガンはまさか美羽から口づけが返ってくるとは思わなかった。意識が戻ったのかと思ったが彼女は夢うつつの状態だった。拒んでいた唇が開いたのだ。もう何故?など考える余裕は無かった。
まるでその行為を覚えたての少年みたいにただ夢中で口づけた。

「ぁっ・・・・んん・・はぁ・・」
息が苦しいと美羽は思った。激しい口づけの時はいつもそうだが今日は特に苦しいのだ。
空気を求めて唇を外そうとしても、頭を押さえつけられて自分で離れる事が出来なかった。
「ん・・・う・・・んんっ・・」
(ざらりと触れ合って絡む舌・・・?)
美羽は可笑しいと思った。口づけの感触が違うのだ。舌がいつもよりもっとざらざらとしているし絡み方が違うようだった。ぼんやりとしていた頭が少しはっきりしだした。
そして美羽が見たのは唇を重ねているのはイエランでは無くサガンだったのだ。

(違う!違う!違う!ちがう!)
美羽は瞳を大きく見開いた。そして違う≠ニ叫びたかった。

「うっ・・・・・うううっ・・・」
美羽はサガンに唇を塞がれたまま拒み始めた。
力の入らない身体を必死に動かして抵抗し始めたのだった。

「う・・いぅ・・やぁ・・・うううっ」
美羽は塞がれた唇から必死に声を出そうとした。
そしてその唇が解かれてもサガンはもう止まれなくなっていた。

「急になんだ!ああ…正気になったって訳か?夢心地であいつにでも抱かれているつもりだったのか?」
美羽の熱のある顔がもっと赤くなった。
それを見たサガンは当然、怒りに顔を歪めた。激しい欲望と嫉妬に身を焦がしているようだった。
腰布の下で再び(もた)げ始めた欲望は、はち切れんばかりに放つ場所を求めている。
もちろん美羽の中へと―――

サガンは医師が忠告した安静にと言われた言葉などその欲望の前では消し飛んでいた。
美羽も今度こそ駄目だと悟った。身体がまだ痺れていて舌を噛みたくても噛み切る力はなかったのだ。
しかし安静にという医師の判断は正しかった。興奮した美羽は、ひゅーっと変な音を出して呼吸困難に陥ったのだった。次第に蒼白くなっていく顔にサガンも同じく青くなっていった。結局、医者達は呼び戻されて再び治療となったのだった。



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