最終章 神国の扉2


 イエランの指が唇に触れた。

「この唇も奴に許したのか?」
美羽はびくりと震えた。イエランの瞳が紅蓮の炎のように揺れていたからだ。
美羽の答えを待たず、その唇へイエランは唇を重ねた。
全てを奪い尽くすような激しい口づけだった。美羽は口腔を深く探られる濃厚な舌の動きに頭の中が霞んできた。交じり合う唾液が飲み込めきれずに唇の端から伝い落ちていく。
冷たいイエランの手が胸のふくらみに触れ、美羽はびくりと震えた。しかし撫でられるうちに体温が移り美羽の肌に馴染んでくる・・・

「はっ・・・・・ぁ・・・んん」
貪るような口づけとともに胸をまさぐられ、指に引っかかる頂はその指の間で捏ねられた。
美羽はむずむずとした快感に酔いしれると、いつの間にか自ら舌を差し出していた。
それにイエランの舌が絡み舌先を強く吸い上げる・・・

「んん・・・・っんん」
そして急に口づけを解いたイエランが美羽の耳朶を噛みながら囁いた。

「奴にも同じようにしたんじゃないだろうな?」
美羽は、ぱっと赤くなってしまった。
熱にうなされイエランと間違えて、サガンと同じような口づけをしていたのだ。

「・・・・やったんだな・・・」
イエランの瞳がすっと細められた。

「そ、それは――っ・・・あっ・・・」
再び乱暴に唇を奪われた。呼吸さえも奪い取るかのような口づけ―――
美羽はもう何も考えられなくなっていた。だからイエランの瞳が嫉妬で揺れているのを見てはいなかった。見ても何故?と思うだけかもしれないが・・・・

イエランは美羽の肌にあの男が付けた跡を見て、身体中の血が煮えたぐるようだったのだ。
彼女が悪く無いのは十分わかっているのに・・・自分の感情を抑える事が出来なかった。
口づけた美羽はいつもより体温が高かい。熱があるのだろう。
その彼女が口づけを返し始めた時、歓喜と嫉妬が膨れ上がった。
このまま体調の悪い美羽に無理強いしそうになってしまった。だが彼女の中に入りたいという欲望の兆しを必死に抑えた。だからその熱を冷ます代わりに口づけを深めた。

(美羽・・・愛しい美羽・・・愛している・・・愛している)
イエランは心の中で何度も何度も繰り返しそう呟いたのだった。

長い口づけの後、美羽は安心したのかイエランの腕の中で、うつらうつらし始めた。

「眠たいのか?」
「・・・・・・い、いえ・・・」
違うと言いながら美羽の瞼は落ちてきた。
その閉じてしまう瞼の隙間でイエランの微笑みを見たような気がした。

(優しい・・・顔?・・・)
「眠ったのか?」
美羽の返事は無い。イエランは見間違えでは無く微笑んでいた。そして溜息をついた。

「しかし目の毒だな。カルムが見るのも許せないし・・・」
イエランは自分で彼女を裸にしたのに機嫌悪くそう言うと、自分のマントを外し美羽の身体に巻きつけた。そしてその時初めて美羽の髪に咲く、白い花の飾りに気が付いた。

「これは・・・・」
彼女は黒翔から帰って来てから何時もこの飾りを付けていた。天眼の地から美羽が攫わ
れた時からずっと共にあったのだろう。この状況下でこの飾りがあるとは思わなかった。
「付けていろ、と言ったからお前はずっとそうしていたのか?違うな・・・やはりこれが好きなんだろう?雪の花か・・・そうだろう美羽?」
眠っている美羽は返事をしない。それでもイエランがふと微笑んだ時、屋外で殺気を感じた。
「奴が戻ってきたのか?」
イエランは傷の違和感の残る右手に剣を握り外へ出た。

(仲間を連れて来たという訳か・・・三人?嫌、五人か・・・)
外はすっかり陽が落ちていた。音も無く近づく彼らは殺しを専門にする者だろうとイエランは察した。しかし脅威とは思わなかった。天眼を開いたイエランに彼らは近寄ることすら出来ないのだ。
しかし彼らに構っている間に後ろの方で軽い羽音がした。イエランは美羽が出てきたのだと思った。
前方の兇殺者達に注意を払いながら、後方にちらりと視線を移した。
やはり美羽が背翼を広げて立っていた。中に入れと言おうとした時、

「何!」
美羽の後ろに漆黒の背翼を広げた男がいたのだ。そして二人はふわりと舞い上がった。
その男が美羽の手を引いていた。無理矢理では無く、極自然に当たり前のように・・・

「美羽―――っ」
イエランの叫びに美羽は振向いた。
イエランの天眼がその前方を行く男を狙ったが、それを察した美羽がその男にしがみついて邪魔をした。そして駄目だと言うように大きく首を振っていた。
その時、何時もしっかり付いていた白い花飾りがするりと地面に落ちた。

「ごめんなさい・・・」
兇殺者達はいつの間にか消え、美羽の声が静かな夜陰に響いた。

美羽は自らの意思で去って行った。それも黒翔の男と・・・・顔見知りのようだった。その男が密かに美羽を説得し連れ出す時間を作る為に、兇殺者らはイエランを誘い出し時間を稼いだのだろう。

イエランはふらふらと美羽が落した雪のように白い花飾りを拾い上げた。
そして喉を裂くように叫んだ。

「何故だ――っ!美羽―――っ」
その声は夜の闇に吸い込まれていくようだった。
ほんの少し前までその手に美羽を抱いていた。まだ肌の温もりを感じるくらいなのに、その手に残ったのは彼女の髪飾りだけだった。イエランは持っていきようの無い憤りに金の天眼の光りが炸裂した。
草も生木も岩さえも燃え、辺り一面火の海となった。紅い炎が夜の闇を払うかのように燃え上がった。

その中心でイエランは彼女が去って行った空を見上げ続けていた。
その一部始終をカルムは視ていた。心が壊れていくようなイエランを歯軋りしながら路が開くのを待った。そして彼が路を渡った時、イエランは炎の中で狂ったように嗤っていた。

「しっかりしなさい!イエラン!力を収めて!」
カルムはイエランの肩を揺さぶった。
既に炎は勢いを増しつつ彼らのいる山全体に及んでいた。国境の山脈までも飛び火しそうな勢いだ。

「イエラン!」
カルムは彼の頬を殴った。
イエランがカルムを、ぎらりと睨んだ。
その朱金の瞳と金の天眼が炎を映して真っ赤に見えた。もしくは血の色。

「兄上・・・美羽が私から逃げた・・・今度こそ間違えなく・・・黒い翅虫と。殺す・・・」
「何だって?今、何て言った?」
「殺す・・・黒翔の翅虫は全て根絶やしにしてやる!美羽が悪い!あれが約束を破るから・・・・そう・・・殺してやる。一匹残らず殺してあれの前に積み上げてやる。お前のせいだと言って!はっははは・・・」
カルムは言葉を無くした。天眼を開く彼にはイエランの心が見えていた。狂気と紙一重の状態だった。これほど悲痛な心をカルムは視たことは無かった。しかし・・・

「駄目だ!イエラン!考えて見なさい!あの彼女が民を見捨てるような事をする訳が無いじゃないか。何か・・何かあったに違い無い。私も賊に気を取られていて彼女から目を離してしまって悔しいが、私はそう信じる。イエラン!君も信じるんだ!だから馬鹿な考えは止めるんだ。そうじゃないと後で後悔するだろう。彼女の心どころでは無く、永遠に全てを失ってしまうかもしれない」
イエランは最後の言葉にびくりと肩を揺らした。

「失う・・・美羽を?永遠に?」
「そうなるに違いない。黒翔を滅ぼすような事をしたらきっと彼女は嘆き悲しんで死んでしまうよ」
イエランは狂気に彩られた瞳を見開いた。

「だ・・だめだ・・・それは駄目だ!私のもので無くてもいい!誰のものでもいいからそれだけは駄目だ!もう私はあれのあの微笑を見たく無いんだ!」
美羽が死を覚悟する時、儚く美しく安らぎに満ちた微笑をする。それは見るものの心を魅了するが、彼女の死への旅立ちも意味するのだ。イエランは二度それを見た。自分が剣を振り上げた時と、自ら胸を短剣で突こうとした時・・・もう絶対に見たくないものだった。

カルムは優しく微笑んだ。

「イエラン、君は十分分かっているじゃないか。何が一番大切かって事を・・・さあ一度国へ帰ろう。作戦の練り直した」
「・・・・ああ」
カルムは自分より背が高い筈のイエランが急に小さく感じた。その肩を抱いて空間の歪みに足を踏み入れたのだった。そして紅く燃える山だけが後に残された。
それはまるで美羽を呼ぶイエランのようだった―――


 美羽は空を焼く紅い炎を遠くで見た。まるで太陽が昇ってきているようだった。胸騒ぎがしてならなかった。自分の選択が間違っているかもしれないと不安だった。イエランの叫ぶ声が耳から離れない。何故か戻りたい気持ちが遠くなるだけ大きくなるようだった。

「・・・・私、やっぱり戻ります」
美羽は上空で止まった。

「美羽、何を言うの?あんな男の下に行ったら駄目だよ。冷酷な奴だからこれからも何をされるか分からないよ」
「でも、でも、私がいなくなったら黒翔の民が殺されるのよ。だからやっぱり・・・」
「それはちゃんと手を打つって僕が言っているだろう?信じられないの?」
「ううん・・・でも・・・私・・」
「・・・まさか、美羽、奴の事が好きになったとか言うんじゃないよね?」
美羽は思ってもいない事を言われて愕然としてしまった。

(好き?私が?天眼の王を?まさか・・・・)
「美羽?奴に情が移ったの?聞いた話によると、片時も君を放さなかったぐらい奴の方は執心だったみたいだけど・・・まさかだよね?」
「ち、違うわ・・・兄様」
美羽はその黒い翼の男を兄と呼んだ。
死んだ筈の兄・海翔(かいと)が彼女の前に現れたのだ。だからあっさりと美羽は付いて来てしまった。
変わらない優しい微笑みに、美羽は何故と言う思いが消えうせていた。とにかく逃げようと言われて来たが、冷静に考えれば何故ここにいるのか?何故生きているのか疑問が膨らんできたのだった。

「兄様・・・何故生きているの?私は死んだと聞かされていたわ。それに何故ここにいるの?私達、何処に行くつもり?」
海翔は困ったような顔をした。

「美羽、僕を疑っているの?生きていて嬉しくないの?」
「ううん!違う!嬉しいわ!・・・だけど・・・」
「僕はねあの日、この法国に居たんだ。そして死んだのは僕がここに来ているのを誤魔化す為に置いていた偽者だったんだよ」
「偽者?どうしてそんなことまでして?何故?兄さ―あっ・・・」
海翔は美羽に薬を嗅がせて眠らせた。
羽ばたきを無くした美羽を抱き上げた海翔は、再び風に乗り目的地へと向った。

「美羽、ごめんね。詳しく話す時間が無いから又今度・・・だけど全ては君の為、そして黒翔国の為だよ」
そして夜明けと共に降り立った場所は、朝日に輝く塔のある白き塔≠ニ呼ばれる法国の城だった。
彼らを出迎えたのは白い影のような李影だ。

「ご苦労、カイト。それがミウ姫?」
海翔は美羽を抱く腕に、ぐっと力を入れた。

「李影、約束は間違いないだろうね?」
「私が今まで君との約束を破った事があったかな?」
「・・・・いや」
李影は自信たっぷりに微笑んだ。

「そうだろう?さあ、彼女を渡してくれ」
彼の言葉に息を呑むものがいた。離れた所で様子を窺っていた麗華だった。
李影が美羽に触れることは無いと思っていたからだった。彼は異常な程の潔癖性で、自分が汚いと思うものは絶対に触れようとしないのだ。特に女は自分の身が穢れると言って、まさしく純潔の娘のみを召使いにしているぐらいだ。それを・・・
麗華は海翔から汚れている筈の美羽を受け取る李影の姿を、唇を噛み締めながら見つめた。

(李影様・・・その娘は特別なのですか?何故・・・・)
「なるほど・・・これは美しい。しかしこの格好では折角の儀式に相応しく無いな」
「私が!私が仕度を致しましょう」
麗華が進み出て跪き、申し出た。

「宋、これを美しく飾って連れて来い」
李影は跪く麗華を完全に無視をして、自分の後ろに控えていた宋に言いつけた。

「承知致しました」
宋は美羽を受け取りながら、頭を垂れて跪いたままの麗華に視線を流した。彼女は小刻みに震えていた。麗華が帰国してからずっと李影の態度はこの調子のようだった。宋の予想通りだった。宋は胸が空くかと思ったらそういう気分にはならなかった。彼女が余りにも哀れと思ったからかもしれない。

(もう完全に捨てられたな・・・どうする?麗華?)

 そして美羽が目覚めた時、目の中に入ってきたのはガラスのような天井だった。

(ガラス?それとも水晶?)
そして自分が寝ている場所もそれと同じ感じだった。冷たく硬い感触が伝わってきた。美羽は起き上がろうとしたが、まるで吸い付いているように身体がそこから離れ無かった。広がったままの翼もそうだった。そして奇妙なことに美羽は型の中にはまっているようだったのだ。翼から手足に頭とまるで美羽の姿をくりぬいた、水晶の中に寝ているようだった。
視線だけ動かすと海翔が近くに見えた。
しかし、その顔は兄なのに肌や髪、そして瞳の色が違っていた。

(え?白い肌と髪?それに赤い瞳?兄様じゃないの?)
しかし美羽はもう一人全く同じ顔をした人物をその後ろに見つけた。それこそ海翔だった。
李影と海翔は色が違うだけで全くそっくりだったのだ。

「兄様、兄様とそっくりなその人は誰?それに私、ここから出られないのよ。助けて兄様!」
「大人しくして、美羽。直ぐに終わるからね。そうしたら全部答えてあげるから・・・」
「兄、兄様?に・・・」
李影は美羽を乗せた水晶盤に刻まれている古代の神文字を唱えていた。
その言葉に合わせて盤が光り出し、その真上の空間に美しい幾何学模様を描き出したのだった。
それはまるで雨あがりにかかった虹のようでもあり、夜明けの太陽の輝きにも似ていた。
だがその模様に点滅する文字が描き出されて全ての模様を壊した。

「ば、馬鹿な!こんな馬鹿な!もう一度、もう一度だ!」
李影は再び、聞きなれない言葉を唱え始めた。しかし結果は全く同じだった。しかし今度はその点滅する文字を李影は読み取った。

「な・・・なんという事だ・・鍵は彼女だけでは無かったとは・・・まさか」
古代神文字で点滅した言葉は天眼の王が不足≠ニいうようなものだったのだ。

「不足とはどういう事なんだ!この盤は翼を持つものでしか考えられない!ではもう一つあるのか?いや違う・・・そういう絵では無かった・・・とにかく天眼の王を手に入れて色々試してみるしか無いだろう。カイト!それまでこの娘をしっかり管理していろ!」
「天眼の王を手に入れるってどうやって?」
「そんなのは私が考える!とにかく奴をここに連れて来なくては・・・そして二人で重ねて盤に乗せればいいのか?ちっ、いずれにしてもあの男を大人しく言う事を聞かせるには骨が折れそうだ!」
李影はぶつぶつ言いながら足音も荒く出て行った。
美羽は意味が全く分からなかったがこの異様な感じに恐怖を覚えた。
それに天眼の王をどうとか言っていた。
海翔が何か呪文のようなものを唱えると、ほのかに光っていた水晶盤がいきなり光りを失った。
それと同時に美羽の身体がその盤から外れたのだった。
美羽は起き上がり、説明を求めるように兄を見た。

「・・・・・約束通りに話すよ。美羽・・・僕達の全てを・・・」


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